第87話:蒼き鷹の見る夢 -振り払われた手-
「メ、メー、ル……。」
「あ、あっ……。」
メールの首を目掛けて一直線に振り下ろされた剣は、首元の僅かに上で静止していた。悲鳴が止み、起こるはずだったその凄惨な光景から目を逸らしていた者達も、異変に気付き、その剣を持つ白騎士『達』の方へと視線を向けていた。
「………おい、なんでルーンとミシュが此処に居るんだ? 誰が連れてきた? 『契約違反』じゃないだろうな?」
「つ、司羽……さん。」
「お、お前……いつの間に……。」
全員が呆然と、そこに現れた人物に注目していた。その静止した剣の上側を掴むようにして止めている司羽は、自分に注目している人間を一通り見回すと、露骨に不機嫌な表情になって嘆息した。
「司羽っ!!」
「随分と遅い登場ね、司羽。」
「………いや、なんでお前達そこでお茶してるんだ。ここはカフェテラスでもなんでもないんだぞ?」
「……申し訳御座いません。ミシュナさんにはお帰りになるようには言ったのですが……。」
ユーリアは司羽の問いに対して、バツが悪そうにそう言ってミシュナを見た。それだけで司羽はユーリアとミシュナのやり取りを察してしまった。
「嫌、って言ったわ。」
「嫌って……ああ、もういい、ユーリアは良くやってくれた。それに、何となく察しはついた。」
司羽は笑顔のルーンと不機嫌な顔のミシュナ、そして申し訳なさそうな表情をしているユーリアに出迎えられながら、白騎士の剣を手放して、ゆっくりとリアとセイルの方へと近づいて行く。それに合わせるようにルーン達も立ち上がり、司羽の周りへと集まった。そして、笑顔のセイルが司羽に声をかけた。
「おかえり、司羽君。中々に格好いい登場シーンだったが、学院への報告は済んだかね?」
「ええ、すいませんね。一応警護報告はしておかないといけないので。……所で、これは一体どういう事です? 随分ともてなしてくれている様子ですが。」
「あ、あはは……済まないね、僕からも帰るようには言ったんだが……どうにも君に会いたいと言って聞かなくて。一応、おもてなしはさせて頂いていたんだが……ユーリアちゃんが。」
司羽の口調は刺々しく、先程の警護の時の様な柔らかさは皆無だった。そんな司羽に対してセイルは少々引き気味になりながらも説明する。しかし、司羽は依然として苛立ちを隠そうともしていなかった。
「ふふっ、大丈夫ですよ、私がちゃんと見張っておきましたから。そこのバイ菌野郎を含め、私達は奥様方には指一本触れてはおりません。あ、なんならこの変態に自白剤でも打ってみますか? 邪な事を考えたか直ぐに分かりますよ。」
「あれ、僕バイ菌扱いなの? っていうか自白剤なんて普段から持ち歩いてる訳……えっ、あるのっ!? なんでその注射器に『セイル専用』って書いてあるの!?」
「だって、鎮痛剤とかと間違えたら大変じゃないですか。」
「う、うん、そうだね。君の思考回路とか言語能力とかが大変に狂ってるね。……あれ、司羽君、何を悩んでるの? もしかして打つかどうか悩んでるとかじゃないよね!? 君もルーンさん達が絡むと大抵狂ってるよね!?」
注射器を取り出して、中の液体をいい感じに、ぴゅっぴゅっとしているメリッサと、結構本気で検討している司羽にセイルは戦慄した様子で震えた。
「……まあ、仕方ないから自白剤はまたの機会にしましょう。」
「残念です……。」
「……もう嫌なんだけどこの人達。僕のストレスがマッハな速さで寿命を削って行くよ……。」
セイルは本当に残念そうなメリッサと、いずれは使う気満々な司羽に対してドン引きした。そもそもな話、自白剤なんていう危険物を常日頃から自分の秘書が持ち歩いていると言う事実がかなりショックなのだが。と、そんな話を冗談半分にしていた司羽達だったが、直ぐに表情を引き締めて、溜息を吐いた。
「……まあ、冗談はこの辺にして。今回の事は仕方ないですね、ルーンとミシュに帰れって言って素直に聞くわけないですし。そちらにしても不可抗力でしょう。」
「そう言ってくれると助かるよ。僕としても、君との『取引』と『契約』は大事にしたいと思っているからね。これは表で商売人としての顔を持つ者としてのポリシーってところかな。」
「司羽以外の人からのお願いとか無理。」
「当然よ。此処まで見ちゃってただでは帰れないわ。ナナのピンチみたいだし。」
「色々突っ込みたい所はあるんだけど……はあ、何の為に今まで隠してたんだか分かったもんじゃないな。」
司羽に寄り添う様に集まった二人は悪びれた様子もなく各々の反応を返してくれたが、それがまた司羽には頭が痛い事だった。ルーンはもしかしたら司羽の指示次第では帰ってくれるかもしれないが、ミシュナに関してはもう何を言っても無駄だろう。
「……ただまあ、ルーン達の前で荒事を始めようとしたのは、自重して欲しかったですがね。こいつらも肝は座ってますが、女の子ですから。もしトラウマにでもなったらどうするんです?」
「はははっ……、済まないね。僕たちとしてもこれ以上無駄な血を流したくはなかったんだけど、そこの王女様が強情でね……。僕もちょっと大人気なかったかな、あはははは!!」
「ああ……リアですか。」
「……っ……。」
そこで初めて、司羽は茫然とへたり込んで居るリアと視線がぶつかった。今の今まで、まるで部外者の如く放置されていた当のリアは、とても信じられないものを見るような目で司羽を見ていた。先程仲間に剣が振り下ろされたショックがまだ抜けきれていないのか、それとも……。
「久しぶりだな。」
「…………。」
「どうした、そんな顔をして? そんなに此処に俺がいる事が意外か? ユーリアが此処にいる時点で、大体察していると思ってたんだがな。何故お前達の計画が蒼き鷹に知れていたか……もう分かっているんだろう?」
「………今の話……どういう事ですか?」
リアの司羽への第一声が、それだった。それ以外がリアには出てこなかった。自分が今聞いていた事は幻聴だろうかと本気で自問自答してしまったくらいに、リアにとってその会話の内容は衝撃的だったから。
「今の話? ……ああ、ルーン達の前でスプラッタなんかされたら嫌だろ? やっぱりこっちとしても勝手にそんな事されたら抗議くらいはしたくなるさ。例え、ルーン達が此処に来てしまっている原因がこっちにあるんだとしても……『契約違反』だからな。緊急で必要だったって訳じゃなさそうだし、やるならやるで、ちゃんと俺の許可くらいは取って欲しかった。」
「……『契約』と『取引』って……一体、何を言っているんですか。」
一体何の契約をしたのだと言うのだろう。自分達を助けるための取引か何かだろうか? でもだとしたら、何故先程メールは殺されそうになったのだろう。抗議するとしたら、それに対してではないのか? 何故、自分の思考と司羽の言葉はこんなにかけ離れているのだろう。それに、許可とは、一体何に対しての許可なのだ。
「つ、司羽さんは脅されていただけなんですよね? だから仕方なく私達の情報を……なのになんで蒼き鷹の奴らとそんなに親しげ何ですか!? どういう事何ですか、『取引』って!!」
「………なんだ、今更何を言ってるんだお前は。」
「貴方こそ、何を言ってるのか分かりません……分かりません!!」
分かりたくない。真実に気付いてしまうのが怖い。なのに、証拠や事実はいくらでも出てきてしまう。自分達に取って、最も最悪な現実こそが真実であると。頭では分かっていたとしても、受け入れられない。
「……何の為にお前達に警備網の情報を流したと思ってるんだ? 何故俺が此処にいると思ってるんだ。」
「それは……私達を安全に国外に逃がすために!! でも、でも蒼き鷹に脅されて仕方なく……。」
「………………。」
「それでっ……。」
リアも、分かっていた。先程の司羽の会話と、今司羽が自分に向けている冷ややかな視線で、いやがおうにも理解させられてしまった。それは仲間達が捕まってしまったと分かった時よりも、司羽とユーリアが自分を裏切ったのだと分かった時よりも、深く深く、リアの心を蝕んでいく。そして、もう、何も言う事が出来なくなってしまった。
「お前が現実逃避するのは勝手だがな。そもそも俺が本気で逃がそうと思ってるなら、とっくの昔に逃がしているさ。警備の穴なんて適当に開ければいい。今日でなくとも、いつだって出来る。」
「……………。」
言われてみれば、確かにそうだ。司羽は『蒼き鷹への敵対』は出来ないと言っていた。だが、それ以外での協力であれば不可能ではない。事実、その情報を調べ上げてまで警備網の穴をリア達に伝えてくれたのだ。よくよく考えてみれば、司羽であればそんな面倒な真似をする必要はなかったのではないか。適当な日取りに、夜逃げ同然の逃亡であっても、確実にリア達を逃がすことくらい……。
「そうでなくても、俺の力なんて借りなくても、逃げ出す事くらいは出来ただろうに。御丁寧に俺の持ってきた策に乗るなんて、本当にやる気あるのかお前ら。」
「司羽……貴様ぁっ……!! フィリア様は、お前がくれた情報だから!!」
「だからなんだ? 言ったよな、お前達の仲間にはなれないと。だったら、何故『敵』になるかも知れないと考えられないんだ? お前達は勝手にそんな不確かな立場の奴から貰った情報を信じて、自爆しただけだ。甘ちゃんも此処まで来ると傑作だな。呆れを通り越して笑えてくるよ。」
「ぐっ……。」
今までのショックと、首に当てられたままの剣の影響で大人しかったネネも、聞き逃せないとばかりに司羽に対して噛み付くように叫んだが、司羽は軽蔑した様な視線を向けながら、無慈悲に返しただけだった。そしてネネもまた、自分の発言を鼻で笑われて言葉に詰まってしまう。結局、今自分が何を言っても負け犬の遠吠えでしかないのだと分かってしまった。……そしてそれがまた、リアの心へと重くのしかかる。
「ふふっ、私は……裏切られてすらいなかったのですね。勝手に信じて、勝手に罠にハマって、勝手に恨んで……結局貴方に利用されて………あは、あはははっ……。」
「裏切られたと感じるかどうかは、お前達次第だがな。それに俺に言わせれば、今回の件も俺は中立だ。」
「……何?」
リアは遂に壊れたように笑い出した。それでも、司羽は気にした様子もないまま面倒そうに言葉を続け、今度はジナスが、それに対して食いついた。
「中立だと……? 俺達を売っておいて、笑わせる。」
「ジナスさん、アンタも結局騎士道精神を往く坊ちゃんって事だ。『中立』ってのはな、部外者じゃない。自分にとって利益にならないから様子見してるって事なんだよ。逆に言えば、利益があればそちらに付く。……そういう意味では、俺は最初から最後まで中立だっただろ? 元々リアについてたのだって、ルーンに対して何か秘密がありそうだったからってだけなんだよ。俺からすれば、お前達自身に価値なんてない。言っちゃ悪いが、それは蒼き鷹も同じだ。……だからこそ、蒼き鷹は俺と『取引』をしたんだ。脅迫? そんなもの最初から必要ないんだよ。利益さえあればな。」
「取引……俺達を売る代わりに何か貰ったって事か。金じゃあないな、それはお前にとってそこまで価値がある物には思えない。」
「まあ、そういう事だね。やっぱりほら、どんな信頼も相互の利益から生まれる物だからね。僕達は君達の情報が欲しかった。更に言うなら司羽君達を敵に回して戦力を消耗させるのも嫌だった。だから、僕達は取引したのさ。『ユーリアちゃんの正式な共和国脱国許可』を出すって形でね。」
「ユーリアの……なるほどな、確かに、それはこいつらなら簡単に通せる条件だ……くそっ。」
「……申し訳ありません。私も、司羽様の侍従ですので。貴方達には悪いと思っていますが、それで主の命令を否定する程、もう目が曇ってはいないつもりです。司羽様に付いて行くと決めましたので。……たとえ、血の海の中でも。」
司羽に続いて、今まで閉口していたセイルが取引の内容を補足した。単純な取引内容だった。ユーリアはまだ、密入国者が不法滞在している状態だ。このまま一生この状態で居るのは、色々と問題が出てきてしまう。共和国の制度からしたら死刑が出てもおかしくない内容なのだ。だからこそ、蒼き鷹はそれをネタに交渉をしてきたのだ。司羽は、二つ返事でそれを快諾した。
「勿論、この契約にはこちらの指定した人間への一切の干渉を禁じる旨も入っている。さっき言った契約違反と言うのもそれの事だ。『一切』を禁じていた筈だからな。まあ今回はこちらの責任が大きいから仕方がないけど。」
「あら、司羽は私達が悪いって言いたいの? 私は自分の友人を守っただけ。そんな契約も何も聞かされてないわ。黙ってるから悪いのよ。」
「んー、私は司羽に会いたかっただけなんだけど……。こいつらなんてどうでもいいし。司羽ごめんね?」
「……いや、別にお前達を責めてるわけじゃ……っと、話が逸れたが、まあそういう事だ。勘違いしてもらっては困るが、俺はお前達の仲間になったつもりはないんでな。とは言え、それは蒼き鷹も同じだ。」
「あははっ、ハッキリ言ってくれるね。まあ僕達としても、ビジネスライクに良好な関係が築けるならそれでいいさ。今日という日が終われば、二度と会う事も無い訳だし。」
「……利益………最初から……。」
全てを理解したリアは、もう何もかもがどうでも良くなってしまっていた。裏切られたのなら、恨みはするが仕方ないと思う。司羽に取って一番大切な人はルーンなのだから。ユーリアも司羽の侍従なのだ、仕方がない。でも、取引とはなんだ? 最初の最初から、自分達は一度として仲間などではなかったと言う事か? 対等な友人でも、ある種敵でもなかったのか? 司羽に取って、最初から自分達は……『ユーリアの脱国権』と引き換えする為のただの『取引材料』で……。
「ぅ……ぁ……うあああぁあああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
死ぬその時まで、家臣に弱さを見せまいと決めたのに。国を捨てて、逃げたあの日に強くなろうと決めた筈なのに。頭を抱えるようにしながらリアの叫びは夜の森へと響き渡る。俯いた顔からは、いくつもの水滴が地面に落ちていった。
「さて、もう分かっただろう? 君に仲間なんて、もういないんだ。だから、僕達の所に来るといい。……話してあげよう、僕達、蒼き鷹の目的と共和国の未来を。」
そして、闇の中で鷹は笑う。鋭い目を光らせて、闇夜の中でも確実に獲物を捉えながら。彼らが見た夢の実現に思いを馳せて……。