【1986年7月上旬】
いわゆる死んだふり解散を経て、事理民本党……、事民党の高曽根内閣が衆参同日選挙で圧勝した。俺にとっては既知の事実ではあるが、それだけに苛立ちが募る。
不沈空母発言で有名な高曽根首相は、一票の格差問題を抱える中で体調不良と政権の疲弊を装い、駆け引きの中で衆議院の解散に踏み切ったのだった。押し切られた形の野党と事民の反対勢力からすれば、出し抜かれたと文句をつけたいところだろうが、冷徹な戦術だったと言えるだろう。
この時点では、合併によって成立した事理民本党が政権を担い、その他の政党は批判勢力として活動する、いわゆる55年体制は盤石で、官僚、財界、地方政界、JAが束ねる農業従事者などが連合体のような形となり、政権を維持している状態だった。
現時点で主要野党として挙げられる、ソーシャル党やコミュニズム党に政権を任せたいと考える人は、正直なところ少数派だっただろう。野党が伸長する場合も、それは事民党にお灸を据えたい場合の受け皿、くらいの感覚だったと思われる。
前世で令和途中まで生きた経験のある俺からすれば、二大政党制が正義だと決めつけて、事民党対民本党という対立軸を無理やり作った結果、惨状に終わってしまっての事民党延命、という流れとなると把握できている。実際には、この時点のソーシャル党の右寄りの系譜が、民本党を経由して立憲民本党へと続き、結果として事民党による……、いや、財務省の財政規律原理主義による停滞へとつながっていく。
そもそも、バブル絶頂期に急ブレーキをかけて破綻的な停滞を招き、生じた不良債権を見なかった振りをして爆裂するまで放置して、あたかも被害者であるように振る舞ったのが大蔵省である。彼らに悪意がないだろうところが、また、救いがないと言える。
ただ……、政界や財界を変えるのは、どうやっても無理だろう。俺は一体、なにを期待されてこの時代を生き直す羽目になっているのだろうか。悪役令嬢たるエルリアを放り込んだところで、世界が変革されるわけでもないように思うのだが。
55年体制は、与党である事理民本党が毎度の不祥事で苦戦するたびに、他の勢力を取り込んで延命し続ける流れだと総括できそうだ。熊本県知事だった細海氏が仕掛けたヤマト新党ブームの連立と、民本党が政権奪取した時期は、いずれも決定的な転機とはならず、その他の期間は野党が反対だけをして時間を空費した、というのが実情だろう。
事民党と、その裏にいる官僚機構が日本をよその国並みに成長させられていたら、どれほど私腹を肥やそうと大した問題ではない。けれど、実際にはカベノミクスで多少は持ち直したものの、全体を通せばまったくの無策で、停滞を招いたと評してよいと思われる。
2025年には、そのままの構図で朽ちていくかと思われる状況で、国民民本党や政参党が希望の光としてもてはやされた時期となった。ただ、あの参院選が、俺の死の直前に公開された出口調査の結果通りだったとしたら、混乱期がやっていたと思われる。
これからの人生を費やして、そこの流れに介入していけるだろうか。途方もない夢物語でしかなさそうでもある。
「せめて……希望を残せれば」
思わず漏れた声に、俺は苦笑させられた。理性では諦めているのだが、まだどこかに抗う意志が残っているようでもある。
ただ、なにをするにしても、まずは地力をつけるしかないのだろう。
ニュースを眺めながら、俺はどうやら難しい顔をしていたようだ。通りかかったミケが呆れるようにみゃあと声をかけてきて、ようやく肩の力が抜けた。この後の展開を知る俺の見方には、ある意味で偏っているのだろう。そして、俺が苛立っても、どうなるものでもない。
少し散歩にでも出るとしよう。たまには、ミケの散歩について行ってみようか。
その思いつきは、そこそこの小冒険へとつながり、帰宅したときには、土ぼこりや蜘蛛の巣まみれになっていた。それを目撃したエルリアの冷ややかな視線を受けると、ちょっとゾクゾクしたのは確かだった。さすがは悪役令嬢、ということなのだろうか。




