従姉妹のことは可愛がってないし、好きでもないのですが?
よくある婚約者を蔑ろにして浮気していた者が断罪される話…にはならなかったやつ
魔法とかあるタイプの学園ものファンタジー世界観。なお王都にある貴族が通う可能性のある学校は一つだけではない
『スマナイ チコク アンネ キタ』
精霊伝信を婚約者に送り、溜息をつきたい気持ちを堪えながら訪問者を見る。
アンネリーゼ・オーレル伯爵令嬢、我がエインクライン公爵家の門下の貴族家の一つ、オーレル家の娘だ。父の姉の娘だから従姉妹ということになる。従姉妹だからという理由で昔からよく我が家に訪ねてきていたので、俺とも付き合いが長い。そして昔から俺にお兄さまお兄さまと甘えてくる。婚約者が決まる前まではまだしも、俺に婚約者ができてからも態度を改める事なくくっついてくるから、はっきり言って迷惑している。俺の好みじゃないし。
俺の婚約者は政略で決まった相手だが、俺の意思も反映されている。というか条件の合う令嬢の中から俺が選んだ。相手の意思も反映されている…と思う、多分。とにかく婚約を破綻させるつもりはないし、アンネリーゼ嬢は俺の好みではない。だが、はっきり突き放せていないのは、きっぱり断った結果、弟の方にすり寄られると困るからだ。弟は第三王女との婚約が内々に結ばれており、俺より更にデリケートなのだ。弟がアンネリーゼ嬢をどう思ってるかまでは知らないが、王女とはそれなりに仲良くやっているはずなので、余計なさざ波は立てたくない。
ともあれ、気を持たせたくないので、従姉妹以上の扱いはしたことがない。そのはずだが、どうもこのアンネリーゼ嬢は俺が彼女を好きだと思い込んでいるようなのである。いくら俺でも好きな相手がいるならそちらの方に婚約を申し込んでいるっての。そこまでへたれじゃねーわ。
「…アンネリーゼ嬢、俺はこれから大事な予定があるから、手短に済ませてほしいんだが、今日は何の用事かな」
「もう、ハルト兄様ったら、そんな畏まった言い方じゃなくて、昔みたいにアンネって呼んでくれてもいいのに~」
何言ってんだこいつ。
「アンネリーゼ嬢、君も貴族令嬢なら弁えるべきだ。未婚の令嬢が他に婚約者のいる男にそのように気安く接するべきではないし、気安く接することを求めるべきではない。何度言ったら理解してくれるんだ。俺は君のマナー講師ではないんだが」
三つ年下の妹ができていることが何故デビュタントを終えた娘にできないのか、さっぱり理解できない。オーレル家が姉妹の教育に格差をつけているという話は聞いていないのだが。本人のやる気の問題か?
「もう、お兄さまったら、すぐ意地悪を言うんだから…」
「それで、用件は何だ、オーレル令嬢。用がないのであれば俺は席を外させてもらおう」
「もう!…私、お兄さまの用事があの政略相手だって知ってるのよ。でも、お兄さまはあの子より私の方が好きでしょう?婚約者じゃなくて私と出かけましょう?私、今話題の演劇を兄さまと見に行きたいって思ってたの」
アンネリーゼ嬢が俺の腕にしがみついてくる。本当に人の話を聞かない娘だ。
本当に何故こいつはこんなに話が通じないのだろうか…。情熱的な恋愛関係ではないが、俺は婚約者とそれなりに思い合っているつもりだ。この女の方が好きだということはありえない。というか…
「俺は下手物は好きではない」
「え?」
「…いや。用がそれだけなら俺は行く。演劇に行きたいなら血の繋がっている方の兄を頼るといい。俺は婚約者一筋だ。では」
執事に後を任せて応接室を出る。ただでさえ遅刻が確定してしまったのだからこれ以上彼女を待たせたくない。小走りで出ようとしたところで、小柄な者とぶつかりかけた。
「おっと」
「あ…」
「マリリエッタ殿下、お怪我はありませんか」
「いえ、大丈夫です、ハルトムート様。その…あの子と私では随分対応が違うのですね」
「見ていらしたのですか?…いえ。いずれ家族になられる方と、寄り子の家であるとはいえ礼儀を弁えない娘の扱いが異なるのは当然のことだと思いますが」
「そ、そうですの…」
弟の婚約者にいつまでも近距離でいるわけにはいかないので一歩離れる。
「では、私はこれから約束がありますので」
軽く礼をして足早に厩に向かう。こうなったら馬車を捕まえるより自分で馬を駆けさせた方が早い。流石に馬を駆けさせながら伝信を送ることはできないが。ただでさえ、婚約者とは通う学校が違うので休日しか直接会えないというのに、その貴重な時間を毎度毎度邪魔されるのは、そろそろ対策しないとならない。屋敷に間諜でも入っているのかもしれないから、素行調査でもするべきか。
愛馬に簡易鞍をかけて待ち合わせ場所まで駆けさせる。今日のデートは美術館での芸術鑑賞と昼食の予定だ。午後は彼女の望むところについていくことになっている。美術館の傍の馬留に愛馬を留め、家の者に回収を頼んでおく。美術館近くのカフェで本を読みながら待っている彼女を見つけ、息を整えて軽く汗を拭ってから歩み寄り、声をかける。
「おはよう、アルテローズ。待たせてすまなかった」
「おはようございます、ハルトムート様。なんとなくこうなる気はしていましたから、大丈夫です。こうして時間つぶし用の本も用意しておりましたの」
「本当に済まない…どうも、誰かが勝手にアンネリーゼ嬢に予定を漏らしていた節がある。早急に犯人を捜して止めさせようと思う」
「公爵家に仕えている方であれば、きちんとした職業倫理を持つ方を選び抜かれているのではありませんの?」
「俺は婚約者とのデートの予定を態々家中の者以外に伝えたりはしていない。余計な横やりが入って欲しくないからな。それなのにあの娘が知っていたということは、そういうことだろう。何故どいつもこいつも、政略婚に愛は生まれないと決めつけるんだ…!」
アルテローズ・オクニス伯爵令嬢。俺が十歳、彼女が九歳の頃に婚約を結んだ俺の婚約者である。今年で九年の付き合いになる。高等学校は留年しなければ十八歳で卒業だから、彼女は今年度の卒業だ。何事も無ければその後正式に婚姻を結ぶ予定になっている。
まあ俺は高等学校を卒業した後、そのまま魔導学院への進学を選んだので学生の身ではあるのだが…卒業と同時に父からモヴリン伯の称号を継いでいるので、稼ぎは一応ある。そして正式には俺の名乗りはハルトムート・モヴリン・エインクラインということになっている。今は都合上エインクラインと名乗ることが多いがそこはその内変わる予定がある。それはともかく。
アルテローズは栗色の柔らかな髪をシニヨンに結い上げた落ち着いた印象の少女だ。理知的な青灰の瞳を眼鏡の奥に隠すようになったのはおよそ三年前…高等学校に入学した頃だったか。本の読みすぎで目を悪くしたらしい。躯は大事にしてほしいが、そのことが彼女の美しさを損ねたとは俺は一切思っていない。しかし口さがない者は眼鏡が彼女の魅力を喪わせていると宣っているらしい。婚約者としては、彼女への侮辱に憤るべきか、傍にいられない時にちょっかいをかける男が減ることにほっとするべきか、決めかねている。
婚約の証たる俺の瞳と同じ色のブルーサファイアのはまった指輪(俺のものは彼女の瞳に近い色味のもの)を常につけているはずなので、婚約者持ちなのは知られているだろうが。俺の通っていた高等学校と彼女の通っている高等学校は別の学校なので、実感を持って俺が彼女の婚約者であると認識されているかは怪しいところだ。
招かれずに乗り込むわけにもいかないので、踏み込んだことは今までない。婚約者のエスコートがいるイベントが一度もなかったわけではないはずだが、遠慮されてしまったのだ。
弟によると彼女の兄がエスコートしていたらしい。そういえばクラスまでは知らないが、アルテローズとアンネリーゼ嬢とついでに第三王女は同じ学校の同じ学年だったのだった。
「そういえばアルテローズこそ、アンネリーゼ嬢に嫌がらせなど受けていないか?アイツはこの政略婚約を知っているだろう。あの子より私の方が好きでしょうとかなんとか世迷言を言っていたし…」
「ご心配なく。彼女は私のことなど目にも入らない様子ですから、嫌がらせもありませんわ」
「そう、なのか…?あの我儘娘は性格が悪いから俺の婚約者に嫌がらせをしないはずがない気がするが…関係のない娘に八つ当たりでもしているのか…?」
まあ俺もそう心が広いわけではないので、家族(予定含む)と領民以外は割とどうでもいいのだが。とはいえ世が平和である方が望ましいので積極的に乱す気はない。
それはともかく、時間が惜しいので、彼女の手を引いて、事前に手に入れておいた企画展のチケットを使って美術館に入場した。学校行事へのエスコートは俺の方に呼ぶのはともかく、彼女の方に呼ばれたことはなかったので両手で数えられる程度しかしたことがない。だから俺は彼女をエスコートできる場所をデート先に選ぶことが多い。もちろん、お互いの興味が持てる前提だ。精霊伝信で毎朝毎夜、簡単なメッセージを送り合ったり、手紙で近況を報告し合ったりはできたものの、貴重な交流時間である。
俺は人の言葉の裏を読むとかは酷く苦手としているので、彼女がこの婚約を実は嫌がっているのではないかと…正直不安にも思う。エスコートに呼ばれないし(婚約者でない女に求められることはあるが全て婚約者がいるからと断っている)。
「ハルトムート様?」
「…あ、すまない。少し考え事をしていた」
「何か気にかかるものがおありでしたの?」
「結局、学園の方でアルテローズをエスコートする機会を持たせてくれなかっただろう。俺の隣に立つことが、君には不快な事だったのではないかと…ふっと不安になってきてしまって」
「…そんなことはありませんわ。あなたは私の自慢の婚約者様です。ただ、ハルトムート様にエスコートされて出ると、その後ずっと女の子たちに嫉妬されそうな気がしていましたの。…ですから、その心配のなくなる、卒業プロムには、エスコートをお願いしてもよろしいですか?」
「!ああ。勿論だ。今から準備するよ。…残念ではあるけれど、傍で守れない俺が文句を言えることではないな。すまなかった」
「ハルトムート様の所為ではありませんわ」
とはいえ、半年で準備するとなると…やや心もとないかもしれない。少し忙しくしなければならなさそうだ。
「ちなみに、ドレスは贈らせてもらえるのか?」
「今日、プロムのエスコートをお願いするつもりでしたから、午後に仕立て屋の予約は入れてありますわ」
「流石アルテローズだ」
その聡明でよく気が付くところを俺は買っている。きっと俺の不足しているところを補ってくれるだろう、と。彼女なら夫人として家を切り盛りしてくれるだろう。とても頼もしい。
俺は社交は不得手だから、社交がきちんとできる娘であることは婚約者に求める第一条件だった。そういう意味でアンネリーゼ嬢は論外である。四つ下になるからそれはそれであまり良くないが、妹のリーゼロッテ嬢の方がマシなくらいだ。まあ強いて父方の従姉妹と結ぶ理由もない。公爵家は母の家系なので婚姻相手としてはかなり優先度が低いのだ。
オクニス伯は派閥としては同じだが、うちの寄り子ではないという立ち位置であり、政略としては友好関係を結ぶためのものになる。まあ彼女が俺の求める諸事情と合致したからというのが決定打だったのだが。ちなみに俺がモヴリン伯領を継いだのはオクニス伯領に比較的近くて他の条件も色々丁度良かったからだ。大体馬を一日も走らせればたどり着ける。今は父の任命した役人が代官をしているのだが。
「俺の婚約者がアルテローズで良かった。どうせならプロムでは誰もがアルテローズを羨ましがるように…ああいや、何事もなければ第三王女殿下も同時に卒業するのだから、あまりにも目立ちすぎると拙いのか?」
「ふふ。私が会場一美しくなくとも、ハルトムート様にエスコートされて現れるだけで皆に嫉妬されてしまいますわ」
「嫉妬は良くない。お似合いの二人で、入る隙などないと思わせるべきだろう。…となると、衣装の方も多少は凝るべきか?」
基本は二人ペアの衣装とするべきだろうか。
「ハルトムート様の薄金の髪なら、はっきりした色のスーツの方がいいと思いますわ」
「あくまで主役は君だ。俺は添え物だよ」
「ハルトムート様は添え物としては豪華すぎますわ」
「そんなことはないと思うが。公爵子息とはいえ、俺はあまりモテないぞ。まあ、君以外に言い寄られたいわけでもないが…」
高等学校でもあまり女生徒に囲まれたりはしなかった。まあ囲まれても相手にしないんだが。あるいは婚約指輪を見てそっと離れていただけかもしれない。
魔導学院には気合の入った魔法マニアばかりが通っているので、浮ついた関係の噂はあまり流れてこない。まあ俺もそうしたマニアの一人なのだが。精霊伝信も俺が開発中の魔導具の試作品である。決まった二つの間でしかやり取りできない版のものをあえてアルテローズと二人で持っている。横入りはいらないので。
本当は魔導具の開発ばかりやっていたいぐらいだが、公爵家の当主になるならばそうはいかない。父を見ていればわかる。貴族当主、しかも派閥を取りまとめる立場となれば滅茶苦茶忙しい。週に一度、いや月に一度、趣味のものを触る時間を取れるかどうかという感じだろうか。いや、合間でできるような息抜きとかならもっとできるだろうけど。
勿論、俺が今こうして思うままに魔導具を研究させてもらえるのは公爵家の財力と伝手があってこそということはわかっている。学院の学費はかなり高いし、魔導具を作る時に使う材料も品質の高いものは簡単には手に入らない。魔導学院は貴族しか入学できないと決まっているわけではないが、学費の問題で裕福な家のものか有力なスポンサーを用意できるものでなければ通えない。俺は精々道楽レベルなので生まれが違ったら通えていなかっただろう。
「俺は婚約相手としてはそこまで魅力的でもないんだろう」
「それは…まあ…私もハルトムート様との婚約を申し込まれたと最初に聞いた時、何かの問題か厄介事に巻き込まれるんじゃないかと思いましたけれど…」
「…妻に苦労させないとはとても言えないからな、俺は…」
「嫌なら最初から断っていますよ。私だって、探せば他にも選択肢はあったでしょうし、あなたに悪印象があったわけではありません。身分差が気にかかっただけで」
「ああ…でも、伯爵令嬢を妻に迎えるのが一番良いと判断したんだ」
弟と王女の婚約が決まっていたというのもある。俺の婚約者を早めに決める必要があった。兄弟で恋敵、みたいなややこしい事態を避けるためにはお互い婚約者一筋というポーズだけでも作っておくのが分かりやすかったから。王女は好みではありません、なんて言うのは不敬が過ぎるし、義妹との関係を悪くするだろうし…。
「私も、選ばれて光栄だって気持ちはありますわ。最初は色々…不安でしたけれど」
お互い政略を十分理解して結んだ婚約とはいえ、最初から円満な関係とはいかなかった。あんまり目を合わせてもらえなかったり、会話が弾まなかったりした。手紙を交わすようになってそれがだんだん改善していった、と思う。
「常識外れなことを偶にやらかしているという自覚はあるから、不安にさせるのも仕方ない、かな…」
大体やらかしてから常識外れだったって気付くんだ。というか、やる前に気付いてたらやらない。
「最近は多少なりと慣れてきましたから…突然状況が変わったりしなければ何とかなると思えますわ」
うーん、もしかして婚前交渉に対する牽制とか、されてる?いや、俺もキスくらいはしてみたいな、とは思っているが、それ以上はちゃんと結婚してからって思ってる。自分で責任を取れないことはしちゃダメだろ。まあ、婚約者相手ならそこまで問題にならないケースが多いけど。破局予定もない(あったら困る)し。
「…そろそろ鑑賞に戻りましょう、ハルトムート様。他の方の邪魔になってしまいますわ」
「ああ、そうだな。折角来たのだから、ちゃんと見て回らないとな」
美術館にほど近い料理店で昼食をとった後、彼女の予約していた仕立て屋へ向かった。彼女の馴染の店らしい。
プロム用のドレスはある程度の枠組みがあることもあり、セミオーダーに近い。全体的なシルエットと細部の装飾にカラーリング。ダンスもあるからあまりタイトすぎるものは好まれないが、足を出すことははしたないとされるから丈自体はロングが多い。
「ブルー系でアルテローズに似合う色合いというと…これぐらいの色になるか?」
俺のスーツもブルー系の似たトーンがいいだろう。全く同じ色というか、共布で仕立てるという手もあるが。俺のシャツは栗色がいいな。
「アルテローズには落ち着いた大人っぽいデザインの方が似合うだろうから、ベースのデザインはこれでどうだろうか」
「ハルトムート様は華やかなデザインの方がお似合いというか、半端なものではお顔に負けてしまわれるでしょう?負けてしまわないかしら」
「今回俺は添え物だ。あまり凝ったものは着ない。確かに母上の贔屓の仕立て屋が俺の為に仕立てるのは華やかな衣装ばかりだが…アレはあまり俺の趣味ではない。服飾センスにあまり自信がないから、公の場では任せているだけだ」
あまり服飾センスを磨くことをしていなかったから仕方ない。男同士だとあまりそのような話題にはならないしな。趣味が悪いとは言わないが、俺はどちらかといえばシンプルで動きやすい方が好きだ。
「今日着ていらっしゃるものもそのような服でしょう?」
「俺の見栄えを良くする衣装なのは間違いないからな。デートであればよく見られたいのは当然だろう」
「ハルトムート様本当にそういうところですわ」
「ん?」
「…何でもありません」
「そうか」
仕立て屋への注文が終わって、少しカフェで休んだあと、彼女を家まで送り届ける。学生なので夕食前には解散だ。更にメッセージカード付の花束を帰った後に彼女が受け取るように手配してある。デートの合間に花屋に寄って手配した。持ち歩くのは邪魔だしな。
「次はまた都合のかみ合ったデートの時か、諸々の打ち合わせの時にでもなるか。寒くなる季節だ、冷えには気を付けて躯を大事にしてくれ」
「そろそろ具体的な結婚式の計画を決めないとなりませんからね。ハルトムート様こそ、お体に気を付けてくださいませ」
軽いハグ。ビズは一度やったらめっちゃ距離を取られたのでそれ以来していない。結婚した後なら再挑戦してもいいだろうか…。
名残惜しいが帰宅して愛馬を労いにいく。俺の勘が今玄関に行くとアンネリーゼ嬢と遭遇すると言っている。まあいくら従姉妹といえど、日没前に家に帰されるはずではあるのだが…あの娘はちょっと常識に欠けているので。
そういえばあの娘の嫁ぎ先はいつ決まるのだろうか。流石にどこぞの夫人になればこちらにちょっかいはかけられなくなるだろうし、高等学校を出て婚約も就職も決まっていないのは貴族だと出来損ないみたいな見られ方をするものなのだが。
貴族社会は伴侶と稼ぎと両方揃ってこそ一人前みたいなところがある。まあ女は稼いでいなくても夫人として家をちゃんと差配できれば一人前と見られるが。だからまあ、高等学校を卒業しても婚約相手が見つかる気配がないのは男でも女でも何か問題のある人間なのだろうと見られがちだ。まあ婚約者持ちのクズもいるから、ただの旧来の偏見なんだけど。
「ハルトムート様、ここにいらっしゃったのですか。アンネリーゼ様がお帰りになってしまいます」
「…別に構わないが」
どちらかというと会いたくないし。そもそもこの侍女は誰だったか。側仕えをしているものではないと思う。働き始めて日の浅いものか?
「俺には態々アンネリーゼ嬢と顔を合わせる必要性は感じない。妙な駄々でもこねているのか?ならばやはりオーレル家に娘の教育をきちんとするように抗議を入れるか」
「えっ…」
「何だ」
「ハルトムート様とアンネリーゼ様は密かに思い合っているのでは?」
「そんな事実はない。寧ろ、そのような関係であれば彼女と婚約を結んでいるに決まっているだろう。俺の婚約は当事者の合意に基づくものであって政略的な必然性は薄い。"お互い思い合っているから"続いているものだ。婚約者以外の娘に特別な情を向けているわけがなかろう」
お互いに不都合があれば婚約を解消することは可能なのだ。婚約解消を持ちかけられる理由など作るわけがない。恐らく彼女より条件の合う女性は俺にはいないだろうし、不満は特段ないのだ。俺はこのまま彼女と結婚したい。
「そ、そう、なのですか…」
「もしや、お前がアンネリーゼ嬢に余計な情報を流して俺と婚約者の逢瀬の邪魔をしている人間か?侍女長に伝えて余所にやるか解雇するかしてもらうか。雇い主の情報を無断で流出させるような使用人を野放しにはしておけない」
「そ、そのようなことは、けしてっ…」
「少なくとも、俺がアンネリーゼ嬢を想っているなどという根も葉もない世迷言を信じていたのだろう?古参の使用人なら俺が婚約者一筋なのは知っているはずだが…」
情報の裏取りもせず暴走する人間など信用できない。とりあえず侍女長に伝えに行くか。
アンネリーゼの回避も兼ねて裏口から屋敷に入って侍女長を探しに行く。この時間帯なら母のところの可能性もあるか?ああ、執事にオーレル家への抗議の手配をしてもらう必要もあるのか。アンネリーゼ嬢は出禁にしてもらう方が早そうだな…。忙しいんだから余計な仕事を増やさないでほしい。本当に。
「お、お待ちください、ハルトムート様っ…」
「あ、ストライブ。オーレル家に抗議の手紙を書きたいから夕食後に書けるように準備を頼む。そろそろライン越えしそうだから正式なものを」
「レターセットですね、ハルトムート様。自室でよろしいですか?」
「ああ。でも俺個人としてのものでいいかな」
公爵家としてやるなら父母のどちらかには最低でも話を通さないと拙い。でも父は今日話す時間があるか疑わしいし、母は…あまりこれ系の話をしたくないんだよな。俺の婚約に対して不満がないわけじゃないみたいだから。まあアンネリーゼ嬢と結婚してほしいとは思ってないだろうけど。
でもモヴリン伯としてなら俺の個人的な判断で発言できる。俺が当主みたいなものだから。
「承知いたしました。そちらの侍女は?」
「情報漏洩した可能性がある。新参だと思うが、何処の娘だ?」
「ジレット子爵家から行儀見習いとして一年ほど通いで来ている者です。何事もなければ二年で終わる予定でしたが」
公爵家で行儀見習いをしたとなれば箔が付くからなー。家によっては家の者が使用人に手を付けて妾に、なんてこともあるらしいが、うちではそういうのはまずない。父はそういう暇ないし入り婿だから妾とか無理。俺は婚約者一筋で、弟もそう…のはず。まあ母はちょっと礼儀に厳しいところとかあるので、使用人の無作法を軽く許したりはしないっていう…ネックはあるらしいが。流石に理不尽な暴力とかはないはずだが、母ならこういうのは疑惑の時点で解雇もありうる。
「く、クビはお許しください…っ」
「処分は侍女長に任せる。だが、俺の婚約を崩させるのに手を貸そうとしていたようだから、最低限俺のスケジュールを知れない位置には動かしてもらいたいな」
「そういえば、確かにここ数か月ほどはハルトムート様の婚約者様との交流の日にはいつもアンネリーゼ嬢が朝から訪ねてきていましたね」
「そうじゃない日も頻繁に来ていたから気付いてなかったんだがな…」
そもそも婚約者とたっぷり時間をとってデートできる日は月一日あればいい方なのだ。アンネリーゼ嬢は週一くらいのペースで来て鬱陶しいくらいだが。アルテローズは基本的に遠慮しているのか、このタウンハウスには直接訪ねてこないしな…。領地にいた頃はお互いの領地を行き来していたが、純粋に行き来が大変で機会がなかなか取れなかった。学校に通うならタウンハウスの方が便利で気安く会えるようになった(当社比)って感じ。
「ハルトムート様は極めて鈍感でいらっしゃいますからね…」
「ストライブ」
否定はできないのだが、それはそれ。俺だって周囲の人間の機微ぐらいは気付きたいと思っている。
「侍女の件もお任せください。ハルトムート様は御夕食に向かわれた方が良いかと」
「…ああ、頼む」
俺も夕食前に外出の埃を落としたりしないとならないしな…。
そこから半年は大して大きな問題もなく過ぎた。
婚約者との関係は良好で、アンネリーゼ嬢は家族ぐるみの用事での訪問の時以外は門前払い。弟とその婚約者もそれなりにうまくやっているっぽい。魔導の研究はそこそこだし、時間を見つけて領地の方の根回しも少しずつ進めている。俺と婚約者の結婚式は初夏の頃に挙げたいという目途が立った。まあ俺は魔導学院に通っている間は通学の利便性的にこの公爵家のタウンハウスで生活する予定なので、実際に同居するのはもっと後になるかもしれないのだが。モヴリン伯領の領主館は少しずつ暮らしやすいように整え始めている。
そんなこんなでアルテローズの高等学校卒業の日となった。母校とは違い経営と社交を重視しているらしいこの学園に足を踏み入れるのはこれで…んー、まあ片手に足りるくらいだったか。弟の入学式の時と、学外の人間を招くイベントの時に弟に招かれて何度か。あの時は不必要に目立たないように地味な格好をして、薄い色のカラーグラスをかけたりした。婚約者が学校でどう過ごしているのか、こっそり見たかったし。仲の良い女友達もいるようでほっとした。
弟は未だ在校生なので卒業式の方は顔を出さず、その後のプロムを前に待ち合わせ場所へ向かう。俺の見立てたドレスに身を包むアルテローズはとても美しかった。いつもは丈夫な太いフレームの眼鏡をしているが、今日はフレームが細く存在感の薄い眼鏡をしている。
「アルテローズ、綺麗だ」
「ハルトムート様こそ…本日は三つ編みを前に垂らしているのですね」
「こうしたらお揃いの髪飾りが着けられないかなって」
昨日やっと納得のいく出来になった護符の花飾りをアルテローズの側頭部につける。うん、似合う。
ダンスパーティーってあんまり好きじゃないけど、婚約者となら三曲は踊りたい。三曲続けて踊ることはそのカップルが特別な関係だと暗示させることらしいし。
「エスコートさせてくれるね、アルテローズ・オクニス嬢」
「ええ、喜んで」
プロムの会場であるホールには、着飾った男女が集まり始めていた。何人かは制服で参加している者もいるようだ。在校生かな。個人として、俺と交流のある者は見当たらない。まあ俺の母校の友人たちは同年か年上を婚約者にしてるやつが多かったからな。あと同じ学校に通っている相手。俺のように他校の年下の婚約者はレアなのだ。ま、より正確にいうなら、俺があちらに進学したことこそレアなのだが。
俺の友人はいないので、アルテローズの交友関係の者たちと簡単に挨拶したり、雑談したりする。本格的なダンスはパーティに参加する最も身分の高い者か主催者、今回なら生徒会か第三王女あたりか、が入場してからになる。その前に簡単な腹ごしらえくらいはしておくべきだろうか。
…公爵家の寄り子の家の子たちが遠巻きに俺を見ている気配があるが、あちらから動かないなら放置だな。アルテローズに用事があるなら別だが、俺は特に用はないし。…ああ、でもアンネリーゼ嬢もこの学校に通ってたはずだから接触してくる可能性があるのか?なんなら先に雑事は済ませておくべきか…。
「ハルトムート様、険しい顔になっておりますわよ」
「ン…すまない。少々、アンネリーゼ嬢が現れる可能性に思い至ってしまってな」
「ハルトムート様が私の傍にいてくださったら大丈夫ですわ」
「ん、俺はアルテローズ一筋だからな」
此処でキスの一つもしたいところだが、流石にアルテローズに嫌がられるか…?手の甲の上でリップ音をさせるだけにしておく。
「物語の王子様みたい」
「いちいち絵になりすぎますわ」
「アルテローズが紹介してくださらないのもわかりますわ。知っていたら嫉妬しない自信がありませんもの」
「君の婚約者は僕なんだけど」
「モヴリン伯爵様はとても美しくていらっしゃるもの、生きている人間なのが信じられないくらいですわ~」
「…アルテローズには愉快な友人がいるのだね」
「リリベルは面食いなだけで、悪い子ではありませんのよ」
う~~~~ん、まあ。俺の顔というか、外見が美しい部類だというのは、幼少期から度々言われてきているのだが。自分では、おっとりした感じで迫力や威圧感とか威厳のない顔だなって思う。平たく言うと、優男だって舐められそうというか。
実際何度も舐めた態度をとられたことがある。権力その他実力で黙らせたけど。父は苦労してるからか厳めしい感じで迫力があるからあんまり舐められてないと思う。少し羨ましい。似ないのも仕方ないっちゃないけど。弟はやや父似かな。
「俺は心が狭いから、家族と領民と伴侶以外に割ける心が一欠片しかない」
「存じております」
まあ、だからって外れた相手に積極的な攻撃はしない。そんな無駄なリソースはない。関心が湧かないのだ。
そうこうしている内に、第三王女が入場してきたらしく、にわかに騒がしくなった。いつの間にか会場内の人間も大分増えている。ん…あそこのタルトが少し気になってたんだが、食べ損なったな…。ダンスの後にも残ってるといいな…。
たぶん主催の挨拶か何かあってダンスの時間になるはずだ。と思っていたのだが。
「――ハルトムート・エインクライン、来ているのはわかっております!」
何故か俺が呼ばれた。何故。しかも公爵令息としての呼び名で。何で。戸惑いながら、アルテローズと連れ立ってステージに上がる。面倒の予感しかしない。
「マリリエッタ王女殿下、この祝いの場に、卒業生でもない俺を壇上に上げるというのは、一体どのような用件でしょうか。態々このような場で呼びつけられる心当たりはないのですが」
「その有様でよくものうのうとそのようなことをおっしゃいますわね。…私はあなたを告発、断罪いたします!」
「はい?」
一切の心当たりがない。俺は清廉潔白を心掛けて生きてきたので、いや清廉潔白は言い過ぎかな。でも罪に問われるようなことをした覚えはない。
「ハルトムート・エインクライン、あなたは私という婚約者がありながら、他の女にうつつを抜かし、不貞を犯していました。証拠もきちんとあります。あなたが愛しているのは婚約者である私一人だけとの言葉を信じていましたが、この重要な日にドレスはおろか、エスコートも与えてくれないあなたにほとほと愛想が尽きました。あなたとは婚約を破棄します。あなたは次期公爵から外れ、私とこのレオンハルトがエインクライン公爵の座を受け継ぎます」
何言ってんだこいつ。
おっといかん、不敬だった。とりあえず早急に訂正を入れないと不名誉なレッテルを貼られてしまう。
「殿下、幾つか訂正を。あなたの婚約者は十年前…最初から俺ではなく弟のレオンハルトですし、俺は九年前に婚約した時からこのアルテローズ嬢一筋です。不貞を犯した覚えは一切ありません。また、次期エインクライン公は十年前から弟にほぼ内定していましたし、俺の籍は昨年からモヴリン伯となっています。あなたは一体何をおっしゃっているのですか」
「えっ…。…だ、だって、ハルトムート様は私を、いずれ家族になる相手、と…」
「弟の妻は家族と呼んでも間違いない相手では。レオンハルト、殿下は何故今までこのような勘違いをされていたのだ。婚約が整った時にきちんと顔合わせがあったはずだろう」
まあその後の交流会は家でやっていたようだが。何なら、俺がはっきり拒否したとも言えるんだよな、王女との婚約。王家からの打診が来た時に俺は無理だから弟にすればいいって。王女が弟では嫌だって言ったならそれで婚約不成立になってただろうに、何でそんなことになっているんだ。
「…殿下は顔合わせの日、僕を一目見てこの子じゃない、ってギャン泣きしたんですよ。それで婚約不成立になるかと思えば、泣き疲れて眠った殿下が目を覚ましてから婚約を止めるか聞かれてそれは嫌だと仰ったそうで、そのまま婚約が続いているのです。それからずっと、殿下は自分の婚約者は兄上で、つれなくされている自分に同情して僕が優しくしてくれている、と思っていたようですね」
「それは……相談してくれたらよかったのでは」
或いは両親には相談したが、俺には話してくれなかったとかだろうか。俺だけ蚊帳の外というのは、弟ならやらないとは言い切れない。俺はそんなに頼りない兄なのかなあ。
「殿下が兄上本人以外には自分の婚約者を"ハルト様"というから、僕がちょっと変わった愛称で呼ばれていると思っている方が多かったんです。殿下自身はそのことに気付いておられなかったようですが」
うちの者は俺も弟もハルトとは呼ばないからな…。弟はレオンだし、俺はハルかハリーだ。紛らわしいからな。
「あと、兄上が出ると余計に拗れると思ったので。…正直、兄上の婚約が決まった時には、これで殿下の妄想も醒めると思ったのですが、それに乗っかって悪化させた者がいまして…」
「誰だその傍迷惑な人物は」
「…心当たりがありますわ」
「アルテローズ」
「アンネリーゼさんでしょう。学園で殿下がハルトムート様の婚約者という前提で、蔑ろにされている殿下ではなく、自分がハルトムート様に愛されているのだと言い張っていらっしゃったの。二人して現実とかけ離れた妄想ばかり話していらっしゃって、ごっこ遊びをしているのかと思いましたし、言いがかりをつけられても面倒でしたから、ハルトムート様の婚約者は私ですと訂正せずにいましたが」
あの娘か…。というか、
「アルテローズが俺に学園行事のエスコートをさせてくれなかったのはそれでかい。俺は母校のイベントに呼んだのに」
「あの茶番劇に巻き込まれたくありませんでしたもの。ごめんなさい」
せめてもっと早く教えてほしかった。解決は…できなかったかもしれないけど…。
「同じ学校じゃないから傍で守れないかもしれないけど、婚約成立した時に俺はアルテだけを伴侶として愛すって誓ったのに」
「全部彼女たちの妄言だとわかりきっていましたから、ハルの愛は疑っていません」
そこを疑われたら俺は泣くが。
「…何故、何故なんですのハルトムート様っ…私の方があなたを想っておりましたし、こんなに美しいのにっ…」
「何故、って言われても…俺は婚約者に愛も美貌も求めてないし。公爵位を継ぎたくなかったし。俺が魔導具学者やるために伯爵家を過不足なく切り盛りしてくれる娘がいいなってくらいで」
王族の降嫁となると通例最低でも一代公爵になるし元からの公爵子息だと当主確定チケットみたいなもんだし。
「殿下個人が嫌って言うより、王族の嫁はもらいたくなかったという方が正しいかな」
「――」
「兄上ぇ…」
「ハルトムート様、めっ」
「嘘を言う訳にもいかないだろう。…いや、俺は自分がこうだってわかってたから、十年前にギャン泣きしてまで次期当主を拒否したんだがな。絶対対人関係で揉めて家を没落させかねないと思って」
なにしろ、丁度王家からの婚約の打診の直前くらいにあった同年代の高位貴族子女を集めた茶会が阿鼻叫喚になった。俺が素直に自分の意見を述べた結果、空気が最悪になって他の子供たちが泣き叫び茶器が飛び交い大惨事だった。まあ嘘を言えばよかったとは今でも思わないのだが。いやでも、会場は城だったから、その時に第三王女に見初められたんだな、多分。当時はそれどころじゃなかったけど。
更に言えば俺と王女では血が濃くなりすぎるから次代以降に悪影響が出る可能性がある。頓着なく申し込んできたあたり把握されていない可能性もあるが。
「当時は何言ってんだと思ってましたけど、この十年でよくわかりましたよ。兄上は当主に向いてないって。母上は納得いってないでしょうけど」
「俺は向いてないし、レオンは向いてるんだからレオンが継ぐのが当然だろう。婚約のことがなくっても」
王家にも次期当主については根回しされていたはずだ。…ああ、だから余計に話がややこしくなったのか?殿下は俺が次期当主だと思っていたようだし。
まあ婚約者たる王家とオクニス家には伝えていたが、他家には伏せていたのだが。俺に貴族としてダメだという評判が立つことを母が嫌がったので。まあ、何事もなければ弟が高等学校を卒業して成人と認められたら発表されることにはなっていたが。勘のいいところなら、俺が卒業した時点で正式に次期当主の発表がなかったことで察していたかもしれない。例の茶会のトラウマで俺は高位貴族子女子息とは距離をとりがちだったし。弟はちゃんと他家に繋ぎをとってるんだろうが。
「ところで、殿下、何故俺があなたを愛さなかったかと問われるなら、そもそもあなたは何故、俺を選んだのです。王家からの打診の時点で俺はあなたと正式にお目通りしたことはありませんでしたし、俺自身顔を合わせた覚えはありません。顔で惚れただけなら、レオンでも良かったはずでは?兄の俺が言うのもなんですが、レオンは俺と同じ母から生まれてそれなりによく似た顔ですし、誠実で将来有望な子です。何故レオンでは駄目だったのですか?」
ああいや、王女は俺との婚約(勘違い)を破棄して弟と結ばれるつもりだったんだっけ?こんな場で言うこともないと思うが。弟と王女の婚約(俺とのだと思ってたもの)は広く知られたものではなかったわけだし。
「…あのね、兄上。殿下は、兄上が浮気相手と思い込んでいたアンネリーゼと共にプロムに参加すると思ってたんだ」
「は?俺があの勘違い女をエスコートするわけがないだろう。俺はああいう自分が愛されつくされるのが当然だと思っている人間は大っ嫌いだ」
なんかちょっと遠くで物が落下したような音とか聞こえたけど無視する。
「従姉妹でなければ、俺に婚約者がいると知って態度を改めなかった時点で縁を切っている」
より正確に言えば、従姉妹だから縁が切れなかった、か。
「公爵夫人の座を狙ってすり寄ってきているなら、弟に近づけるよりはマシかと最低限の相手をしていただけだ」
「…まあ僕も兄上がアンネリーゼのことをよく思っていらっしゃらないのは知っていましたが」
「婚約者との逢瀬を邪魔されて腹が立たないほど、俺は婚約者に興味がないわけじゃないからな」
…うん、待てよ?
「もしや、浮気の証拠とやらは俺とアルテローズの逢瀬の記録なんじゃないのか?」
アンネリーゼ嬢もまあ、栗色の髪をしているので、顔が見えなければ間違えられるかもしれない。俺は別に婚約者とのデートでこそこそする理由もなかったからな。なんやかんや従者や護衛が傍に居るものだから、名門子息であることは自然と知れてしまうから不必要に治安の悪いところには近づかないし。
「多分そう」
「正直、アンネリーゼさんの殿下への態度は目に余るものがありましたから、ついでにそれも咎めたてたかったのかと」
「疫病神か?」
よくもまあ、当事者不在でそんな泥沼を作っていたものだ。頭がおかしいのかな。
「…い、今まで話していませんでしたが、私がこうしてこの場に立つのは二度目なのです。一度目の私は、28歳で死んで、8才の…ハルト様と婚約を結んで初めての顔合わせの後まで時が戻っていたことを知ったのです」
王女が何か突然話し出した。20年の逆行か。王家の魔導具でも関わってたらありえないことではない、か?
「一度目の時は、確かにハルトムート様が私の婚約者だったのです。でも、アンネリーゼが横からハルト様を奪って…学生時代だけの火遊びでは済まず、公爵家に嫁入りした後も、私は蔑ろにされ、あの女がハルト様の妻であるかのように好き勝手されて…それでも、私、ハルト様を嫌いになることができなくって…だけど、妊娠して私が邪魔になったアンネリーゼに毒を盛られて殺されてしまったのです。だから、時が戻ったことに気付いて、私は。今度こそ、と思ったのです」
「でも、殿下の言う二度目の今、俺とあなたの婚約が成立したことはありません」
「私が間違っていたというのですか」
「結果的にはそうなりますね。少なくとも、あなたが俺の婚約者かと言われたら、俺は即座に否定していましたよ。俺は嘘は吐きませんから」
それにしても、一度目の"ハルトムート"は余程頭の足りない男だったらしい。まああのアンネリーゼ嬢(俺の知る娘と同等の人物とする)を寵愛して甘やかす時点で目の前の享楽しか考えない当主向きでない人格をしていたことがわかる。アレを寵愛したところで何の利益もないからな。それとも色狂いの類か?婚約者がいるのなら、そいつを重用する方が面倒がないのに。なんにせよ、俺とは全くかけ離れた人間だ。
「どう頑張っても、あなたは私に振り向いてはくださらないのですか、ハルトムート様」
「そのような問いが出る時点で、あなたが好きなのは俺の外見だけですよ。そもそも振り向くって何です。そういえば正式に殿下に俺から紹介したことがなかったかもしれませんが、俺にはもう大切な婚約者がいます。俺の妻になるのはアルテローズで、他の人間と深い仲になるつもりはありません。婚約を結んだ時点でそう決めました。それが全てです」
「でも…十年前の時点では、婚約はなっていなかったのでしょう?既にその方を愛していたから、私の求めを断ったわけではないのでしょう?」
「未練がましいですね。それとも三度目を期待しておいでですか。きっぱりと面と向かって振って差し上げた方がよろしいと?」
まあある意味、十年前にきっぱり振っていたはずではあるのだが。俺に来た婚約を断ったのは俺の意思だし。
「そ…そんなつもりでは…」
「俺は嫌なことをじっと黙って耐えるような人間は嫌いです。我儘言って人に強要する奴も嫌いですがなお悪い。それって自分で解決しようとせず、誰かが嫌なことを代わりにやってくれるのを待っているってことでしょう?」
「…あ」
「俺はそう思うというだけで、他の方は違う見解を持っている者もいるでしょうし、他者に助けを求めること自体は否定しませんけどね」
機を狙って反撃を試みるとかならまた別だけどね。それは応援する。親切な人が見咎めて、あるいは傷ついているところを見つけて助けてくれる、なんて助けを求めず黙っていられるのは考えが甘いよね、って。人間は大体そんな善良でも賢くもない。大抵は自分の利益のために動く。価値観は人それぞれだから誰でも同じ動きはしないけど。だから人間は基本的に美しくない。
「兄上、それ以上僕の婚約者を追い詰めないでもらっても?」
…この状態で婚約を継続するつもりがあるのか、弟は。まあ、家が大丈夫なら好きにすればいいと思うけど。
「じゃあ、俺たちはもう此処から降りてもいいかな。用事も終わっただろうし」
俺はアルテローズと踊る為にプロムに来たようなものなのだ。脇役の癖に悪目立ちするためではない。
「えー……はい…兄上はここのOBでもないですしね…」
「そう。じゃあ、行こうか、アルテ。俺、あそこのテーブルのタルトが気になってたんだ」
「ハルトムート様、余所行きが外れています」
「だって折角のアルテのハレの日が台無しになったのに、これ以上俺が猫を被る意味とかある?」
自分で決めたルールすら守れない人間のために何で俺が気を付けてやらなきゃいけないんだ。俺は別にどうでもいい奴との交流関係とか切れて構わないのに。だから大人しく必要な知識を手に入れたら領地に隠居しようとしているのにさ。
そもそもアルテローズのことだって別に好きになったわけじゃない。伴侶として迎えるのに都合の良い相手だから、俺も彼女の伴侶に相応しい人物として振舞っているだけだ。九年共に過ごしたから、情、愛着のようなものはあるが、仮に彼女から振られてもしつこく追ったりはしないだろう。そうなったらなったで仕方ない。他の伴侶を探したりもしないが。しなくてもいいなら結婚したくないし。モヴリン伯の地位も俺の子が生まれず死んだとて領土ごと公爵家に戻るだけだし。まあその時弟の方で不測の事態が起きてたりしたら困るかもしれないけど。
「俺が此処の系列の貴族学校を一年で退学したの、外見だけ見て好き勝手言われるのが滅茶苦茶ウザかったからだからね」
家庭教師からじゃ学べないことが学べるかと思ったら、余計に煩わしいだけだった。まあ高位貴族でも逆にあまり金のない貴族でも、貴族学校には通わず自宅学習で済ませて高等学校だけ通うパターンはそこそこあるのだが。弟はちゃんと貴族学校に通っていたんだったかな。平民は貴族学校とは別の身分に関係なく入れる基礎学校で学ぶ者もいるらしい。
「…ああ、兄上がこちらに進学しなかったのって、そういう…」
「プロムが終わるまでは私の顔を立ててくださいまし」
…。それもそうか。
「わかったよ、アルテローズ。俺の所為で妙な視線を浴びせてしまってすまない」
アルテローズの手を取り指先に口付けるふりをする。外野の視線および声は無視。どうでもいいし。
「実はハルトムート様に秘密にしていたことがありますの」
「何?」
「実は、私も魔導学院を受験しまして、無事合格しましたわ。来年度からはあなたの後輩として通いますの」
アルテローズが魔導学院に来る?
「じゃあ俺はアルテと一緒に卒業する」
「まあ、留年なさるおつもり?」
「アルテを一人で学院に残していきたくない。人妻にちょっかい出すような暇人は余程いないとは思うけど…」
同学年はともかく、下級生と交友関係を作っても…信用できるかわからないしな。母校の方でも下級生とそんなに関わりなかったんだけど、学院に来るのは色んなやつがいるし、アルテローズの元同級もいるかもしれない。横恋慕とかしてた奴がいないとも限らない。俺に不満があってフられるのは仕方ないけど、他の人間に負けてとられるのは許せない。
「…ハルトムート様が私のことで嫉妬するとは思いませんでしたわ」
「九年一緒にいれば相応に愛着はわくよ。俺だって感情や執着心がないわけじゃない」
しかし、そうなると…籍を入れるだけでは不十分かな。
「新婚旅行もちゃんとやってその時に初夜もするか」
「ハルトムート様」
「学院に通うのは俺のものに名実共になってからにして。当然、アルテローズ・モヴリン伯爵夫人として通うんだろう」
「入学より入籍の方が先になりますから、当然そうなりますわね」
「嫌なの?」
「嫌ではありません。でも、少し…ハルがこれまでより強引になったような気がして」
「高等学校を卒業した以上俺たちは二人とも成人した大人だ。自己責任で関係を進めても文句を余所から入れられる筋合いはなくなった。当然君も、君の判断で俺を拒む権利がある」
「…ハルトムート様は、私を恋愛対象として好きではないはずですよね?」
「相手を手にいれたいという欲求の元になる感情は恋に限ったものじゃないだろう」
「割と非道いこと言われてる気がするのに顔面が強すぎて許せるっ…これだからハルトムート様は」
「俺は君とはできる限り"誠実"に接していたつもりだが」
「ええ、よく存じていますわ。あなたがとんでもない人でなしだということは!あなたに野心や別方向の人の心への理解があったら、国がガッタガタにされてただろうこともね!」
「俺は国も家も潰したくないから隠居すると昔から言っているだろうに」
俺が目を合わせて微笑むだけで凶行に走る人間が生まれることを、経験から知っている。そうしてほしいと望んだことなど一度もないのにな。何故そうなるのか、俺には理解できない。だから、実家に傷をつけないようにしつつ、俺は表舞台からはフェードアウトするのが一番いいのだ。