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【1988年3月】



 風はまだ冷たいが、空気には春の匂いが混じりはじめていた。


「もう、この頃からあったんだな……」


 テレビに大写しになっているは、完成した「東京ドーム」である。俺は思わず、時系列的に破綻した感想をつぶやいていた。


 日本初の全天候型多目的ドーム球場は、後楽園球場に代わって読売巨人軍の本拠地になると報じられている。後の時代では当たり前のように存在した施設で、建て替え話すら出ていたわけだが、新しい時代の象徴みたいに持ち上げられているのは不思議な感覚だった。


 イベント、ライブ会場としても活躍していた施設で、アイドルからすれば最大の箱という位置づけだった。今回の人生でも、同様に推移するのだろう。


 そして、この時期には、他にも歴史的な出来事があった。劇場公開が始まったのは、「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」だった。


 ファースト・ガンダムの系譜における、アムロとシャアの因縁の最終決戦が描かれたこの映画は、前世で後になってからだが視聴した記憶がある。それだけに、新作として接するとなると、心が少しざわついた。。


「この物語が、2025年の「ジークアクス」につながっていくわけだなあ……」


 俺が生きていた未来で話題になっていた、もうひとつの宇宙世紀の物語は、逆襲のシャアと密接に結びついている。まあ、その間に、ガンダムと名のついた別世界の話が多く世に出されることになるのだが。


 なんだか感傷に浸ってしまったところで、呼び鈴が鳴った。身構えてしまうのは、近隣に住む知己はベルを押したりはしないためである。


「こんにちは」


 扉を開くと、同年代の少女が立っていた。


「どちらさまで?」


「高梨澄と申します。突然すみません」


 小柄で、髪はくしゃっと跳ねている。眼鏡の奥の瞳は妙に真剣で、真剣すぎるほどにも映った。


「あの……、沢渡悠真さんですか? お聞きしたいことがあって」


「ほう、どのような?」


 瞬きが多い印象なのは、緊張しているのだろうか。この人物は、だいぶまじめそうな雰囲気がある。


「聞きたいのです。……事件のことを」


 話は、どうやら長くなりそうだった。




 高梨澄嬢の申し出をまとめると、俺の父親が起こした事件を詳しく聞きたい、という話となる。


 同席しているエルリアも、そして俺もまたその事件で負傷したのをしっているようだが、遠慮する様子はない。


 いわゆるオタク的無遠慮さというやつだろうか。俺にも、その要素はあるだろうが。


「それは、なんのためですの?」


 エルリアは不機嫌さを隠そうとしていないが、真剣な表情で応じる客人には通じていないようだ。


「創作のためです。物語を作りたいのです。……その参考にさせてもらえたらと思いまして」


 どうやら真剣な思いからであるようだ。


「かまわない。隠すことでもないから」


「ちょっと……」


「いいんだ。ただ、ちょっとばあちゃんの了承だけ取らせてくれな」


 承諾を得て戻ると、エルリアの髪が逆立っているように感じられ、場の空気は冷ややかだった。そして、訪客はその温度感に気づいていないようで、期待に満ちた表情を浮かべている。


「どこから話せばいいかな……」


 俺は説明した。父がヤクザだったこと。ホステスをしていた母は未婚で俺を出産したこと。


 服役して出所した父が、当時住んでいた植田で母と愛人を半殺しにして、実家の小金井に逃げるようにやってきたこと。


 植田時代の俺は、食事を与えられない状態で自活していたこと。ここで祖母によって家庭のぬくもりを知ったこと。


 事情があって同居するようになったエルリアと、不在がちながら母親と四人で暮らしていたところに……、父親がやってきたこと。


 ばあちゃんは刺されながらも、エルリアを守ったこと。俺は父親を止めようとして殴り倒されたこと。


 エルリアが狙われたところで、現れた母が、錯乱状態だったらしい父と刺し違えたこと。


 俺は無力で何もできなかったこと。


 ……そう、俺は命がけで守ってくれた母の命が消えていくのを、ただ見守るしかできなかった。


 病院に運び込まれ、エルリアが祈ると、祖母の傷が消えていたこと。


 改めて語ると、長い話となった。そして、俺はあの事件のことを、これまでうまく消化できていなかったのだと気がついた。エルリアも同様だったのか、唇を噛み締めている。


「物語にしたければ、好きにしていい。ただ、実名はさすがに勘弁してくれ」


 途中までは噛み締めるように聞いていた彼女だったが、途中からはなにやら放心していたようでもあった。


 眼前で手を振ると、はっと気づいたようだった。


「……いいえ、これはあなた個人の物語だわ。わたしが紡ぎたい物語は、別のものみたい」


 一礼して、澄嬢は辞去したのだった。


「どうして、あんな無礼な申し出を受けるのですかっ。香澄さんがどんな想いであなたを守ろうとしたのかを、無関係な相手に明かす必要などまったくありませんのに」


「確かに、そうかもしれないな……。興味本位なら、断っていた。でも、創作のためだというならば」


「あなたは優しすぎます。その優しさで、他の人の思いを踏みにじりかねません」


 エルリアが憤然と去っていくのは、まあ無理もない反応なのだろう。




 入れ替わるように、玄関に姿を見せたのは、雨宮瑠夏だった。


「ねえ、高梨って子が訪ねてこなかった?」


「来たよ。ここで起きた事件のことを聞きたがっていた。概要を話したら、それは自分が紡ぐべき物語じゃない、みたいなことを言って帰っていったぞ」


「……そっか。ごめん、あの子、ちょっと危なっかしくて。人の話を聞かなくってね。ここに来たいっていうから必死で止めていたんだけど、目を離したら姿を消していて」


「ほう」


「悪気はないんだけど、無意識に人を傷つけることがあるの。締めておくから」


「いいって。気にしてない。特に隠すつもりもなかったから」


「……ありがとう」


「それより、なんだか鬼気迫る感じだったが、だいじょうぶなのか?」


「うーん、なんか煮詰まっているみたい」


「どういう関係なんだ?」


「小学校の同級生でね。……ただ、それだけなのに、なんとなく放っておけないのよ。責任感とか、そういうのじゃないけど」


 玄関口に立つ瑠夏が小さく肩を竦めると、風に乗ってきた花びらが。ふたりの間を舞い過ぎていった。


「早咲きの桜か……」


「ああ。春はそこまで来ているな」


 高校生活の三分の一が過ぎようとしている。特に目標を定めていたわけでもないが、俺の動きはどうなのだろう。前世では、施設でも学校でも所在なく過ごしていたことからすれば、改善はされているのかもしれない。



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