第92話:戦いの傷跡
「うっ、ぐぁああああ!? お、お前鬼か!? 折れてんだよこっちは!!」
「ぎゃーぎゃーと煩い男じゃ。主に報告する為に必要なのじゃから少し黙っておれ。」
「ぎゃああああああああああああ!?!?!?」
「ひっ……あ、あれ、次は僕もやるの……!?」
「ご愁傷様、だな。後遺症が残っても問題だ、しっかりデータを取らせてやれ。」
マルサの叫び声を隣で聞きながら、ルークの顔は真っ青になっていた。二人がベッドで寝ている医務室には今、リアとルーンを客室に残してトワが見舞いに来ているのだが、司羽から指示を受けたとのことで怪我の状態をかなり荒っぽい方法で確かめている最中だ。医師のジナスも同情を禁じ得ない表情でその様子を見守っている。
「ふむ、痛覚は問題ないようじゃ。……後は神経が切り離された部分の癒着の具合……じゃったかの?」
ぐいっ
「いだだだだだっだだっ!?」
「お、おいおい、せめてお湯にでも浸けてやれ。それじゃあマルサが暴れるのも無理はないぞ。」
「ふむ? じゃが童は主からこうしろと……えいっ。」
「ぎいいいいいいいいい!?!?」
「ひぃっ!? ま、マルサ!?」
「……なんだかもう、何かの罰にしか見えないんだが。」
ガチャ
「ちょっと大丈夫? さっきから凄い声が聞こえるんだけど……って、トワちゃんだったんだ。」
「うむ、お邪魔しておる。えいっ。」
「ひぎぃ!?」
マルサの悲鳴を聞きつけてメールが心配そうな顔をしてやってきたが、その原因を突き止めてそれ以上の詮索は止める事にしたらしい。メールも大概この環境に慣れてきている様だ。手に持ったトレイの上には水と痛み止めらしき薬が乗っていたが、苦笑したジナスと目で会話した後、色々と察して近くのテーブルに置いた。
「二人の容態はどうなの?」
「ああ、今トワ君が看てくれているんだが……それは一応診察なんだよな?」
「うむ。取り敢えずこのままで問題はない筈じゃ。主も全て自分で治してしまうと治癒力が上がらないと言っておったのでの、ある程度まで回復していれば後は自然治癒に任せると言っておる。……さて、次はルークの番じゃの。」
「ちょっ!? い、いや、僕は平気だよ!? あ、そ、そうだそれよりもメール、今トワさん以外にもお客さんが来てるんだろ!?」
「あはは……。ええ、ルーン様……じゃない、ルーンさんがいらしています。今は客室でフィリア様とお話をされていますよ。」
「やっぱりそうなんだ!! これは僕もフィリア様の騎士としてご挨拶をしなければならないよね!! 何でも絶世の美少女とか言う噂だし、フィリア様の命の恩人でもある方だ!! じゃ、じゃあトワさん、そういう事だから……。」
露骨に話を逸らしに掛かるルークの必死のアイコンタクトに、メールもカラ笑いをしながら助け舟を出した。ベッドに沈み込んで動かないマルサの惨状を見ては、流石に気の毒になってしまった。しかし、トワはジト目でルークを睨みつけると、そのまま骨折している腕を取って、逆側に捻った。
「うぎゃあああああああああああっ!?!?」
「何を考えてルーンに近付こうとしているのかは知らぬが、止めておくのじゃ。命がいくつあっても足りぬぞ。お主が死ぬ気なら止めはせぬが、せめてそういうのは主が居る時にして欲しいのじゃ、童が二人に怒られる。」
「あらら……言葉が過ぎたわね、ご愁傷様。でも流石に愛されてるのね、ルーンさん。あれだけ可愛ければ教官が過保護になるのも分かるけど。」
「過保護……というのもあるが、童としてはルークの為じゃ。」
「……そうなの?」
「うむ、ルーンは潔癖症じゃからの。リアの従者とて、主以外の男が近付けばどうなるか分からぬ。ここ最近ユーリアと一緒にルーンの次元港整備に付き合っておったのじゃが、かなり疲れたのじゃ。身の程を知らぬ男が声を掛けようとして何人次元の狭間に吹き飛ばされたか……。正直、偉い人がルーンの仕事場を立ち入り禁止区域にするまで、犠牲者の救出ばかりで仕事がまるで進まなかったのじゃ。」
「………え、何それ怖い。」
一瞬ただの冗談かと思ったメールだったが、その時の事を思い出しているのか、本気で疲れた顔をしているトワの表情を見て悟った。そして同時に、まああの司羽の彼女だし……と思ってしまったのは決して口には出してはいけないと心に決めた。トワと司羽が繋がっていると言う事を忘れてはいけない。
メールがトワの愚痴の様な話を聞きながらドン引きしている間に、ルークの悲鳴をBGMにして、トワが骨折した関節やら傷口やらを容赦なく診察(?)していく。
「ふむ。取り敢えず、主への報告は済んだのじゃ。」
「それで、何か問題はあったのか?」
「いいや、特に問題ない。後はジナスの診察に任せると言っておる。」
「……なんだか、見ていても何を診察しているのか良く分からなかったんだが……今度、司羽に聞いてみるか。」
「それが良い。正直童も良くは分かってないからの。」
トワの診察の終わりを聞くと、ベッドに寝ているマルサはホッとした様に溜息を吐いた。治るまで毎日あんな事をされていたのでは寿命が縮むというものだ。そんなマルサの表情をスルーして、トワは軽く伸びをすると、メールへと人懐っこい笑顔を向けた。
「さてと、メール、童はレモンティーを所望するのじゃ。後先程のクッキー!!」
「……はぁっ、トワちゃんも、もうすっかり自分の家感覚ね。」
「むぅ、良いではないか。童もルーンを置いては帰れぬのじゃ。」
「はいはい、駄目なんて言ってないから怒らない怒らない。いつもの場所にもうリン達が居るから、そこでお茶にしよ。」
「わーい、ちゃんと準備してくれている辺りは流石メールじゃな♪」
「ふふん、当然でしょ? あ、それじゃあジナスさん、お薬はここに置いておきますので。」
「ああ、分かった。」
トワとメールは用事が済むと、男三人を残していそいそと医務室を後にしてしまった。扉が閉まり、二人の声が廊下から離れていくと、部屋の中が急に静まり返る。そして、暫くしてその扉の方を見たままマルサが呆れたように溜息を吐いた。
「……ったく、あんな事があった後だってのに、元気な奴らだ。」
「そうだな。……だがそれもまた、彼女達の強さなのかも知れない。」
「…………強さ、ね。」
「……僕は、ちょっと元気過ぎる気もするけど。」
「ははっ、まあ俺も同感だな。」
あの戦いからまだ一日だ。あれは長い、長い一日だった。仲間が傷付く姿も、最後の司羽による虐殺も、見たのはまだ昨日の事の筈。マルサもルークも、そしてジナスも、表面上取り繕ってはいるが、昨日の光景は頭の中にこびりついている。そしてそれは、メール達侍従部隊も同じことの筈だ。
「司羽の使い魔のお嬢ちゃんは別としても、うちの女はなんであんなに元気なのかねえ。」
「良い事じゃないか、女性は笑っている方がいい。」
「そういう事じゃねーんだよ、ルーク。俺達の立つ瀬がねえってこった。」
「ははっ……なるほどね。」
マルサが天井へを視線を向けながら、また一つ溜息を吐く。その時の声色と表情から、ルークもまた、マルサの言いたい事を汲み取った。……正直、ルークもマルサと同じ想いを抱いていたのだ。
自分達は蒼き鷹に負けた。守らなければならない者達を守れなかった。だからここでこうして、無様にもベッドに寝転んでいる。今回の生還は、ただの幸運の結果でしかない。……にも関わらず自分達は今、平凡を満喫している。自分達が必死に戦って、負けて、なのに何も変わらなかった。幸せなのかも知れないが……それが余りにも不甲斐ない。
「……そう思うのなら、二人共さっさと傷を完治させろ。アレンが稽古を付けたくてウズウズしているぞ。」
「あははっ、そうですね。……次は、次こそは……。」
「ああ、もう、嫌という程思い知ったぜ。……俺は弱すぎる。守るべき奴らよりもな。」
マルサがポツリと呟いた言葉が、戒めのように、宣誓のように小さく部屋に響いた。平和の幸せを感じながらも、戦いの傷は確実に彼等の中に残っている。……そしてそれは彼等だけではない。同じ様に傷つき、それでも前を向いて笑っている仲間達がいる。その彼女達の為にも、今の平和をこれからは自分達が守っていかなくてはならないのだ。もう、国を捨てて逃げ出すしかなかった、若い頃の自分達では居られない。それはマルサもルークも、そしてジナスとアレンも分かっている。自分達はまだまだ力を付けなくてはならないのだと。全ては、まだ始まったばかりなのだ。
コンコンッ
「ん? 誰か来たか。」
「なんだ、入れ替わり立ち代りよく来るな。もう一通り全員来ただろ。次は誰だ?」
「……アレン隊長だったりして。寝ながらでも体を鍛えろとか。」
「せ、せめて傷くらいゆっくり治させて欲しいんだけどな。」
暫く声の無かった部屋に、唐突にノックの音が響いた。今朝から本当に良く人が出入りしているので、心配されるのは正直嬉しいのだが、傷の具合もあるのでそろそろゆっくりと眠りたい所だ。そんなマルサとルークの内心を知ってか、ジナスは苦笑混じりにドアを開けた。すると、そのドアの向こうに立っていたのは何やら物憂げな様子のナナだった。
「……ん? ナナか、どうした?」
「あ、えっと……すいません、トワさんがこちらに居ると聞いたんですけど。」
「ああ、トワさんならさっき出て行ったよ。メール達とお茶会するとか言ってたかな。」
「あ、そうなんですか。御免なさい、お休みの所お邪魔しました。」
「気にすんな。……お前こそ少し顔色悪いぞ、大丈夫か?」
「え……?」
部屋に入るとキョロキョロと視線を動かしてトワを探したナナだったが、丁度入れ違いになってしまった事を聞くと、直ぐにペコリと頭を下げて踵を返そうとした。……しかし、その数秒の間でマルサ達はナナの様子がいつもと違う事に気がついた。そういえば、朝に此処に見舞いに来た時も、なんだか落ち着かない感じだった様な気がする。
「そうですか……でも大丈夫です。失礼しました。」
「おう、あんまり無理するなよ。」
「はい、ありがとうございます。」
パタン
ナナはマルサの言葉に短くそう返すと、直ぐに部屋から出て行った。本当にトワを探しに来ただけだったらしい。だがその短い間でも、いつものナナの元気がない事は全員が感じ取れていた。
「やっぱり、昨日の事を引きずっちゃうか。仕方ないよね、まだナナは小さいし。」
「ああ、そうだな。特に、ナナはなんというか……そういう物に対して敏感なんだろ? 気術の事は良く分からんが。」
「……そうだな。まあ、それだけではないかも知れないが。」
「……?」
ジナスは、ナナの元気がない原因に心当たりがあった。マルサとルークは途中まで気絶していた事もあるし、覚えているかどうか分からないが、ジナスはナナとあの争いの中ずっと行動を共にしていたのだ。なんとなく察しは付く。
「……あのミシュナとか言う少女。かなり大きなショックを受けていた様だからな……。」
「ミシュナ……? ああ、それってジナスさんとナナを助けてくれたって言う。」
「なんだか良く分からねえが、最後までナナの事だけは守ろうとしてくれたんだろ? なんかどっかで名前を聞いた事があるような気がするが……フィリア様の御学友だっけか?」
「……さあな。ともかく司羽の関係者で、ナナが良く懐いている事は確かだ。」
それ以上の事はジナスには分からないし、ナナに深く詮索するのも野暮と言うものだろう。だが、昨日からずっとナナの元気がない原因は、きっと彼女の事が原因だろうと予想はしていた。
「まあ、俺達が心配しても仕方がない事だ。今は自分自身の事で精一杯なんだからな。」
「……そうだね、ナナにはネネさん達も付いてるし。」
「そういう事だ。……それじゃあ俺も行くぞ。アレンが稽古の相手を探していたからな。」
「あはは……すいません、直ぐに治して僕達も参加します。」
「頼むぞ、俺だけじゃあいつについて行けん。」
「了解。」
男達は軽口を叩き合って苦笑すると、ジナスは静かに部屋を出て行った。マルサは思う。この傷が癒える頃には、全ての傷も修復されているのだろうかと。しかしそれを考えると同時に、そんな事は有り得ないと自分の中で結論が出てしまう。そんな簡単に、戦争の傷は消えてなくなるものではない。そんな事は何年も前に、自分の国を捨てて逃げ出したあの時から分かりきっている事なのだから。
戦争の傷は、きっと、永遠に消えてなくなるものではないのだ。