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【1986年2月11日】



 冬の朝は、やけに空が高く感じられた。


 二月十一日は、穏やかな日和だった。


 今日は、母の四十九日が執り行われている。経緯が経緯だけに、きっちりとした法要を行うのは控えて、ばあちゃんの知り合いのお坊様に念仏だけ上げてもらう形とした。


 線香の香りが、障子の隙間から淡く流れてくる。仏間の小さな仏壇には、長崎屋の地下にある東急ストアで買ってきたイチゴが供えてある。


 母の好物だったかどうか、本当はよく覚えていない。ただ、植田時代にほとんど買い物などしないのに、冷蔵庫にたまに入っていたから、それなりに気に入っていたのだろう。


 昼を過ぎた頃、呼び鈴が鳴らされた。


「……お線香、上げさせてもらっていいかしら」


 訪ねてきたのは、母のかつてのホステス仲間と、オカマバーのバーテンさんだそうだ。


 派手な色のコートを着ていたホステスさん……、ユミさんは、どこか遠慮がちに手を合わせてくれた。短髪で薄化粧の男性と推定される人物は、丁重さのこもった祈りを捧げていた。


「ありがとう、ございます」


 俺は、少しだけ頭を下げた。


「こんな服装でごめんなさいね。せっかくだから、あの子の好きな雰囲気にしたくて」


「母も喜ぶと思います」


「そうだな、あいつは華やかな桜色が好きだった」


「そうなんですか。……恥ずかしながら、母のことをあまり知らなくて」


「男の子なんて、そんなものよ」


「そうなんでしょうかね」


 そういうレベルではなかったような気もするが、前世でも両親との距離は遠かったし、否定のしようもない。


「香澄ちゃんは、ちょっと戸惑っちゃってたんだと思うのよ」


 ゴロウと名乗ったいかつい人物は、なよっとした口調で付け足した。じとっとした目で、俺を見つめてくる。


「戸惑っていたって……、俺にですか?」


「自分が親になることによぉ。お嫁さんにはなれなかったわけだし」


「あー……」


 母の少女時代であれば、学校を出たら家事手伝いからのお見合い、なんてルートが標準的だったのかもしれない。それを蹴飛ばして流れ着いた先では、思うに任せない恋愛と、どうにもならない生活が待っていたわけだ。


 もしも、俺が純真な心を持った子どもで、彼女の心を溶かせていたら、別の展開が待っていたのだろうか。


 少し考え込んでいると、ユミさんがハンドバックから取り出した封筒を手渡してくる。


「自分になにかあったら、これをあなたに渡してくれって」


 封筒の中から出てきた便箋には、いい母親じゃなくてごめんね、とだけ書いてあった。


「あの子なりに思うところがあったんでしょう」


「不甲斐ない息子が、守りたい人たちを守れず、殺されそうになっていたところを、身を挺して守ってくれました。感謝してもしきれません」


 俺の視線の先には、廊下からなにかを運んでこようとしているばあちゃんとエルリアの姿があった。


「あの娘がエルリアちゃんね。香澄ちゃんは、あの子が加わった状態なら、もしかしたら馴染めるかもと思っていたみたいだったの」


「肉親以外がいれば……、ということですか」


「あなたたちを嫌っていたわけじゃないのよ。むしろ逆。自分は沢渡に馴染めない存在だけど、よそから来た子がいるのなら、紛れ込めるんじゃないかって」


「正しく血筋のはずなんですが」


「精神的な話なんだと思うの。謹厳さが、どうにも合わなかったみたいで」


「俺は、祖父とは会ったことがないんですが、確かに厳しかったようです」


「まあ、時代的な話もあったものねぇ。……うちも、なかなか大変だったわよぉ」


 ゴロウさんがどのタイミングで現在の状態になったかは不明だが、理解はしてもらいづらかったことだろう。態様は違えど、家族との折り合いの悪さから馬が合ったのだろうか。


「この家にほとんど寄り付かなかったのは、父親が……、鬼塚を近づけないためだったのでしょうか」


「まあ、動向はだいぶ気にしていたみたい。植田方面から、多少は漏れ聞こえていたみたいだから」


「では……、俺が父親を排除できていれば、別の未来もあったわけですか。まったく相手になりませんでしたが」


「ちょっと、抱え過ぎちゃダメよ。ヤクザの襲来を素人の中学生が防げる方がおかしいんだから」


「そうよぉ。あなたと香澄が二人で、二人を助けたのよ」


 ばあちゃんを救ったのはエルリアだし、二人を救ったのは母さんだった。俺は抵抗こそしたものの、父親の行動を掣肘するには至らなかった。活躍度では、ミケの方が遥かに高いだろう。


 二人が運んできたのは、ちらし寿司とハマグリのお椀だった。弔問に訪れる人がいるとは思わなかったので、母さんの好物で送ろうとしていたのだった。




 一緒に通りまで見送りに出たエルリアに、俺は感謝の言葉を伝えた。


「ばあちゃんはエルリアを守り、母さんがみんなを守り、ばあちゃんはエルリアによって治癒された。本当にありがとうな」


「……卑下が過ぎます。あなたはあのとき、できる限りのことをしていました。そもそも、守ろうと思いたい状態に導いたのはあなたではないですか」


「いや、俺は……」


 俺は空を見上げた。涙がこぼれないように。……けれど、実際には涙は滲んでこなかった。どこかで、泣くことは許されないとの感覚があるのかもしれない。


「今は、香澄さんのために祈りましょう。今日は、そういう日なのでしょう?」


「ああ、そうだな」


 と、ブロック塀の上を歩いてきたミケが、小走りに駆け寄ってきた。エルリアと俺の足に絡みつくように円を描く。


「ミケも、みんなを守ってくれてありがとうな」


「みゃー」


 やや誇らしげに響く声音だった。


 同じことは怒らないかもしれないが……、同様の危機に対応できる実力を、俺が持てるとは思えない。


 ヤクザと対抗するためには、どれだけの武装を整えればいいのか。


 そう考えると、思いつく代替手段は金銭しかない。


 そして金銭は、防衛手段の確保だけではなく、世界に介入していく手段としても有効だろう。


 前世知識を駆使して資金を得て、力を手に入れる。どう関わっていくにしても、そうすべきなのだろう。


 エルリアは、やや不安げな視線をこちらに向けていたが、ミケに……、いや、彼女にとってのシャルロットに急かされるようにと玄関に足を向けた。


 俺は、もう少しだけ空を眺めていたい気分だった。




1985年度編はここまでとなります。お読みいただきありがとうございました。

感想で、創始会が無能すぎる、というご指摘をいただきまして、規模感についてまったく言及できていないのに気が付きました。ご指摘いただいた方、ありがとうございました。


設定上は、上田がモデルの植田の地場に根を張るテキ屋発祥の組織で、零細組織としてもよいくらいとなっております。主人公目線ではそこがわからない、という側面もあるのですが、それにしても説明不足で、ご指摘の違和感はもっともかと思われます。ですので、過去分に下記のような改変を加えております。

(「平成転生」にも創始会は登場しまして、両作品のスタート時点では共通の状況となっております)


【1985年1月】

(神後の親分登場シーン)


 やってきたのは、黒いコートに身を包んだ総髪の、妙な迫力のある人物だった。創始会という任侠組織の長だそうだ。父親の所属先らしい。

 やってきたのは、黒いコートに身を包んだ総髪の、妙な迫力のある人物だった。創始会という任侠組織の長だそうだ。父親の所属先で、植田の地場組織らしい。




【1985年5月上旬】その2

(エルリアの身元書類関係での電話)


 俺が思い浮かべているのは、神後宗次郎……、創始会の神後の親分だった。

 創始会は、長く服役していた父が所属する任侠組織で、母やクラリッサがホステスとして働いていたのも、創始会傘下の店でだった。父……、鬼塚拓郎による襲撃から、俺という存在に気づいた流れなのだろう。

 俺が思い浮かべているのは、神後宗次郎……、創始会の神後の親分だった。

 創始会は、長く服役していた父が所属するテキ屋発祥の任侠組織で、母やクラリッサがホステスとして働いていたのも、創始会傘下の店でだった。父……、鬼塚拓郎による襲撃から、俺という存在に気づいた流れなのだろう。




【1985年5月19日】

(神後の親分来訪)


 先触れ通りに、日曜の午前に見覚えのある車が通りに停車した。かつて俺が植田を出るときに乗せられた国産のセダンの運転席から、ヤスさんと呼ばれていた若者が降りてきて、後部座席の扉を開く。出てきたのは、神後の親分だった。任侠の有力者でも、派手な黒塗りの車を常用しているわけではないのか。そして、他にもう一人乗っていたようだ。

 先触れ通りに、日曜の午前に見覚えのある車が通りに停車した。かつて俺が植田を出るときに乗せられた国産のセダンの運転席から、ヤスさんと呼ばれていた若者が降りてきて、後部座席の扉を開く。出てきたのは、神後の親分だった。

 任侠の有力者でも、派手な黒塗りの車を常用しているわけではないのか。想像していたよりも、規模の小さな組織なのかもしれない。そして、他にもう一人乗っていたようだ。



 送り出そうというときに、神後の親分が立ち止まって、俺を見つめてきた。

「他には、手助けが欲しいことはないか」

「では……、もう一つ、甘えさせてもらっていいですか?」

 送り出そうというときに、神後の親分が立ち止まって、俺を見つめてきた。

「鬼塚の奴の行方が掴めておらん。出身地の九州に向かったという話もあるが、定かではない。何を考えておるのか……。すまんが、創始会にこの小金井や香澄の立ち回り先に手を回す余力はない。危険を感じたら、一時的にでも植田に来てくれ」

「ありがとうございます」

 俺がちらりとばあちゃんに視線を向けたのを、親分は感じ取ったようだった。

「こういう事態になると、力が足りないのを感じるな」

「任侠組織は、大きな力を持っているものかと思っていました」

「創始会は、テキ屋起源の組織だからな。植田の歓楽街周りと、植田競馬関連、それに地場の働きに多少、といったところだ。しばらく前の映画の……、セーラー服のヤクザ映画があったろう。そこに出てきた組ほどは小さくないが」

「関東目高組でしたか」

「ああ、そうだったな。メダカほど小さくはないが、鮎程度かもしれん。女子高生を組長に据えることはなかろうがな」

 親分が言及した映画の「セーラー服と機関銃」では、薬師丸ひろ子が機関銃でヘロインの入った瓶を並べて掃射していた。

「……他には、手助けが欲しいことはないか」

「では……、もう一つ、甘えさせてもらっていいですか?」


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