閑話:お姫様の鬱憤
「そんな事があったんだ。でもミシュナも良く我慢出来たよね。」
「……いや、話ちゃんと聞いてたか? 我慢出来なかったんだって。」
今日の顛末をルーンに説明しながら、司羽は溜息をついてそう言った。ミシュナと共にミリクとシノハに呼び出された後、司羽が一人で家に戻った時には既にミシュナは学園から帰って来ていて、ルーン達と一緒にいつもと変わらない様子で夕食の支度をしていた。だがルーンは二人が別々に帰って来た事を不審に思っていた様で、案の定、寝室で二人切りになった途端にこうして説明を求められたのだ。
「でも相手に怪我をさせた訳じゃないんでしょう? 私なら……ちょっと加減出来なかったかも。司羽だって、私の事を悪く言う人が居たら……怒ってくれるでしょ?」
「まあな。でも最初に俺を止めたのはミシュなんだぞ? その当人がブチ切れてどうすんだ……。」
「うーん。そもそもミシュナは簡単に人を攻撃するタイプじゃないし……本当に何が原因か心当たりないの?」
「ああ、二人共あいつらに色々と罵倒はされてたんだけど……何がそんなにミシュの琴線に触れたのかは分からないんだよな。確かにムカついたけど、所詮は根拠のない戯言だし。」
「……ふーん。不思議だね、ミシュナがそんな事で怒るとは思えないし。」
ルーンは何やら納得がいかない様子だが、それは司羽も同じだ。とはいえ、今日の指導室での様子だと掘り返して聞く事も憚られる……。
「んーでも、ミシュナが気にしてないなら良いかな。」
「なんだ、結構あっさりだな。」
「まあね。ミシュナが怒るって事はそれなりの理由があった筈だから。それを言いたくないって言うなら、それでも良いんじゃないかな? 少なくとも、ミシュナは簡単に人を傷つけたりはしない人だって思うし。」
ルーンのミシュナを信頼した発言には、司羽も概ね同意見だった。ミシュナの性格は司羽だって良く理解しているつもりだ。しかし、ルーンの発言で少し前から薄々と感じていた疑問が司羽の中で膨らんで来ていた。
「……なんか、本当に仲良くなったよな。」
「それって私とミシュナの事?」
「ああ。前から仲は悪くはなかったけど、最近は特にそんな感じがする。」
いつ頃からなのかはちょっと判断しかねるけれど、ルーンとミシュナの距離は以前より格段に近くなった気がする。気兼ねしなくなったと言うか、スキンシップが増えたというか。
「ふふっ、そうだね。私もミシュナも、負い目がなくなったから……かな?」
「負い目……? 何かあったのか?」
司羽が知る限り、二人の間で負い目が生まれそうな事件はなかった。とすれば、それは司羽がこちらに来る前の事だろうか……?
「……やっぱり、気になる?」
「ああ、凄く気になる。」
「んー、司羽には隠し事したくないんだけど……これは、まだ秘密かな。」
問いかける司羽に対し、ルーンは唇に指を当てて考える様な仕草をしながら、そんな珍しい事を言った。
「秘密?」
「うん、秘密。これはミシュナの事でもあるから。」
「……そっか、秘密かあ……なら仕方ないか。」
「ごめんね、女の子同士の秘密だから。私の勝手で話したらミシュナに悪いし。」
確かに、自分だけの事でもない様だしルーンにも話せないことの一つや二つはあるだろう。それが女の子同士の秘密であるなら尚更だ。……自分も多くの隠し事をしているのにも関わらず疎外感を感じてしまうのは、単なる男の我儘なのだろう。普通に暮らしていれば隠し事の一つや二つは当然だと思う。
「大丈夫だよ、きっともうすぐ司羽にも分かるから。」
「そうなのか?」
「うんっ。」
ルーンがもうすぐ分かると言うのなら、そうなのだろう。ならば話してくれる時を待つとしよう。何より、ルーンとミシュナの距離が近くなってから屋敷全体が明るくなってきた気がするし、元々良い方向に進んでいるのだから問題はない。
「だから、別に司羽の事を除け者にしてるんじゃないからね?」
「別に、そんな風には思ってないよ。」
「えー、でも実はちょっと寂しかったでしょう?」
「それは……いや、そんな事は……。」
「はいはい、素直になるの。私がミシュナと話してる時、司羽がたまーに寂しそうにしてたの知ってるんだからね。」
「むう。」
……確かにルーンの言う通り、いつも自分にベッタリだったルーンが急にミシュナと良く話すようになったので、そんな気持ちになった事がないとは……言えないけれど。
「……ふふっ、司羽がそういう風に寂しがってくれるのは嬉しいけど、そんな風に我慢する必要はないんだよ? 司羽が望むなら、私は一日中離れずにずっと司羽の傍にいるんだから。次元港の整備だって断って……。」
「いや、だから流石にそれは不味いって。次元港の整備って、そんなに嫌なのか?」
「ぶぅー、嫌じゃないけど……司羽が断れって一言言ってくれれば、全部投げ出して司羽の傍に居るのになーって。」
「うっ……それは嬉しいけど……そんな事になったらヤバイだろ。星読み祭も出来なくなるし。」
「うーん、そこなんだよねえ……。私としても司羽と一緒の星読み祭は楽しみだから延期にはなって欲しくないし……。でももうそろそろ私が居なくても終わるんじゃないかな……。」
そんな事を言いながら本気で悩むルーンに、司羽は思わず苦笑してしまう。ルーンは本気で司羽と少しでも一緒に居たいと考えてくれているのだ。だから、言葉通りに司羽が断れと言えば直ぐにでも断ってしまうだろう。
「もう少しの辛抱だろ?」
「そうなんだけど……私としては、その少しの間でも司羽の傍に居たいもん。まあ、ミシュナのお陰で余計な心配をしなくていいのは助かるけどね。」
「ははは……まあ、声を掛けられる事はないな。」
「ふふっ、流石はミシュナだね。」
やっぱり、ルーンとミシュナの関係は変わったように思う。何がどう変わったかを正確に言葉にするのは難しいが、ルーンはこんな風に司羽以外の誰かを自分から頼るような事は今までしなかった。……いや、ルーンがもうすぐ分かると言うならこれ以上考えるのは止めよう。何にしても、二人の仲がいいのは司羽にとっても喜ばしい事だ。
「さて、明日も早いんだろ? そろそろ寝るぞ。」
「……えーっ……。」
司羽がそう言ってベッドの毛布を捲ると、ルーンは不満そうに唇を尖らせて、少し頬を膨らませた。
「えーって、あんまり遅いと明日辛いんじゃないのか?」
「大丈夫、私の体は司羽の気術のお陰で目覚めはスッキリだもん。」
「……そういえばそうだったな。」
なんとなく司羽の中でルーンは朝が弱いイメージが定着していたが、そういえば最近は朝に眠そうにしている事もない気がする。気術の副次効果が密かに活躍していたらしい。
「そもそも、私は暫く夜しか司羽とイチャイチャ出来ないんだからね? その分、夜は私の事を目一杯愛してくれるのが、司羽の役目だと私は思うんだけどなー?」
「……最近やたらと蠱惑的なパジャマを着ているのはそのせいか。」
「あ、気付いてた? ふふっ、私も日々司羽の趣味について研究してるんだよ? どうかな、このベビードール。」
ルーンはそう言って、座ったまま、リボンのアクセントが付いた黒く大きめのベビードールのレースの端を摘まみ上げた。スカートの様になっていた部分が捲り上げられて、対照的に真っ白な脚が覗く。そしてそれと同時に、閉じていた膝を少しずつ開いていく。その行動一つ取っても、司羽の趣味を研究していると言うだけある。正直堪りません。
「うん、似合ってる。ツボを突き過ぎててルーンがちょっと怖いくらいだよ……。」
「えへへーっ、司羽って黒いのが好きだよね。でもスケスケなのはあんまりで、どっちかって言うとセクシー系よりも可愛い系の方が良いよね。それでいて質感がいいピッタリとした材質の方がゴテゴテしてるのよりも興奮する感じかな? でも自分以外が見てる場だと、白とか薄い青のワンピースとかの方が嬉しいって思ってる。」
「……よ、良く見ていらっしゃる。」
「あはっ、司羽の事だったら誰にも負けないもんっ。」
司羽からしてみれば、嬉しそうに無邪気に笑うその笑顔と、司羽の為に着てくれているその服装とのギャップが一番に堪えるのだが……それを口に出したが最後、もうルーンの誘惑からは絶対に逃れられなくなるだろう。
「んふふーっ。」
「うっ……な、なんだよ。」
「うん、司羽の事が大好きだなーって思ってたの。」
……実は、既にバレているのではないだろうか?
「……俺だって、ルーンの事が大好きだよ。」
「うん。ちゃんと分かってるよ?」
「…………。」
真っ直ぐに見つめられて、甘い香りで誘惑されて……。
「んっ……ちゅっ………えへへっ、司羽のキス大好き……なんだか、溶けちゃいそう。」
「………最近毎日だな。」
「最近って……いつから?」
「星読み祭の準備が始まってから……かな。」
「……うん。」
司羽の言葉に頷いたルーンは、そのまま司羽の腕の中に潜り込んだ。そしてキスのおねだりをする様に瞳を閉じる。何度も何度もキスをねだって、その度にルーンの体から力が抜けていった。
「……そんなに寂しかったのか?」
「うん、寂しかった……。」
「……そっか、甘えん坊なルーンは久しぶりだな。」
「だって、いつもと違って甘え足りないんだもん。」
基本、周りの目があるところではルーンは甘えん坊だ。しかし、二人切りの時はルーンが司羽を甘やかす事も多かった。膝枕をしてくれたりするのが良い例だろう。その反面の今日の寂しんぼなルーンは、ここ最近に連続で日中に甘えられていない分の反動なのだろう。そう考えると、かなりの鬱憤が溜まっていそうだ。
「……疲れて寝ちゃうまで……ずっとして欲しいの……今日も、明日も……ずっと……。」
「…………。」
……どうやら、星読み祭の準備の裏で溜まったルーンの司羽への寂しさは、一日程度ではどうにもなりそうもなかった。