第82話:蒼き鷹の見る夢 -慈愛たる花々の王女-
「アンタ……いきなり出てきて随分と偉そうじゃない。」
「あら、偉いかどうかは知らないけど。少なくとも貴方達に謙虚にする理由はないわ。」
「……姉さん、あまり不用意に相手を刺激しないで。リーダーとの契約違反になるわよ。」
「ちっ……分かってるわよ。でも何かムカつく。」
「お互い様でしょう。……ナナ、大丈夫?」
少しの距離を空けたままミシュナと双子は睨み合う。突如現れて仕事を邪魔された事に対する怒りからか、姉のユフィの方は随分と苛立っている様だが、妹のコフィの方は警戒心の方が上回っている様だった。ミシュナは相手の握っている杖にチラッと視線を移した後、自分に抱き着いて来ているナナに視線を向けた。安心から泣き出してしまっているが、少しは落ち着いただろうか。
「は、はいっ……ごめんなさい、泣いて……しまって……。」
「良いのよ、無理ないわ。でも、そろそろそっちの人も見てあげないとね。」
「っ!! そ、そうだジナスさん!!」
「ぐっ……お、俺はいい……。」
「無理しない方がいいわ、外傷は大した事ないみたいだけど……ちょっとそのまま寝てなさい。」
ミシュナはそう言うと、ナナの手を諭すように優しく解き、俯せに倒れているジナスの背中に回り込んで肩に手を置いた。ジナスへと簡単に気を通して傷の状態を探る。
「むっ……な、なんだ……痛みが……。」
「ちょっとした診察と治療よ。あんまりやった事ないから軽くにしとくわね。やり過ぎて体の再生機能を壊したら大変だし。」
「そ、そんな事まで出来るのか……いや、確か司羽も似た様な事を。」
「ちょ、ちょっとアンタ!! 治療とか余計な事するんじゃないわよ!!」
簡単に治療をすると言ったミシュナに、ユフィから怒りが多分に混じった声が飛ぶ。その声を聞いて、視線だけユフィに移したミシュナだったが、特に意に介した様子もなく診察を数秒続けた。そして肩から手を放し立ち上がると、結果だけ告げる。
「貴方には悪いけど、司羽程は出来ないし無理してやらないわ。外傷は大した事ないけど、体全体に内部から強い疲労があるみたい。魔力を自分の容量以上に使ったのね、次やったら死ぬかもしれないわよ? いくらなんでも無茶だわ。」
「そうか……恩に着る……。」
「じ、ジナスさん!! 無理しちゃ駄目です!!」
「はぁっ……立っちゃった。姉さん、どうやらもうちょっとやらないと駄目みたい。」
ミシュナから結果を聞くと、ヨロヨロと剣を杖の様に使いながらジナスが立ち上がった。それを見てナナはワタワタとジナスに駆け寄り、体を支える。どうやら立てはするようだが、戦えるくらいにまで回復してはいないらしい。
「ちょっとアンタ、邪魔しないでくれる? あの優男から関わるなって言われてないの? め・い・わ・く・なんだけど!!」
「優男……? 知らないわね。」
「惚けないで貰えますかね? 私達はこっちのリーダーから貴方達には危害を加えず、関わるなと言われています。ですがそちらから関わってきた。その上敵の手助けなど……これは契約違反では?」
「…………。」
先程から突っかかってくるユフィだけでなく、コフィまで意味の分からない事を言い始める。少なくとも、向こう側には何か事情があるらしい。ジナスを回復させる時間を与えても攻撃してこないくらいだ。気を逸らす為の妄言とか、油断させる為の作戦とか、そういう意図はないのだろう。
「そう言われてもね……誰よ、優男って。」
「み、ミシュナさん、恐らく教官の事かと。」
「……司羽が?」
「ああ、そこは気にしないでください。姉さんはマッチョ以外は全員優男判定ですから。」
「ふんっ……あんな女にだらし無さそうな男、見ているだけで不快だわ。」
「………その言葉は、私にとって凄く不快なのだけれど。」
司羽はどちらかと言えばワイルド系だと思っている。そりゃあ優しいという意味ではこれ以上ないくらい優男なのだが、この女のニュアンスは絶対にマイナスイメージの優男だ。司羽をそんな不特定多数のナンパ野郎と一緒にされるのは不快だ、凄く不快だ。しかし相手はそんなミシュナの心境等どうでもいいらしい。
「その司羽って奴がウチのリーダーと契約したのよ。貴方や次元の魔女、その他の関係者との関わり合いを持たず、危害を加えない限りは敵対しないって。」
「知らないわ、そんな事。それって貴方達が言われただけでしょう? 私達にどうしろって話じゃないわ。」
「別に契約書の穴を見付けて欲しいわけじゃありません。これはお互いに不可侵を決めた取引。裏切りには……相応の報復がありますよ?」
「ふーん、どうでも良いわ。司羽の口から直接言われたわけじゃない事を、ただ信じろって言われてもね。貴方達を信じる理由も義理もない。ナナを守る理由はあってもね。」
ミシュナは双子の言葉をそう言ってぶった切った。交渉の余地などない。だが恐らく、二人の話は本当なのだろう。前にナナからも似た様な話を聞いていたし、二人が攻撃して来ていない事を考えても、真実であると考えていい。……尤も、司羽が直接ミシュナに何か頼んだ訳でもなければ、その要求を呑んだ覚えもないから真偽などどちらでも構わないが。
「……これは、向こうの不手際って事でいいよね?」
「構わないわよ、結果だけ出せば誰も文句は言わないわ!! そもそもあの優男は気に入らないのよ、あいつは絶対に味方にはならないわ、クソ野郎の匂いしかしないもの!! この餓鬼共を殺したら、次はあいつよ。私がこの手でリーダーの障害を殺す!!」
「さっきから聞いてれば……優男だのクソ野郎だの、言ってくれるじゃない。男を見る目ないわね。そんなんだからその歳になるまで独身なのよ。行き遅れのオーラが出てるわ。自分は対して努力もしないくせに、理想ばっかり高くて相手が見つからないし、相手にもされない負け犬女。」
「そういうアンタこそ、随分入れ込んでるのね。確かあの男は次元の魔女の恋人って話だったけど……やっぱりナンパ野郎なんじゃない。でも悲しいわね、貴方遊ばれているだけなんだもの。しっかり本命を捕まえた状態でキープされてる使い捨て女。捨てられる前に此処で殺して上げるわ!!」
「………こわっ……。」
コフィの言葉を皮切りに、ミシュナとユフィが臨戦態勢に入る。さしものコフィも、姉とミシュナの修羅場の様な暴言の嵐に一歩後ずさりながら小声で内心を呟いた。正直ドン引きである。自分には関係のない話なので適当に聞き流しているが、どうやら姉には大分ダメージが入っているようだと表情を見て分析をしていた。
「済まない。だが、無理はしないでくれ……最悪、俺が囮になる。君はナナを連れて司羽の所へ逃げれば……。」
「良いから、黙って下がってなさい。ナナ、その人と隠れてて。」
「えっと、わ、分かりました!!」
「お、おい、二対一でやりあう気か!!」
「そうよ、邪魔しないで。……悪いけど、そんなに時間はないかも知れないもの。」
「……そ、それはそうだが……。」
確かに、時間はない。フィリアの元へ少しでも早く駆けつけたいのだ。それに、体力の回復に専念出来るならそれに越した事はない。どちらにしろ大した戦力には成れそうもないし、ここはその言葉に甘えさせてもらうのが良策か。
「分かった……だが、君に何かあったら司羽の奴に申し訳が立たん。気をつけてくれ。」
「そうですよミシュナさん。星読み祭でデートするんでしょう? 体に傷でも着いたら大変ですから、危なそうなら逃げてくださいね?」
「ええ、そうさせてもら………え? なんで知ってるの!?」
「え? 本当にですか!? うわー、やりますね。宣言通り帰ってくる頃には一人どころか二、三人は居そう……。」
「な、ナナ、少し黙ってなさい!! それ以上口を開くと黙らせるわよ!?」
「ひぃっ!? な、なんか今日のキャラいつもとちょっと変わってませんか!?」
そんなやり取りをしつつも、ナナとジナスを後ろに下がらせる。相手は魔法使いだ。流れ弾が当たりでもしたら大変な事になる。ナナに守らせるのはまだ無理だろう。
「さって、死ぬ準備はいいかしらお嬢ちゃん?」
「貴方と違って若いもの、そんな必要ないんじゃない?」
「はっ、死になさい!!」
ユフィが叫ぶと同時に、ミシュナは頭上に魔力の収束を感じた。
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「なるほど、早いわね。」
ミシュナの頭上の魔力は一瞬で収束すると、そのまま真下に向かって勢いよく降り注いだ。詠唱なしの魔法にしては随分と威力がある。それに遠隔で魔力を溜めると言う中々に困難な技を平気で使っているところを見ると、コフィと言う女はかなり手練の魔法使いだ。しかし、その魔法はミシュナが伸ばした手に触れた瞬間に呆気なく消滅する。コフィが、探る様な目でその過程を見ていた。
「私の簡易魔法が一瞬で……いや、威力は関係ないのかも知れない。」
「あの手に触れたら魔法は消えるって感じかしら? それと、あの手に触れられたら二、三日は起きれないらしいわね。コフィ、気をつけなさい。」
「あら、詳しいのね。」
「貴方の情報は入ってきていますから。以前、この国のリースモールで大規模な強盗事件がありました。基本的に情報は隠蔽されていましたが、監視カメラの映像を確認した際に、貴方の姿と、敵の制圧方法が映っていました。これでも私達、スパイチームとして共和国でも重宝されているんですよ?」
「……なるほどね、結構しっかり調べてる訳か。」
つまり、司羽を含めてミシュナやルーンも敵に回る可能性を考えていたのだろう。相手はかなり本気でこちらを警戒している。だからこそ、司羽と不可侵の取引などしたのだろうが。
「はっ、余裕見せられるのも今の内よ。結局触れられなきゃいいってだけでしょう!!」
ユフィはそう言うと同時に、自分のマントをはらって腰の左右のホルスターから武器を引き抜く。それと同時に発砲音が響き、高速の一撃……いや、二擊がミシュナへと飛んだ。ミシュナはそれを打ち消すつもりだったが、一瞬で回避行動に移った。ミシュナの姿が掻き消え、まるで転移の様なスピードで真横に回避する。
「鉛弾っ!!」
「やっぱり実弾は駄目みたいね!! この子の魔法と私の実弾、ちゃんと弱点は補強してあるのよ!!」
「姉さん、あの手に触れなければ魔法も効くかも知れない。一斉に行こう。」
「ふふっ、蜂の巣になりなさい!!」
ミシュナはユフィの掛け声と同時に左右から魔力の収束を感じた。正面ではユフィがリボルバータイプの銃を構えて引き金を引く。だが、発砲音と同時にミシュナの姿が消え去った。
「ふふっ、遅いわよ。」
「なっ!? くっ!!」
「姉さん!?」
ミシュナは一瞬で全ての射線上から退避すると同時にユフィの左側に移動する。速過ぎて照準を合わせる所か、目で追うことすら出来ない。コフィも咄嗟に援護しようとするものの追いつかないばかりか、ユフィを間に挟まれてしまって一瞬思考が固まった。ミシュナはそのままユフィの体に突っ込むように手を伸ばす。
「コフィ!!」
「飛ぶよ姉さん!!」
「あら、外しちゃったわね。」
ミシュナの手が触れる瞬間。ユフィはコフィに突っ込むように後ろに向かって飛んだ。魔法によって高速で飛んできた姉に吹き飛ばされながらも何とか受け止めると、そのまま姉の体ごと空へと飛んで退避する。
「空なら攻撃出来ないでしょう!!」
「おっと危ない。」
ダダンッ
妹に体のコントロールを任せ、不安定な体勢で銃口をミシュナへと向けて発泡する。かなり難しい射撃でも正確に狙える腕がある様だったが、ミシュナはそれを軽く跳んで避けていく。
「くそっ、余裕かましやがって!!」
「姉さん自分で飛んで!! 私も構えるから!!」
「はいはい……っ、避けろ!!」
「痛っ!?」
コフィがユフィを放したその時、ユフィは妹の体を思いっ切り蹴って押した。次の瞬間、その二人の間を人影が物凄いスピードで通過する。ユフィは、その人影の方へ何とか体を向けてガムシャラに発砲した。しかし、もう既にそこには誰もいない。
「飛べるなんて聞いてないわよ!?」
「飛んでないものっ。」
「そっちか!!」
コフィは声のする方へ弾幕とも言えるほどの魔弾を繰り出す。一撃一撃は大した威力じゃないが、近付けさせない。一気に打ち消しきれない量を一斉に放てば、少しは足止めの効果があるはずだと。そしてそれは功を奏し、コフィに飛びかかろうとしていたミシュナは魔弾を避けて軌道を変えるべく、空を『蹴った』。瞬間再びミシュナの姿が消える。
「あいつ、どういう原理だよ!!」
「これが気術!?」
「『萩野流気術』、戦闘狂が作った戦闘用の気武術ってやつよ。」
「っ……!?」
少し離れていたとは言え、真後ろからの声に二人は咄嗟に後ろに攻撃を放つ。しかし、そこにミシュナの姿はない。咄嗟にコフィはミシュナの行動を読んで、頭上へと銃口を向ける。これは、ただの勘だ。空中戦に置いて、尤も死角になりやすい場所へと移動する。そんな相手の行動を読んでの一撃。
「っ!!」
ダンッ
「やるわね、決めようと思ったのに。」
「くそっ、速すぎる!!」
照準できない、目で追えない、反応すら出来ない。その上コフィの弾幕も打ち消されるからダメージソースには成りえない。……なら、仕方ない。
「コフィ、ゲスト!!」
「了解!!」
「っ!?」
その言葉の意味を、ミシュナは分かっていなかった。しかし、コフィの杖が向けられた方向を見て、理解する。
「ナナっ!!」
「死ねっ、フィリアの家臣!!」
「くっ、卑怯な。」
離れた場所に居るとは言っても、位置は相手にバレている。このコフィという魔法使いの魔法であれば狙撃くらい訳はない。防がなければナナ達が危ない。ミシュナがそれに気付いて動き出すより早く、杖から魔法が放たれる。高速の一撃が真っ直ぐと最短距離を飛んでいく。だが、ミシュナはそれよりも早く回り込む。
「させない!!」
「っ、ミシュナさん!!」
「追いついた!? でも好都合!!」
「コフィ、合わせて!!」
「避けろ!! 銃弾だ!!」
ナナ達を庇うように立っているミシュナ。そしてその後ろに退避していたナナ達が銃弾の直線上に重なる。斜め方向からもナナ達を狙って魔力の収束を感じた。魔法を打ち消さなければ致命傷になる、だが銃弾が回避出来ない。このままでは到底庇いきれない。
「逃げてください、ミシュナさん!!」
ナナの叫びと同時、全ての火力がナナ達に、そしてそれを庇うミシュナに降り注いだ。
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「はぁっ……はぁっ……。」
「た、倒した……。」
二人は、あれから数十秒に渡って攻撃を繰り返した。ユフィは銃の弾薬を魔法で装填しながら全てを打ち尽くし、コフィの方もこれだけの間連続で魔法を打ち続けたのは初めての事だった。コフィの魔法があらゆる方向から炸裂し、地上は砂埃が木の上まで舞っている。
「こ、こんなにやる必要あった? もう残弾0よ。」
「私も……もう飛んでるのしんどい。姉さんおぶって。」
「降りれば良いでしょ、降りれば!!」
「……で、でも……。」
あの砂埃が晴れるまで、地上に降りたくない。敵はもう倒したはずだ、避けられない攻撃を、打ち消せない攻撃を限界まで叩き込んだ。これで死んでいないはずはない。なのに……何故だか下に降りられない。ただの勘だった、でも……。
「……分かったわ、ちょっとだけよ。」
「う、うん。」
姉もきっと、同じ気持ちだ。全く勝った気がしない。少なくとも、ユフィとコフィは気術士と言うものがどういうものか肌で感じた。リーダーであるセイルが司羽を警戒する理由が分かった。もしもこれより強かったら、自分達では戦力にはならない。ユーリアが率いていた『道化』の残存メンバーが話していたのを聞いた限りでは、あの司羽と言う男はかなり戦闘慣れしている様子だったと言っていた。
「どうしよう……あの子殺しちゃったら……あの子ってあの口ぶりからすると、司羽って人の恋人か、何かでしょう? 私達、ほ、報復されるんじゃ……。」
「……あ、あっちから介入して来たんだもの、仕方ないわ。それに、恋人は次元の魔女でしょう?」
「で、でもさ、この国って多夫多妻だし……もしかして私達……凄くやばい事しちゃったんじゃ……。」
「……あの司羽ってやつが今の子より強いって保証もないでしょう? 少なくとも、気術について情報が少しは更新出来るわ。最悪実弾が効くなら……。」
「………ねえ、姉さん。何か、変な匂いしない? 花の香り……かな。」
二人がこれからの事について話し合っていると、何処からか、嗅いだ事のない香りが漂ってくる。今日はほぼ無風だ。一体どこから……そう思って二人が顔を見合わせた時……真正面から吹き飛ばされそうになる程の突風が吹き付けた。
グオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!
「えっ!?」
「コフィ、防御障壁っ!!」
「了解!!」
その突風から身を守るようにユフィの背中でコフィが魔力の壁を展開する。なんてことはない、ただの風だった。しかし何故だろう、甘い、甘い香りがする。人の懐かしさを思い出させるような、そんな優しい香りだ。そしてその香りの正体が、風に乗ってやってきた。
「ピンクの……花、びら……?」
「この花の香りかな……なんて花なんだろう……。」
ユフィもコフィも、一瞬気が緩む。思考がその花に奪われ、先程まで抱いていた言いようのない不安感から開放される。だが……。
『貴方達には決して似合わない花よ。』
「「っ!?」」
突風の中、声が聞こえた。聞こえてはいけない人の声、聞こえて欲しくない人の声が。そして、突風が止む。砂埃を払い飛ばし、その場に、想い出の花の香りを充満させて。その空に、ピンク色の花びらを舞躍らせて。突風は止めども、風は吹き続ける。その花びらの舞を終わらせぬように、その舞台を鮮やかに染める。
「……あっ、あんた、なんで……。」
「あれで……生きてる……無傷……っ。」
「………よくもやってくれたわね……。」
砂埃が晴れたそこに、ミシュナが立っていた。全く同じ位置で、背に二人を庇いながら。庇われた二人も、信じられないものを見るような目でミシュナを見ていた。全くの無傷で、自分達に当たる全ての攻撃を打ち消したのだ。ナナとジナスもまた無傷であった。ナナはペタンと地面に座り込んだまま花びらの絨毯に埋もれ、ジナスは剣を呆然と下ろして立っている。
「よくも……私に気術を使わせたわね……。」
「な、何言って……。」
「コ、コフィ、撃つのよ!! あいつらを庇っていればこっちにはこれない!!」
「わ、分かった!!」
コフィはユフィの背中から降りると、直様臨戦態勢に入る。そして、杖をミシュナ達に向けて構えた。ミシュナは動かない。ただ拳を握りしめて俯いたまま、何かを呟いているだけだ。
「消えろ、化け物!!」
「貴方達なんかに……。」
コフィの魔法がミシュナに迫る。先程と同じ簡易魔法だ。……しかし、ミシュナはそれを受け止めようとすらしない。そして、ミシュナに直撃する。
「なっ!?」
「……私と司羽との絆を……。」
直撃したはずの場所から、花びらが舞った。風に乗って、それもまた花びらの舞へと参加する。ユフィ達には理解の出来ない光景だった。あの手に触れなければ大丈夫の筈ではなかったのか? コフィが何度も連続で魔法を叩き込み、どれも直撃し、ピンク色の鮮やかな花びらが宙を舞う。魔法が花びらに変わったかの様に。
「コフィ、貸して!!」
ユフィはコフィから杖を受け取ると、自分の拳銃を上空に投げた。そして魔力でそれを操り、ミシュナの方へと高速で射出する。当たればただでは済まない。魔力を無効化されようが関係ない。
「これで死ねっ!!」
拳銃がミシュナの頭に向かって飛ぶ。銃弾よりも質量は上、速度もある。そんなものが当たれば頭蓋骨は間違いなく砕ける。
「……許さないわ。」
「っ!?」
……だが、その結果として咲いたのは血ではなかった。ミシュナに近づいた拳銃は、ミシュナに辿り着く前に大量の花びらに変わる。そして質量を失ったかのように、鮮やかに舞い踊る。ユフィの前で、信じられない光景が展開していた。
「……な、何よこれ……意味分からない……。」
「姉さんの銃が……花に……。」
「分かるはずないわ。貴方達みたいな人には……永遠に。」
ミシュナの眼が、完全に据わっていた。自分の中で守ってきたルールを破らされ、それが、自分と司羽の大切な想い出を踏み躙られた様で……もう、絶対に許すことは出来ない。
「行きなさい。」
ミシュナが一言そう言うと、大地が揺れた。
「くっ、逃げるわよ!!」
「う、うん!!」
ユフィが言うと、コフィも反射の様に頷いて逃げ出した。もう此処で自分達に出来る事はないと、急いで踵を返して飛び去る。あそこにいる何かは、自分達とは立っている次元が違う。戦おうとしては駄目だ、せめて情報だけでも持って帰る。そうでなくても生き残らなければ何の意味もなさない。そんな二人の前に、巨大な枝のようなものが地上から伸びて、絡まり、行く手を阻む壁になった。何とか横を通って避けようとしても次々に行く手を阻まれ、囲い込まれて行く。
「な、なんなのよこれ!! はぁっ!!」
ユフィは手に持ったままの杖に魔力を込め、大量の炎でその枝の壁を焼き払うべく魔法を発動させる。コフィ程ではないが、簡易魔法くらいは使えるのだ。しかし、その炎は壁を焼き払うことはなかった。
「ほ、炎も……花に……。」
「も、もう嫌……。」
炎も、生まれた瞬間に花びらに変わる。花びらが舞う舞台はどんどん拡大していった。まるでこの世界の全てを染めるように、規模も量も増えていく。
「言ったわよね……許さないって。」
「っ……。」
「わ、分かった……もう手は出さないから……。あの司羽って奴のことも謝るから……。」
下を見ると、ミシュナが立っていた。足元にはこの花以外にも色取り取りの沢山の花が咲いている。そしてそこを中心にするように、大規模な花畑が広がっていた。シチュエーションが違えば幻想的だったかも知れない。だが今の二人には、その光景に恐怖以外の感情が出てこない。
「この力は……誰かを殺すためにあるんじゃない。誰かを守るためにあるんでもない。」
「ひっ……。」
木々が枝を伸ばす。二人が徐々に枝の壁に囲まれ、花びらが二人を囲むように踊る。気付けば、ミシュナは空に立っていた。花びらの絨毯に乗って、二人を見下すように睨みつける。
「私の……私だけの司羽との絆なのよ。司羽に褒めてもらう為に、ずっと学んできたの。司羽と同じ所に居る為に、ずっと練習してきたの。……この力は、私の誇り。司羽から貰った、私だけの誇りよ。貴方達如きに使う気なんてなかったのに……それを、よくも……。」
「だ、だって……私達も……仕事で……。」
「全て忘れて消えなさい。一片の記憶も許さない。」
カラカラの喉でユフィが言った言葉など意に介さない。ミシュナが冷たく言い放つと同時に、全ての花びらが二人の視界を埋め尽くした。ピンク色に染まる視界の中で、噎せ返る様な花の香りは、二人の意識が恐怖で消え去るまで残り続けた。
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「………はぁっ、最悪の気分ね。」
「み、ミシュナさん……その人達は?」
「死んではいないわ。でも暫くは目を覚まさない。」
花びらは全て、何時の間にか消え去っていた。足元に広がっていた花畑もいつしか元通りの雑草と土の地面へと変わっている。今までの光景が嘘のように静まり返り、全ては夢だったのだと言われれば信じてしまうような、そんな不思議な感覚だった。ミシュナの前で倒れる二人の女だけが、先程までの光景に真実味を持たせている。
「しかし、凄かったな。言葉が出ない光景と言うのは、ああいう物を言うのか。生きていれば色々な物を見られるものだ。」
「あれ、スイートピーの花びらですよね? あれも、気術なんですか?」
「そうよ。普段使っている『萩野流戦闘気武術』とは違う、私だけの『生命の形』よ。」
「『生命の形』……ミシュナさんだけの……。」
あの大量に舞っていた花びらは紛れもないミシュナの想い出の花。幻想的で、狂おしくて、ただ只管に甘い光景だった。あれが、ミシュナの気術なのか。
「今まで司羽と母さんにしか見せたことなかったけど……ナナ達を守る為に使えたなら、まあ仕方ないわね。」
「……ありがとうございます、ミシュナさん。」
「すまないな、君を巻き込んでしまって。俺の……いや、俺達の力不足だ。」
「別に構わないわ、元々首を突っ込んだのは私だもの。知らないところでナナが死ぬよりか、何倍もマシだわ。」
ミシュナはジナスとナナの謝罪と感謝を受け取ると、表情に柔らかい微笑みを浮かべてそう応えた。そして、そのまま視線を倒れている男二人に向ける。ナナとジナスが倒した二人は、少し離れたところで倒れていた。
「そういえば、ミシュナさんは何故此処に?」
「何故って、貴方の見送りに来たのよ。ナナが今日出るって言ってたじゃない。確か警備の穴を突くって言ってたし、学園長兼理事の権力を借りて当てをつけたのよ。まあ近くになれば気配で分かるし、此処は私の庭だもの。」
「み、ミシュナさんっ!!」
「あーもう、泣かないの!! 時間ないんだから、さっさと済ませるわよ。」
「済ませる……?」
「………何をです?」
ミシュナの言葉に、ジナスが疑問符を浮かべた。ミシュナに涙目で抱きついているナナも意味が分からず小首を傾げる。そんな二人には何も答えずに、ミシュナは視線を倒れている男二人に戻した。そして、呆れたような声で呼びかけた。
「死んだふりもその辺にして、いい加減に起きなさい。」
「へ……? い、いや、その二人は私が……。」
「手加減しすぎよ、もう起きてるわ。」
「えっ、えええええっ!?」
「………はぁっ、おいキラ見逃しちゃくれないとさ。」
「……そのようだ。」
ミシュナの声を合図に、示し合わせたように二人は同時に立ち上がった。キラとユウキ、ナナとジナスが先程戦い倒したはずの二人が立ち上がる。どうやら、ミシュナの言う通り手加減が過ぎたらしい。だが、それでも体が思うように動かないらしくフラフラと体の軸が定まらないような立ち上がり方だった。
「んで、嬢ちゃん、俺らをどうする気だ? 抵抗はしない、いや、こんな状態じゃアンタ相手に何にも出来やしないが。」
「捕虜にするなら、お手柔らかに頼む。拷問の類は遠慮したいな。」
「……捕虜を取る余裕はこちらにはない。とは言え見逃して戦力を整えさせる訳には行かないからな。この女共と同じく、暫く眠っていてもら……。」
「待って。」
「……なんだ、何か問題か。」
どうやら降伏状態らしい二人にジナスが剣を抜くが、それをミシュナが手で制する。そんなミシュナの行動に、ジナスだけでなくキラとユウキも訝しげな表情を向けた。自分達の立場はキラとユウキも分かっている。まあ多少痛い思いをするくらいで命を見逃して貰えるのならば安いものだと思っていたのだが。
「貴方たち、そこの女二人を連れて逃げなさい。何処か遠く、共和国に戻るのでも、別の国に行くのでもいいわ。」
「なっ、ほ、本当に見逃すってのか!?」
「おい、ミシュナ君と言ったな。それは流石に……。」
「良いから、言う通りにしなさい。ただ二度と此処に、『私達』に近寄っては駄目よ。……ジナスさんと言ったわね、悪いけど従ってもらうわ。この人達を此処に置いておくのは危険過ぎる。貴方たちの事情もあるでしょうけど……こんな状況になった以上、私は譲れない。貴方が妨害すると言うなら、貴方も寝ていて貰うわ。」
「……な、何を言っているんだ? こいつらは加勢に戻ってくる可能性が!!」
ミシュナの甘すぎる行動にジナスも流石に納得がいかなかった。この行動が裏目に出れば、自分達は後ろから刺される事になりかねない。ミシュナに取っては取るに足らない敵なのかも知れない。だが自分達に取っては脅威に成りうる敵なのだ。削れる戦力は削りたい。
「言ったわよね。妨害するなら貴方も寝ていて貰うって。時間がないとも言ったわ、私は急いでるの。」
「ぐっ……せ、せめて理由を……。」
「必要ないわ。」
「み、ミシュナさん……。」
こんなに頑なに譲らないミシュナをナナは初めて見た。しかし、ミシュナは決してただ甘いだけの少女ではない。頭が良く、自分の気術を誇りに思っている。そんなミシュナが、ジナスに気術を使ってでも押し通すと言っているのだ。
「……ジナスさん、ミシュナさんに従いましょう。」
「むうっ、しかしだな………いや、今は口論している時ではない……か。」
「はい。それにミシュナさんには、何か考えがあるんだと思います。」
「ナナ……ありがとう。」
「いえ、助けてもらったのは私達ですから。」
きっと、これでいい。自分はミシュナの優しさを知っている。そしてそれが誰に向けられるものなのかも……だから、その理由は聞く必要がない。
「体の痺れが抜けたら逃げなさい。その二人の記憶は破壊させてもらったから、起きたら何も覚えてないと思うけど……自業自得よ、私の気術を使わせたのだから。」
「まじかよ……それ、大丈夫なんだろうな。」
「多分ね。私も記憶改竄なんてとても出来ないから、無理矢理にでも破壊させてもらっただけだもの。下手したら一年くらいの事を忘れてるかも知れないわ。私だってまだまだ気術を極めちゃいないのよ。一応、命だけは問題ないから安心しなさい。」
「……分かった、恩に着る。」
「約束よ、必ず逃げなさい。戻ってきたら……その時は、もう容赦はしないわ。」
ミシュナはそう言って男二人から踵を返し、ナナとジナスに視線を送った。これで、ここでやるべき事は全て終わった。後は……。
「さて、どちらかに道案内を頼んでもいいかしら。貴方達の仲間の合流地点……きっと、そこに敵の大ボスもいるんでしょう?」
「おいおい……流石にそれは聞けないぞ。」
「ミシュナさん御免なさい、フィリア様が危ないんです。」
流石にそれだけは聞けないと、ミシュナの言葉にジナスとナナが反発する。随分と時間を取られてしまったが、それでも間に合うと信じて向かうしかない。幸いな事に、ジナスの体力も徐々に回復してきて走れる程度にはなっている。
「……大丈夫じゃないかしら、そっちはどう転んでも結果は変わらないと思うわ。」
「それって、どういう事ですか?」
「……ただの勘よ。寧ろ危険なのは、それ以外の人達だと思うわ。私はリアの事をよく知らないけれど、ナナの話の中に出てくるリアなら、仲間が死んだらきっと悲しむでしょうね。」
ミシュナはそれ程リアと言葉を交わしたことはない。最近は少しずつ会話もしてはいるのだが、あの筆談は微妙に慣れなくてやり難いのだ。とは言え、ルーンとの会話を聞いていると友達想いの子だと分かるし、ナナからも優しい彼女の性格をよく聞いていた。だから仲間が死んだら、リアは自分が死ぬより苦しむだろうと思う。
「ただの勘か……。フィリア様の安全は一番重要な事だ、本当に信じていいのか?」
「別に信じる必要はないわ。信じて欲しいとも思ってない。でも、私はそうなるって思ってる。だからこれはあくまで私の『考え』ってだけよ。だから自分で判断してくれる? 私、貴方達の命を背負える程、力持ちじゃないの。精々、愛している人の心と命を背負えるくらい。それ以外考えたことないの。……だから、もし貴方たちがリアの所に向かうならそれでも良いわ。ただ、自分で決めて。」
「……随分と勝手な言い草だな。案内しろと言っておいて。俺も、君に責任を取れと言う訳じゃない。そこまで落ちぶれちゃいない。だがな……。」
そのミシュナの言葉には、ジナスも渋面を作った。『考え』の根拠も示さず、ただこうなりそうだと可能性だけ提示する。信じて欲しいと言うのなら、人柄や今まで見せてもらった実力から信じる事も可能だが、ミシュナが言っているのはそうじゃない。根拠のない予想に乗るかどうかと聞いているに等しい。
「……そうね、じゃあ先に言っておくわ。これからの私は別に貴方達の味方って訳じゃない。私の目的の為に動かせてもらうわ。だから協力出来る部分は協力するけど、私の目的と逸れるなら別行動するわ。時間は少し掛かるけど、私一人でだってこの森の中にいるボスの場所を見付ける事は出来る。貴方たちがリアを一番に想うように、こっちにだって大切な人がいるのよ。他の何かに代えられないの、絶対に。」
「……分かりました、私が道案内します。私はミシュナさんの考えに『乗り』ます。ミシュナさんの目的はきっと、私達の目的と同じ方向にあるはずですから。」
「ナナ……しかしフィリア様は……。」
ジナスはナナのその判断をイマイチ支持出来ない様だった。確かにミシュナの言うように他の皆も心配ではあるが……どうする事が正しいのか、判断する材料が余りにも少ない。
「私はミシュナさんの判断力を信じてます。ミシュナさんがフィリア様は大丈夫だと言うなら私は信じます。信じる必要はないってミシュナさんはいいましたけど、信じたって良いんですよね?」
「……ええ、構わないわ。ただ、ナナの判断の責任は自分で取りなさい。私も絶対に全員守りきれるなんて思ってない。自分と、自分の周りの人を最優先にするわ。」
「はい、構いません。」
ナナの瞳には迷いがなかった。ミシュナの実力、判断力、頭の良さを信用している。そして何よりミシュナの優しさを知っている。だからあんなにキツイ事を言っても、きっとミシュナは自分達の事を考えて言ってくれているのだと信じられる。
「……全く、まあこんな状態の俺一人が向かったところで足でまといになるだけか。何時の間にか、俺も君を戦力として数えてしまっていたらしい。恥ずかしい事だが。」
「言ったでしょ、協力しあえる部分は協力するわ。そちらが協力してくれている限りはね。……ナナ、案内を頼むわ。」
「はい、お任せ下さい。」
ミシュナの言葉でナナは戦闘を切って走り出した。ミシュナ、ジナスもそれに続く。深い闇が覆い始めた森の中を、ただひたすらに走り続ける。そして、走りながらジナスがミシュナへと視線を向ける。
「……ミシュナ君。」
「何かしら?」
「やはり、君も司羽の身内と言うだけあるな。考え方や、やり口が良く似ている。啖呵の切り方なんてソックリだ。」
「………当然でしょう、私は司羽の影響をかなり受けちゃったんだもの。」
「ふふっ、ミシュナさんは一途ですからね。」
「……ほ、ほら、前見て走りなさい!!」
「はーい♪」
またミシュナと、こんなたわいもない話を出来る事が嬉しい。今はそんな状況ではないと分かっているが、それでもだ。……もし、もしここで敵を倒すことが出来れば、こんな日常が戻ってくるかも知れない。そう考えると、ナナはつい拳に力が入ってしまった。
「きっと、勝てます。」
「そうね、でも………いいえ、何でもないわ。」
「………?」
願望にも似たナナの言葉にミシュナは頷いたが、ナナには何処か別の場所を見ているような、そんな印象を感じた。
「行きましょう、早く………手遅れにならない内に。」
「は、はい。」
ミシュナの表情は見えない、でもナナは、何となくそれでいいような気がした。きっと今のミシュナの表情を見たら、自分はまた何か余計な事を考えてしまうと思ったから。今は、戦いのことだけを考えれば良い。ナナ達三人の影は日暮れによってかき消され、深い闇の中を風のように走り抜けていった。