第86話:蒼き鷹の見る夢 -悪夢の軌跡が集う場所-
「………そんな……これは……。」
「フィリア様……お逃げ、ください……。」
「……申し訳御座いません……フィリア様……。」
暗い闇の中、魔法によって照らされたそこには、信じたくない光景が広がっていた。リアはルーンと共に森の中を走り、集合地点である森の中心部へと駆けつけたのだが、時既に遅し、全ての決着は付いた後だった。仲間達は例外なくうつ伏せとなって地に伏せ、その後ろ首には冷たい刃が当たっている。うつ伏せとなった者達の後ろに回った、その剣を持つ感情無き白騎士達は、合図一つで躊躇なくその剣を振り下ろすだろう。それが、駆けつけたリアの目の前に広がった『現実』だった。
「ようこそ、フィリア王女。」
「……あ、貴方は……。」
「初めまして、僕はセイル=クロイツ、蒼き鷹のリーダーだ。っと、大丈夫かい? なんだかボーッとしちゃってるみたいだけど?」
「少しは空気を読んで、発言を選んだら如何ですか? そんなんだから合コンで残念なイケメンの称号を欲しいままにしてしまうのです。」
「ちょ、なんでそれを!? と言うかそれこそこんな場で言う事じゃなくない? リーダーが残念なイケメンなんて呼ばれてたら士気に関わるよ!?」
そんな最悪の場に、全くそぐわない声が響いた。おちゃらけた男の声、それを貶す女の声、そのどちらも今、命のやり取りをしている者とは思えない軽さを含んでいて、それがより一層リアの心を追い詰めていく。それはまるで、形勢は既に決まったと暗に告げられている様で。
「もしもーし? 僕の声、聞こえてる?」
「っ……セイル……クロイツ……蒼き鷹のリーダー……。」
「はい、そうですよ。ちゃんと聞こえていたみたいで安心したよ。ショックで呆然とするのは仕方ないと思うけど、現実逃避しても何も変わらないからね。」
そう言って、セイルは笑った。現実、そうだ、これは現実だ。イリスを倒して此処まで戻ってきたというのに、既に皆は蒼き鷹に敗れた後で……その身を囚われ、人質となってしまっている。こんな酷い光景が、現実なのだ。
「………申し訳御座いません、フィリア様……。」
「ネネ……良いのよ。御免なさい、私は間に合わなかったのですね……。」
「っ……フィ、リア……様……申し……訳……。」
「マルサ、ルークも……酷い傷……良く、頑張ってくれました……。」
その中でも一際酷くやられているのがマルサとルークだった。二人は、此処に残って皆を守ってくれていた筈だ。だがフィリアが周りを見渡せば、その敵の数は十や二十では足りない。三十人以上は確実にいるだろうか。仲間達を捉えている白い鎧の騎士だけではなく、魔道士用のローブを着込んだ者、機動部隊用の装束を纏った者、恐らく選抜した精鋭部隊なのだろうが、これ程の数をこの国に送り込めるとは思っていなかった。明らかに、多勢に無勢だ。恐らく、自分達に送り込まれた者達は時間稼ぎ程度のつもりで、こちらが本命だったのだろう。アレンもジナスも、ほぼ無傷で囚えられているところを見るに、人質を取られて渋々それに従ったと言うところか。何にせよ、これ以上ない程に絶望的だ。
「……っ………。」
囚えられた仲間を見て、それ以上何も言えなくなってしまったリアの後ろで、今まで口を挟まずに静観していたルーンは全く違う場所を見つめていた。そして、間を見計らってセイルに視線を移す。
「あのさ、ちょっと良いかな?」
「これはこれは、次元の魔女の……いや、司羽君の奥方のルーンさんではないですか。」
「うん、そうだよ。少しは私の事を調べてるみたいで関心だけど、態々星読祭の初日から司羽に案内させて、私から司羽を奪った件に関しては、今直ぐに謝罪して欲しい所なんだけど……。」
「ああ、その件は誠に申し訳御座いませんでした、奥様。この男がどうしても司羽さんにお会いしたいと駄々を捏ねるものですから……如何いたしましょう? 手と足を切り落としますか?」(パチンッ)
「待って!? それ謝罪じゃなくて拷問だから!! おい、そこのお前、何で剣を抜いてやがるんだ!! さてはお前、隠れメリッサ信者だな!?」
ルーンに話しかけられて恭しくお辞儀をしたセイルだったが、メリッサが指を鳴らした途端に近くに居た鎧の剣士に剣を向けられる。そんな二人の漫才の様なやり取りにルーンは冷たい視線を向けながら、再び視線を別の場所に向けた。
「……茶番は良いから、取り敢えず説明してくれる?」
「ふむ……何をだろう?」
「なんでミシュナが、そこでまったりお茶なんか飲んでるの? ユーリアさんも、なんでお茶の用意なんてしてるの?」
「……はぁっ、ルーンもどうかしら? こんな状況じゃ美味しく感じないけど。」
「わ、私は……その……ほら、何かしていないと落ち着かないので……。」
ルーンがそう言って、少し離れた場所で椅子に座りながらティーカップを傾けているミシュナに呆れたような視線を送ると、当のミシュナも溜息混じりにそれに応えた。向かいの席では、何故かナナも椅子に座ってユーリアから紅茶を注がれている。こんな状況でなければ中々に絵になる光景なのだが、今この場に置いては異質でしかない。一体何の冗談なのだろうか。そもそもユーリアは司羽と一緒に居たはずだ。司羽は何処に行ったのだ。
「流石の僕も、VIPのお連れ様を無下には出来ないからね。ミシュナさんとしても、ナナちゃんに手を出さなければ取り敢えずは大人しくしてくれると言う事だったから、こうしてもてなしているのさ。あ、ユーリアちゃんが働いてくれてるのは、メリッサじゃ紅茶なんか淹れられないからなんだけど……ぐふぅ……。」
「余計な事を言うな、私はまだ本気を出していないだけ。」
「ふうん……ミシュナ、司羽は?」
「さてね。……侍従さんも教えてくれないし。」
「うっ……わ、私としてはお二人には屋敷で待っていて欲しいのですが。」
「……まあ、良いけどね。侍従さんが此処にいるって事は、司羽もいずれ此処に来るでしょ。」
ミシュナはそう言って、諦めたようにカップを傾けた。今この場で起きている事に対して動じた様子もない。……一方、その向かいに座ったナナは、青い顔をしてそわそわと落ち着かない様子だった。
「あ、あの……ミシュナさん……なんで私だけ……。」
「ナナが大事だからよ。それに他の皆も解放しろだなんて、そんな要求通るとは思えないし。」
「うぅ……そう言って頂けるのは嬉しいですけど……こんなの……。」
「……ふーん、この子とミシュナは知り合いなんだ。あ、ユーリアさん私にも頂戴。……そこの人、私も司羽を待たせて貰うけど構わないよね?」
「うーん、帰ってくれって言っても無駄みたいだしねえ。仕方ないかな。ただし、こっちの邪魔はしないでくれよ?」
「貴方達が私の邪魔をしないならね。」
ルーンはそれだけ言うと、ミシュナの隣の席に腰掛けた。その会話はこの場には全くそぐわない、異常過ぎるものだったが、ミシュナもルーンも対して気にした様子もない。直ぐ目の前で今にも友人の仲間が殺されようとしているのに、完全にないものとして扱っていた。異常な状況に異常な光景が混じりあった混沌の空間がそこには出来上がっていた。
「……あのさ、フィリア王女? こんな事を聞くのは心苦しいんだけど、本当にルーンさん達とは友達だったのかい?」
「……何が言いたいのですか?」
「いや、最初にミシュナさんをもてなすって言い出した僕が言うのもなんだけどさ。本当にこんな状況で彼女達が寛ぎ出すとは思ってなかったものでね。最初は端っこの方で待っててもらうつもりだったんだけど……。」
「…………。」
セイルはそう言いながらすっかり寛いでしまっている一団に視線を向けた。豪胆だとか、無神経だとか、もはやそう言った言葉では片付けられない。ただ異常としか言い様がない。
「ま、人格面をどうこう言うつもりはないよ。それにしてもミシュナさんとルーンさんは流石に頭の回転が速いよね。何も聞かされていなかったのに、直ぐに現状を把握した訳だ。流石は司羽君が大事にするお嬢さん達だよ。」
「それは……何が言いたいのですか。」
「頭の良い君の事だ……もう、気付いてるんだろう? そもそも何故、僕達が此処に居るのか。君達の集合場所、スケジュールを正確に把握出来たのは何故か。」
リアに向かって、セイルが冷たく言い放つ。先程のおちゃらけた雰囲気は、一瞬にして消え去っていた。これが、セイル=クロイツと言う人間なのだろう。こちらの痛い所を容赦なく突きえぐって来る。……そうだ、ずっとおかしいとは思っていた。こんなタイミングで正確にこちらの位置を把握した攻撃をしてくるなんて不可解過ぎる。そして何より……ユーリアが此処にいると言う事実。
「私は……私達は……司羽さん達に裏切られたのですね……。」
「…………。」
それが、今回の攻撃の真相。そもそもこのプランは司羽から与えられた情報を元に作り出した物だった。であるならば、自分達以外にこの情報を持っているのは二人しかいない。この情報をくれた、司羽本人とユーリアだけしか……ならば結論は一つしかない。
「……ユーリアさん……信じていたのに。」
「っ……。」
「おいおい、もう止めてあげたらどうだい? 彼女はもうそこで寝ている君の仲間に散々酷く言われたのだからね。」
「煩い、卑怯者……二人を脅しましたね。さしずめ、ルーン達の事を引き合いに出したのでしょう。司羽さんの弱点ですからね。」
リアの言葉にユーリアは少し顔を歪めたが、それだけで直ぐにいつも通りのすまし顔に戻っていた。リアが囚えられた仲間の方へと視線を向けると、皆が皆苦々しい表情で俯いて居た。皆も信じていたはずだ。自分達に真摯に協力してくれた、彼女の事を。
「脅しただなんて人聞きの悪い。そもそも、彼女は君達の仲間でも何でもない。元はと言えばこちら側の人間だしね。それに今は司羽君の侍従だ。彼が大切にしている人を最優先しても良いだろう? そしてそれは、司羽君、ユーリアちゃんと家族同然の彼女達にとっても同じと言う事だ。こんなにあっさり受け入れちゃうとは思わなかったけどね。」
「…………。」
そうだ、その通りだ。勝手に信じて、勝手に裏切られただけ。本当にそれだけの事で、ここまで絶望的な状況に追い込まれた。恨み言の一つくらい好きに言わせて欲しかった。
「……それで?」
「ん?」
「私達にはもう、どうする事も出来ない、仲間も居ないと言いたいのでしょう? それで、私に何を望むと言うのですか? 殺すなら、早く殺せばいい。」
「フィリア様いけません……ぐっ!!」
全てを諦めたかの様なリアの発言を諌めるようにジナスが叫ぶが、首に当てられた剣をグッと押し付けられ言葉を封じられた。アレンやネネもなんとか拘束を解いて反撃する隙を探るが、白騎士達は一部の隙も見せない。
「フィリア王女、私達は何も殺そうと思って彼等を拘束している訳ではないんだよ? それは君に対しても同じことだ。」
「何を言って……。」
「そもそも僕達は最初から君の協力が得られるのが一番良いんだよ。革命に犠牲は付き物だとか言うが、そんなものないに越した事はないのだから。ほら、そもそも殺す気だったら彼等を拘束する必要ないわけだしさ。」
セイルがそう言ってフィリアに近付く、最初に見せた人の良い笑顔と共に。フィリアにはそれが、これから自分から全てを搾り取ろうとする詐欺師の表情にしか見えなかった。
「………誰が、貴方達なんかに……。」
「せめて話だけでも聞こうって気にならない?」
「クドいっ、貴方と話す舌など持ちません!! さっさと私を殺して、皆を解放しなさい!!」
リアは差し伸べられたセイルの手を汚らわしい物の様に払うと、そのままセイルの笑顔を睨みつけた。こんな男の家畜の様に生きるくらいならば、いっそ死んだほうがマシだと心に決めていた。それに自分が死ねば皆はもう用済みの筈だ。ルーン達次第ではナナの様に、見逃してもらう方向に話が進むかも知れない。……そんな、甘い事を考えていた。
「……はぁっ、メリッサ。」
「分かりました。……やれ。」
「了解。」
「………っ、なっ!?」
セイルから命じられたメリッサが、白騎士の一人に指示を出した。それはたった一言だけのゴーサイン。それだけで理解出来るのは、指示を出したセイルとメリッサ、そして指示を受けた白騎士だけだった。
「メール!!」
「………え?」
一瞬遅れて、リアも全てを理解した。何故、人質が必要なのか。自分にとって最も効果的な説得方法はなんなのか。そんな一番理解したくない事を理解してしまった。指示を受けた白騎士に囚えられていたメールの首筋から、冷たい剣の感触が離れる。理解の追いついていないメールへと、リアが悲鳴の様な声をあげた。
「いやあああああああああああっ!!!」
「メールっ!!」
「きゃああああああっ!!!」
怒号のような声と悲鳴が響き渡った。リアの頭が真っ白になる。そう、いつだって自分は甘い。自分の我儘が通るような段階は当の昔に過ぎ去っているのだ。
そして、止める時間もない程に躊躇いなく、その剣は振り下ろされた。