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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【短編版】私のものが欲しかったんでしょう? だから全部、あげますわ

作者: 神田夏生

 パン、と乾いた音が王子の私室に響いた。

 ルゼンベルク国の第一王子であるグゾルが、公爵令嬢ヴィオラマリーの頬を打ったのだ。


「ヴィオラマリー、お前、何度言ったらわかるんだ!? 僕の愛しいシェリルリリーをいじめるな!」


 ヴィオラマリーは打たれた頬を押さえながら、それでも毅然とグゾルを見据える。


「……私は、シェリルリリーをいじめるなど、しておりません。シェリルリリーから何か聞いたというのなら、それはあの子の嘘です」

 

 ここルゼンベルクは、フレイディーグ大陸に存在する小国である。この大陸にはほとんどの国に貴族制度があるが、ルゼンベルクは大陸の中でも最も、身分による格差が激しい国だ。


 そんなこの国の貴族の一つ、ゴールベル公爵家には、二人の娘がいる。

 姉はヴィオラマリー、十九歳。一つ年下の妹がシェリルリリーだ。


 この国ルゼンベルクでは、貴族の中に稀に、花の紋章を持つ子女が生まれる。

 その紋章を持つ子は特別な力を持つと言われており、「奇跡の子」と呼ばれるのだ。


 シェリルリリーは生まれながらにして左手にその紋章を持っており、公爵家という家柄も申し分ないとあって、物心つく前から第一王子グゾルの婚約者に決められていた。「奇跡の子」であり次期王妃であるシェリルリリーを、両親は甘やかした。


 奇跡の子といっても、シェリルリリーが他の人間と違う特別な力を使ったことは一度もない。しかし紋章があるだけで縁起がいい存在とされていたし、国が危機に陥ったときにこそ、奇跡の力は開花すると信じられていた。


 人々はシェリルリリーを愛し、崇め……王子グゾルもまた、婚約者である彼女を溺愛していた。グゾルはシェリルリリーの言うことなら、なんでも真に受けてしまう。よって今は、「ヴィオラマリーが私をいじめるの」と泣きつかれたことによって、グゾルがヴィオラマリーを叱責している状況だ。


 事実無根を主張するヴィオラマリーに、グゾルは侮蔑の眼差しを向ける。


「嘘つきはお前だろう、ヴィオラマリー。こちらにはちゃんと証拠もある。ほら、シェリルリリーが見せてくれたんだ。ビリビリに破かれたドレスに、引き千切られたネックレス。極めつけは、僕が以前、シェリルリリーに贈った愛の詩。その詩を綴った便箋に、紅茶がぶちまけられている! 僕らの愛の証を踏みにじるとは……ヴィオラマリー、お前はどこまで卑劣なんだ!」


「それを、『私がやった』という証拠があるのですか? ないですよね? それらは全て、シェリルリリーが自分でやったものです。私を陥れるために」


「そんな言い訳が通用すると思っているのか? 僕が愛を込めて綴った詩を読んだとき、シェリルリリーは目に涙を浮かべて感動し、『一生大切にします』と言ってくれたんだぞ!? そんな心優しい彼女が、自ら詩を汚すなど、有り得ないだろう!」


「シェリルリリーは、私を貶めるためならなんでもします。まして、金目のものでもなく趣味でもないものなんて、平気でぐちゃぐちゃにしますよ」


 グゾルが「ヴィオラマリーがシェリルリリーをいじめた証拠」として突き出したドレスもネックレスも、もう流行遅れの古いものだ。おそらく、いらなくなったから処分しようと思い、「どうせならヴィオラマリーのせいにしちゃえ☆」と考え、自分で壊したうえで目を潤ませグゾルに訴えたのだろう。


 シェリルリリーが興味を示すのは、高価なもの、流行りのもの、他人のものだけだ。愛の詩を贈られたときだって、内心では鼻で笑っていたに違いない。シェリルリリーはそういう人間だと、ヴィオラマリーは知っている。血の繋がった姉妹だから。


「まあ、さすがに『王子から』いただいた詩に紅茶をぶちまけたのは、わざとではなかったのかもしれませんが。おそらく、詩を適当にその辺に置いておいたら紅茶をこぼしてしまって、殿下にバレるとまずいから、私のせいにしようと思ったのでしょうね」


 冷静に述べるヴィオラマリーに、グゾルは顔を真っ赤にして憤慨する。


「貴様、どこまでシェリルリリーを侮辱すれば気がすむんだ! 愛する僕からの詩を汚されて、とても辛かっただろうに……彼女は瞳に涙をためながら、打ち明けてくれたんだぞ」


「自在に涙を操れるなんて、演技派ですわよね。数少ない特技だと思いますわ。もっと別の形で活かせばよろしいのに」


 すると、今までヴィオラマリーへの叱責をグゾルに任せ、お人形のように彼の背中に隠れていたシェリルリリーが、か細い声を出した。


「お姉様……どうして、そんなに酷いことばかりおっしゃるの? 私、本当にグゾル様を愛しているのよ。だからあなたに詩を汚されて、とても傷ついたのに……」


 その声の細さも、もちろん演技だ。グゾルから見えない角度では、こっそりヴィオラマリーに向けて舌を出していた。


「私だって、本当はお姉様を責めるような真似、したくないの……。だけどグゾル様からの愛の証を踏みにじられるなんて、悲しくて……っ。そんなに人の心がわからないままじゃ、お姉様のためにもならないと思って」


「シェリルリリー、君はなんて心優しいんだ。ああ、君とこの卑劣な女が血の繋がった姉妹だなんて、信じられない」


 グゾルはシェリルリリーの腰に手を回して愛を囁いた後、ヴィオラマリーをきつく睨みつけた。


「いいか、ヴィオラマリー。お前が公爵家の娘であり、僕の婚約者の姉であるといっても、次期国王である僕と、次期王妃となるシェリルリリーへの不敬罪で、お前なんかいつでも処刑してやれるんだからな」


 ゴミを見るような目からは、脅しではなく本気であると伝わってくる。むしろ、本当なら今すぐにでも処刑してやりたい、と顔に書いてあった。


 だが実際にそれをすれば、「貴族であるにもかかわらず、処刑されるほどの不敬を犯した娘を出した家」として、シェリルリリーと両親の立場も悪くなる。現国王や王妃は、そんな恥ずべき汚名を持つ家の娘と王子を結婚させたいなどとは思わないだろう。


 グゾルは次期国王とはいえ、現国王である父親には逆らうことができない。ゆえに、ヴィオラマリーを処刑できずにいるのだが……


「そんな、グゾル様……いくらお姉様が私をいじめるからといって、そこまではやりすぎですわ。命は尊いものですもの」


「こんな悪逆女の命まで尊ぶとは、君はなんて優しいんだ。おいヴィオラマリー、シェリルリリーの慈悲深さに感謝しろ! 彼女への謝罪と感謝を表して、絨毯に頭をつけろ!」


「私は、シェリルリリーに謝罪することも、感謝することも、何もありません」


 ヴィオラマリーがそう答えると、パン、と乾いた音がした。また、彼女の頬が打たれたのだ。


「貴様は……本当に、僕を苛立たせる天才だな」


「殿下。もう一度言います。シェリルリリーは殿下に『お姉様にいじめられている』と言っているのでしょうが。その証拠はどこにもないのです。いくら婚約者といえ、一人の女の言い分を鵜吞みにして、ろくに調査もせず人を罪人に仕立て上げ、あまつさえ処刑だなどと言い暴力を振るうのでは、一国の王としてやっていけません。国民のためにも、もう少し冷静になることを覚えてください」


「黙れ。これは暴力ではない、お前が生意気だから躾けてやっているだけだ!」


「……何を言っても無駄、ということですね」


 ヴィオラマリーの瞳から、ふっと光が消えた。それはまるで、諦めのように。

 同時に、グゾルの手によって無理矢理頭を押さえつけられる。額に柔らかな感触がした。さすが、第一王子の私室の絨毯は最高品質だ。だからといって、それを額で味わう必要などどこにもないのだが。


「ほら、ヴィオラマリー。謝罪と感謝の心を、その身にしっかりと刻むことだな!」


「もう、グゾル様ったら。でも……お姉様。その姿、よくお似合いですわ。日頃からそうして、謙虚な姿勢でいらっしゃればいいのに」


 シェリルリリーがクスクスと笑う。彼女のことならなんでも肯定的に捉えるグゾルにはわからないようだが、その笑い声には、明らかに愉悦が滲んでいた。


 頭を押さえつけられているせいで、今のヴィオラマリーは絨毯しか見ることができない。

 だけど、希望の光が消えたその瞳には何か、別のものが灯ったようだった。柔らかな陽光や星明りとはまるで違う、獰猛な鷹のような、鋭い光。


(今まで、シェリルリリーやグゾルが改心してくれないか、微かに希望も抱いていた。だけど、もういい。……これ以上付き合っていても、時間を無駄にするだけだもの)


 真っ赤に燃え盛る炎ではなく。もっと、静かに揺れる炎のように。

 彼女はこのとき、ある決意をしていた――


 ◇ ◇ ◇


 王城から王都公爵邸(タウンハウス)へ戻り、ヴィオラマリーが自室で読書していると。突然、ノックもなしに扉が開けられた。今度はグゾルの代わりに、両親が彼女に厳しい視線を向ける。


「またグゾル王子殿下から苦言を呈されたそうだな。シェリルリリーから聞いたぞ」


(……苦言を呈された、なんて可愛いものではなかったように思うけど)


 こちらの言い分が聞いてもらえることもなく、一方的に叱責され、あまつさえ暴力を振るわれる。そんなもの、単なる蹂躙でしかない。


「グゾル殿下とシェリルリリーの結婚には、我がゴールベル家の未来がかかっているんだぞ。ましてシェリルリリーは『奇跡の子』なんだ。本来なら姉といえども、お前みたいな何の取り柄もない女が近付くことすら恐れ多い存在なんだからな。なのにお前は、いつもシェリルリリーを泣かせてばかりで……恥を知れ、この馬鹿娘が」


「ヴィオラマリー、あなた、『奇跡の子』であり王子の婚約者でもあるシェリルリリーに、嫉妬しているんでしょう? まったく、心の醜い子。少しはシェリルリリーを見習いなさい」


 父も母も、いつも通りヴィオラマリーの話は聞かず、彼女を(なじ)るばかりだ。

 グゾルに平手打ちされたせいで、ヴィオラマリーの頬はまだ赤い。両親だって気付いていないはずがないのに、それについて深く考えることを放棄しているのだ。


 王子が娘に暴力をふるった、などと王家に指摘して不興を買うのは恐ろしいし、万が一王子とシェリルリリーの婚約を破棄されるようなことがあっては、ゴールベル家にとって大きな損失となる。だから何があったとしても「ヴィオラマリーが悪い。悪いのだから、何をされても自業自得であって仕方がない」と己にもヴィオラマリーにも言い聞かせ、ひたすら彼女を悪人に仕立て上げている。


「罰として明日の食事は抜き。それから、物置の掃除をしておくように。少しでも埃があったら鞭打ちだからな」


 そして、ヴィオラマリーを悪人とすることがすっかり当たり前になっている両親は、今では彼女をストレス発散の捌け口にしている。


 ヴィオラマリーは悪人だからどんな扱いをしてもいい。本来は使用人がするような家事を押し付けようが、完璧にできなければ体罰を与えようが構わないし、そんなヴィオラマリーを眺めて楽しむことも、「悪を罰する正義の行いであるから問題ない」と正当化して、堂々と彼女に非道な仕打ちをしている。


 今までは、それが当たり前だった。

 だけど――


「馬鹿じゃないですか? そんなのご自分でおやりなさいな」


 ガシャン、と大きな破砕音がした。


 ヴィオラマリーが、読書のお供に飲んでいた、水の入ったグラスを卓から叩き落したのだ。ちなみに、ヴィオラマリーは両親によって、勝手に紅茶やミルクを飲むことは禁じられている。公爵令嬢としては有り得ないことだが、喉が渇いたときは水しか飲むものがなかった。だからシェリルリリーの言っていた「王子の詩を紅茶で汚した」というのは、そもそも起こりえないことである。


 ……ともかく。床は硝子の破片が散乱し水に濡れ、両親は呆然とヴィオラマリーを眺めていた。そんな両親に、ヴィオラマリーは毅然と告げる。


「今まで理不尽な扱いを受けてきても耐えていたのは、仮にも肉親であるがゆえの慈悲であり、いつかは態度を改めてくれるかもしれないという、猶予のつもりでした。ですがあなた方もシェリルリリーもグゾル殿下も、改心は望めません。だから私、もう、我慢するのはやめますわ」


「この……っ、ヴィオラマリーの分際で、何を生意気なことを言っている! お前は黙って私達に従っていればいいんだ!」


 父が、ずかずかとヴィオラマリーに近付いて殴りかかろうとする。

 するとヴィオラマリーは、机の横にあらかじめ用意していた、金属製の杖をすっと構えた。


「私に手を出そうというのであれば、私も暴れますわ」


 ガシャン、と。水のグラスが割れたときより、更に大きな音がした。

 ヴィオラマリーが、金属製の杖で自分の部屋の窓硝子を割ったのだ。

 割れた窓から、夜風がヒュウウと入り込んでくる。


「私が今後もおとなしく思い通りになるなんて、思わないでくださいね。お父様、お母様」


 割れた窓を背景に佇むヴィオラマリーの顔には、酷薄な笑みが浮かんでいる。

 両親は、娘の様子が明らかにいつもと違うことに動揺していた。


「ふ、ふん。自分の部屋の窓を割ったところで、お前が寒いだけだろう!」


「それもそうですね。今度はお父様とお母様の寝室の窓を破壊しますわ」


 金属製の杖を持ったままにこりと微笑めば、父と母はやはり目を丸くする。

 なぜヴィオラマリーが普段とここまで違うのか、意味がわからなくて、不気味だと感じたらしい。両親はそのまま、乱暴に部屋の扉を閉めて、行ってしまった。


 しばらくすると、今度はヴィオラマリーの部屋に、シェリルリリーがひょこりと顔を出した。


「お姉様、どうかしたの? お父様とお母様が、顔を青ざめさせていたけど」


 すると、シェリルリリーは割れた窓を見て「まあ!」とおかしそうに笑みを浮かべる。


「ずいぶん派手にやったわね。らしくないじゃない、お姉様?」


「今まで、我慢していたのよ。理不尽な扱いを受けても、一応家族だからね。でも、もういいわ。これからは好きにやらせてもらうから」


「自棄になったってこと? それで暴れたって、ますます自分の評判を落とすだけなのに。あははっ、本当に無様ね!」


 シェリルリリーは下等な虫でも見るかのような視線を向け、普段ぶりっ子をしているときからは想像もできない残虐な笑みを浮かべる。


「言っておくけど、お姉様。あなたは何をしたって無駄よ。『奇跡の子』も、次期王妃の座も、全部ぜーんぶ私のものなんだから!」


 シェリルリリーは、「奇跡の子」の証である花の紋章を見せびらかすように、左手を掲げる。


(何をしたって無駄、か。そう思っているなら、その方が都合がいい。……油断しまくっていて隙だらけ、ってことだもの)


 ヴィオラマリーが恐ろしい復讐を考えているなど思いもしないシェリルリリーの、自分の勝利を確信した笑みが、彼女の目にはひどく滑稽に映った。


 ◇ ◇ ◇


 それからヴィオラマリーは、徹底的に悪女として振る舞った。

 家の窓は、両親とシェリルリリーの部屋はもちろん、廊下でも応接間でも、とにかく全て壊して回った。


 ゴールベル家には、「全部ヴィオラマリーにやらせればいいから」という理由で使用人がいない。そのため硝子片を掃除する者もおらず、家の中は荒れ放題。ヴィオラマリーが料理も掃除も放棄したため、家族達は食べる物にも着る物にも困った。使用人を雇おうにも、窓硝子を割るような娘がいると知られるのは外聞が悪すぎて憚られたのだ。


 父親がヴィオラマリーを殴って言うことを聞かせようとすれば、彼女は父のことも平気で杖で打った。


 ヴィオラマリーは今まで、「シェリルリリーを泣かせた」「家事が完璧にできていなかった」などの理由で、いつも鞭打ちされてきた。前者はもちろんシェリルリリーの嘘だし、後者は掃除後の微かな埃やら料理の味付けに無理矢理難癖をつけてくる、単なる両親の憂さ晴らしだった。


 ヴィオラマリーはいつも、理不尽に虐げられてきた。彼女は今までされてきたことを返しているだけだし、なんならヴィオラマリーは幼い頃から、もっと酷い仕打ちを受けてきた。この程度では、復讐には全く足りない。


 だが父と母は、今まで自分達がしてきたことを棚に上げてヴィオラマリーを「なんて恐ろしい娘」だの「悪魔の子」だなどと罵った。ヴィオラマリーが悪魔の子であるなら、その悪魔とは自分達のことであろうに。


 ただ、両親はどんなにヴィオラマリーに苛立っても、誰かに相談することはできないようだった。親としての見栄があるからだ。


 ヴィオラマリーは、正真正銘血の繋がった、実の娘である。公爵家の娘が、金属棒を振り回し家を破壊しているなど、ゴールベル家の醜聞でしかない。公になれば、貴族でありながら躾のなってない野蛮な女を育てた親、と噂されることだろう。


 何より、家を破壊して回る娘がいる家など、王子が婚姻を結ぶ家として失格だ。そうなればシェリルリリーとグゾルの婚約が解消されることなってしまう。王家の後ろ盾を失うことになる、と両親は怯えていた。


 ゴールベル家には男子がいないため、本来はヴィオラマリーが婿をもらい、夫となる者に爵位を継がせるはずだったのだが。そもそも両親が、ゴールベル家の婿となる者への品定めを厳しくしすぎて、今まで両親の望む条件に合う子息がいなかったのだ。そのためヴィオラマリーは十九歳だというのにいまだに婚約者がいない。


 しかも当のヴィオラマリーは今、家で暴れ回っており、とても婿を娶れる状況にない。つまり今シェリルリリーと王子の婚約が破棄されてしまえば、ゴールベル家には本格的に危機が訪れるのだ。


 両親は、ヴィオラマリーの乱心を必死に隠そうとしたが――ヴィオラマリーは自ら、自分を「悪女」として宣伝して回った。わざと舞踏会など人の集まる場所へ行き、堂々と、シェリルリリーの自作自演などではなく、本当に彼女に意地悪く接するようになった。


「あらごめんなさい、シェリルリリー。ドレスに葡萄酒がかかってしまったわね」


(でも、あなたは今までこの何倍……本当に何倍も、私の大切なものを奪ってきた。だから、この程度可愛いものでしょう?)


「ひどい! お姉様、わざと私の大切なドレスを汚したのね! このドレスはグゾル様にプレゼントしていただいた大切なものなのに!」


 シェリルリリーは、大袈裟に涙を零してみせる。まあ、今回は本当にわざとだから別に否定もしない。


 どうせ、何もしなくたってシェリルリリーには「お姉様が私をいじめるの」と言われるのだ。なら本当にやってやろう、というだけである。


(あなたが今まで嘘をついてきたことが、本当になっただけよ)


 すると、すんすんと泣いているシェリルリリーを抱き寄せ、グゾルが憎悪をぎらつかせてヴィオラマリーを睨んだ。


「とうとう本性を表したな、ヴィオラマリー。このような舞踏会の場で、人目も憚らずシェリルリリーを虐げるなど……お前はどこまで恥知らずなんだ!」


 ヴィオラマリーはどこ吹く風。むしろ、どこか楽しげに微笑を浮かべている。


「うふふ、本性を表した、ですか……。そう思いたいのでしたら、どうぞ思ってくださいな」


「何を笑っている! シェリルリリーに申し訳ないと思わないのか!?」


「ええ、少しも思いませんわ。せいせいします」


 次期国王と次期王妃に対しての、この態度。周囲で見ていた貴族達は、ザワリとどよめいていた。


「ヴィオラマリー様はいつもシェリルリリー様を虐げているのだと、聞いてはいたが……あの女、心底性根が腐っているんだな」


「本当に、とんでもない悪女だ。シェリルリリー様もおかわいそうに……」


 皆、皆、ヴィオラマリーを蔑み、シェリルリリーに同情の目を向けた。


 それからもヴィオラマリーは、公の場でシェリルリリーを罵った。

 かつてシェリルリリーと一緒になって自分を陥れた取り巻き達や、夜会で自分に無体を働こうとした男性陣などに対しても同じように、わざと大勢の人がいる前で無礼な態度をとった。そのたびにヴィオラマリーの悪評は膨れ上がっていった。


 恐ろしい悪女。

 人の心がない悪魔。

 シェリルリリー様と血が繋がっているとは思えない鬼畜。


 ヴィオラマリーの悪い噂はあらゆる言葉で飛び交い、今や夜会で彼女の名前が出ない日はない。有閑貴族達はゴシップが大好きだ。面白おかしく尾ひれをつけて、誰もが彼女を残虐な女だと話す。


 そうしてヴィオラマリーの悪評は、とうとう国王の耳にも届いた。


 臣下達からは、「ゴールベル公爵家の長女は、最近非常に素行が悪いです。グゾル殿下がシェリルリリー様とご結婚なさったら、形式上はその悪女がグゾル殿下の義姉ということになります。お二人のご結婚は、考え直した方がいいかと」と言われるようになった。もっとも、それは臣下達の「自分の娘を王子の妃に」「もっと自分にとって都合のいい相手を王子の妃に」という思惑も含まれる提言ではあったが。


 すると現国王は、小考の末に、言った。


「ゴールベル公爵家の姉妹を王城へ呼べ。私が直々に、この目で見極めてやろう」


 国王とゴールベル公爵家の姉妹は、これまで面識がないわけではない。だがいくら王子の婚約者とその姉であっても、国王陛下とそう頻繁に言葉を交わせるものではない。顔を合わせるのは、実にひさしぶりのことであった。


 そうして、ヴィオラマリーとシェリルリリー、そして両親が王城へと招集された。

 四人は謁見の間に通され、姉妹二人が王座の前に跪き、その後ろに両親が控える形となる。


 王座の傍らにはグゾルの存在もあり、忌々しそうにヴィオラマリーを睨んでいた。


「ゴールベル公爵家の者達よ。次女のシェリルリリーは左手に紋章を持つ『奇跡の子』であるとして、幼い頃よりグゾルと婚約を結んできた。だがしかし、姉のヴィオラマリーは残虐非道な悪女であると、貴族達の間で悪評が飛び交っている。

 次期王妃の姉が悪女では、他の者達に示しがつかない。そこで今日は、ヴィオラマリー、ひいてはゴールベル公爵家が、この先も王家と交友を結ぶのに相応しい品格を持っているのか見極めるべく、そなた達に来てもらった」


 謁見の間は、王の権威を示し、王座は高い階段の上に造られている。グゾルによく似た威圧的な目が、ヴィオラマリーを見下ろしていた。


「ヴィオラマリー・ゴールベル。そなたはグゾルとシェリルリリー、そして他の貴族達に対しても、公爵令嬢とは思えぬ非道な仕打ちを繰り返していると聞く。この噂は真実か? 己の口で説明せよ」


 国王――この国の最高権力者を前に、ヴィオラマリーの両親は緊張しているようで、顔が強張っていた。頼むから国王におかしなことを言ってくれるなよ、と。


 だがヴィオラマリーは、そんな両親の願いを砕くように口を開いた。


「お言葉ですが、陛下。私のことを糾弾する前に、まずはご自分の息子を躾ける方が先だと存じます。グゾル殿下には、次期国王としての資質がありません」


 両親は、ぞっと血の気が引いた。ヴィオラマリーだけが罰せられるぶんには全く構わないが、自分達まで「こんな無礼な娘を育てた非常識な親」として巻き添えで罰を与えられることは絶対に避けたかったのだ。


「ヴィオラマリー、黙りなさい! 陛下、申し訳ございません! この娘は悪魔に憑かれているようでして……」


「いいえ、私は悪魔に憑かれてなどおりません。私自身の意思で、申し上げております。陛下はグゾル殿下の性質や挙動について、正確にご存知でいらっしゃるのでしょうか? グゾル殿下が次期国王でいいと思っているのであれば、民達があまりにも哀れです。この国は完全に破滅しますわ」


 両親達が慌てふためくのも気にせず、ヴィオラマリーは口を閉じずに話し続ける。


「……もっとも、現時点で既に、この国は他国と比べてあまりに後れをとっておりますが。身分による格差が激しく、身分の高い者は平気で平民を虐げ、人間ではないような扱いをして、権力を盾に逆らうことも許さない。はっきり言ってこの国は野蛮です。貴族制度はどの国にもあるものですが、他国はちゃんとノブレスオブリージュ(高貴な者の義務)を果たしておりますわ。高い身分に甘えて平民を支配するだけの現状を、恥ずかしいとお思いにならないのですか」


 国王がガタンと王座を立ち、ヴィオラマリーの両親は顔を真っ青にした。


「ヴィオラマリー・ゴールベル。そなたの言葉はグゾルと私への侮辱であり、不敬であるぞ。噂通り、そなたは公爵令嬢として多大な問題があるようだ。――私が直々に手を下してやろう、感謝するがいい」


 国王はヴィオラマリーのもとへと歩み――直後、鈍い音がした。

 国王が持つ、王家に代々伝わる宝玉をはめ込んだ杖。国王がそれで、ヴィオラマリーを打ったのだ。


 しかしヴィオラマリーの瞳には、鋭い光が灯ったままだった。王によって罰を下されているのは彼女の方なのに、まるでヴィオラマリーの方が、裁きを与えようとしているかのように。


「無礼だったとしても、私は事実を申し上げております。グゾル殿下は調査もせずシェリルリリーの言葉を鵜呑みにし、何度となく私に暴力をふるってきました。人の上に立つ者としてあるまじき行いです。このままでは殿下は、王になった後も自分に都合の悪い意見には耳を塞ぎ、甘い誘惑にばかり目を向けて、国益のことなど何も考えません。陛下も殿下も、もっとこの国の民達のことを――」


「そのようなこと、貴様のような小娘が口出しすることではない。立場を弁えよ」


 国王は再び、杖でヴィオラマリーを打つ。

 腹部への、容赦のない打撃だった。ヴィオラマリーは、ゲホゲホとえずく。


「……陛下も進言を聞き入れることもなく、暴力に訴えるのですね。なら……こちらももう、慈悲はいりませんわね」


 ヴィオラマリーは、自分に向けて振り下ろされた王の杖を、今度は見切って掴んだ。

 そのまま杖を奪い取り――思いきり、床に叩きつける。

 ガシャン、と音がし、杖にはめ込まれていた宝玉が外れて床に転がった。


 その場にいる、ヴィオラマリーと国王以外の全員が顔面を蒼白にし、息を呑んだ。

 ヴィオラマリーの両親は生きた心地がしなかった。どうかこれが夢であってくれと心から願った。だがこれは現実である。国王は怒りでわなわなと身体を震わせ、声を上げた。


「この娘は王家に歯向かう大罪人である、処刑せよ!」

「陛下!」


 真っ先に声を上げたのは、グゾルだ。

 だがもちろん、グゾルがヴィオラマリーの処刑を止めるはずがない。


「全てヴィオラマリーが悪いのです! この女は間違いなく悪魔です! ですが、シェリルリリーは悪くありません、こんな悪女に虐げられていた被害者なのです! 罰を与えるのは、ヴィオラマリーだけにしてください!」


 国王の一存によって、この場にいるヴィオラマリーの家族も、連帯責任で罰を負わされかねない。グゾルはシェリルリリーの身を案じているのだ。


 息子の言葉を聞き、国王はゴミを見るような目でヴィオラマリーを一瞥した。


「ヴィオラマリー・ゴールベル。グゾルはこう言っているが、貴様はグゾルとシェリルリリーの結婚については、どう考えている?」


 ヴィオラマリーは、迷わず答える。


「グゾル殿下とシェリルリリーは、二人して自己中心的で国民のことを考える気がなく、二人を制御できる者もおりません。彼らが、他者の言葉に聞く耳を持たないからです。このままでは破滅に突き進んでゆくだけです。この国の未来のためになりません。婚約は解消するべきです」


「そうか」


 国王は、ニイッと嗜虐的な笑みを浮かべる。


「貴様がそう言うならば、グゾルとシェリルリリーの婚約は継続しよう。どうせ、妹だけ王子と結婚できることに嫉妬して、このような幼稚なことをしているのだろう? 罰を受けるのは貴様だけだ、ヴィオラマリー」


 国王は最初から、ヴィオラマリーの意見の反対を選ぶつもりだったのだ。自分に歯向かった、生意気な小娘への腹いせのために。


 ヴィオラマリーの家族、そしてグゾルは、心の底から歓喜する。


「陛下! 寛大なご決断、心より感謝申し上げます!」

「ああ、よかった! 処刑されるのはヴィオラマリーだけだ!」


 ヴィオラマリーの処刑が決まったというのに、家族もグゾルも、バンザイをしかねない勢いで喜んでいる。王笏で打たれた彼女を心配する者など誰もいない。むしろ、これでやっと厄介払いできる、とすら思っているようだった。


 そんな家族達を見て、ヴィオラマリーは――

 薄く、唇の端を上げていた。


 ◇ ◇ ◇


 ヴィオラマリーの処刑は、すぐには実行されなかった。国王が、「この私に盾突いたからには、簡単に楽にはしてやらない。牢の中でじっくりと苦しめてから処刑してやる」と望んだからだ。


 そして異例のことだが、ヴィオラマリーの処刑と、グゾル・シェリルリリーの結婚式は、同日に行われることになった。


 グゾルの結婚相手というのは、すなわちこの国の次期王妃。その相手が「処刑されるような大罪人の妹」なんて、本来あってはならないことである。


 だからこそ、民たちの前でグゾル・シェリルリリーが「ヴィオラマリーの処刑に我々はなんの異議もない。姉といえども罪人は正当に罰する」という毅然とした姿勢を見せることで「王家は身内を贔屓しない」「罪人はヴィオラマリーだけであり、グゾルとシェリルリリーは潔白である」ことを証明しようという、いわばパフォーマンスである。


 何より、処刑と結婚式を同日に行うことを、シェリルリリーが望んだのだ。自分の人生で最も祝福される日に、姉の惨めな最期を拝んでやろうと。実際に同日に行うと本決定になったとき、シェリルリリーの中には愉悦と興奮が芽生えていた。


 そうして――処刑と結婚が行われる当日の朝。シェリルリリーは、姉に「最期の挨拶」をするということで、ヴィオラマリーが入れられていた牢獄にやってきた。ヴィオラマリーが手足を拘束されていることと、姉妹の最期の会話ということもあり、見張りの兵士などは全員その場を離れ、姉妹二人きりになる。


「ふふ……っ、あはは! 見てお姉様、私、美しいでしょう? それに比べて、お姉様は惨めなことこの上ないわね。姉妹でこうも違ってしまうなんて、運命って残酷よねえ」


 シェリルリリーはこの後に結婚式が控えているため、豪奢なドレス姿であった。髪は最高の洗髪剤で艶を出し、髪結師によってセットされている。毎日豪勢な料理を食べているため、肉付きも肌艶も全てが健康的で美しかった。


 対してヴィオラマリーは、貧相な囚人服姿。国王の命令によって食事も満足に与えられず、一日に二度の水と僅かな残飯だけで生きてきたため、身体も骨のように痩せ細って、髪にも肌にも艶など一切ない。


 今の二人は、並んでももはや姉妹には見えない。一方は幸福な次期王妃、もう一方はこれから処刑される囚人なのだから。


「ひさしぶりね、シェリルリリー。まさか処刑と結婚式が本当に同日に行われるなんてね。ウェディングケーキカットの代わりに姉の首をカット、だなんて悪趣味だこと」


「ふふっ、処刑されることになったのは、お姉様の自業自得でしょう? お姉様は、ずーっと黙って私に虐げられていればよかったのに。おかしな反抗なんてするから、こうなったのよ。身の程を弁えなかった、お姉様が愚かだっただけのことでしょ」


「……ねえ。あなたは、私に申し訳ないとか、処刑はやめるべきだとか、そういうことは、今でも少しも思わないのかしら?」


 ヴィオラマリーがそう尋ねると、シェリルリリーは思いきり吹き出した。


「あっはは! なぁに、今更命乞いしようってわけ? ほーんと、無様ったらないわね! 命が惜しくなっちゃったんなら、私の前に跪いてみればぁ? ま、それでも処刑を取り消すなんて、陛下がお許しにならないだろうけど~!」


「わかってはいたけれど、最後の最後まで、あなたはそうなのね。私の不幸を喜び、私を馬鹿にして笑う。……それが、あなたよね」


「だったら何よ? 悔しくてたまらないなら、素直にそう言えば~? 言ったところで、あなたはもう死ぬだけだけど!」


 シェリルリリーは勝ち誇り、愉悦に満ちた笑い声を上げる。

 そんな彼女を、ヴィオラマリーはただひたすらに冷めた目で見ていた。


「……あなたが最後までそのままで、かえってよかったわ。おかげで何の未練も、罪悪感もない」


「ふふっ、死に際くらい強がらなくていいのに~。素直に私のことが羨ましいって言えばぁ? あははっ!」


 シェリルリリーが哄笑していると、兵士がやってきた。


「シェリルリリー様。そろそろお時間です」

「おっと、そうね。それじゃあお姉様……悲しいけれど、これでお別れね。さようなら」


 今の今まで愉悦に満ちた笑みを浮かべていたシェリルリリーは、兵士がやってきた瞬間、儚げに目に涙を浮かべてみせた。何も知らない人間が見れば、悪魔のような姉を持った悲劇のヒロインに見えるだろう。


 ――これが、ゴールベル姉妹が交わした、最期の会話となった。


 ◇ ◇ ◇


 よく晴れた空に、純白の鳥達が無数に舞い、歌うように鳴いている。

 そんな空に似つかわしくない断頭台が、用意されていた。


 ヴィオラマリーの処刑は、シェリルリリーとグゾルの結婚式の前に行われる。

 姉であろうと罪人を庇う意思はない、という誓いを確かなものにするためにも、シェリルリリーは大勢集まった国民達の前で、「ヴィオラマリーの処刑を許可します」という誓約書に署名した。


「ああ、お姉様……。私、妹として、胸が痛みますわ。だけど、お姉様は国王陛下に大変な不敬を働いたのですから、仕方ありません。どうか、死をもってご自分の罪を償ってくださいませ。それを最後まで見守ることが、妹として次期王妃として、私にできることですわ」


「ああ、シェリルリリー。こんな悪女のためにも涙を浮かべてやるなんて、君は本当に優しいな。早くそんな奴の処刑を見届けて、僕達の幸せを謳歌しようじゃないか」


 グゾルに肩を抱かれ、シェリルリリーは泣き真似をしながら、口元を覆う。笑い出すのを堪えているのだ、とヴィオラマリーだけが気付いた。


 人生の絶頂を味わっている彼女に、ヴィオラマリーは心の中で語りかける。


 

 ――ねえ。あなたはいつも、私のものを奪っていったわね。


 ――私のものが、欲しかったのでしょう?


 ――だから、あげるわ。


 ――断頭台に立つという運命もね。



 そうしてヴィオラマリーは――頭の中で念じた。『元に戻れ』と。

 ……その、瞬間。

 ヴィオラマリーとシェリルリリーの魂は、『入れ替わった』。


 今から処刑されるはずだったヴィオラマリーの魂は、純白のドレス姿のシェリルリリーの中へ。


 今からグゾルと結婚式を挙げるはずだったシェリルリリーの魂は、囚人ヴィオラマリーの中へ。


 そして、それを当事者以外、誰も気付く者はいなかった。


「へ……」


 突然視点が変わったことに、シェリルリリーは間抜けな声を出した。

 何せ、一瞬前まではヴィオラマリーを見下していたのに、今は何故か、ウェディングドレス姿の自分を見上げているのだから。しかも、手首と足首には頑丈な枷がはめられており、身動きさえままならない。


「ちょ……ちょっと待って。何、どういうことよ、これっ!?」


「おい、暴れるな。さあ、処刑の時間だ」


 混乱し、枷のついた手足を必死に動かそうとするシェリルリリー……「ヴィオラマリーの肉体に入ったシェリルリリー」を、処刑執行人が断頭台へと引きずってゆく。


「違う! 私はヴィオラマリーじゃないっ! 私は、私はシェリルリリーよ!」


「何を馬鹿なことを言っている。処刑から逃れたいからといって、そのような世迷言が通用すると思っているのか?」


「違うの! 本当に私、シェリルリリーなのよ! ねえグゾル様、お願い、信じてっ!」


 シェリルリリーは、嘘泣きではない、本物の涙を浮かべて必死に訴える。

 だがグゾルは、ゴミのように彼女を見下ろすだけであった。


「貴様、この期に及んで往生際が悪すぎるぞ。僕の愛しいシェリルリリーの名を騙るな、この罪人が!」


「ち……違う! 本当なの! 中身が入れ代わってしまったのよ! 全部、その女のせいよぉっ!」


 シェリルリリーは必死にそう主張するが、「中身が入れ替わった」など、誰も信じるはずがない。


 純白のドレスに身を包んだヴィオラマリーは、囚人として処刑されゆくシェリルリリーを見つめ、心の中で語りかける。


 ――ふふ。ねえ、何をそんなに焦っているの? 


 ――私達、元に戻っただけでしょう? ……『お姉様』。


 ◇ ◇ ◇


 ――これは、過去の話である。


「シェリルリリー」はゴールベル公爵家の次女であり、生まれながらにして「奇跡の子」の証を持っていた。だからこそ物心つく前からグゾル王子との婚約が結ばれ、両親も彼女を可愛がった。


 そして、両親は長女である「ヴィオラマリー」に目を向けることはなかった。

 だけどシェリルリリーは、一つ年上の姉のことをいつも気にかけて、仲よくしようと試みた。それを拒んだのは、ヴィオラマリーだ。


「何よあんた、妹の分際で私を哀れむ気!? 調子に乗るんじゃないわよ! 『奇跡の子』なんて、生まれつき証を持ってたってだけじゃない!」


 シェリルリリーがどれだけ友好的に歩み寄ったとしても、ヴィオラマリーはいつもそうやって彼女を怒鳴り飛ばし、人形でも本でも花瓶でも、周りにあるものはなんでも投げつけた。


「あんたさえいなければ、私が王子様と結婚できたかもしれないのに! 『奇跡の子』の座を! 『王子の婚約者』の座を! 私に寄越しなさいよ!」


 ヴィオラマリーはいつも、シェリルリリーのものを欲しがっていた。そうして彼女を憎み、親の目がないところでシェリルリリーを虐げていた。シェリルリリーはそんな姉を落ち着けるべく、彼女が欲しがったものはなんでも譲ることにした。誕生日に貰ったドレスでも、大切にしていた人形でも、全て。


 だが姉は満足することなく、シェリルリリーが下手に出るほどエスカレートして、陰湿な嫌がらせを繰り返した。刃物を持ち出し、見えないところへ傷をつけることも多々あった。


 そんなある日……ヴィオラマリーが九歳、シェリルリリーが八歳のとき。純白の鳥達が無数に空を舞い、歌うように鳴いていた日のことだ。


 シェリルリリーが、「奇跡の子」の力を覚醒させるため魔法の練習に励んでいたところで、ヴィオラマリーが嫌がらせのため体当たりをしてきて――その瞬間に、「それ」は起きた。


「あ……れ? 私、お姉様になってる……」

「私、シェリルリリーになってる……!?」


 ――そう。二人の肉体と魂が、逆になった。

 このとき既に、二人は一度入れ替わっていたのだ。


 そして、「奇跡の子」の証を持つ妹の肉体を手に入れたヴィオラマリー……「シェリルリリー」と化した彼女は、興奮と高揚で目を血走らせていた。


「ふふ……あはは! やっぱり、私が『奇跡の子』だったんだ! いい、今から私が『シェリルリリー』よ! あんたは今日から、誰にも見向きされない『ヴィオラマリー』として生きなさい! あははははっ!」


 ヴィオラマリーになった元・奇跡の子は、このとき、姉を哀れんだ。「シェリルリリー」になれたことを心から歓喜し、元の自分を「誰にも見向きされない」なんて平気で言う彼女に同情したのだ。


 実際、証を持たずに生まれてきたことに関しては、姉のせいではない。妹ばかりを可愛がったのは両親が悪い。姉は性格が歪んでいるが、両親の愛を得られなかった被害者ともいえる。


 だから魂の入れ代わりによって「ヴィオラマリー」となった奇跡の子は、それを受け入れよう、と思った。


 自分が「ヴィオラマリー」になることで、「シェリルリリー」になった姉が満足し、幸せになれるのであれば。彼女に「シェリルリリー」を譲り、自分はこの先一生「ヴィオラマリー」として生きようと、覚悟を決めたのだ。


 こうして「ヴィオラマリー」になった彼女は、これで平穏な人生を歩めると思っていた。もう、毎日姉に責められることから解放されるのだから――


 ……だが。「王子の婚約者」という無敵の立場を手に入れた「シェリルリリー」は、嫌がらせをやめるどころか、以前よりも更に激しく彼女を虐げるようになった。


 どれだけ酷いことをしたって、両親やグゾルに「お姉様が酷いの~」と泣きつけば、皆が味方になってくれることに、味をしめたのだ。誰もが自分をちやほやしてくれることが快感で、止まらなくなっていった。


「私は奇跡の子! そして王子の婚約者なのよ! あんたは私に絶対逆らえない! 悔しいでしょ、あははははっ!」


 そしてグゾルも、自分の婚約者の中身が別人になったなどと気付くこともなく――むしろ、こんなことを言っていた。


「シェリルリリー。以前の君は、女のくせに勉強なんかして生意気だったし、僕にも本を読むことを勧めてきたりして、嫌だったんだが。最近の君は、僕のやることに口出しせずニコニコ笑っているだけで、とてもいいな。女性として魅力的だよ」


「まあ! うふふ、グゾル様。私、とても嬉しいですわ!」


 ……今はヴィオラマリーである奇跡の子が、以前勉強ばかりしていたのは。次期王妃になる者としてしっかり教養と知識を身に付け、勉強が苦手で努力もしないグゾルのため、国政を支えられるようにと考えてのことだ。


 グゾルに対しても、国王となる者がいつまでも「勉強なんて嫌いだ!」とろくに本も読まないのは問題だと思い、彼にも読めそうな簡単で面白い本を選び、勧めていたのである。それすら、グゾルはろくに中身も見ずに放り出していたが。


 今の「シェリルリリー」は、ただニコニコと笑って無条件にグゾルを肯定しているだけだ。一国の王となる人物がこのままでいいはずがないのに、国の未来のことなど何も考えていない。


 それでも、ヴィオラマリーとして生きるのだと決めた少女は、耐えていた。


 ……私を虐げることで、シェリルリリーの気がすめば。

 ……シェリルリリーもグゾルも、年を重ねて分別がつくようになれば。


 そんなふうに、いつか、どこかで皆が改心してくれることを、期待していた。

 自分の血の繋がった家族や婚約者が、そこまで愚かだなんて、信じたくなかったから。


 だけど長年虐げられて、とうとう我慢の糸が切れ――彼女は、復讐を決意した。


 それは、彼女にとってはとてもシンプルな復讐。

 入れ替わっていた肉体と魂を「元に戻す」だけなのだから。


 ……そもそも姉妹の魂と肉体が入れ代わったきっかけについて。姉は「本当は私が奇跡の子だった! それを何かの間違いで妹が証を持って生まれてしまった。見かねた神様が、ちゃんと運命を正してくれたのよ!」なんて信じていたけれど。


 本物の奇跡の子は、わかっていた。空に無数の白い鳥が羽ばたき歌うように鳴いていたあの日は、十年に一度の「輝照日」という、魔力が満ちる特別な日。奇跡が起きる、めでたい日であるとも言われているので、王族の結婚式はこの日を選んで行われることが多い。


 そんな特別な日の、魔法詠唱中に体当たりされたことで奇跡の力が誤った発動をし、二人の魂が入れ代わった。だが奇跡の子には、輝照日のうちでさえあれば魂を元に戻すことができたのだ。シェリルリリーになれたことをあまりに喜ぶ姉の姿を見て、そうしないことを選んだだけで。


 奇跡の力は、肉体ではなく魂に宿る。だからこそ、肉体を手に入れただけの偽物は今まで何の力も使うことはできなかった。だが本物の奇跡の子は。頭の中で念じるだけで、いとも簡単に入れ替わりを行うことができたのだ。


 かくして奇跡の子は、元の肉体に戻り――今まで彼女を虐げてきた偽物もまた、元の自分の身体で、断頭台に引きずられてゆくのだった。


 ◇ ◇ ◇


「いやああああああああああああっ!! 私はっ、私はシェリルリリーなのぉっ!! 奇跡の子でっ、王子の婚約者なんだからぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 そして現在、囚人服を着た彼女は、髪を振り乱して処刑を逃れようとしている。だがずっと残飯だけで牢に囚われ、憔悴しきった身体に枷をはめられているのだ。どうあがいたって、逃れられるはずがない。


「やめてっ、やめてよぉぉぉ! 処刑なんて残酷だわ!! 人の命をなんだと思っているのよ、この人でなしどもぉぉぉぉぉぉぉ!!」


(……処刑を許可する、とこんな大勢の前で署名したのは、他でもない自分自身なのに)


 誓約書には、はっきりと彼女の字で署名がされている。しかし署名する際には、まさかそれが自分の処刑を決定するものとなるとは思わなかっただろう。「処刑なんて残酷だ」と、身体を乗っ取った実の妹に対し慈悲の心を持てていたなら、こんなことにはならなかっただろうに。


 そして、今から処刑されようとしているのが、自分が今まで愛してきた相手だとも知らずに、グゾルは眉間に皺を寄せていた。


「ふん、往生際悪く、みっともなく泣き喚いて……。ヴィオラマリーは本当に醜いな。可憐な君とは大違いだ」


「……ふふ」


 奇跡の子は、乾いた笑みを浮かべた。

 そしてグゾルのもとへ、処刑の執行人が近寄る。


「王子殿下。本当に、処刑してしまってよろしいのですね?」


 あまりに泣き喚くヴィオラマリーを見て、今一度確認のために、グゾルへ尋ねたようだった。公爵家の娘、それも王子の婚約者の姉が処刑されることなど前代未聞であり、処刑人も戸惑っている様子だ。だが、グゾルの冷めた目は変わらない。


「当然だ。殺せ」


 グゾルはそう言って、これから自分の花嫁となる女性の肩を抱いた。


「シェリルリリー、これで邪魔者は消え去った。これからは、共に幸せになろう。僕は君に永遠の愛を誓う。君もそうだろう?」


「私は……」


 奇跡の子は、目の前の馬鹿王子の顔を、改めて拝んでやる。


 顔立ちは整っているはずなのに、完全に自分に酔っていて、気色が悪い。「自分は間違っていない、自分は王となり、美しい王妃を迎え、幸福になるのだ」とまるで疑っていない表情だ。……反吐が出る。


 だから彼女は、にっこりと。グゾルの愛する可憐な微笑みを浮かべ、告げた。


「あなたに愛なんて、絶対に誓いませんわ」

「…………………………………………えっ?」


 目をまん丸にし、間抜けな顔で呆然とするグゾルの手を払い、彼女は高らかに宣言する。


「ご来賓の皆様! 私は、今この場をもって、グゾル殿下との婚約を破棄させていただきます」


 ザワッ、とその場にいた来賓全員が、動揺に揺れた。

 ルゼンベルクには、貴族十人以上がいる場で婚約破棄を宣言すれば、どんな婚約であれその宣言は認められるという法律がある。


 これは、過去にとある公爵家の娘と婚約していた王子が、伯爵家の娘と「真実の愛」とやらに目覚めた際、舞踏会の場で婚約者に婚約破棄を突きつけたことがきっかけになっている。王家は公爵家から慰謝料など多額の賠償を請求され、それを鬱陶しく思い、公爵家を黙らせるために制定したのだ。ルゼンベルク王家は昔からクソだったということがよくわかる悪法である。


 しかしこの法は、女性や立場の低い者からだと無効という制約はない。なぜなら、身分の高い男性との婚約をわざわざ破棄したいという女性はまずいないからだ。わざわざ制約を設けるまでもなく、女性側から王子に婚約破棄を言い渡す者などいないだろうと……こんな事態、想定外だったのである。


 つまり彼女は、この結婚式の場で、前代未聞の行為をしているわけだ。


「グゾル殿下は、情報の真偽を見極めることもできず、進言を受け入れる度量もなく、罪のない女に平気で暴力を振るう人間です。そしてそれは、陛下も同様です。私は奇跡の子ではありますが、私の力は、このような腐敗した王家を守るためにあるのではありません」


 次の瞬間。バサリ――と翼が空を打つ音がした。

 大空に黒竜が現れたのだ。彼女の言葉に呆然としていた人々は翼の音ではっと我に返り、次々に黒竜を指さしてザワザワと騒ぐ。


「なんだ、あの大きな竜は!?」

「竜なんて、初めて見た……!」

「あっ、おい! 竜が、シェリルリリー様を連れ去るぞ!」


 黒竜は前足で花嫁を掴むと、器用に自分の背に乗せ、そのまま再び大空へと飛び立つ。


「さようなら、皆様。私はどこか、もっとマシな別の地で生きてゆくことにしますわ」


 花嫁衣装のまま、優美な微笑を浮かべた彼女は、黒竜に乗って空へと消えてゆく。

 そこでやっと我に返ったグゾルが、顔を真っ赤にして兵達を怒鳴りつけた。


「おい、兵士ども! 何をしているのだ! 逃がすな! この僕に恥をかかせた、あの無礼者を撃ち落とせっ!」


 あまりに規格外の事態に動くことができずにいた兵士達は、グゾルの言葉で慌てて戦闘態勢に入る。だが既に黒竜は天高く飛び立った後で、人間の武器ではとても届く距離ではなかった。


「ふふ……っ。ありがとう、フリューゲル」


 黒竜の背に乗った彼女が、竜を撫でる。「フリューゲル」と呼ばれた竜は嬉しそうに鳴き声を上げた。


 これも、『奇跡の子』の能力の一つ。奇跡の子は、竜と心を通わせ、力を与えることができるのだ。


(私の、奇跡の力……これは、他国も必ず欲しがるはず。こんな国に、もう用などないわ)


 生まれ育った国を捨てることに、何の未練も罪悪感もない。このまま空を飛んで、他国へと逃げるのだ。


(愛を誓わないと言ったときのグゾルの間抜けな顔といったら、面白かったわね。だけど……こんなのではまだ、罰には足りない)


 姉は処刑されることになったのだから。次はグゾルと国王、そして両親だ。

 彼らがただの平民であったならまだしも、王族と公爵家なのだ。これほど幼稚で歪んだ人間達が人の上に立つことを許していれば、いずれもっと多くの被害者が出ることになる。王家に罪があっても、国民に罪はない。だからこそグゾル達には、自分達の傲慢さを、身をもって思い知らせ――消えてもらわなければ。


「ふふ……っ。これから、忙しくなりそうですわ」


 黒竜の背に乗り、奇跡の子は飛んでゆく。この国を離れ、隣国ノイスヴェルツへと。


 そして後の歴史書には、こう記されることになる。

 ルゼンベルクという国は、大陸一の大国であるノイスヴェルツに統一され名を失い、国王も王子も処刑された。


 奇跡の子は、ノイスヴェルツの王妃として民衆に愛され、国を幸福に導いたという――

ご好評につき連載版始めました!

連載版では、王子・国王・両親へのざまぁも予定していますので、よろしくお願いいたしますー!

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[良い点] 最後、爽快でした(=´∀`) [一言] なかなか面白い物語でした♪ (元の姉のざまぁは無事終わり。王子のざまぁはまだ足りない笑。王様と両親も残ってる。続きの連載版の王子・国王・両親へのざま…
[一言] いや~、10年も我慢しなくてよかったのでは? と思いましたが成人するのも待ってたのかな? 連載版、完結したら読みに行きます。
[気になる点] 面白みは感じたのですが、主人公のキャラがしっかりしてなくて、そこが残念でした まず入れ替わりについて姉に身体が戻せることを説明してなかったので、優しく賢いキャラというよりは独りよがりで…
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