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【2025年7月20日】


 就職氷河期とは、うまい具合に絶望感を表現している名付けである。


 俺は、その世代の先頭に位置する年代に属している。1994年にやっとの思いで大学を卒業したら、バブルは弾けていた。前年の就職戦線は土砂降りと評されていて、苦闘する先輩たちを心配していたのだが、あっという間に氷河期になって、状況は劇的に悪化したのだから、ひどい話ではある。


 児童養護施設上がりであることを理由にはしたくないが、とにかく面接で落ち続けた。やっと入った清掃用具を扱う小企業は、銀行の破綻に巻き込まれて三年で潰れてしまった。家賃を払いながら奨学金を返済するには、派遣と夜のバイトを掛け持ちするしかなかった。


 それでも、派遣の仕事にありつけただけ幸運だったのだろう。証券会社傘下のシステム会社の、さらに外注先にあたる職場だったが、資料整理などで数年は安定して働くことができた。もっとも、それもITバブルの崩壊までで、その後はいろいろな職場を転々とした。数えると、両手片足では足りない職歴となる。


 失われた三十年、なんて言葉もあるようだが、その間は不良債権がどうとか、国の借金が国民全員の資産を越えているだとか、少子高齢化で年金は破綻確定だとか、不景気な話ばかりだった。一時的な景気回復はあっても、いわゆるカベノミクスまでは、奈落を抜ければまた奈落、といった状態が続いた。そして、カベノミクスの狂騒曲が鳴り響く中でも、生活がよくなった実感はない。


 どうにか奨学金を返済し終えたのは、ほんの数年前である。けれど、たまたま派遣として入職した、町田にある小さなイベント会社で、社会人生活の最終盤にしても正社員になれたのは、まだマシな展開だったと思われる。


 そんな状態だったので、若い頃に惚れた女性はいたものの、告白することすらできなかった。いや、それも言い訳か。もう、ずっと言い訳ばかりしてきているように思える。


 いずれにしても、この日本という国も俺自身も、このまま朽ちていくのは確定だ。政治にも経済面においても、期待できる要素はなにもない。ずっとそう思ってきた。


 その思いをより強くさせたのは、石和首相のていたらくだったのだが、同時に少しだけ希望の光が射したようにも思えた。前年の総選挙で、国民民本党が表舞台に出てきたためである。


 当初は保守寄りの支持も集めて狂騒的な状態だったのが、スキャンダルを抱えた女性候補の擁立問題や、いわゆる切り取り的な報道によって、風は一旦止まった。一時は国民民本党を支持していた保守層は、より保守的な政参党へと向かったようだ。本日投開票を迎える参院選では、政権を担う事里民本党、光明党への逆風が強く吹き、事民党の票田も食い破っているとされる政参党の躍進が確実視されている。


 国民民本党は、期待感が剥げ落ちて賞味期限切れだと揶揄されながらも、元々が政策実現に特化した政党だけに、徐々に支持を広げていった。


 与党である事光政権……、事理民本党と光明党の連立政権側は、非改選も含めての過半数割れが確実視される、というのが乱立する選挙直前の情勢調査が一致するところだった。


 今年……、2025年夏の参議院選挙は、三連休の真ん中の日に設定されている。情勢が厳しいと見た事光政権側が、自分たちを支持していない若年層の投票率を下げるためと見る向きもあるが……。設定した側は、否定しているようだ。いずれにしても、期日前投票を含めると、投票率は上昇しているようだ。


 選挙戦での争点は、戦前に想定された給付か減税か、というものから、いわゆる外国人問題へと移り変わり、最終的には政権選択……、いや、事光政権を信任するかどうかに落ち着いた。


 間もなく投票が締め切られる。その間際に投票所……、近くの公民館に来たのは、別に嫌がらせのためではない。20時を過ぎれば、出口調査と事前取材を加味した選挙結果の概況が公表され、一部では当確が打たれ始める。一票の価値は、どの時間帯に投じようと同じはずだが、まったく無意味に思える締め切り間近に投じるのが、俺としては好ましいのだった。自分の存在の軽さを再確認するため、とまでは考えていないのだが。


 公民館への入口あたりで、差別反対との手作りらしいプラカードを抱えた男女が佇んでいた。政参党の勢いを少しでも掣肘しようとの意図があるのだろう。動員されたわけではなさそうだが、効果のほどはどうだろうか。


 俺自身は、国民民本党の候補者に投票しようとしている。国民民本党は、去年の衆院選で訴えた政策からほぼ変わらず、手取りを増やすことに注力している。ただ……、なんとゆーか、俺にとっては今更である。五十を越えた身からすれば、今後の手取りが増えるに越したことはないけれど、残り期間は限定的である。


 世間の給料の額面自体は、上がってきているようだが……。どうやら、世の中は人手不足であるらしい。特に若手で有能な人材を獲得するために、初任給が三十万だとか、四十万だとかなんてニュースが駆け巡っている。俺の額面より多いのはいいとして、大手とされる規模の会社で、ずっと正社員で働いてきた層でも、そこまでもらっていない人も少なくないらしい。会社が違うというのはあるにしても、ざわつくのは無理もない話である。


 一時は、国民民本党が就職氷河期世代の救済を大々的に打ち出した時期もあった。今でも取り下げられてはいないにしても、演説で取り上げられることは少なくなっている。まあ、その辺りが氷河期世代の氷河期世代たる所以なのかもしれない。内容としても、どうやら引退後の年金支援の話になるようだ。まあ、なんの策も打たれないよりはいいのかもしれないが……。


 全般を通して、彼らが主張する政策が実現すれば、失われた三十年を経た今からであっても、若い世代の未来は多少なりとも改善されるのかもしない。このまま、人口減少によって国としての死に向かうと思っていたのだが、もしかしたら挽回できるのかもしれない。少なくとも、その速度を緩められるのではないか。


 それでも、救われるのは下の世代だけである。俺らの世代は、このまま行けば極貧に陥りかねなかったところが、通常の貧しいレベルに留まる程度かもしれない。もっとも、贅沢をしようにもできなかったため、特に苦痛とはならないかもしれないが。


 同じつらさを味わう人が減るのは、間違いなくいいことのはずだ。それでも、やるせない気持ちになるのは確かである。どうして、俺の若いときに、彼らが現れてくれなかったのか。なぜ、今になってという思いはある。


 まあ、実際に現れていても、見向きもされなかったのかもしれないが。


 そして……、今回の参議院選挙で、国民民本党以上の存在感を示しているのは、政参党である。


 彼らが今回の参院選で掲げた「日本人第一」というキャッチコピーは、リベラルのハートを真正面から撃ち抜いたようで、壮絶な反作用が生じていた。日本を嫌う勢力からすれば、日本人第一という概念はどうしても受け容れづらかったのだろう。リベラルがみんなそうだとは言わないが、一定割合で存在すると思われる、そういった層が反発するのは理解できる。


 だが、否定的な言説は万人に共感されるものではなく、反撃は政参党への支持をより強固にさせる作用をもたらす流れとなった。特に「報道特報」という番組で、女性アナウンサーが否定的なコメントを出したのも、アシストした結果となったのかもしれない。


 結果として、左傾化した事理民本党に反発する層も巻き込んで、躍進しそうではあるのだが……。参院選で勢力を得ることに意味がないとは言わないが、衆議院での現有勢力は三議席に過ぎない。次の衆院選でどうなるか次第となる。衆議院と参議院に分かれている現行制度は、迂遠なようでもあるが、一定期間の維持力がない政治勢力が中心に躍り出るのを阻む仕組みとなっている。


 そんなことを考えながら投票箱に票を投じ終えると、少し疲れの見える見届人に会釈をして退室する。まあ、運営側からすれば、開票作業の方が本番なのかもしれないが。


 建物を出た時点で、既に投票締め切りまで三分を切っていた。そこに、幼い女の子を抱いた若い女性が駆け込んできた。おそらく、子連れで投票に来たお母さんなのだろう。どうにか間に合いそうなのは、なによりである。


 先程のプラカードの男女も、役目を終えて休憩に入っているようだ。スマホを手にしているからには、選挙速報を確認しようとしているのだろうか。


 テレビでは、20時になった瞬間に出口調査をベースにした概況が開示される。ネットでも、ニュースサイトや動画配信サイトで速報が行われる状態だった。


 少し離れたところでは、若者が何人か集まって笑い合っている。俺も、スマホを取り出して、速報の配信サイトを開いた。


 20時になり、大勢が判明した。与党である事光の過半数維持が困難であることと、国民民本党と政参党の躍進見込みであることが大きく報じられていた。


 隣に立つ男性のスマホを覗き込んでいた女性が持つプラカードが、激しく震えている。顔が歪み、叫びが発せられた。


「どうして、あんなヘイト政党が……。こんな世の中間違っている。」


 差別反対、との文言を見つめて、涙ぐんでいるようだ。


 対して、若者たちは歓声を上げている。振る舞い的には、国民民本党ではなく政参党の支持者だろうか。


「大勝利だよな。……せーの、日本人第一、ばんざーい」


 そのまま政参党のキャッチフレーズへの万歳三唱が行われると、プラカードを持った一団の一人が食って掛かり、何やら小競り合いのような展開になった。笑いながらの政参党支持者と、悲壮感を漂わせた抗議側が押し合うような形となる。


 選挙期間中には、各地で両勢力が激しくやり合っていたようだが、ここで再現しなくてもいいじゃないか。触らぬ神に祟りなし。どちらかが一方的にやられそうなら、通報くらいはしようか、などと考えながら距離を取る。


 国民民本党を支持する俺からすれば、政参党が勢力を伸ばして、事光連立勢力を過半数割れに追い込んでくれた現状は、むしろ良い状態なのかもしれない。長期的に見れば、都議選前のむしろ逆風だった状態から盛り返したのは、地歩を固める上では、むしろ理想的な展開だったとも言えそうだ。


 ただ……、ここからしばらくは、政治情勢は混乱するだろう。良い方向に向かう過程なのか、産みの苦しみなのか。


 小競り合いの勢いが増してきて、怒号とともに両者の有形力の行使が始まった。ナイフらしき金属の色まで見えて、さすがにやばいかなと思い始めたところで、先程の親子連れが出入り口から出てきた。


 抱かれていた女の子が地上に降ろされて、安心したように走り出す。その先には、揉め合いが展開されていた。


 やばいと思って、両者の間に割って入るべく走り出す。どうにか間に合って、女の子の進路を逸らすべく動いたのだが……、どうやらその動きが、新手の加入と捉えられたのかもしれない。


「危ないから、お母さんのところへ戻ってね」


 俺の言葉に、頷いた少女が踵を返す。その頃には、脇腹の辺りに、生暖かい感触が広がっていた。 


「こいつが襲いかかってきたんだ。俺らは悪くないっ」


 その叫びに、女の子がビクッとして立ち止まり振り返る。手で離れるように指示すると、一直線に母親の方へと走っていった。


「その人は、子どもを守ろうと……」


「ああん?」


 小競り合いは完全には収まってはいないようだが、それでも事態の重大性に気づいたようで、収束に向かいつつあるようだ。女の子を抱えたお母さんが、駆け寄ってきた。パワフルである。


「だいじょうぶですか。この子を守ってくれたそうで……」


「無事でしたか、よかった」


「ちょっ、ひどい出血じゃないですか。……もしもし、消防ですか。刃物らしきもので重傷を負った人が、倒れています。場所は……」


 まあ、事故のようなものである。俺の人生は、思うに任せないことばかりだったが……。それでも、最後に子どもを一人守れたのなら、意味があったのかもしれない。あの子にとって、今日が死の恐怖に怯えた日ではなく、誰かに守られた日だと認識してもらえたらよいのだけれど。


 視界がぼやけて、息苦しさが喉の周りにまとわりついている。物音はしているのだが、ひどく遠くのことに感じられる。


 ぼやけた視界に、小さな影が広がった。女の子が覗き込んでいるのだろうか。あるいは幻覚か。


 揺り動かされるような感触が遠くなり、やがて総ての感覚が消え去った。



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