第93話:日常の仮面 彼女達の強さ
「ふわーっ、昨日はじっくり見てる余裕なかったけど、やばかったね、教官の奥さん。」
「いや、奥さんじゃなくて恋人でしょ? でも確かに、教官が骨抜きにされちゃうのも分かるよね。フィリア様と並んでもやっぱ凄い綺麗っていうか、全く見劣りしないし。オーラって言うの? なんか凄いよね。」
「フィリア様を見慣れてる私達でもそうだもんねー。世の男達が騒ぎ立てるのも分かるわ。司羽教官大変だろうなあ。」
「まあ、大変じゃな。色々な意味で……。」
場所は移って屋敷の中庭。マルサ達の居る医務室を出たメールとトワは、中庭でお茶をしていたリンとユリに合流してティーカップを傾けていた。今の話題はトワと共に屋敷に来たルーンの事で、リンとユリは少し興奮気味だ。
「色々な意味? それってどう言うことかしら?」
「うむ……ルーンはなんというか……潔癖症なのじゃ。」
「潔癖症……それって、他人の使った物とか、汚れてる物とかに敏感ってこと?」
「まあ大体そんな感じじゃな。ルーンの場合その汚れてる物と言うのが、『主以外の男』……いや、女であっても品のない者は嫌がる。」
「わお。触れていい男は教官だけって訳ね? すっごいラブラブ!!」
リンはそれを聞いて眼を輝かせたが、トワは苦笑いでそれに応えるしかない。まあ二人の仲が良い事は間違ってはいないのだが、それだけでは済まないのが頭の痛い所だ。
「触れていいと言うか……近付いていいというか……正直ちょっと極端過ぎるのじゃ。この前も……。」
「ああ、さっき言ってましたね。次元港の一区画が男子禁制になったんでしたっけ。」
「なにそれ、すごっ。」
「止むを得まい。ルーンが暴れたら童とユーリアだけでは限界がある。死人が出るよりましじゃ。」
「あれ、死人? 今潔癖症の話してたんじゃなかったっけ……。」
「うむ……、お主らもルークやマルサ達が不用意に近付かないように見ていてやってくれ。流石にリアの家族にいきなり攻撃はしないと思うのじゃが……距離感を誤ると危険なのじゃ。主が傍に居れば、ルーンも落ち着くのじゃが。」
「……優しそうな人なのに、人は見掛けに寄らないね……。」
「と言うか……教官に依存しちゃってる?」
なんだかルーンの陰口の様でトワもいい気分はしなかったけれど、これも人命の為を思えば仕方がないと思う。特に今は、ルーンもかなり苛立っている。リア達の手前だから顔には出さないが、昨夜は司羽が居なかった事もあって全く眠れて居なかったらしい。体調の方は司羽の気術で安定しているが、どちらかと言うと単純に寂しいのかも知れない。
「まあ、でも私はちょっと分かるかなあ。」
「え!? メールもまさかの依存体質……?」
「そっちじゃないわよ!! 私、前に仕事先でデート中のルーンさんと司羽教官に会った事があるんだけど……。」
「えっと、確か寝具専門店だよね。メールの働いてるところって。」
「そうそう、お客さんで二人が来たのよ。あれはびっくりしたわー。」
メールは今デパートの中に入っている寝具専門店で店員をやっている。以前に一度だけ二人用のベッドが欲しいと司羽とルーンが来店した事があるのだが、あの時の事はなんだか皆の中の司羽のイメージを変えてしまいそうで、後が怖かったのもあり話していなかった。
「ずーっと教官にベッタリでさ。手も恋人繋ぎで腕組んじゃって、座る時もピッタリくっついてるし、挙句の果てには抱きつくし、あれは目に毒だったわ。他のお客さんもラブラブ過ぎてちょっと引いてたくらい。うちは割とカップルも来るけど、愛し合ってますって空気が甘すぎて吐きそうだった……。」
「へぇ~……ちょっと見てみたいかも。」
「家に来ればいつでも見られるのじゃ。四六時中ベタベタしておるからの。」
「あれを四六時中!?」
「ルーンも外では自重している、と言うか主がさせておる。じゃから家での二人はその比ではないぞ。特に最近は家事をしていない時は常に傍にいるのじゃ。基本は主の膝の上になるが……いきなりキスをし始めるからユーリアも慣れるまでは大分苦労しておった。ルーンは主と一緒になると、本当に周りが一切見えなくなるのじゃ。」
「う、うわぁっ……。」
「見たい……。」
「いや、見に行くならリン一人で行ってね? そんな居るだけで糖分が補給されそうな空間は乙女の敵よ。」
相変わらず少し……いや、かなりズレた感覚のリン以外の反応は、トワの予想通りのものだった。正直トワも今でも見ていて恥ずかしくなる事がある。いや、寧ろメール達と話すようになってから男女のアレやソレの知識が加わり、ルーンの言葉の意味が理解出来るようになってしまったが故に、悪化しているのかも知れない。
そんな事を考えている間に、トワの脳裏に司羽とルーンのイチャイチャ日常の一コマが思い出されてしまい、顔が熱くなってきた。
「こほんっ……ま、まあ来るなら童かユーリアに連絡してから来るのじゃ。アレンの様に唐突に来られては困る。応対したのがミシュナで無ければ次元の狭間行きで永久に誰にも気付かれなかったかも知れぬ。」
「ああ、そういえばアレンさん行ったんだっけ。危なかったね……。」
「気付いたら次元の狭間は洒落にならないね……。」
「全くじゃ。とはいえルーンのあの性格は主を愛するが故の事じゃから、童は仕方がないと割り切っておるがの。……ルーン以上に主の事を理解しておる者は多分おらぬ。」
共に暮らし、それなりに一緒に行動するルーンの性格はトワも理解しているつもりだ。ルーンは常識が無い訳でも、我儘な訳でもない。ただ全ての行動が司羽基準になっているが為に、この様な性格になっているだけだ。使い魔であるトワも、自分の主である司羽の事を完璧に理解している訳ではない。……今回の件もそうだ。司羽を信頼しているが故に逆らわないし、ユーリアの様に感情をぶつけたりはしない。だがあの様な司羽の一面を見る度に、自分がどこまで司羽という人間を理解出来ているのか自信がなくなってくるのだ。どれが本当の司羽の顔で、性格で、願いなのか。そんな司羽の考えを、ルーンだけは何処か分かっている様に感じる。家庭でも、戦場でも、ルーンは関係なく司羽の傍に寄り添って支えているように見えるのだ。
「でもさ、ユーリアさんもなんだかんだ教官の事を分かってるっていうか、意見は食い違ったりするけど通じてるっていうか……なんか良い雰囲気の時多いよね?」
「む? ユーリアがか?」
「ユーリアさんかあ。確かに結構司羽教官に意見してるけど、元が敵同士とか忘れそうになるよね。昨日もなんだかんだ教官と息ピッタリだったし。」
「……ふむ、まあ確かに童もたまに忘れそうになる。ユーリア……か。」
確かに、些細な差ではあるがあの屋敷の面々の中ではユーリアが一番司羽との付き合いは短い。けれどもユーリアは司羽を使用人と主の関係として以上に理解しようとしている様に見えるし、司羽もユーリアの意思を汲み取る方向に行動したりしている。
トワは、司羽が何故ユーリアを味方に引き入れたのかを知らない。ユーリアが何故他人である司羽に仕え、理解しようとしているのかも知らない。そんな事に今更気付いた。今までルーンとミシュナが特別なんだと思っていたけれど、ユーリアもまた司羽との信頼関係を深めている。
……それでは、自分はどうだろう?
どれほど主の事を理解出来ているだろう。今回の戦いも、殺戮の結末も、その主の本意をどれほど理解出来ているだろう。
「…………。」
「今二人で共和国に行ってるんだよね? うーん、どんな事話してるんだろう。」
「そうねえ、男女二人切りって言うんだから……なんだか良い雰囲気になったりもしそうだけど。まああれだけ綺麗な恋人が居たら浮気なんてする気になるのか疑問だけどね。」
「いや、だからこの国では浮気じゃないんだって。あ、ルーンさんってその辺りどうなんだろう。ね、トワちゃん? ……おーい、どしたの?」
「……っ、むっ? な、なんじゃ?」
「もしかして聞いてなかったの? ルーンさんの束縛度っていうか、一夫多妻の可能性についてだよー。」
「あ、あー、うむ、可能性は低いとは思うが……。」
「そうなの? なんだ、私も立候補しようと思ってたのに。」
「リン……お願いだから冗談でも止めなさい。あんた次元の彼方に飛ばされたいの?」
ユーリアと司羽の事を考えていたらなんだか心がモヤモヤとしてしまい、会話が途中から耳に入っていなかった。主である司羽の事をどれほど理解しているか、今まで考えたことが無い訳ではない。だがトワと司羽はただの主従関係ではなく、魂契約を結んだ言わば一心同体なのだ。心の距離は誰よりも近い筈である。……なのに、どうしてこれ程に司羽の事が分からないのだろうか。勿論、一から十まで全てを理解しあえるなど夢物語ではあるが……。
「……ふう。」
「トワさん、どうしました? なんだかアンニュイな溜息でしたが。」
「あ、ああ、なんでもないのじゃ……ん?」
「あっ、トワさん!!」
「ナナ……? どうしたのじゃ。」
小さな溜息をメールに指摘され、バツが悪くなってふと視線を逸した先にナナが立っていた。どうやらトワを探していたらしく、声を上げたと思ったら小走りで近付いて来た。
「あ、あのっ……昨日の事で……。」
「む? なんじゃ、もしかして主に何か伝言か?」
「いえ、その、ミシュナさん大丈夫かな、って……。」
「……そういえば、ナナはミシュナと何やら面識があるようじゃったな。」
「うっ、は、はい。一応、秘密にする約束だったのですが……でも、心配で。」
「ふむ。」
なんだかいつもと比べてナナの顔色が悪い。それだけでも本気で心配しているのが伝わってくる様だった。どういった関係か気にならないと言えば嘘になるが、秘密にする約束をミシュナとしていると言う事なら、トワもそれについては深く聞くつもりはなかった。
何にせよ、昨日の二人を見た限りではミシュナもナナの事をかなり大切にしている様子だった。蒼き鷹に拘束される寸前にナナには手を出させないと一人だけ保護していたくらいだ。そんなナナになら様子を教えるくらい問題ないだろう。
「あまり言い触らす様な事ではないのじゃが、お主なら良いじゃろう。」
「あ、ありがとうございます!! それで、どんな様子何ですか? やっぱり落ち込んで……。」
「……うむ、昨日は帰るなり自室に引き篭ってしまった。夕飯も運んだのじゃが、今朝見ても手を付けておらぬ。童やルーンが呼びかけても、無反応だったのじゃ。」
「……そうですか。じゃあ、今は家に一人何ですか?」
「そう言う事じゃな。本来なら童が傍に付いているつもりだったのじゃが、ルーンが一人にして上げたほうが良いと言っておった。確かに、落ち着くまで待っていた方が良いと童も思う。お主が心配する気持ちは分かるのじゃが……すまぬ。」
「……はい、仕方がないですね。お見舞いに行こうと思っていたのですが。」
それを聞いてナナは表情を更に暗く落ちこませたが、それ以上の事は聞かずに仕方がないと引き下がった。ナナにも分かっているのだろう。あの時のミシュナは本当に表情が抜け落ちてしまった様で、まともに会話が出来る状態ではなかった。今行っても、多分どうにもならない。少なくとも今日一日くらいは一人で考える時間が必要だ。
「その気持ちだけでも童が伝えておくのじゃ。……っと、もう時間か。」
「トワー!! 帰るよー!!」
ナナとの会話が終わると同時に、遠くにルーンとリアの影が見えた。どうやら二人の話も落ち着いたらしい。……まあもうこれが最後という事もないのだ、昨日の今日ではこのくらいが丁度良い。お互いに、きっと見た目以上に疲れているだろうから。トワは、ルーンの声に応えるように椅子から降りて手を振った。
「さて、お主らも無理をせぬようにな。また遊びに来るのじゃ。」
「あははっ、私達は大丈夫だって。それより、ミシュナさんだっけ? お大事にね。」
「なんかあったら相談くらい乗るからねー?」
「うむ、礼を言うのじゃ。……ルーン、今行くのじゃー!!」
メール達に笑顔で挨拶を済ませると、トワは駆け足でルーンの方へと向かった。取り敢えず、『こちら側』は何も心配はいらないと確認出来たので、次はもう少しゆっくり出来る時に改めて遊びに来るとしようとトワは思った。
ナナの心配も全て晴れた後で、皆で、ゆっくりと。