第85話:蒼き鷹の見る夢 -狂愛たる魔導の姫君-
今回はちょっと量が多目です。
「……あっ……ああっ………。」
「……ふんっ。どうやら、自分の他には誰も知らないと思っていたみたいね。隠そうとしても無駄よ? 私は、全部見ていたの。だからこそ、貴女と逃げるなんてまっぴら御免だった。後になって思えば、復讐の為にはその方が都合が良かったのかも知れないけどね。」
絶叫が響き渡った後、そこには青い顔で震え、涙を流すただの少女がヘタリこんでいた。耳を塞ぐように頭を抱え、嗚咽の様な震える声を上げながら……。それを、二人の少女はそれぞれに見ていた。その内の一人、イリスは冷ややかに。もう一方のルーンは、信じられないと言う様な驚愕と共に。
「……リア……。」
「貴女も、可哀想にね。随分と長い間騙されていたんだから。」
「……今の話、本当なの、リア?」
「……御免、なさい……御免なさいっ……ルー……ン……。」
「……本当、なんだ……。」
ルーンの問いに答えたリアの声は、否定ではなく、イリスの言葉を肯定しているものだった。今の話が全て真実であると……つまり、ルーンの両親に毒を盛ったと言う事実を、認めたのだ。イリスの視線が更に温度を下げてリアへと向けられる。侮蔑と敵意と、そして嘲るような感情を含めていた。謝って済むものではない、この女は自分とルーン、二人の人生を破壊したのだ。紛れもない、人殺しだ。
「あはっ、あははははっ!! ほんっっっとうに最高に最低よね。友達? 親友? ルーンちゃんの両親を殺して、幸せを奪って、自分だけ家族ごっこなんてやってるアンタが? 笑っちゃうわよねっ!!」
「止めっ、てっ……。」
「止めて? 何言ってるの? どうせ大して心を痛めても居ないくせに。私達を裏切り、私の両親を殺して、最後にはルーンちゃんの御両親も殺して……それでのうのうと今まで生きてきた奴が……今更苦しんでいるフリをしても遅いのよ。私達の人生を、壊したくせに。」
その言葉から逃げるようにリアが頭を振っても、イリスの言葉は的確にリアの一番痛い所を突いてくる。反論出来ない、何を否定しても、何を伝えても、結局は自分勝手な解釈で救われようとしているだけなのだと、リアは自覚していた。それでも、何かを言葉にしようとして、口を開く。
「そんな、ことっ……。」
「そんな事ないって、どの口で言うのよ。少なくともまともな人間なら、ルーンちゃんの親友だなんて名乗れないわ。貴女は、自分の中で勝手に折り合いを付けたのよ。自分で犯した罪は、ルーンちゃんの親友として仲良くする事で無くなるって一人で思い込んで……どれだけ親切にしたらどれだけ許されるなんて、貴女の勝手な基準でね。」
「…うっ……ぁ……。」
駄目だ、とリアは心の中で呟いだ。何を言っていいのか分からない、自分のしたことを擁護すればいいのか、ただ謝ればいいのか、何か償いの方法を提示して貰えばいいのか。そんな事は、この何年もの年月の中で何度も考えてきた事だ。何度も考えて、何一つ答えの出なかった事だ。償いの理由が、結局はただ自分が許されたいからだと、そう言われても否定が出来ない。この胸の内にある黒い記憶が許されるのであれば、リアはきっとそれに飛びついてしまう。それくらい、あの記憶はリアの心を蝕んでいた。
「……さて、ルーンちゃん?」
「……何?」
「貴女が殺したいなら、譲ってあげる。」
「……っ!?」
それはイリスからルーンへの提案であると同時に、リアを決して許さないという意思表示だった。いや、それは今更だ。ここで相対した時には既に、彼女の敵意、殺気、狂気、その全てがリアへと向けられていた。直接的に手を下した訳ではない、でも、確実にリアによってイリスの両親が死んだのだ。そして、それはルーンも同じだ。
「………殺す……かあ。仇討ちってこと?」
「ええ、貴女の気持ちは良くわかるわ。だって私も同じ道を通ったんだもの。だから、特別に譲ってあげる。私はこいつの擬似家族とやらで憂さを晴らすわ。」
「み、皆は……関係ありませんっ……!! ……でも、私を裁いて……ルーンの気持ちが少しでも軽くなるなら……私はっ……。」
「はっ、何を今更。それとも、反省したフリをしているのかしら? 今までその子を騙してた癖に、同情でも引き出すつもり? 演技が上手な様だけど……流石は、何年も猫被ってただけの事はあるわね、プリンセス?」
「…………。」
そう言われても仕方がない事だ。現に今日までだって、打ち明けるチャンスはあった。足りなかったのは、勇気だ。だから、今日になるまで話せなかった。それに関しては、何一つ言い訳など出来ない。そもそも、初めて会った時に言うべきだったのだから。その時に裁かれるべきだったのに、結局今日まで来てしまったのは……。
「ねえ、リア。なんで……なんで、黙ってたのかな?」
「………それは……私が……。」
答えなど、最初から出ている。自分がしたことを彼女に教えて、どんな反応を取られるのか簡単に想像出来てしまうから。それは、初めて会った時にも感じた恐怖。足が竦んで、勇気を奪い去り、自分の中に甘えを芽生えさせた……結局は、たった一つの答え。
「……怖……かったから……です。」
「怖かった……? それは、初めて会った時?」
「……初めて会った時の貴女は、両親が死んだショックからか誰も寄せ付けてませんでした……。だから、一目見て……許されないと思った。そんな風に思って、私は、怖気付いてしまいました……。」
「……そっか……多分、それは当たってるね。昔の私は、少なくとも両親以外に興味なんてなかったから。魔法だってそう、お父さんとお母さんが褒めるから熱中してただけ。」
リアの言葉を肯定するルーンの表情は複雑で、その言葉には自嘲する様な響きを含んでいた。事実、許さなかっただろう。憎んで、憎んで、その結果リアを殺してしまったかも知れない。それくらいに、ルーンにとって家族は全てだった。幼い頃のリアにも、その感情は伝わったのだろう。
「私は……罪から逃げてしまった……何度も何度も一歩踏み出そうとして、直前で足が竦んでしまいました……。貴女の眼が怖かった……、罪が許されないことが怖かった……。結局、私は贖罪よりも保身を選んでしまいました。」
言わなくてはと思うのに、体の自由が奪われるように一歩が踏み出せない。そんな感覚をリアはずっと味わった。ルーンに会ってから、声も掛けられずに、ずっと……。
「……リア、覚えてる? 貴女が最初に私と話した時の事。」
「……はい、貴女が研究室に篭って丸二日何も食べないから。おにぎりを作って持って行きました。気付かれない様に、そっと。」
「いきなり全身をローブで覆った変質者が、睡眠薬でも盛って来たのかと思ったよ。研究室に忍び込んでおにぎり置いて逃げようとするんだもん。」
その頃のルーンは、既に各方面から認められ始めていた。まだ十にも届かない幼い少女が、たった一人で次元魔法の論理と方式を独自に改造し、自分の物としていたからだ。その潜在的な美しさとオーラがそこに加わり、一種のアイドル的な扱いを受けていた。その為、特例として研究室を一つ与えられる程に。
「……リア、言ったよね。『体は大事にしないと御両親が悲しみます』ってさ。大きなお世話だと思ったよ。私、栄養素はちゃんと取ってたし。」
「はい……結局、受け取ってもらえませんでした。」
「当然だよ。だって両親が居ないからって、やたらと心配そうなフリをする人や、私を変な目で見る人も居たし。取り敢えず、そういうのは全員追い返すか、しつこい人は二度と私に近付かないように制裁してたから。魔法の研究の邪魔だったし。……警備系の魔法の研究に取り掛かる良いきっかけにはなったけど。」
「そうですね。敵ばかり作って、でも全て実力で打ち倒して。」
「いつしか私に媚びるようなのばっかりになってたけどね。その間も、私の事をストーキングしてたよね、リアは。」
リアはその間も、何かある毎に心配そうに様子を見に来ては、ルーンに見付かると逃げるという事ばかり繰り返していた。確かに、ストーキングと言えばピッタリかも知れない。そして、ある日。
「私もいい加減にうっとおしく思ってさ。研究室を覗き込むリアに、後ろから声をかけたんだよね。もう夜になってたし、私が帰ったかどうか見に来たんだっけ?」
「……はい、すいません。」
「それが、初めてリアの声を聞いた時だったかな。」
「……びっくりしてしまいまして……。」
いきなり後ろから声を掛けられ、『ひゃぁっ!?』と思わず声を上げてしまったのだ。周りに誰も居ない事は確認していたのに、待ち伏せされていたとは思いもしなかったのだろう。
「まさか、女の子だったとはね。私も制裁しとうとしてた相手が女の子だとは思わなかったし……まあ今思うと、別に女の子だろうと止める理由はなかったんだけど。」
「は、はい。」
「その挙句に、『女の子がこんな時間まで残っているなんて危険です』って、何言ってるのか分かんなかったよ。」
「ご尤もです……。」
何だか今になって昔を振り返ってみると、随分と支離滅裂な事を色々言っていた気もする。贖罪のタイミングを見計らって居たのだが、咄嗟に声をかけられると、何か適当な事を言って誤魔化してしまっていた。我ながら情けないと思う。そんな状態を作り出してしまった事を謝ろうとしても、いつまでも一歩が踏み出せない。
「それからリアを尋問したんだっけ。良く、覚えてるよ。私があの頃まともに誰かと話したのって、リアくらいだから。」
「………私も、覚えています。」
それは、二人が親友に……いや、その頃はまだ友人にも満たない繋がりを持つに至った、小さな記憶。二人だけの、ある意味では今のルーンを作り始める、始まりの記憶だった。
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「ウザイ。もう構わないで。」
『すいません。』
「……いつもそれだね。もう、いい加減に邪魔なんだけど。」
『ごめんなさい。』
「……はあっ、もう、なんなのよ。」
幼いルーンは、苛立ちを隠しもせずに言った。研究室に連れ込み、無理矢理座らせ、尋問する態勢に入っていた。女の子にいきなり魔法で攻撃するのは少しだけ抵抗があったのもある。だが、余りにもしつこい為に、理由を聞いておかないといつまた此処に来るか分からない。そんな打算があった。
「貴女、何の目的で此処に来てるの? 私が好きなら御免なさい、もう来ないで。私が心配なら大きなお世話、もう来ないで。私の研究が目当てなら邪魔になるから、もう来ないで。友達になりたいとかなら必要ない、もう来ないで。」
『違います。』
「違う? じゃあ何?」
ルーンの問いに対して、リアは暫く固まった。何を書こうか迷っているようにも、何かを躊躇うようにも見えた。……そして、リアは何も書かずに、既に用意してあったスケッチブックのページを開いた。
『貴女に、謝りたくて。』
「……何を?」
「……………。」
その言葉に応える言葉はなく、そこで時間が止まったように沈黙が訪れた。リアの肩がビクリと震え、ルーンがそれを訝しげな視線で眺め続ける。スケッチブックのページが捲られて、リアはそのページをじっと見つめているようだった。そして。
グシャッ
「………?」
リアはそのページを、震える手で握りつぶした。用意された言葉を、その言葉を用意する際にも何度も何度も考えて、その結果出した言葉をなかった事にした。リア自身にも、自分が何故そうしたのかは分からなかった。勇気がなかったから、怖かったから、今にして思えばそんな感情がそうさせたのかも知れない。でもそれと同時に、そんな方法で伝えることに対する嫌悪感があった。無機質な言葉では、きっと、何も伝えられないと、自己弁護にも似た感傷を抱いた。果たして、その時のリアの本心は、リア自身にも分からなかった。
「………ルーン、さん。」
「……何? 筆談は止めるの?」
「はい。今だけは。」
はっきりとした言葉で家族以外の人と話すのは、城から逃げ出してから初めての事だった。それでも、今は少しでも気持ちを伝えられる方法を取りたかったから。
「……私……わた、し……貴女……の……。」
罪を、償わなければ。そう思うのに声が段々と失われていく。自分が行ったこと、彼女から奪ったもの、それら全てをもう一度自覚する事への拒否反応が体中から発生する。体が震える、吐き気がする、あの時の彼女の両親の顔が何度も何度も何度も何度も……。
「あっ…うあ……ああああああああっ!!!」
「えっ、ど、どうしたの?」
「いやっ、イヤっ、嫌あああああああああっ!!!!!」
あの時の情景がフラッシュバックする。初めて驚いたような感情を見せたルーンの顔が、記憶の中の彼女の母親へとリンクして、混沌とした気持ち悪さが胸の奥から溢れ出してくる。とても良く似ていた、自分があの日『殺した』存在と同じ……その事実を無理矢理に自覚させられて、そして……。
「ごめ……んなさい………ルー、ン……。」
ドサッ
「ちょ、ちょっと……え、何!?」
リアは最後に一言だけ、目の前の少女へと謝罪の言葉を絞り出した。そして、そのまま意識を手放して、ゆっくりと、床に倒れてしまった。精一杯の言葉で、たったそれだけしか伝えられない事を情けなく思いながら……。
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「う……ん。」
「……やっと起きた。本当、貴女一体何なのよ。いきなり叫びだしたと思ったら気絶して……。」
「ネネ……何を…………えっ!?」
「……寝ぼけちゃって……もうこんな時間、早く帰ってシャワー浴びたい。」
「あ、ご、ご、御免なさい!!」
それからどれだけ気絶して居たのだろうか、リアが目を覚ました時には既にこの部屋以外の電気は全て消えてしまっている様だった。ルーンに呆れ顔で指摘され、直ぐに自分が何をしていたのか、何をしたのかを思い出す。そうだ、ルーンにあの事を伝えようとして、パニックになってしまって……。
「あ、あのっ!!」
「ああ、もういいよ。私も今日は帰るから。なんだか知らないけど、またパニックに成られても困るし。」
「うっ……は、はい……。」
……失敗した、大失敗してしまった。まさか自分の心が此処まで弱いだなんて思わなかった。リアはそんな事を思いながら拳を握り締めた。今日は、これまでにない機会だったと言うのに。
「それじゃあ、私は帰るから早く部屋を出てもらえる?」
「……はい、分かりました。」
ルーンに促されてリアは立ち上がる。こんな時間まで付き合わせてしまって、自分は本当に何をしているのだろうか。言いたい事を何一つ言えずに、その上彼女に更に迷惑を掛けて。
カチャ
「よし、それじゃあね。」
研究室に鍵を掛け、ルーンはリアの事など意に介した様子もなくスタスタと歩いて行ってしまう。……きっと、このままではいけない。何一つ先へ進めない。リアの中に、そんな漠然とした不安が沸き上がる。だから、今はこれだけは伝えよう。
「あ、あの……これ!!」
「………?」
ルーンに向かって、リアが持ってきていたポーチの中から、一つの包みを取り出してルーンへと突き付けた。可愛らしいピンクの包みだった。ルーンはそれを、何か危険物を見るような視線で睨む。
「……あのさ、私人からもらった物とかは食べな……。」
「魔、魔材です!! その、今研究用に使ってるの見たから……それで……。」
「魔材……? なんで態々そんな事……。」
「……私、出来る事はお手伝いします。だから、その空いた時間で、御飯をちゃんと食べて、ちゃんと休んで下さい……。こんな生活……駄目です、体を壊しちゃいます。」
ルーンには食事を持ってきても意味はなかった。だから代わりに、ルーンに時間の余裕を少しでも作って上げたいとリアは考えたのだった。
「……貴女は、頼らなすぎます。」
ルーンは魔材や研究材料全般を全て自分で見繕ってくる。それは、学園側から必要以上の援助を受けたくないと思っての事だった様だが、それがルーンの時間の大半を奪っている事をリアは知っていた。それも当然だ、実験にはかなり多種多様な材料がその都度必要になる。それを注文ではなく自分で採取してまかなっていたのだから。
「……私は別に、誰かに頼らなくても……。」
「はい、でもこれは私の自己満足です。だから、良ければ使ってください。必要なものがあれば、私に言ってください。それだけしてもらえれば、もう他に何も言いません、必要以上に付き纏いません。」
「…………。」
「それでは……。」
そう言って、リアは身を翻した。ピンクの包みは床に置いて行く。……これでいい、今はまだ勇気が持てないけれど、自己満足の償いでしかないのかも知れないけれど、少しでもあの二人が喜んでくれる事をしよう。少しでも、ルーンの役に立つ事をしよう。自分の心を守る為の偽善でも、今はそれしか出来ないから。
「……待って。」
「……はい、何ですか?」
ルーンから、去りゆくリアに声が掛かる。振り向くと、ルーンはリアが置いていった包みを持っていた。
「名前は?」
「……リア、です。少し前に、転入して来ました。」
「そうなんだ、それじゃあね。」
僅かな、確認程度の会話。でも、その会話は先程のものとは少し違った。そしてそれだけ確認すると、ルーンもまた、反対側へと廊下を歩いていく。
「………いつか、必ず……。」
本当の事を全て話さなくてはならないと思う。自分の罪は消えるわけではないのだから。今は、こんな事しか出来ないけれど……それでも。
それが、二人が初めて繋がりを持った瞬間だった。
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「……あの後からリアに研究を手伝ってもらうようになってさ。毎回毎回うるさいから、私も仕方なく買って食べるようにしたんだけど……本当、楽になったんだか、面倒が増えたんだか。それで結局リアがお弁当を作るようになっていったんだよね。」
「既製品ばかりでは栄養も偏ると思いまして……つい。」
「……今更だけど、もう少し早くそうしてれば胸ももうちょっとあったのかな。最近は司羽のおかげで大きくなって来たけど。」
思えば、ルーンが自分の作ってきたものを食べてくれる様になってからだろうか。償いではなく、友達を、ただ心配する様になっていった。深く、干渉する様になっていった。ルーンへ向けられる悪意が、憎らしく思える様になっていった。ルーンの成功が、自分の事の様に嬉しくなっていった。
「リア。そして貴女は、私に最大のプレゼントを贈ってくれた。」
「……え?」
プレゼント、と言われてもリアには記憶がない。魔材、研究材料は違うだろう。お弁当も違う筈だ。では、何だろう。自分はルーンに何かあげただろうか。
「リアは……私に、血の繋がりのない家族を教えてくれた。」
「っ!?」
「……覚えてるよね、私達がした一番大きい喧嘩。私が、偽物だって言った血の繋がらない家族関係。リアは、それに珍しく怒った。私も引かなかったけど、リアも引かなかった。何度も何度も、血の繋がりがなくても、大切に想い合えるんだ、家族になれるんだって私を諭したよね。」
あれは、もうリアと出会って二年程経過していた頃だったと思う。ルーンと一緒の日常にも慣れて、ふとした時に、家での暮らしについてルーンに話してしまった。自分の持つ、血の繋がらない沢山の家族について。
「私にはそれが、傷の舐め合いにしか思えなかった。結局自分を慰めるための体のいい身代わりなんだって。だから、いつも通りにリアに吐き出した。私には偽物にしか見えないって。」
「はい。あの時は、私の失言でした。でも、聞き逃せなかった。」
リアにとって、何者にも代え難い大切な人達だったから。自分と苦楽を共にして、共に生きようと志した家族だったから。いくらルーンでもその暴言だけは絶対に認められなかったのだ。
「私、あれからずっと考えてた。リアが私に謝って来てからも、ずっと、ずっと考えてた。家族ってなんなんだろうって。『本当』って、何なんだろうって……ずっと。」
あんなに必死になるリアは初めてだった。いつも筆談をしていた彼女が、自分の声で叫ぶようにルーンに食って掛かったのだ。あれが今日を除けば、ルーンが最後に聞いたリアの声だった。自分の家族を愛する、必死で素敵な声だった。
「だから、私も欲しくなった。感じてみたくなったの。『本当』の家族の温もりを。」
「そう……だったんですね。」
元々、そうなのかも知れないと、リアは心の中では思っていた。ルーンの研究がいきなり召喚に特化して、その熱の入れ方が今までとはまるで変わってしまったから。本当に、魔法の為に全ての時間を費やしていた。でも、それまでとは違って、その瞳には確かな輝きがあった。
「リア……私ね? リアには本当に感謝してる。貴女が居なかったら、私は目標も何もないまま魔法を研究しているだけだった。勝手に偽物って枠で捉えて、本当に大切な事に気が付かないままだった。」
「ルーン……そんな、私は……。」
「もう……いい……。」
そんな二人に割って入るように、低い、低い声が響いた。俯き、拳を握り締め、暗い瞳を二人に向けたまま。
「イリス……。」
「感謝だと? ふざけるな……こいつは、私達の両親を殺したんだぞ……人殺しだと言うのに……何故感謝などと言う感情が出てくるんだ。」
「それは貴女の意見でしょう? 私と貴女は違うから。」
「……ふふっ……そう、なら、仕方がないですね。」
そう言って、イリスは懐から何かを取り出す。白い球体……一見するとガラス玉の様にも見える代物だった。しかし、それを見てリアの表情は驚愕と蒼白へと変わる。
「理想郷……い、イリス……それを何処で……!!」
「ふふっ、あははっ、やっぱり知っていましたか。当然、城から逃げる時に持ってきたんです。あの時は城も攻められていて封印も解けてしまっていましたからねえ。」
「……理想郷?」
その球体を見て、ルーンは魔道具か何かかと思考を巡らせたが……何かが違う。何か、普通とは違う違和感を覚えるような強い力を感じる。そしてそれは、次のイリスの言葉で確信に変わった。
「『神堕としの理想郷』……神や魔神、そしてアウターと言われる人外共を殺す事の出来る神器。ああ、勿論普通の人間にも効果はありますよ? 昔は良くお世話になりましたから。」
「神器……あれが……。」
ルーンも、話には聞いたことがあった。出自の分からない魔導器の中でもとりわけ強い力を持っているものがあり、その一部は神器と呼ばれて各国で機密に保持されている事を。そして、時にそれは歴史の中で数多くの戦果を残してきた。人外、そして神をも殺す力として。
「イリス……それがどういうものか分かっているのですか?」
「……ええ、分かっていますよ? 神ですら、その甘い快楽に身を委ね、幸福のままに魂を楽園に食われる。だから、『神堕としの理想郷』なんです。素敵な神器だと思いませんか? 苦しまずに、いつの間にか死ねるんですから。」
「……それを使えば、貴女も命を食われますよ?」
「…………ふふっ。」
リアの言葉を、イリスは鼻で笑った。今更何を言っているのかと、馬鹿にするように。そんな事は、今更問題にはならないのだと言うように。
「言ったでしょう? 私はもう何度も使っているんです。今更一人二人食った代償なんて大した事はありません。……貴女を殺せるのなら。」
「そんな……っ、ルーン、早く逃げっ……!!」
「もう遅い、油断したわね!!」
「えっ……?」
リアが叫んだ瞬間、その白い球体がとてつもない光を放った。そしてそれは、ルーンを一瞬で包み込み、その姿を完全にかき消してしまう。まるで、ルーンの存在そのものを溶かすかの様に。逃げることなど、考える暇もなかった。
「る、ルーン!!」
「あははっ、あははははっ!!!」
眩い光の中で、目を開けることも出来ず、ただ、イリスの笑い声だけが光の中に響き渡り、溶けていく。……そして、その何分にも感じる長い数秒の後、光がその白い球体へと吸い込まれるように引いていった。その後には、何も残ってはいない。
「……そんな……ルーン……。」
「……ふふっ、あの子も幸せね。神すら堕とす快楽の中で、苦しまずに食われたのだから。きっと最後には、今までに感じた事のない幸福感の中で死ねたでしょう。」
「あ、ああ……わた、し…ルーンを……巻き込んで……。」
「……さて、と。」
放心するリアの方へと、イリスはクスクスと笑いながら近づいて行く。もう、邪魔者はいない。人払いは完璧な状態で発動している。後は、リアに先程の続きを味あわせてあげるだけ。
「貴女には理想郷は使わないわ。たっぷり苦しんで……死になさい。」
「………ぁ…。」
リアの前で腕のリングに魔力を込める。先程の電撃は中々に良かった。続きは、そこからにするとしよう。イリスはそう考えて、リアの元へ落雷を落とそうとした。
『が……ギ……ギ……』
「え?」
その時、低い、唸るような声が聞こえた気がした。いや、本当に声であったのかは分からない。だが低く、不快感を起こさせる音だったのは間違いない。その声に魔法を撃つ手を止めて、辺りを見回す。しかし、その声の主はいない。居るはずがない。
「な、何、今の……。」
『ギギ……ァ……ガアアアアギイイイイイアアアアアアアアッ!!!!』
「ひぃっ!?」
そして続け様に、今度は悲鳴のように巨大な声が響き渡る。そして、イリスにもその出処が分かった。自分の右手、先程使用した神器から、まるで叫ぶように聞こえてくる。
「な、なんなのよこれっ!!」
『ギイイいあああがアガがあアあギああああっ!!!!』
ガシャアアアアン!!
イリスの持っていた、『理想郷』が突如音を立てて砕け散った。そして中からは、その中に詰まっていたとは思えない量の赤黒い液体が辺りへと飛び散っていく。
「い、いやああああああああああっ!!!!」
イリスの手の上で飛び散るその液体が、イリスの腕や体を汚す。その液体に酷い嫌悪感を感じ、イリスはその砕けた神器の残りを捨て、必死にそれから逃れようとした。捨てられた神器は、地面に触れると同時に更に細かく砕け散る。その様子を、地面にへたりこんだイリスは茫然と眺めていた。
「あ……な、なんなのよ……。」
「ふふふっ、くっだらない……あはははははっ!!!」
「え……?」
「……は?」
呆然とするイリスの耳に、聞き覚えのある声が響いてくる。そしてそれは、放心状態だったリアの耳にも届き、二人の視線を集めた。
「ふふっ、理想郷か。確かに、効く人には効くのかもね、こういうの。特に、考えるのを止めて何かに答えを求めた馬鹿な化け物には……ふふっ。」
「あ……ルーンっ!!」
「ああ、リア。ごめんね、リアの国の物だったんだっけ? なんか私の心を取り込もうとしてたから、ムカついて壊しちゃった。ほら、司羽以外に触られたくないし……私って潔癖症だからさ、別にいいよね?」
「こ、壊した……? 神器を……そんな馬鹿な……。」
イリスの口から、カラ笑いが漏れる。いきなり神器が壊れたと思ったら、いつの間にかルーンが先程いた場所に立っていた。有り得ない、そんな事が起こり得るはずがない。神器を壊すことなど不可能だ。見た目通りのガラス玉とは訳が違う。壊れるとか壊すとか、そういう事が可能な概念のものではないから神器なのだ。それが出来るなら各国で封印などしていない。
「良かった……良かった、ルーン……。」
「えっと……ごめんね? 心配掛けちゃったかな。ちょっと司羽を殺せる神器って言うのを見ておきたくて、観光してたんだけど……。」
「うっ……ぐすっ……本当に……もうやめてください……。」
「……うん、ゴメンね? 司羽にも怒られそうだし、もうやめとく。」
ルーンの胸に縋り付いて泣くリアを、ルーンはあやす様に宥めた。確かに、傍目から見ていれば不安だっただろう。それに、観光に夢中になっている間にリアが殺されてしまう可能性を考えていなかったのは失敗だ。危うく、親友の命をなんの意味もなく捨てさせるところだった。
「ふふっ、さてと……どうやら、さっきので懲りてなかったみたいだね?」
「……貴女、本当にそこの人殺しを許すつもりなの……? 自分の命の為に、貴女の『本当』の家族を殺したのよ?」
「……くすっ、分からないかなあ……許すとか許さないとか……もう、私にはどうでもいいんだよ。そんな事より、私は今、嬉しくって堪らないの。……ねえ、リア。」
「………どういう事、ルーン……?」
許してもらえるのか、それとも償いの方法を教えてもらえるのか、リアはそんな風に考えていた。何にせよ、自分は罰を受けるべきだ。ルーンに感謝される事はあってもそれは変わらない。……だと言うのに、リアは何か話が噛み合わないような、そんな違和感を感じていた。
「どうでもいい……? 先程まで、あんなに両親の事に拘っていた貴女が……? ……虚勢よ。」
「どうでもいいって言ったのは、私がリアを許すかどうかなんて事だよ。私が両親の事をずっと気にしてたのは本当だよ。死体も送られてこないし、一体何処でどう死んだのかも分からない、だからずっと、確かめたかったの。確証が欲しかった。だって……。」
「今更生きて出てこられたら、司羽に疎外感を感じさせるかもしれないじゃない?」
「……え?」
ルーンがそう言った途端、空に掲げられたルーンの右腕のリングに、膨大な魔力が集まりだした。疎外感……? なんだ、何故そうなる? それはそこで話を聞いていたリアとイリスの双方が同時に思った事だった。
「る、ルーン、何を言っているの?」
「えー、分かんないかなあ? 司羽ってね、すっごく私に優しいから、最近になって私の両親の事とかも調べてたみたいなんだ。」
広げられた右手の上、魔導器であるリングによって集められた魔力が、急速に肥大化していく。それは巨大な球状の魔力の塊として、ルーンの意思の下、その密度と大きさを増していく。圧倒的な速度、精度で魔力が掻き集められていく。話すついでのように作られたその巨大な兵器に、イリスは戦慄した。
「く、くそっ!!」
急いで魔力を練り、高速の一撃をルーンへと放つ。今は無防備の筈、当たればただでは済まない。
「だから、私も正直気になってたんだよね。本当に私の両親が死んでるのか。……だってほら、困るでしょう? 司羽が折角私を独占してるのに、そんな人達が出てきちゃったら。いい迷惑だよ。」
「…………。」
イリスが放った魔法の槍は、ルーンに届く手前で急速に方向を変えられる。そして、そのままルーンが作る魔力の球体の中へと取り込まれていった。その光景を見て、イリスは信じられないものを見たように呆然としてしまった。
「こっ、コントロールを奪われた……!?」
「司羽って、繊細だからさ。私が司羽しか見てないんだって、絶対に離れないんだって、私の全てで教えてあげないといけないの。なのに……もし私の『血の繋がった家族』なんて人達に出てこられたら……。」
しかしそんな事は大した事ではないと言うように、ルーンは全く意に介した様子もない。そして、ルーンの感情に合わせるように、その魔力の球は形を変える。小さく小さく圧縮されて、まるでブラックホールの様に辺りから無尽蔵に魔力を収束し始める。そしてそれは、暴風と言う形で物理現象に現れた。ルーンの右手のリングがこれ以上無い程に輝き、限界を超えた速度でルーンの意思に応えていく。その暴風もまた、徐々に勢いを増してリアとイリスに襲いかかっていく。
「……なっ!? ま、魔法!?」
「くっ……な、なんだ、たかが魔力の移動で、なんでこんな風が!?」
「………司羽が、私の司羽が……そんな下らない人に遠慮なんてして、寂しい思いを一瞬だってしちゃうかも知れないじゃない!! そんなの、絶対に許せない!! ……だから、リア。」
ルーンはその暴風の中、立っていられずに座り込むリアに視線を移した。リアもまた、ルーンの方を見る。いつも通りの柔らかな笑顔。リアが知っている、ルーンの一番優しい顔。その顔で、ルーンは、リアに向かって言った。
「殺してくれてありがとう。」
「え……?」
ルーンがその一言を放った瞬間、轟音が、全ての音を飲み込んだ。
グゴオオオオオオオオオオオッ!!!!!
「きゃああああああっ!!!!!」
「ひっ、いやあああああああああああっ!!!!!」
「ふふふっ、あははははははははっ!!!!!」
まるでその悲鳴すらも取り込むかの様に、魔力が起こす暴風は勢いを増した。ルーンの歓喜に応えるように、際限なく、何処までも強くなる。そんな、あまりの轟音によって無音と化している筈の場所で、リアは、何かがひび割れる様な音を聞いた気がした。そして、目の前に、何かが落ちてくる。
コツンッ
「……なっ、こ、これってルーンの!?」
そこで見たのは、ルーンがいつも右手に付けていた魔導器のリング。両親からプレゼントされた物だといって、肌身離さず付けていたはずの、両親の形見だった。それが、目の前で二つに割れて転がっている。その事実に、リアは目の前が真っ白になった。……これが無ければ、いくらルーンでも魔法を制御出来ない。間違いなく暴走する。……こんな魔法、暴走したら一体どれほどの範囲に被害が出るのか想像もつかない。
「こんなの……止められない……どうすれば……。」
もう、おしまいだ。この魔法暴走の爆心地に居たら、まず助からない。自分自身も、ルーンも、イリスも。そんなこと、子供だって分かることだ。なのに……。
『私、ずっと傍にいるから』
「くっ……あああああああああああっ!!!!」
ルーンの言葉に、魔法が応えるように勢いを増し、形状を変える。天へと伸びる魔力の竜巻。それはもう、暴風による竜巻なのか、魔力が作り出す渦なのか、そのどちらでもあるのか。リアには全く判別のつかないものだった。身を切るような魔力と風の嵐。もう目を開けることすら出来ないと言うのに、ルーンの声だけは何故かはっきりと聞こえてくる。
『司羽が司羽を見放しても、私だけは離れないから』
もう、リアには何が何だか分からない。何故、暴走していないのか。何故、ルーンがこんな事をしているのか。何故、自分はこの状況でも吹き飛ばされていないのか。分からない事で頭の中が埋め尽くされ、逆にクリアになっていく。
『だから怖がらないで、私の愛を信じて、言葉よりも深く私を感じて』
意識が、飛びそうになる。だめだ、意識がなくなった瞬間に、この竜巻に呑まれてしまう。
『戦争よりも、平和よりも、司羽が愛する誰よりも、私の愛に溺れさせてあげる』
これは、魔法の詠唱なのだろうか。ふと、リアはそんな事を考えた。この言葉によって、魔法がコントロールされているような感覚がある。魔導器が壊れた今、実際そうとしか考えられない。でも……何かが違う。自分達の魔法とは違う何かに、この魔法は変わってきている。
『今、私もそっちに行くから。ずっと、一緒に居よう?』
そして、その言葉を最後に魔力の渦は一際大きく発光した。身を裂くような風がリアに吹き付け、その身を吹き飛ばされる様な感覚と共に、リアは意識を失った。
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「……うっ……此処は……。」
「あ、気が付いた?」
「ルーン……ぶ、無事なのですか……?」
目を開けると、そこは先程と同じ光景だった。公園の中、少し離れた場所にイリスが気を失って倒れている。……あれからどうなったのだろう。あの魔法は、一体どうしたのだろう。公園の状態を見るに、なんとか解除まで持っていったのだろうか。それとも、行使したのだろうか。
「あの……ルーン、さっきの魔法……。」
「ああ、あれ? あのイリスって人が二度と魔法を使えないようにさせてもらっただけだよ?」
「……え、それだけ、何ですか?」
「うん、そうだよ?」
……その言葉に、なんだか違和感を感じてしまうのは仕方がない事だろう。確かに、ルーンの言っている事が本当なら凄く高度な魔法であるはずだ。少なくとも、そんな魔法は聞いた事がない。なので、あれだけの事が必要なのだと言われれば納得せざるを得ないのだが。……あれは果たして、それだけの為に行った魔法だったのだろうか。
「あ、ルーン、そのリング……。」
「ああ、壊れちゃったね。仕方ないよ、でももう要らないし。」
「……要らないんですか?」
「うん、私にはもう必要ないよ。元々、とっくに何でも良かったものだし。こういうのもう使わないでも平気みたいだから。」
「………そうですか。」
そんな話、聞いたことがなかった。先天的に魔道具を必要としない人ならば聞いた事がある。しかし、修練を積んだからといって途中から不要になるような物ではないはずだ。それに、これはルーンの宝物であった筈なのだ。
「……ルーン……無理してないですよね?」
「無理はしてないよ。でも。」
「でも?」
「もう、他の事なんて考えてる余裕がないから。絶対に失いたくない人が、出来たから。」
「失いたくない人……司羽さん……ですか?」
「うん。」
そうだ、ルーンはこういう子だ。いつだって、一つの事に真剣になって、他の事などお構いなしに集中してしまう。周りから見るとハラハラするが、それが、いつものルーンだった。きっと、今回もそうなのだろう。
「応援、してくれるんだよね?」
「はい、勿論です。」
「ふふっ、良かった。ないとは思ってたけど、反対したりライバルになったりしたら……ね? 困っちゃうから。」
「……そ、そうですね。」
完全に、目が笑っていなかった。やっぱり今までのルーンとは何処か違う。何というか、ブレーキを自分の意思で取り外してしまっているような危うさを感じる。有り体に言えば、暴走している様にも思えてしまう。
「本当に、無理しすぎはいけませんよ? 今のルーンは……何処か、今までと違います。今までも余裕なんて作りませんでしたが、特に。」
少なくとも今までのルーンであれば、自分の両親の死を望む様な発言は絶対にしなかった。リアも、あの時ルーンが見せた笑顔は正直ゾッとした。何が、そこまでルーンを徹底させているのか。
「大丈夫。やり過ぎたら司羽が止めてくれるし、私はただ思うままにしてればいいだけだから。」
「……それも司羽さんの為、なんですか?」
「そうだよ? これくらいの方が、司羽も私から目を離せないでしょう?」
「……なるほど、確かにそうかも知れませんね。」
本当に、徹頭徹尾に至るまで彼の事しか頭にないらしい。恐らく今もそうなのだろう。そして、先程の戦闘の最中、リアの罪を暴露されていた時ですら、きっと。
「……変わりましたね。」
「うん、変えられちゃった。」
「……司羽さんにですか?」
「うん……それと、ミシュナに。」
「え? ミシュナさんですか?」
そこで思いもよらない言葉が出てきたことに、リアは驚いていた。ルーンの事だから、司羽以外に変えられたくなんてない。くらい言うと思っていたのだが。
「……ねえ、リア。さっき、私が今までの私とは違うって言ったよね? 特に余裕がなくて、無理してるように見えるって。」
「……はい、正直別人の様に見えます。今までもルーンは周りが見えなくなることがありましたが、今回は……周りを全て捨てている様に見えます。言ってしまえば、暴走しているように。そこまで徹底する必要があるのでしょうか。」
リアは思い切って、思っている事を全て言ってみた。大切なものはなにも、一つしか持ってはいけない訳ではない。態々捨てなくても、両立させる方法を探せばいい。……しかし、ルーンの答えは一切のブレを見せなかった。
「そんなの、当然だよ。だって、私達の幸せがかかってるんだもん。」
「えっ……?」
「リアもきっと、本気で人を好きになったら分かると思う。その人との幸せの為に、例えば何かを切り捨てたり、自分を変えたりするの。確かに、ちょっと無理する事もあるよ。リアから見て、危ないなって思う方向に私が変わってる事もあるのかも知れない。でも……。」
ルーンは、リアの目を真っ直ぐに見た。リアが良く知る、いつも通りの揺るがない眼差しで。
「私は、司羽さえ居ればいい。司羽の傍で、ずっと愛し合いたい。その為だったら、捨てられる物は何でも捨てるし、自分だって変えていける。ちょっと胸が苦しい時もあるけど、私と司羽の幸せに繋がるなら我慢する。他の人から見れば、多分暴走してる様に見えるって、自覚はしてるよ。でも私が、自分の意思でそうしたいの。徹底し過ぎってくらいに、私の中を司羽でいっぱいにして、私の全てを司羽に寄り添わせて生きていきたい。それが……私の愛なの。」
「ルーンの……愛。」
「うん。私ね、司羽と一緒に居られて凄い幸せ。だから両親の事も嘘はないよ。周りからどう思われても、私は司羽がどう思うかの方がずっと大事。……ううん、それ以外どうでもいい。たとえ、リアに暴走してるって思われても。親不孝って言われてもね。」
「……そうですか。」
確かにルーンは変わった、それもとんでもない方向へ。今までのルーンでは考えられない方向へと変わったのだ。もはや、別人と言っても良いくらいだと思う。リアは、それまでルーンに感じていた違和感が全て溶けていくのを感じていた。ルーンは確かに変わったが……それでも、自分の知っているルーンなのだと分かったから。
(司羽さん……私の親友にとんでもない事をしてくれましたね。)
少しだけ、寂しい思いをしてしまう。この最愛の親友の一番には、もう二度となれないのだと分かってしまったから。
「さて、と。行こうか。」
「……え? えっと、私は……これから行かなければならない場所が。」
「分かってる。だから、行くんだよ。多分ミシュナもそこに向かってるはずだから。」
「……ミシュナさんが? えっと、どうしてです?」
ルーンが自分達の戦いに首を突っ込もうとしている、それは今の発言で理解出来た。正直巻き込みたくはないのだが、ルーンはこれと決めたら頑固な性格だ、言っても聞かないだろう。……だが、何故此処でミシュナの名前が出てくるのだろうか。
「……ミシュナが、こんな状況放っておくわけないでしょ。」
「………?」
「ミシュナも私と同じってこと。安心して、私はただ傍にいるだけだから。それが、私の愛だもん。」
「は、はあ……?」
たまに、ルーンの言っている事は良く分からない。でもまあ、何はともあれやる事は変わらないようだ。……自分の気持ちにも、やっと整理がついた。
「……ルーン、貴女の両親の事は……私なりに背負います。貴女が気にしていなくても、私が自分の意思で。ルーンにもそれは知っておいて欲しいんです。」
「うん、それでいいよ。司羽に影響がないなら。」
「はぁっ……本当、最後まで司羽さん、なんですね。もういいです、それじゃあ行きますよ!!」
「はーい!!」
リアが先陣切って走るのに合わせて、ルーンもそれに追従する。緊張感のない掛け声に、リアはなんだか戦い以外の疲れを感じながらも、親友と共に足並みを揃えて走り続ける。
いつか戦いの先に、再びこの親友との時間があると信じて。