【1985年4月】その1
風に乗って流れてくる桜の花びらは、五日市街道と玉川上水の向こうにある小金井公園から飛んできているのだろうか。
買い物袋の中には、駅前のスーパー「西友」で買ってきた食料品が入っている。現状で既にオープンして二十年らしいが、まだ目新しく感じられる。
この町は、南と北が中央線によって隔てられている。開かずの踏切が名物だ、との話は前世で聞いていた。確か、どこかのタイミングで高架になって、駅前も再開発されていくんだったか。まあ、実際のところ、現状で南側にあまり用はないのだけれど。
ただいまと声を掛けると、おかえりと声が返ってくる。そんなことが、俺にはどうにもこそばゆい状態だった。
足を悪くしている祖母の沢渡トミさんは、買い物もままならない状態で、だいぶ申し訳なさそうである。それでも、俺の料理をおいしそうに食べてくれるし、リクエストに応じて和食も教えてもらえている。
現状は……、前世も含めて初めて得られた、なんとも平和な時間だった。
母親の生家である沢渡家は、浴恩館公園からほど近いところにある瀟洒な邸宅だった。浴恩館とは、後に平成の世に天皇として在位される継宮様が幼少期を過ごした仮寓所を移設した建物だそうで、なかなかに趣きがある。一方で、比較するわけではないが、この屋敷も風情のある佇まいとなっていた。
母である沢渡香澄は、こちらでは水商売はしていないようで、植田で仕事に行く際のような薄化粧もしていなかった。どこか昭和歌謡的な雰囲気を纏っているのだが、一方でテレビの中にいる女性歌手とはだいぶ印象が違う。将来から見た昭和歌謡と、現在進行系のそれとは、だいぶ異なっているようだ。ブラウン管の中ではおニャン子クラブというグループ名で活動する女子高生たちがはしゃいでいる。歌も出しているのだが、これはまあ昭和歌謡とは別物だろう。
祖母はテレビをあまり見ないようで、夜は二人で話をすることが多かった。俺はどちらかというと聞き役で、機嫌よく語ってくれているのは心地よい状態となる。祖父を見送ってから十年近く一人で過ごしていたため、会話に飢えていたのかもしれない。
今日は、俺の久しぶりの……、厳密に言えば、最後に作ったのは前世の2025年だから、時空を越えて40年を遡っての豚汁作りだった。体感年齢で言えば、こちらの人生では初めてなので、15年ぶりということになる。
ただ、通常の豚汁と違って豚の挽き肉を使うところが、やや特異な調理法だと言えるだろう。
前世では、リケンの顆粒のコンブだし、カツオだしに鶏ガラスープを合わせて、豚の挽き肉と雑に切ってレンチンした野菜をぶち込んだ短時間調理のみそ汁だったが、こちらでは祖母の取ってくれたカツオと煮干のだしを効かせて、じっくりと野菜を煮込んだ上品な味わいとなる。前日の料理の副産物である鶏油も、隠し味として投入されていた。
「悠真の作る料理は、優しい味だわねぇ。挽き肉なのも食べやすいし、ちゃんとコクも出てるし」
「いや、雑な料理で恥ずかしいよ。優しい味がするとしたら、トミさんのだしが効いているんだと思う」
「雑だなんて、そんなことないわ。他人を思いやる、とてもいい味わいよ」
俺の作る献立はわりと雑多なものとなっているが、嫌な顔ひとつしないのは気を使わせてしまっているのだろう。それでも、少なくともこの食卓には穏やかな空気が流れていた。
「それと、呼び方なんだけどねえ。婆さんでも、ババアでもいいから……、トミさんというのはなんとかならないかしら」
もしや、娘からそう言われた経験があるのだろうか。
「じゃあ……、ばあちゃん、でいいかな?」
「ええ、孫にそう呼んでもらえるのは、とてもうれしいわ」
微笑む様子は、とても可愛らしい老婦人だった。気恥ずかしさの中で、俺は無理やり気味に話題を転換させた。
「ところで、そろそろ桜が散っちゃいそうだけど、お花見は行かなくていいの? 小金井公園は近いし、おぶっていけばすぐだけど」
「いいのよ。風に乗ってくる桜の花びらが見られれば充分。……そうね、甘えていいなら、南口の亀屋さんで桜餅を買ってきてくれるかしら」
「うん、明日のおやつにしよう」
亀屋があるのは、武蔵小金井駅の南口である。ここ沢渡家からだと、東小金井駅も徒歩圏に位置している。
この時点ではまだ、中央線は地上の線路を走っている。開かずの踏切による南北の分断はかなり激しいもので、ラッシュ時には、一時間に数分しか開かないそうだ。
ただ、それも朝夕限定の話で、朝の通学時に通らなければ、中学生の活動時間でそこまで通せんぼされることはない。まあ、二本、三本と通過するまで待たされることはごく普通にあるのだけれど。
小鍋に半分ほどあった挽き肉豚汁は、朝には四半分ほどとなっていた。母の寝室からは軽い寝息が聞こえてくるから、寝静まってから帰ってきたようだ。桜餅は、三つ買ってくるとしよう。
週が明ければ、歩いて数分の距離にある小金井翠中に通うことになる。新生活になんらかの期待をかける心境になれるほど、楽観的な性格ではない。まあ、高望みをしなければ、裏切られることもないだろう。




