第69話:不完全な契約
今回は説明のせいでかなり文字数取られました。次回からは星読み祭、ミシュナのターンです。
「えっ、司羽がそんな事を言ったの!?」
「はい、教官にはまだ気術の稽古をして頂いていますが、戦いに直接巻き込まれる事はないと思います」
「……そう、でもこれで色々納得がいったわ。だから侍従さんあんなに落ち込んでたのね」
ミシュナがナナと会うのは少し久しぶりだった。気の感じ方を教え終わった後、特にナナが気術の稽古を本格的に始めてからは頻繁に会うことも出来なくなっていたので突然手紙で時間を作って欲しいと言われた時は驚いたのだが、まさかそんな大変な事になっているとは、ミシュナは想像もしていなかった。
「それで……貴女達は大丈夫なの? 逃げるって言っても簡単じゃないわ、相手は国を相手にしている様な組織なんでしょう?」
「そうなんですが、何とか逃げ切るしかないです。教官には気術を教えていただいていますが、私も含めて、ハッキリ言って戦力にはならないと言われました。多分教官もそれを見越して、私達に体力強化をさせたんだと思います。少なくとも一晩中逃げ続けて、あらゆる監視から抜け出さなくてはなりませんから、休んでなんかいられませんし」
「それはそうだけど、私が言っているのはそういう事じゃなくて……」
「分かってます。でも、私達はフィリア様を見捨てる気はありません。私自身このままついて行っても役に立つか分かりませんが、それでも家臣として最後までフィリア様の傍に居てあげたいんです」
「……分かったわ。最悪ナナくらいなら此処に匿えると思ってたけど、それをナナが望まないなら意味ないものね」
「ミシュナさん……ありがとうございます」
「お礼なんて良いのよ、私は何もしてあげられないのだから」
歯がゆい気持ちはミシュナにもある。だが、話を聞く限りでは協力を持ちかけた所で自分に出来る事は何もないと言わざるをえなかった。司羽も付いていって居なくなると言うなら話は別だが、まさか一緒に国を脱出する訳にもいかないし、逃走プランも既にあるようだ。ナナがこちらに残りたいと言うのなら、こちらでの生活の面倒くらいは見るつもりでいたが、その必要もないらしい。
「そんな事ありません、ミシュナさんは私に充分過ぎるくらい良くして下さいました!! 気術だってそうです、何とか此処を発つまでに自分で修行が出来るくらいに上達して見せます!! ミシュナさんが教えてくれた事、私一生忘れません!!」
「ナナ……ありがとう。貴女に気術を教えられて、私も嬉しかったわ」
「……ミシュナ、さん……」
ミシュナが本心からそういって微笑むと、ナナは遂に我慢が出来なくなったのか、瞳を潤ませて……それでも、涙は見せなかった。ここで泣いては、強くなった意味がないと自分に戒めるように誓った。少なくとも自分はミシュナのお陰で強くなれたのだと、態度で証明しておきたい。
「ミシュナさんも、頑張ってくださいね。教官の事、絶対に落としちゃってください!!」
「なっ………ま、まあ頑張るわ」
「ふふっ、将来私がこの国に戻ってきたら、ミシュナさんは教官と御結婚して赤ちゃんも出来てるかも♪ あ、でももうその頃には子供も大きくなってるかもですね?」
「うっ、うぐ……善処……するわ……」
こういう話になった途端に顔を真っ赤にしてうつむき加減になってしまう姿を見ていると、やはり、この人の可愛さは他の追随を許さないなーとナナは思う。それに最後だと分かっているからかも知れないが、普段なら誤魔化す様な事もちゃんと応えてくれる。そういう誠実さも兼ね揃えているミシュナなら、絶対に想いを遂げることが出来るはずだ。少なくとも司羽は、ミシュナの事をとても大切に思っている様だから。
「………会うことが出来るのも多分今日が最後です。これからは旅の準備やら資金稼ぎやらで皆ドタバタしますから、私だけ遊んでいる訳にも行きませんし」
「そうね、もう街では星読み祭の準備も始まっているわ。私達一般学院生も参加する頃合だしね」
「ああ、そういえばミシュナさん達は準備のお手伝いがあるんですよね。……フィリア様は抜け出してしまうと言っていましたが……」
「そう……確かに、そんな大変な状況じゃ仕方ないわね」
この大変な時期に、自分の大事をおしてまで準備に参加するなんて現実的に無理だろう。学園生活においてミシュナはそれほどリアと接点がある訳ではなかったが、リアと親友だと公言しているルーンはいきなり彼女が居なくなったらどんな気持ちになるだろうか。仕方がない事だとは分かっているのだが……。
ガチャ
「あらー、ナナちゃんこんにちは♪」
「あ、こんにちはです、シュナさん!! ……ミシュナさん、それでは私はこれで失礼します」
ミシュナがルーンとリアについて物思いに耽っている間に、シュナが帰宅していたようだ。どうやら、最近は家に帰ってくる週間が出来たらしい。そして、入れ替わりになるようにナナは自分の席を立った。
「……もう、行くの?」
「はい、あまり長居すると、帰るのが惜しくなっちゃいますから」
「……そっか、元気でね」
「はい、ミシュナさんもお元気でっ!!」
「じゃあ、そこまで送るわ」
「いいえ、大丈夫です。まだ外は明るいですし……大丈夫ですっ!! それでは、またいつか!!」
ナナはそう言うと、ミシュナと、最後にシュナにも一礼してから元気よく部屋を出た。向日葵を思わせるような、そんな魅力的な笑顔で。
「………ナナ……」
「本当にしっかりした子ね。まだ誰かが守ってあげなきゃいけない年の子が、していい顔じゃないわ」
「お母さん、聞いてたの?」
「んー、まあね。ツカ君絡みっぽかったし、私なりに調べてたのもあったから」
シュナはそう言って、先程ナナの座っていた席にそのまま腰を降ろした。テーブルに置いてあったクッキーを一つ摘み、そのまま口に放り込む。盗み聞きをしていたとは思えない態度だが、この人にはそんな事を言っても無駄だと言う事はとっくに分かっている。
「調べてたって……他人の事情を?」
「いいじゃない。またツカ君が何かやるなら、私はその全てを見ていてあげたいのよ」
「……止めるんじゃなくて?」
「勿論止めないわ、あの子の決めた事ならね」
「……そう」
そんな母親の発言に言いたい事もあったが、ミシュナはあえて何も言わなかった。言っても無駄だというよりは、なんと返すかがもう容易に予想出来たのだ。
「お母さんはどう思う? 司羽が言ったって話……本当だと思う?」
「そりゃあナナちゃんが嘘をついてるとも思えないしねぇ」
「そうじゃなくて、司羽が言ってた事がどこまで本音かって事よ」
ナナがこんな嘘をつくなんて考えられないのだから、ミシュナが聞きたいのはつまりそういうことになる。司羽が自分達の安全を理由にナナ達の事を見捨てると言うこと。もっとハッキリ言えば、ナナ達全員の『生死』よりも、自分やルーンの『確かな安全』を選んだと言うことだ。
「ああ、それなら殆んど本音なんでしょう。良かったわね、ミウちゃん滅茶苦茶大事にされてるじゃない。間違いなくツカ君にとって大事な人だって想われてるわよ?」
「……ぅっ……そ、それは……嬉しいけど」
「あの子は難しい事を考えてるようですっごく単純よ。昔からそう、大事なものに序列をつけて、上から順に安全を確保していく。間違いなくミウちゃんと、そのルーンって子はツカ君の序列の一番上の方にいるのよ。例えナナちゃん達が全員犠牲になったとしても、ツカ君はミウちゃん達が安全ならそれでいいの。独占欲なのか、単に大事な友達だからなのか、そういう所は本人にしか分からないけどね」
「……そ、そっか……」
シュナが言っている事はミシュナにもよく理解出来た。確かに司羽にそういう所があるのは確かだ、ミシュナも昔から身に染みて分かっている。だから、胸が高鳴ってしまったり、頬が熱くなってしまうのは仕方のない事だろう。自分は間違いなく、司羽の大事な人になれているのだから。
「はあっ………だから、そんなに好きならさっさと言っちゃえば良いのに。お母さんもどかしいわ」
「わ、分かってるわよっ、でもタイミングだって重要なのっ!!」
「ったく、中学生じゃあるまいし………あ、そっか、ミウちゃんってまだそのくらいだったわね。いやー、若いっていいわぁ……」
自分だって見た目は二十代前半程度なのだから若い部類だろうに、と言う言葉は飲み込んでおく事にする。この母親、これで意外と年齢については気にしているのだ。平気で何百歳とサバを読むくらいには。
「もうっ、そういう話はいいのっ!! 話を戻すけど、私が言いたいのは……」
「ミウちゃん、人はそう簡単に変わらないわ。確かに子供の頃の性格や習慣なんて変わりやすいものだけど、貴女が十年もの間想い続けたように、本当に大事な気持ちは、時間や空間程度のものでは変わらないものよ」
ミシュナが無理矢理に話を元に戻そうとして机を叩くと、シュナは先程のニヤニヤ笑いとは打って変わって真面目な表情になっていた。ミシュナもそんな空気に押されて、息を飲みこむ。
「それって、やっぱり司羽も変わってないって言いたいの?」
「逆に聞くけど、ミウちゃんは変わってると思う?」
「……思わないわ」
「そういう事、多分まだ何か企んでるんでしょうね。でもナナちゃんが言ってたツカ君の気持ちも嘘じゃないと思う。ミウちゃん達が大切なのは本当なんでしょう」
「……それは……」
それは、一番に? そう聞こうとしたが、そこから先の言葉は出てこなかった。聞くのが怖かったとか、司羽以外に聞いても仕方がないとか、そんな事以前に自分の中でもう答えが出ているのだ。司羽が昔から変わっていないのだとすれば、その答えはもう十年前に出てしまっている。
「人の心は簡単には変わらない、今を変えたいなら、まず貴女が変わらないとね?」
「ええ、そのつもりよ」
「あらっ……そっか」
優しげな笑みで助言したシュナの言葉に、ミシュナは迷わずに頷いた。シュナはそんなミシュナから何かを感じたのか、少し驚いた様子だったが、そのことについてそれ以上は何も言わなかった。
「それじゃあこの話はおしまいね。母さんには……もう一つ大事な話があるんだから……ねっ?」
「あ、あらっ? えーっと……な、なにかしらー!?」
話に一区切りがついた途端に、いきなりミシュナの目つきが鋭くなり、笑顔のまま強烈なプレッシャーを放ち始めた。そんなミシュナのまったく予想外のリアクションに、シュナも少し身を引き気味にしながら応える。さて、自分は何かミシュナの気に障る事をしただろうか? ミシュナがこれだけ怒ると言う事はまず十中八九司羽の事になるわけだが……。
「司羽の使い魔のトワの話はしたわよね? ……取り敢えず今なら怒らないから、とっとと何したのか白状しなさい」
「へっ……?」
「トワの夢にね、シュナって名乗る私にそっくりな大人の女性が出てきたんだって。おまけにトワが泣く程にうなされてたわ………で、何したの?」
「え、えーっ……うーん……私、何かしたの……?」
「しらばっくれないでっ、いくらなんでもそんなピンポイントに、全く関係のないお母さんが出るわけないでしょうっ!? そもそもトワはお母さんの事知らないのよっ!?」
「う、うーん……」
そんな事を言われても……、身に覚えがない。そもそも司羽に使い魔がいた事自体今思い出したくらいだ。えーっと、あれは確か……。
「それで、何したの? あの子は司羽にとっては勿論、私にとっても大事な妹みたいな子なの。大した理由もなしにあの子を泣かせたのなら、いくらお母さんでも……」
「そういえば、その子って夢魔……なのよね?」
「……ええ、本人がそう言ってるだけだけど、多分間違いないわ」
「ちょっと待ってね……えーっと、夢魔って確か……」
ミシュナのジト目と痛い視線から顔を背けながら、シュナはうんうんと記憶の引き出しを漁る。……ああ、そうだ、思い出した。
「うーん、やっぱりそうだわ。それっておかしいわよ」
「だから、お母さんが何かしたんじゃないの?」
「あーいやいやそうじゃなくて、夢魔って種族全般がそもそも夢を見ない筈よ? 元々眠る事が必要な種族じゃないし、外見は似てるから混同するけど、体や脳の作りも人間とは少し違うわ。だから夢なんて見ないと思うのだけれど」
そもそもの話が夢を喰う……いや、正確には夢を作るエネルギーを吸い取る夢魔が、自分で夢を作り出して、それに翻弄されるなんて前提からしておかしい。
「で、でも実際に……!!」
「……そうねえ、私の事みたいだし確かにちょっと気になるわねー……まっ、安心なさい。今度知り合いの夢魔の……夢喰い経験ある子に聞いとくわ」
「夢喰い経験って……相変わらず交友範囲が謎ね」
何故そんな知り合いがいるのか謎な以前に、そもそも夢喰いしない夢魔もいるのかとツッコミたくなるが、とにかく調べてもらえるのなら文句はない。特に今回の件に関わっている訳でもなさそうだし。
「じゃあお母さんに任せるわ。何もしてないってのも嘘じゃないみたいだし」
「もーっ、最初から疑ってかかるなんて酷いわー……」
「だってお母さんが司羽を調べてるって言うから。あの子は司羽の使い魔な上に魂契約までしてるし、ナナの件にも噛んでるみたいだし……悪かったわよ」
「ああ魂契約か、そういえばそんな事言ってたわね。んー……もしかしたら」
ふくれっ面になるいい年した母親に、ミシュナは視線を逸らしつつ呆れ混じりに謝罪した。そんな中でトワの事情を段々と思い出たらしいシュナが、ぽつり、と呟いたのをミシュナは聞き逃さなかった。
「……もしかしたら、何よ?」
「あー、うん。今更だけど、無理矢理に魂契約した影響が出てるんじゃないかなーって思って。そう考えれば納得がいくし」
「影響? それに無理矢理って言っても、二人共ちゃんと同意してたわ。普通の契約と同じ様に結んじゃったけど……」
契約をその目の前で行ったのだ。魂契約と普通の契約の違いはそこまで分からなかったが、今まで特に問題もなかったのだし、契約の行程もあれで良いと思っていたのだが……。
「そもそも、普通は魂契約って結ぼうと思って結べるものでもないのよねー。とは言っても、結ぶ際の形式が違うってわけじゃないわ。ミウちゃんが知ってるみたいに自分のものを相手に上げるでも良し、極論ただの口約束でも良いのよ? 来世でも一緒にいようねって感じで指切りでもすれば」
「じゃあ、なんで駄目なの? やっぱり魔力とか、先天的な部分……?」
「そんなのは関係ないわ、大事なのは気持ちよ。それに魂契約って言ってもパターンがあるの」
そう言ってシュナは指を立てて微笑んだ。ミシュナはこの状態の母親の事を密かに教師モードと呼んでいるが、やっぱり学院の理事をしているだけの事はあるのだろう。なんだか生き生きとしている気がする。
「魂契約自体は有名な契約だけど、一番知られてるのはやっぱり『双方融心型』ね。『相互融心型』とも言われるけど、この契約に必要なのは契約者同士の迷いの無い願いと、心の波長が近い事よ。とは言っても、心の波長って言うのは双子でもなければそうそう最初から一致しないから、ゆっくりと長い時間一緒に居たりして合わせていくものだけどね。まあ極めて稀なケースに、ミウちゃんとツカ君みたいな例もあるけど」
「わ、私と司羽がっ?」
「ええ、この前のクラス入れ替え試験で測ったでしょ? ツカ君のが気になって見てみたんだけど私も驚いたわ、お互い会っても居ないのにミウちゃんとツカ君の波長が長年連れ添った家族同然なんだもの。私よりも断然適合率高くて、ちょっと凹みながら引いちゃったわよ。」
「そ、そうなの……」
シュナは本気で拗ねた様に唇を尖らせたが、ミシュナは内心それどころではなかった。長年連れ添った家族……それは最早夫婦と言っても過言ではないではないかっ!! いや、それはちょっと飛躍し過ぎにしても、占いや相性診断よりも断然信頼度が置けるデータだと言うのは間違いないはずだ。なんだかそう思うと、自然に顔が熱くなってしまう。
「多分ミウちゃんの波長が十年間も強く想い続けた影響で、十年前のツカ君に寄りまくったせいなんでしょうね。そのツカ君も十年で殆んど波長の変化がなかったなら納得出来るわ。いや、それにしても会っても居ない相手とそんな風になるなんて、私も見た事ないくらいの凄さなんだけど……遠距離恋愛ってレベルじゃないわよ?」
「……そ、その言い方って、私が司羽に依存してるみたいに聞こえるんだけど?」
「心の波長について纏めると、恋をしたりして相手の事を想い続けたり、マイナス方面だと同じ心の傷があったりだとか、そういう色々な要素で波長が近づいたり遠のいたりするから、波長の一致に関しては長い付き合いが必要だってことね。とんでもなく相性の良い例外を除いてだけど」
自分の発言が普通にスルーされたのが気になるけれど……なんだか、胸の奥が暖かい気持ちになったのでもうどうでも良くなった。ナナからもストーカーっぽいと言われてしまったし、いっそ開き直ってやろうか。
「『双方融心型』で問題なのは、心の波長よりも契約者同士の迷いのない願いの方よ。心の波長自体はぶっちゃけオマケみたいな物なのよね、そんな風に願うような二人の心が離れてるわけないし。ただしこっちの条件の方は兎に角厳しいわ。波長が最初から近かったとしても、こっちはそうはいかないの。話を聞く限りは、ツカ君とトワちゃんは恐らくこの『双方融心型』だと思うんだけど……」
「……条件が厳しいって、どういう事なの? 口約束でも良いんでしょう?」
「まあ落ち着きなさい。この型の契約を行った際には、その名の通り二つの魂は限りなく近くなって離れなくなる。つまり『来世でも一緒♪』状態になっちゃう訳だけど、勿論魂が離れられなくなる影響がそれだけで済む訳ないでしょう?」
影響……そう言えば、トワが前に言っていた気がする。司羽の考えている事が、口に出さなくても分かってしまうと。
「テレパシー……つまり離れていても意思の疎通が出来たり、相手の今いる位置が感覚的に分かるようになるのは序の口よ。契約の効果で魂が近くなればなるほどにその感覚は強化されていくし、その内話す気なんてなくても、相手が望めば心が透けて読まれる様になるわ」
「それ覚えがあるわ。司羽の考えてる事が分かるって言ってた」
「でもそれで終わりじゃない。果ては筒抜けになるのは考えている事に留まらなくなる。自分でも意識していないような感情、そして記憶も知られる事になるわ。知られたく無い事まで全部相手に分かってしまうの。良い部分だけでなく、記憶や感情のマイナス部分まで全てね」
「記憶……じゃあ、トワが見たのって……」
「そうね、その可能性は高いわ。ツカ君の記憶であるなら、私が居ても何も不思議じゃない」
司羽の記憶、自分の知らない司羽の過去をトワは見ていた。知りたい、とそう思ってしまうのは司羽を想う人間としては当然の心理なのかも知れない。良いか悪いかはまた、別の問題であるけれど。
「今の話で分かったとは思うけど、こんな事を素直に望める人なんてそう居ると思う? 自分は望んでいると思っても、心の底の深層心理では他者をどうしても拒絶するものよ。自分のコンプレックスを知られるだけじゃない、コンプレックスだと思っている事自体や、その理由まで相手に知られるの。弱みや後ろめたさ、コンプレックスのない存在なんてないわ。でもこの契約をするには、自分が嫌いな自分さえ、相手に見せなくてはならない。そして自分を曝け出す事に一切の迷いを抱いてはならない。迷いを抱けば、心が危険だと判断して失敗するわ。それだけの覚悟が必要なの。だから、この条件を満たすことは本当に難しいのよ」
「……そう、だったの。名前だけ聞いたことがあったから普通の契約より密接な関係になるくらいだと思ってたけど……やっぱり前例が殆んどないってだけあるのね」
だとすれば、止めなければならなかったのだろうか? でも自分が見つけた時には既にあんな状態だった訳で……いや、今過去を振り返っても仕方がない。
「私が無理矢理契約したからって言ったのはね? 本当なら、トワちゃんが望まないならツカ君の記憶を見る事もないの。あくまでも見る事が出来る様になるだけ。ミウちゃんだって、自分の記憶でも思い出したくないことって思い出さないじゃない? ほら、例えばツカ君の事を想って書いたポエムとか」
「なっ……か、書いてないわよそんなのっ!! ………最近はっ………」
クスクスと笑うシュナに、羞恥で顔を真っ赤にしながらミシュナは顔を背けた。真面目な話に水をさされた挙句に黒歴史を呼び起こすとは、相変わらずやり方が卑劣というか、シュナらしいというか……。で、なんでこの人はそんな事まで知っているのだろうか。後で隠し場所を変えておかなくてはならなくなった。
「多分、しっかりと準備が整ってないのに契約したからそんな風になったのね。相手を受け入れる準備が出来ていないのにそんな事をしたから、トワちゃんはツカ君の記憶に振り回されてしまったのよ」
「……でもさっき、準備が出来てないと失敗するって……」
「ええ、だから文字通り無理矢理したのよ。夢魔は元々人の心に近い存在だし、ツカ君の方も……ほら、えっと……人間離れが激しいから。多分契約する際にトワちゃんが魂契約を提示して、ツカ君がそれをゴリ押ししたんじゃないかしら? トワちゃんだけ振り回されてるって事はツカ君の方は見事に契約をコントロールしちゃってるみたいだし」
「……流石って言っていいのかしら、考えなしなだけの気もするわね……。トワは可愛いし、おねだりに屈したのかも……」
そしてその結果振り回されるのはトワの方だと。司羽はもう少し女の子の事を考えるべきだ。主に内面を、女心の部分を。
「まあ予想だけどそんな所ね。もし本当に気になるなら、その子を私の所に連れて来なさい。どれくらい契約が強くなってるのか見てあげるわ。契約の解除はしてあげられないけど、命に関わるような事はないでしょうし」
「分かったわ。あんまりトワが辛そうなら連れてくる。司羽の記憶だって事は……言わない方が良いかも知れないけど」
「そうね、それは言わない方が良いわ。言ったら興味を持ってしまうかも知れない。恐いと思ってるくらいでいいの。その子は夢魔だし、恐いと思って逃げれば抜け出せるはずよ。深入りしなければ……大丈夫よ」
「……………」
司羽の記憶。この話が全て正確に合っているなら、トワはいつか司羽の記憶を自由に見る事が出来る様になる筈だ。そうなれば司羽と自分の関係もきっと分かってしまう。トワにもこの気持ちを知られてしまうだろう。それに、自分も知らない司羽の記憶……シュナもずっと教えてくれない部分の記憶も知ることになるのだろうか? 興味はある、知りたい、でも……。
「……なんて、私が考えても仕方ないわね」
「むふふーっ、もう可愛いわねー♪」
「うぐっ……い、良いでしょう? ……す、好き……なんだから……」
「ふふふっ♪」
なんだか、今日のミシュナはとても素直だ。やっぱり何か大きな心境の変化があったに違いない。母親である自分や、ナナの様な妹分でもない、ミシュナの心の霧を晴らして、ほんの少しのきっかけをくれた誰かに感謝したい。シュナはそんな気分だった。
「も、もうっ……あ、ほら、そういえば他にもあるんでしょう? 魂契約のパターンって言ってたし」
「ああ、うん。一応もう一つあるわ。でもこっちは関係ないわねー、これは小手先で無理矢理成立させられる様な契約じゃないし、特殊だから。事例の少なさも『双方融心型』の比較にならないわよ。私も見たことないし」
「ふーんっ……なんて言うの?」
「えっとね『自然奉心型』って名前なんだけど、名前の通り自然に魂契約が起こるわ。起こる現象は『双方融心型』と基本変わらないんだけど……そもそも自然発生な時点で契約って呼ぶのかも怪しいし」
まあ、現象が似ているから同じものとして扱われているものも山ほどあるし、恐らくその手のものなのだろうけれど……自然発生型……なるほど。
「なんかロマンチックね。魂契約自体がそうだけど」
「うん、そうかもね。でもこれは一つだけ大きな違いがあって……魂契約の原因を作った側が一方的に相手の心の内とか記憶を見ちゃう契約なの。更に、相手はそれに気づかないわ」
「えっ……した側が一方的に相手の心の中を覗き見るの? しかも気づかないって……なんか、ちょっと……嫌な感じね」
なんだかそれだと勝手に相手に近づいて覗き見るストーカーみたいに思えてしまう。ロマンチックだと思ったが、それは実際どうなんだろう。
「見る事が目的で契約状態になる訳じゃなくて、自然に魂が契約状態になっていって、結果的にその原因を作った側が相手の心の中が見えるようになるってだけだから。殆んど事故みたいなものね。起こるべくして起こる事故って感じだけど」
「それで、その原因って何なのよ?」
「んー……相手に自分の心を捧げた状態って言うのかしら? 『双方融心型』では、自分の心と、相手の心を曝け出す怖さを乗り越えれば契約出来るわ。でも『自然奉心型』は、自分の心を相手に捧げて、相手の全てを無条件で受け止める気持ちが鍵になるの。もう理屈で簡単には説明出来ない部分なのよね」
「……お母さんがそんな事言うなんて珍しいわね」
それは、なんでも知っていて、ちゃんと説明もしてくれる母親にしては珍しい回答だった。
「そうねー。本来なら人は、自分の受け入れてもらえる部分を考えて人に晒すわ。それを無条件で全て見せるって言う時点で、本来の魂契約のネックを軽く突破しているのよ。その上相手のあらゆる秘密や汚い部分を受け入れる準備も完了している。言ってしまえば、本来なら二人で突破するべき恐怖を、その人はたった一人で、相手に向ける信頼や愛情だけで突破した事になるの。だから言うなれば『自然奉心型』って言うのは、片方だけが完璧に魂契約の条件を満たしたせいで起こる状態なのよ」
「……なるほど、なんか凄いのね」
「ちなみに心を見るのは一方的にって言ったけど、心の波長や心の距離まで本当に独りよがりじゃ意味ないわよ? 深層心理の部分で安心出来る人間だと思われてないと、魂は近付く事すら出来ないわ。気付かれないって言うのも、それくらい近くにいても違和感がないってこと。ツカ君とそうなりたいなら、まずは恋人くらいが大前提ね」
「うぐ……」
魂契約はともかく、恋人に関しては……うん、頑張るしかない。そろそろ星読み祭も始まるのだから。
「ま、まあ、私なりにやってみるわよ。……当日も、四日目以外は空いてそうだし」
「あら大胆っ、デートに誘うの? なら下着はちゃんと選んで、胸の辺りの生地は押し付けた時に分かりやすいようにして……避妊具は……いる?」
「いらないわよっ!!」
「あらっ、初孫は近そうね♪」
「ちーがーうーっ!!」
もう本当にこの母親は仕方がない。でも魂契約の話は素直に素敵だと思えるし、男の人には重い話題かも知れないが、そういう少女漫画めいた妄想もミシュナは決して嫌いではなかった。いつか、自分と司羽もそんな事を考えられるくらいの仲になれるのだろうかなんて、本気で考えてしまう自分もいて……そんな気分のままなんだかんだでシュナに乗せられ、司羽の喜びそうな服を片っ端から叩き込まれるミシュナであった。