第90話:Nothing War Logs -OuterName Peaceful-
「う……ぐ……ぅああああああああああああああああああああああぁっ!!!!!!!!」
蒼き鷹は、唸り声を上げながら地に落ちた。膝を着き、悲痛な叫び声を挙げ続けるセイル=クロイツを呆然と眺めながら、リアは未だにその現実が飲み込めずにいた。
司羽に裏切られたと思っていたら、いつの間にか逆に助けられていた。ミリクが教師ではなく自分達を監視する共和国のスパイだった。そして何より、この一連の出来事が全て……。
「全て……仕組まれていたのですか……。」
「そういう事ですね。」
思わず口から出た呟きに、ミリクが微笑みながら答えてくれた。自分自身の担任の教師……ではなく、共和国から来たスパイ。なのに自分を助けてくれる為の計画を司羽と立てて実行した。もう、訳が分からない。リアにとって今日は色々な事がありすぎて、疲労しきった心と体では、今の状況に付いていくことが出来なかった。そんなリアの隣に、彼女の親友がしゃがみこんで、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。
「ルーン……。」
「お疲れ様、リア。」
「……ルーンは、知っていたのですか?」
「ううん。でも、こうなるとは思ってたかな。私、司羽の事なら分かるから。」
そう言って、リアの親友は視線を司羽へと向けた。司羽の事ならば分かると言ったその時の表情は、何よりも自信に満ちていた。だからこそ彼女は、ここへ来ても何も口を出さずに居たのだろうとリアには分かった。そして、何も話さずに傍に立っていたもう一人の『部外者』もまた、司羽をじっと見つめていた。
「これで、『終わり』でしょう? もう帰りましょう。これ以上此処にいる必要はないわ。後は他国の問題だもの。私達には、もう関係ない事よ。」
「ミシュナさん……ミシュナさんも分かっていたんですか? 教官の事……。」
「…………。」
「あの……ミシュナさん?」
「……司羽、早く帰りましょう。」
「ミシュ……?」
「もう、終わりでしょう? だから、帰りましょうよ。」
ルーンと同じくミシュナも今まで事の成り行きを見守っていた。それはきっと、この結末が見えていたからだろう。しかしミシュナは、そのナナの問いには答えなかった。何処か焦りにも似た表情で、司羽の顔を見つめ、早く帰ろうと司羽を急かすだけだ。……しかし、その声に司羽が応えるよりも早く、司羽の視線の先の男は、顔を上げた。
「くふっ、ふふふふふっ……あははっははははははっはははははっ。」
「……あら、壊れちゃいましたか?」
セイルの高笑いが静寂の中に響き渡る。その声に全員の視線が集まった。それは、ミリクの言うように壊れた者の悲鳴にも聞こえたが……それでも、少なくとも『終わり』を予感させるものではなかった。
「壊れる? 僕が? おい、メリッサ。この状況、お前はどう見る?」
「そうですね。確かに共和国政府が既にこちらの動きを掴んで、計画を潰しに来ていたのは予想外でした。しかし、今この場に置いては私達が不利だとは言えません。寧ろ人質の存在もありますし、逆転は充分以上に可能なのではないでしょうか。」
「そうだ、その通りだ。勝手に終わりにされては困るんだよ、お嬢さん。」
急に笑い出したセイルの眼は、最初の余裕はなかったが、それでも死んではいなかった。傍に控えるメリッサもまた、戦意を失ってはいない。そしてそれは、共和国の直接的な介入に動揺していた蒼き鷹の兵士達も同じだ。相変わらず、その剣の先はアレン達の首に当てられている。
「貴方達……国を敵に回して勝てる気でいるの……?」
「国を敵に回すには国を味方に付ければいい。元々そのつもりだったんだ。それに少なくとも、今この場では負ける気はないね。後の事は君達を殺してから考えさせてもらうよ。今の僕は、そうしたくてたまらないんだ。」
ミシュナの言葉に応えるようにそう言ったセイルは、視線だけでメリッサに合図を送った。その瞬間、アレン達を捕らえている兵士を含めた、三十名では足りないだろう白き魔装騎士達が戦闘態勢に入る。だがそれは、やぶれかぶれにしても余りにも稚拙な考えであるように、ミリク達には思えた。
「この場では、ですか。人質を取っているとは言え、私達に勝てる気でいるなんて、随分と大きな自信ですね。」
「……次元の魔女、それに気術士か。共和国官僚の諜報員ってくらいだしね、君も腕には覚えがあるんだろう。それに、君達に対してこいつらが人質としての価値を発揮するかどうかは分からない。分かるよ、君達の言いたい事はね。」
「その数の戦闘員に、その数の魔装。確かに大した戦力ですが……。」
ミリクは淡々と事実をのみ述べたが、それでもセイルの自信は揺らがなかった。どうもおかしい。人質を切り札として切って来るとは思って居たのだが。他に、何かあるのか?
「ふふっ、どうやら君達と僕の間には認識のズレがあるようだね。」
「何が言いたいのです?」
「僕が、何の保険もかけずに、君達と手を組もうと言い出すはずがないだろう?」
「保険ですか………なっ!?」
その瞬間、ミリク達に悪寒が走った。いや、悪寒だと思ったそれは、全く異質な物。『ナニカ』の存在を感じ取った感覚だったのかも知れない。そしてそれは、目の前のセイルから発生し、徐々に目に見える形で司羽達の目の前に現れ始める。黒い、瘴気の様な『ナニカ』。
「……これは、随分な物を持ち出したな。」
「へえ、流石は司羽くん。これが何か分かるのかい?」
セイルはそう言うと、懐から朱色の表紙の本を取り出した。題名は『Diary』。随分と古いがそれはそう読む事が出来た。そして本の内側から、溢れ出す様に黒い瘴気が漏れ出ている。司羽はその本を見て、少しだけ表情を歪めた。
「……お前達が何と呼んでいるかは知らないが。分かっているつもりだ。」
「ふん? まあいいさ。これは神器と呼ばれているものだよ。共和国の宝物さ。そして僕達の勝利の鍵でもある。」
「神器ですって!? まさか、『国創り』……。」
「ご明察。」
ミリクが驚愕すると同時に、その本がセイルの手の上で開かれた。それはまるで内側から湧き出る黒い瘴気の塊にこじ開けられる様で、事実、開かれた本からはとてつもない勢いでナニカが放出されていく。それは広範囲に拡がった後でセイルの頭上に集まっていき、夜の漆黒よりも黒く、闇の中で更に闇を作り出していた。
「く、『国創り』って……神器の中でもトップクラスに危険だって、昔王宮で……!!」
「流石にフィリア王女は知っているみたいだね。確かに、破壊力だけでみれば危険過ぎる代物さ。少なくとも、この国くらいは吹き飛んじゃうし。」
「な、何ですって……!?」
その異質すぎる力がセイルの頭上で大きくなるのを感じる度に、リアの胸に言い様のない不安が込み上げてくる。『アレ』はなんだ? 魔法ではない、魔力は感じない。感じるのは不安感と、押しつぶされそうな力の大きさ。でもリアにも分かる事がある。アレは危険な物だ。セイルの言っている事が決して大げさではない事を、リアの感覚全てが肯定していた。そんなリアの隣で、ルーンがその黒いナニカを興味深げに観察していた。
「ふーん、これも神器なんだ。でも、こんな強い力じゃ貴方たちこそ死んじゃうよ?」
「間抜けじゃの。本当に撃てるのか?」
「ふん、悪いが『国創り』の力を舐めてもらっては困る。使用者が指定した者だけは残るのさ。だからこそ、『国創り』なんだ。新たな時代を築く者以外を殺す神器、それが『国創り』の本質なのだから。」
「……それはまた随分と……お利口さんな武器ですね。」
ルーンとトワの煽りも意に介した様子はなく、セイルには余裕が戻っていた。自身と仲間は巻き込まず、全てを滅ぼす広範囲殺戮兵器。そんな都合の良すぎる切り札を持っていたからこそ、セイルは司羽達を巻き込み、最悪のケースにすら備えられた。その余りの切り札に、ユーリアは思わず愚痴の様な言葉を漏らして忌々しそうに闇の中に浮かぶ黒を見る。そんなユーリアの態度に何を思ったのか、メリッサが鼻で笑う。
「はっ……減らず口を。ですがもう『国創り』は発動しました。止めることは不可能。いくら貴方達でもこれを全ては防げないでしょう? まあ、防げたところで消耗した貴方達を殺すには充分過ぎる戦力がこちらにはあるわけですが。」
「……なるほどな。それがお前達の最後の策って事か。とんだゴリ押し戦術だな。」
「……司羽くん、君はそれが遺言で構わないかな?」
「ははっ、冗談だろ?」
「ふん、気に入らないね。」
最後まで態度を変えない司羽に、セイルも苛立ちを隠さなかった。だが、そんなやり取りももうすぐ終わると、セイルは会話を断ち切る。黒いナニカ、瘴気の塊、闇そのもの、なんと形容したら良いものか分からないそれは、いつの間にか空を覆い隠す程にまで成長していた。本から溢れるそのナニカも、少しずつ勢いを失っていく。恐らく、完成が近いのだろう。それを静かに見つめる司羽の両側の袖を、二つの手が引いていた。
「司羽、ちょっとこれは私も予想外だよ。私を含めて、三人なら守れると思うけど…どうする?」
右側から袖を引いたルーンは、ユーリアの手を引いて、地面に座っているリアに視線を向けた。
「……私も三人ね。それ以上は確実性がないし無理よ。」
左側から袖を引いたミシュナが、トワの手を引いて、隣にいるナナに視線を送る。
「あ、私は結構です。シノハちゃんが居ない世界に用はないので。誰かを守るのもちょっと無理ですね。力不足ですいません。」
ミリクは、そう言ってクスリと笑った。その笑顔の奥で何を想っているのか、何者にも図ることは出来なかった。
「…………。」
それら対して、司羽は何も応えなかった。じっと、空を、本当の黒を見つめながら、やがてその視線をゆっくりと降ろして行く。向かう先には、セイルと一冊の神器。そして、その黒いナニカが完全に途切れる。それが発動の合図だと言う事は、誰の目にも明らかだった。それでも司羽は何も言わず、ルーン達に応えることもしなかった。ただただ、その視線の先にあるものを見て、無表情のままに何かを思案していた。
「さようなら、司羽くん。」
そしてセイルの言葉と共にその本が輝き始めると、空を覆う黒い塊も一気に収縮を始め……。
「……同じモノのよしみか。」
その司羽の呟きが聞こえた者が、果たしてその場に居ただろうか。
――――そして、本物の黒が爆発した。
―――
――――
――――――
本当の闇がもしあるのならば、まさしくこれを指すのだろうと、セイルはそう感じていた。
一面の黒、そして無音。
本当の闇とは『無』そのものなのだと。
しかし、
『見つけた。』
声が、闇を塗り替えた。
『いいいいいいいいああああああああああああああっ!?!!?!!?』
――――
―――――
――――――
「なっ、なんっ!?」
セイルの耳を劈く様な高く耳障りな声が響き、それに続けて闇は一瞬にしてその姿を散らした。思わず耳を覆いたくなるような高く大きな音に思考が乱れ、セイルは途端に冷静さを失う。だが闇が晴れた事実から、神器の発動が阻止されたらしい事だけはセイルも理解していた。
『ぎいいいいひいいいいああああああ!!!!!』
「くっ、音響兵器か!?」
「いいや、ただの悲鳴さ。」
「なっ!?」
セイルの頭に浮かんだ回答を直様打ち消したのは、司羽の声だった。そのセイルの真正面から聞こえた声に、セイルは身を固くした。いつの間に目の前にまで移動したのか、そして悲鳴だと言うこの声は何なのか、そんな疑問が新たにセイルの脳内に渦巻く。しかし、そんな疑問も次の瞬間には吹き飛ばされた。……いや、上書きされた。
「な、何を……しているっ!?」
「ああ、ちょっと探し物をな。」
『ああぎやあああぁぁっがああああああ!!?!?!?』
ズズズ……。
その目の前で起こっている光景に、セイルの思考は一時完全に停止した。目の前で司羽の腕が、神器のページに入り込んでいる。もっと詳細にいうのならば、セイルが開いた状態で持っている本の形状をした神器のページに、司羽の腕が肘の奥まで入っていた。それは沈み込んでいると言う表現が尤も相応しいだろう。
そして、本来ならば有り得ない光景であるその現実を、セイルは受け入れることが出来ずに放心してしまった。
「……馬鹿な。腕が……神器に入って……何が起こって……。」
「驚かせちまったか? まあ、気にするな。元々『こういうモノ』に常識なんてないんだよ。」
既にその言葉も、セイルの耳には届いていなかった。常識で考えるならば、もし本のページに指を突き立てても、破けるか、指が押し返されるかのどちらかしかない筈だ。ページに腕ごと沈み込み、貫通もしていないなんて、何から何まで意味不明だ。これが、普通の本であったのなら魔法を疑っただろう。しかし今セイルが手にしているのは神器、『国創り』だ。何か魔法で干渉しようとしても、こんな簡単に行くわけがない。それこそ、神器の封印をする際には国中の高名な魔法使い達が長い時間をかけて行う様なものなのだから。そもそも、司羽は魔法は使えない筈……。
「気術です、セイル!!」
「っ!?」
思考の迷路に迷い込み、硬直してしまったセイルの耳にメリッサからの声が届いた。あまりの出来事の連続に、セイルは気術という、自分達のよく知らない力が存在している事を失念していたのだ。
しかし、切り札である神器が発動したと思ったら、次の瞬間には悲鳴が響き、闇が晴れ、目の前で司羽が神器の中に手を入れていた。そんな状況を一気に突き付けられたセイルが混乱するのは当然だと言える。だがそれでも、メリッサの一言でセイルは思考を持ち直した。
そしてそれと同時に、先程から止まない悲鳴の出処を突き止めた。セイル自身の近く、手の上に開かれた神器。声は間違いなくそこから聞こえてくるものだと。ならその原因は……。
『ぐぎゃああああああぎいいいいいいい!!?!?!!』
「捕まえた。」
「ぐっ、離れろ司羽!!」
「ああ、その本は……。」
全てを理解したセイルが、司羽を悲鳴を上げる『国創り』から引き離す。そしてそれと同時に、司羽の腕がページの内側からズルリと抜け出し……ニヤリと、笑みを作った。
「もう用無しだ。」
『あ……が……。』
ドシャッ
「………な……に……?」
司羽の言葉と共に、司羽の足元の地面にナニカが引きずり出された。司羽の腕が『国創り』のページから抜け落ちると同時に、掴んでいたナニカもまた本から出てきたのだろう。それは黒く、赤く、本の中に入っていたとは思えない程の大きさで、ドロドロとした赤黒い粘液の様なものに包まれている為に、かろうじて人型に近い形状をしている事だけは推察出来たが、完全な形状は分からなかった。司羽はその一部……頭部の様な部分を掴んでいたが、その物体の全てが外に出ると直ぐに投げ出すように手を離した。……その形容し難い、忌避感を抱く物体に、その場で唖然としていた面々も、視線を集中させている。『国創り』の発動も、それをかき消す様な耳障りな悲鳴も、その存在によって過去のものとされてしまった様な、ただただ沈黙がその場を支配した。
「こ、これは……貴様、何をした!! こいつはなんだ!! いきなり、神器の中から……。」
「さぁ、なんだろうな。お前が知らなくても良い事である事は確かだが。」
「くっ……。」
セイルの問いは、司羽の一笑の下に伏した。セイルは自分の持つ情報を整理して頭脳をフル回転させる。この物体は、明らかに『国創り』の中から現れた。だが、過去にこの様な事例が発生したという情報はセイルの下には入っていない。気術で作られた幻か、それとも自分の知らない『国創り』の能力なのか……。
『ア……ア……ココ……ハ……。』
「あ、ああっ……み、ミシュナさん……あ、あれ……あれは!!」
「ナナっ、直視しては駄目よ。貴女にはまだ……いえ、本来なら一生縁がなくていいものなのよ。あんな……穢れた生命には……。」
思考を巡らすセイルが居る一方で、それの正体が掴めてしまう者も居た。ミシュナは隣で口を抑えながら震え始めたナナを優しく抱き寄せて、その眼をそっと手で塞ぐ。ミシュナから『穢れた生命』と表現されたその物体は、言葉の様なものを発し、地面の上で力なくモゾモゾと蠢いていた。それは少なくとも見ていて気持ちの良い物ではない、何か人間の嫌悪感を刺激するような醜悪さを孕んでいた。ミシュナはそれを一瞥した後、司羽の方へとまた視線を戻す。そして当の司羽は、無表情にその物体を見下ろしていた。
「セイル!! 惑わされてはいけません、もう一度『国創り』を!!」
「だ、駄目だ、発動しない。何故だ、何故あいつはさっきの攻撃を打ち消せた!? 何故こいつは発動しないんだ!?」
一方でセイル達は、何度も『国創り』の再発動を試すも効果がないようだった。そして、その失敗の後にセイルは先程の司羽の言葉を思い出す。『その本は用無し』、確かに司羽はそう言った。
「司羽、貴様一体何をした!!」
「だから言っただろう、お前は知る必要のない事だと。黙って見ていればいい、お前らの相手は後でしてやる。」
司羽はそう言ってセイルの発言を一蹴すると、足元の何かに合わせるように自分自身もしゃがみこんだ。そして相変わらず無表情な視線を向けたまま口を開いた。
「まだ子供だな。ルーン達よりは年下か。」
『……ヒ……ト……ナンデ……。』
「オマエの事も質問もどうでもいい、興味もない。だが今のお前の存在は俺にとって迷惑だ。お前が適当に力を預けたせいで馬鹿が暴れるんだよ。見逃してやるから早く消えろ。」
『……ナイ、マ、マ……ママ……ナイ……ナイナイナイナイナイイイイイイイイイイイ!!!!!!』
「……会話は無理か。」
それを『子供』と表現した司羽だったが、意思の疎通に関しては直ぐに諦めた。見た目には黒い物体に赤黒い粘液がまとわりついているだけだったが、確かに言われてみれば人型に見えなくもない。そしてそのやり取りが引き金になったのか、またその物体から黒い瘴気の様な物が湧き出てくる。更にそれらはある程度の量になると触手の形状を取り、意思を持ったかのように突如として司羽に向かって四方から殺到した。
「うっとおしい、止めろ。」
ぐちゃっ
『グッ!?』
それに対してその瘴気を避けるでもなく、司羽はその物体を直接殴りつけた。すると低い呻き声やグチャリと言う粘液の音と共に、司羽に迫っていた瘴気も怯んだように司羽から離れていく。
『イタ……イ……マ、マ……ナイ……イ……ナイ……。』
「……ふん……割と痛みには素直だな。」
「教官、あれ、子供って言ってた……子供……人、間……?」
「ナナ、落ち着きなさい。……司羽、貴方一体何する気?」
「……まあ、ちょっとしたボランティア……いや、奉仕活動って言えば分かるか? そんな所だ。別に分からなくていい、単なる気まぐれだ……さて。」
「…………。」
震えるナナを支えるミシュナの質問に適当に答えながら司羽は立ち上がった。そして今度は司羽を警戒しながら睨みつけているセイルの方へと近づいて行く。口角を釣り上げ、得体の知れない雰囲気を纏った司羽に、セイルは神器を抱えたまま一歩後ずさる。あまりにも理解が及ばない出来事の連続に全員が緊張しているこの場で、一人だけいつもと同じ様子で振舞う司羽の姿が、セイルにはただただ異様だった。
「くっ、寄るな!!」
「おいおい、そんなに毛嫌いするなよ。返しといてアレだが、ちょっとその日記を渡してもらいたいんだ。俺にとっては用済みだが、こいつに取っては結構大事な品らしい。」
「な、何? 日記、この神器の事か。何を馬鹿な!!」
『……ニッ……キ……。』
その二人のやり取りの『日記』と言う単語に低い声が反応を示した。そしてその物体はゆっくりとセイルの方を振り向く。そこでセイルと物体の『眼』があった、様な気がした。
『イルイルイルイルイルアアアアア!!!!!!』
「ひっ!?」
「セイルっ!?」
悲鳴のようなその声が聞こえた次の瞬間には、メリッサが気付くよりも早くセイルの体に黒い触手が殺到していた。そしてその触手はセイルの体を薙ぎ払い吹き飛ばす。あまりの速度に、メリッサも白騎士達も反応する事が出来ずにセイルは一人で地面を跳ねるように転がっていった。それと同時に、セイルの持っていた神器が宙に投げ出され、地に落ちる。
「が……ぁっ。」
「おお、意識があるのか。それなりに訓練を積んでたらしいな。」
『マ……マ……ママ……。』
「くっ、神器が……セイル、しっかりしてください!!」
取り落とされ地に落ちた神器は直ぐに触手が回収し、その物体の元へと届けられた。瞬間物体から腕の様な部位が現れて本を受け取ると、それを抱きしめているような状態で動かなくなる。それを見て、司羽は再びその物体に近づいて行く。
「……さて、少しは落ち着いたか?」
『……マ、マ……イエ……ワ……タ、シ……ママノ……。』
「聞いちゃいねえな。……まあ、やる事は変わらないけどな。」
司羽はそう言うと、物体の傍で止まってニヤリと笑った。その笑みの意味を知る者は、この場には居ない。
「あんだけの力を見せたんだ、もう迎えは近くまで来てるだろう。悪いがボランティアは此処まで、サヨウナラだ。」
『ア……。』
その言葉と共に、物体の姿が掻き消えた。いや、正確には司羽がその物体を思いっ切り蹴り飛ばしていた。常人では捉えることの出来ないスピードで、物体とぶつかり合う音すらも置き去りにしたまさに一閃は、その物体を遥か彼方へと吹き飛ばしてしまった。
そして、全ては夢であったかのように、その異質なる時間は幕を閉じたのだった。
―――
――――
―――――
「な、なんだったの……一体……。」
「セイル様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……だがっ、『国創り』が……。」
『国創り』と呼ばれた物が消え去った後、その場には再びの静けさが戻っていた。人質がいるとは言え、形成は既に一転している。切り札である神器の消失もあるが、あまりの出来事の連続を見せ付けられた蒼き鷹の兵もかなり士気が下がっているのが誰の目にも分かった。
それは白騎士に助け起こされたセイルも、傍に控えるメリッサも……いや、きっとそこに居る全ての者達に対して言える事だったのだ、それ程に今の出来事は理解不能過ぎたのだ。物語に置き去りにされた様な虚無感の中、士気を保っていられる方がおかしい。
しかしそれでも、現実の状況は今の出来事によって完全に決定づけられた。誰にも理解が出来ない理不尽とも言える出来事が、全てを決めてしまった。
「……これで、終わりましたね。『蒼き鷹』の全メンバーに告げます。今すぐに人質を解放し、私達に投降しなさい。この通告を聞けない者には制裁を与え、素直に従う者には恩赦を与えます。切り札も失われた今、貴方達が私達に勝てる芽はありません。」
「ぐっ……くそっ、共和国の、密偵風情が……!!」
「私に噛み付くのは構いませんが、セイル=クロイツ……貴方も組織のリーダーなら最後くらい潔く負けを認めたらどうです? 少なくとも今の超常現象を見て、こちらの戦力が分からないと言う訳ではないですよね? まあ、私だって理解が追いついていませんけど。それでも、『国創り』が既にないという事は現実です。」
「セイル……。」
「くそっ……くそっ、くそっ、くそっ、くそっ……!!! あんな……ガキ一人に!! こんな、何も意味が分からないままにひっくり返されたって言うのか……!?」
ミリクの言葉は正しく的を射ていた。結果だけを見れば、蒼き鷹は『国創り』という圧倒的な切り札を失い。代わりに『司羽』と言うそれを上回る戦力を明確にしてしまった。策を練ったと思っていたのに、万全だと思っていたのに。結果を見てみれば、この一人の司羽と言う男が全てを操り、プライドも、切り札も、全てを滅茶苦茶にしてしまった。理解できよう筈もない、認められる訳もない。こんな事が出来る人間など、存在していて良いわけがない。
「貴様……貴様、司羽あああぁ……!!」
「…………。」
セイルが血が滲む程に唇を噛み、赤くなった目で司羽を睨みつけても、司羽は全く気にした様子もなく、反応もしなかった。司羽は先程からずっと、見通すように視線を森の奥に向けたまま動いていない。その視線を追うように他の者達がその方向に視線を向けても何かがあるようには見えなかった。それ以前にその先は真っ暗闇なのだ。だが一部の者達には理解できていた、その方向は先程の物体が蹴り飛ばされた方向だ。
暫くの沈黙の後、司羽は一つ息をついてその視線をセイルへと向けた。結局何を見ていたのか、司羽以外には分からなかった。そして、司羽は久しぶりにセイルへと口を開いた。
「ああ、そういえばまだ生きてたんだっけ。」
「っ……!!」
セイルが怒りを向けた先にいる司羽が発した言葉がそれだった。それは完全に、既に興味を失ってしまったものに対する言葉。セイルが自分に向ける感情など、司羽は意にも介さない。セイルも理解した、司羽にしてみればセイルは既に『終わった』存在なのだ。そしてそれが、セイルの自尊心を更に深く傷付け、それと同時に圧倒的な実力差をも突き付けていた。
そして司羽の隣にミシュナが寄り添う様に近づく。
「司羽、もう良いでしょう?」
「……何がだ?」
「何がって、私達の手出しはもう終わりよ。これ以上あいつらに手なんてない。リアを救うっていう司羽の目的も果たせたんでしょう? 後は共和国政府とやらに任せればいいわ。……先生、良いわよね?」
「ええ、そうですね、私の指揮する武装警察隊にも連絡しましたし、じきに到着するでしょう。共和国政府の息の掛かった精鋭部隊も秘密裏に呼んでいますし、内密に連行して、後は共和国で裁判ですね。」
「と、言うことよ? その警察隊やら精鋭部隊が来たら、さっさと逮捕して貰いましょう。私達はそこで終わり、さっさと帰って御飯でも食べましょう。」
セイルと司羽のやり取りを遮るかのように、ミシュナが終結を宣言した。ミリクもこの数の逮捕を想定して色々と根回しをしていたらしい。逮捕時の抵抗を想定して、引渡しまでは此処にいる必要はあるだろうが、武装解除させてしまえばもう心配はないだろう。だからもう司羽達の出番はない。
「まったく、こんな危ないことに首を突っ込んで……。」
「……ミシュ。」
「帰ったらちゃんと話を……。」
「ミシュ。」
「そういえば、夕飯の準備が途中だったわ、続きをしないと……。」
「ミシュ、手を離せ。」
「……っ……。」
いつの間にかミシュナの右手は司羽の腕を強く掴んでいた。普段の口調のまま、体の微かな震えが腕に伝わり、それが司羽にも伝わっていく。だが司羽の言葉を聞いても、ミシュナはその手を離そうとはしなかった。
「……い、嫌よ……たまには良いじゃない。もう終わったんだもの……帰りましょう?」
「悪いが、まだ終わってはいない。やる事がある、だから離せ。」
「ないわよそんなの、私は離したくない!!」
「ミシュナ……さん? どうしたんですか?」
「ど、どうしたのじゃミシュナ、主が困っておるのじゃ……。」
司羽が口調を強めても、ミシュナは頑なにそれを拒否した。ナナとトワもそんなミシュナに対して困惑していたが、ミシュナは彼女達の言葉に耳を貸そうとはせず、ただただ司羽の腕を強く掴み続けた。まるで何かから引き止めるように、強く強く腕を引く。……しかし、司羽はそんなミシュナに対し諦めたように視線を外した。
「……トワ、魔導器の録画は続いているな?」
「う、うむ。主が切れと言うまでは記録を続けろと言っておったし。」
「っ!? トワ、その魔導器を切りなさい!!」
「え、う? えっと、切るって……でも主が……。」
「切らなくていい。」
「司羽!! 切りなさいっ、トワ!!」
司羽の命令にミシュナが悲痛な声を上げて抗議した。その二人の命令にトワも不安そうな表情になってオロオロと二人の間で視線を彷徨わせてしまう。そのミシュナはまるで縋るような視線で司羽を見ていた。
一方の司羽はいつも通りの表情で無言のまま、ミシュナに応えることすらせず、淡々と続けた。
「ミリク先生言いましたよね、蒼き鷹をどうするかはその時の判断で俺に任せるって。」
「……え、ええ……でもあれは必要に応じて……。」
「ミシュナ、邪魔だ。」
「っ……!?」
ミシュナに応える代わりに、司羽はミリクにある確認を取った。そしてその答えを聞くと同時に手を軽く振ると、ミシュナの拘束を容易く振り払う。自分の腕が余りにも容易く振りほどかれた事に、ミシュナは驚き言葉が出なかった。かなりの力を入れていたのもある、だがそれ以上に、何処か期待していたのだ。司羽なら、自分の言葉を聞いてくれる……と。
そして、司羽の姿が目の前から消える。
「まずはお前からだ。」
「ぐっ!?」
「なっ、セイル!?」
ドシャッ
そこに居た者の誰もが反応すら出来なかった。司羽の姿が別の場所へと移動し、それと同時にセイル=クロイツの体が皆の中心辺りの地面に放り投げられたかの様に転がった。セイル本人すら、自分の身に何が起こったのかを把握するのにかなりの時間を要した程の現実離れした現象だった。傍に居た筈のメリッサ達から離れ、地面に転がり、そして……頭を司羽の足に踏みつけられている……そんな自分の状況を。
「……つ、司羽貴様……がっ!?」
「トワ、しっかり撮っていろ。共和国政府への土産を作る。少し過激なくらいが丁度良い。」
「み、土産……?」
トワに命令した司羽の言葉で、恐らくそこに居た殆んどの者達が悟っただろう。司羽が今、何をしようとしているのかを。
「や、やめろ!! お、おい人質を、誰か殺せ!! やめさせろ!!」
「っ……!? 皆っ!!」
「人質ねえ……。」
自分の顔を踏みつけられながら、セイルは自分と同じく地面に転がっている者達を思い出した。今までの状況を呆然と見守っていたリアの顔が一瞬で青褪める。
しかし、いつまで経っても人質に対して剣が振り下ろされる事はなかった。
「な、何をやっているんだ!! 早くし……!!」
「いくら叫んでも無駄だ。もうあいつらは動けない。……あいつらだけじゃない、ほら、そこで見ているお前の秘書や仲間、お前自身だって動けまい。」
「くそっ……セ……イル……体が……。」
「っ……そ、そんな馬鹿な!! う、動かない……何故だ、何故動かない!! 魔法か!? これが気術か!? お前はなんなんだ!!」
「ぎゃーぎゃーと餓鬼の様に騒ぎ立てるな……最後くらい覚悟を決めたらどうだ、反逆者。」
「……ば、馬鹿な……馬鹿な。俺は蒼き鷹のリーダーだぞっ、大統領の息子だぞっ……フザケるな……!!」
司羽の冷たい言葉が、セイルの希望を一つずつ潰していく。最早、同じ次元に居ない力がセイルを追い詰めていく。セイルは自分の体と言葉が震えているのを感じていた。なんとか絞り出した言葉も、司羽の冷たい視線に打ち砕かれて行く。しかし司羽をギリギリで引き止める腕が、司羽の背中側から腰に回された。
「お願い……もう止めてっ……。」
「ミシュ、見たくないなら見る必要はない。そもそもお前が此処に居る事自体不自然だ。正義感で此処にいるなら……帰れ。」
「……違う、そうじゃないわ。もうこれ以上誰かを……こんな事してたら、いつかきっと……!!」
「……こんな事、か……。」
縋るように、懇願するように、震えるミシュナの声が司羽を引き止める。腰に回されたミシュナの腕が強く司羽を抱きしめ、ぎゅっと押し付けられた体の体温と共に、ミシュナの震えを司羽へと伝えた。ミシュナの表情は司羽からは見えなかったが、何かを押し留める様な声が、ミシュナの感情を教えてくれていた。しかし、それでも司羽の言葉は冷たかった。
「何を知っているのかは知らないが、俺の邪魔をするな。」
「っ……嫌っ、嫌よっ……そんな事言わないで、そんな冷たい声を出さないで!! そんな怖い顔をしないでよっ!! いつもの、いつもの司羽に……戻って……もう私を一人に……。」
「……邪魔だ。」
「あっ……。」
「ミシュナさん!!」
「み、ミシュナ……。」
その一言と共に、ミシュナの手がほどかれる。司羽の腰に回した腕を解かれただけ。力づくと言う訳でもなかった。なのに、ミシュナは手を振りほどかれた途端にフラフラと後ずさりして、ペタリと地面に座り込んでしまった。そんなミシュナにナナが駆け寄り、魔導器を持っているトワも心配そうにオロオロとしてしまう。
「……トワちゃん、代わるよ。後は私がやるからミシュナの傍に居てあげて。」
「ルーン……う、うむ。」
「……なんで、なんでよぉ……ルーンも止めてよ……私じゃ……私じゃ、ダメなのに……。」
「ミシュナ、悪いけど私はその為に此処に居るんじゃないの。」
狼狽えるトワから魔導器を受け取ったルーンは、そう言ってレンズを司羽の足元、セイルの顔に向けた。それを確認して、ルーンは司羽に向かって優しく微笑みかける。
「司羽、いつでも良いよ?」
「……無理してないか?」
「してないよ、それは司羽が一番分かってるよね? ……安心して、私が全部見ててあげる。ずっと一緒に居るから。」
「……そうか。」
司羽もルーンの言葉に応えるように短くそう言って、セイルへと視線を戻した。
「有り得ない……僕が……僕が……。」
一方、視線を戻した先でガタガタと震えながら、冷ややかな視線を受けて身を固くしているセイルは何やらブツブツと呟いていたが、司羽はそんな言葉など全く意に介した様子もなく、ニヤリと口角を釣り上げた。
「さあ、始めようか。」
「あっ……やめろ……うあああああああああああああ!!!!!!!!」
その宣告と共に、司羽の足の下で絶叫が響き渡る。そして、
ブチャリ
――――
―――――
――――――
それは、長い時間だった様にも短い時間だったようにも思える。絶叫が突如として消え去り、代わりに鈍い、何か粘度のあるものを踏み潰した様な音が鳴った。それだけは、ナナも覚えていた。
「あっ……うっ……。」
「ナナさん、大丈夫ですか?」
「……ゆ、ゆーりあさん……。」
ナナはユーリアに優しく体を揺すられ、自分が気絶していた事に気付いた。確かあの時、ミシュナを介抱する為にしゃがみ込む彼女に寄り添っていた。そしてあの瞬間、司羽の足の下に居たセイルと目が合って……それで……。
「うっ……ぷ……ぅ……おぇっ……。」
「ナナさん……無理もないですね。」
「ナナ、目を閉じて。何も、見なくて良いのです。」
「ふぃ、りあさま……。」
ナナの視界が暖かな手によって塞がれる、そして、優しく抱きとめられるような感触が伝わってきた。この声、この温もりは、リアの物だとナナには分かった。そして、リアはそのまま視線を司羽の方へと動かした。
「司羽……さん。」
「ルーン、映像は?」
「ちゃんと撮れてるよ。全員分。」
「そうか、一応チェックしておくか。」
そこに居たのは、リアが見たのは、果たして本当に司羽だったのだろうか。ルーンに端的にそう聞いた司羽の声は、リアの良く知る司羽なのに……リアの頭はそれを理解することを半ば拒絶していた。
その目の前の男は、ルーンから魔導器を受け取ると、簡単に映像を確認している様だった。何の感傷もなく、後悔も興奮もなく、淡々と。
「司羽さん……ここまでする事……こんな残酷なっ……。」
「俺は必要があるからやったまでだ。」
「必要、これが……? ただの……ただの虐殺じゃないですかっ!!」
「司羽様……。」
暗い闇に呑まれた空間が魔法の光によって浮かび上がる幻想的な光景は、それを上回る赤黒い非日常な光景に塗りつぶされていた。至るところに散乱した首のない物体が、ピンク色と赤と黒が混じったぶよぶよとした何かが、辺り一帯に敷き詰めるように転がっている。充満した血の臭いに、まるで肺の中まで汚染されるようで自然と吐き気が止まらなくなってしまう。リアの涙ながらの訴えにも、司羽は表情一つ変えない。
「ミリク先生、終わりましたよ。後の処理は警察隊にお任せします。」
「…………。」
「先生、聞いてますか?」
「……は、はい。到着次第、作業を開始します。」
「分かりました。それじゃあ、俺の役目はこれで終わりですね。」
司羽は淡々とそう言うと、後の処理をミリクへと任せ、血と肉片に塗れた地面をグチャグチャと少しだけ歩いて、振り向いた。その視線の先には、地面に座り込んで俯くミシュナとそれを支えるトワが居る。
「あ、主、ミシュナが……。」
「……また………いっ、ちゃう……ま、た……。」
「…………。」
頭を抱え、俯いたままで呟くミシュナの周りだけが全く血に染まっていないのは、司羽が無意識にした事だったのか、それとも単なる偶然だったのか、それは司羽自身にも分からなかった。見たことが無い程に憔悴しきってしまったミシュナに対して、司羽はただ視線を逸らすようにルーンへと向き直った。
「暫く家を空ける。」
「何処かに行くの?」
「共和国に行く。ユーリアの件を早めに処理してしまいたいからな。」
「司羽様。ですがミシュナさんが……。」
「……ユーリア、行くぞ。」
「っ……は、はい。」
いつもとは様変わりしてしまったミシュナを心配そうに気遣うユーリアの声も、司羽の一言を持って拒絶される。その時の司羽の眼と言葉には、相手の言葉を飲み込ませてしまう程の威圧感があった。
そして司羽はユーリアを連れてその場を離れようとして、唐突に背中から服を掴まれた。司羽が首だけ振り向くと、そこにはルーンが微笑みながら立っていた。
「4日目には戻ってきてね? 私、ちゃんと待ってるから。」
「…………。」
「……返事は?」
「……分かった。約束したからな。」
「うん。じゃあ、気をつけてね? いってらっしゃい。」
「……後は、頼んだ。」
司羽と、余りにもその場の空気にそぐわない短いやり取りを終えると、ルーンは満足気に司羽から手を離した。それと同時に司羽も再びユーリアを連れて森の中へと消えていく。結局、最後まで一度もミシュナに対して何かを言う事はなかった。
「……さてミシュナ、私達も帰るよ。トワちゃん、手伝って。」
「……うむ。」
「…………。」
そして森の奥へと消えていった司羽達と同じく、ルーンもトワと一緒にミシュナを支えながら立ち上がった。まだフラフラと足元のおぼつかないミシュナだったが、支えがあればなんとか立ち上がれるくらいにはなっていた。
「ルーン、今日は……。」
「……その話はまた明日。色々あったんだから、リアも家族とゆっくり休まないと。」
「は、はい……明日、迎えをやります。色々と話したいことがありますから。」
「うん、分かった。それじゃあ、また明日。」
「はい……また、明日。」
また明日。ルーンと交わせるその一言は、とても嬉しい言葉の筈なのに。リアの心の中では、いつまでも暗く深い澱んだ何かが這い回っていた。その言葉に出来ない感情を振り払うように、リアは辺りを見回す。そこには、無事とは言えないけれど仲間がちゃんと居て。それ以外は目に入らないとでも言うように、リアはそれしか見る事が出来なかった。そして、ポツリと呟くように声が出る。
「……戦いじゃない……これが、戦争……。」
リアはきっと、その言葉の本当の意味を今初めて知った。結局最後まで、自分も、そして蒼き鷹も踊らされ続けただけだったのだと理解しながら。そして緊張しきっていたリアの意識は、近付いてくる警察隊の足音と共に、徐々に薄らいでいった。
落ちていくリアの意識と同様に、長い、長い夜が終わろうとしていた。抑えきれない血の匂いと、様々な思念が染み付いたその場所で、記録される事のない一つの戦争が、平和の裏側に掻き消えるように。