第67話:メイドさんの悩み(後編)
「ど、どうぞ」
「あ、ああ……ありがとう」
沈黙の時間の後、二人の第一声がそれだった。取り敢えずお茶を入れては見たものの、なんだか逆に司羽を引き止める理由を作ってしまった気がする。気不味い現状に変わりなく、解散のタイミングも逸し、ただ沈黙の理由が出来た事だけが救いだ。
「えっと……すいません、私室用なので大した味はしないかも知れませんが」
「……いや、旨いよ。それに俺は紅茶の違いなんて分からないしな。良い物を出してもらっても気が引ける」
「そう……ですか」
そしてまた沈黙。自分は異性と会話をするのが恥ずかしい子供かとツッコミたくなるくらいに会話が続かない。本当にどうしたらいいのやら……。
「なあ、ユーリア」
「は、はい、なんでしょう!?」
「ルーンは、どうしてあんな事を言い出したんだろうな……?」
「それは……」
分からない、とそう言おうとして気付いた。ルーンと言う少女が、どういう少女なのか。誰のことを考えて行動するのか。
「………司羽様の為と……多分、私の為なのだと思います」
「俺の? それにユーリアの為?」
「はい、その………多分ですが」
今日の自分の様子を……そして恐らく、司羽の僅かな変化を察して心配してくれたのだろう。だからと言って、いきなり司羽に謝らせた理由は分からない。もしかしたら司羽が何かしたのかと勘違いしたのかも知れないが、ルーンの性格上勘でそんな風に決め付けはしないと思う。……何にしろ。
(きっかけを、作ってくれたのかも知れない)
二人の間に何かあったと感じて、ルーンなりに考えたのだろう。他でもない、司羽の為なのだから。
「感謝をしなければなりませんね。心配を掛けてしまった様です」
「そうか……」
「はい……」
感謝の言葉など、ルーンは求めはしないだろう。しかしこうして骨を折ってくれた分は、自分もしっかりしなければならない。後悔は先程、嫌という程したのだから。
「司羽様、今日は申し訳御座いませんでした」
「え? な、なんだよユーリアまで……」
「別に司羽様の真似をした訳ではありません。ただ、今日の事をどうしても謝りたくて……」
それは、他の皆と一緒に司羽を責めてしまった事、ただ一人に重荷を背負わせてしまった事、そして何よりも、自分の定めた主を信じ切れなかった事。ユーリアが何度も後悔した事の全てだった。
「気にするなよ。過ぎた事だし、ユーリアの抱く感情は尤もな事だ。理由を隠してたのは俺だったんだしさ」
「気にします。司羽様を信じ切れなかった事。そして……貴方への怒りと、自分への後悔に覆われて、貴方を叱ってあげられなかった事を」
「俺を……叱る?」
「そうです。相変わらず自分を軽視してしまう事と、私とトワさんに、一言の相談もなかった事を」
それは司羽にとって、とても意外な言葉だった。叱らなかった事を謝られるなんて、予想もしていなかったから。
「貴方はまた自分が批難を受ける事で事態を纏めようとしました。ネネさんやナナさん、他の方々からも責められて、それで良いと考えてしまいました。初めて彼等と会ったあの日の様に、司羽様は私達を含めた全員を欺こうとしたのです。他でもない、自分を犠牲にして」
「それは……騙したことは、悪かったと思ってるよ。でもそれが一番だと思ったんだ。俺が責められようがどうしようが、事態が変わらないなら同じ事だ。ルーン達を理由にしても結果は同じ事になる。だったら仕方がないじゃないか」
「それは違います。結果が同じでも、司羽様が責められるという過程があります。それは決してどうでも良い事なんかじゃないんです!!」
「……そう……言われてもな」
ユーリアの声が震えて、司羽の言葉が鈍った。そう、今のままでは彼は理解など出来ないのだ。そしてだからこそ、ユーリアは叱らなくてはならない。
「結果が同じなら、私も司羽様と一緒に責められて居たかった。私が一人で責められたとしても、決して責める側で居たくはなかったです」
「それこそ無駄だろう。なんでユーリアまで責められる必要があるんだ。それに、別に俺は辛いと思ってた訳でもない」
「でも、結果は同じでしょう? 私だって、辛いだなんて思いません。これは仕方のない事なんですから。それに寧ろ主である貴方の隣で、侍女として同じ責を背負えるのですから誇らしい事です。だから司羽様は、私に責を負わせれば良かったんです」
「……………」
ユーリアの言葉に司羽は返す言葉を失ってしまった。結果は同じだと、言い始めたのは自分だった筈なのに。
「司羽様が今感じている気持ちがきっと、答えなんですよ。たとえそれで本当に司羽様が何も感じなかったとしても」
「そう……なのか」
司羽は、そう言ったっきり何か考え込んでしまった。自分の気持ちは伝わっただろうか、たった一度だけの言葉で全てが伝わるとは思っていないが、僅かでも伝わればそれでいい。いつの日か、きっと分かってもらえる時が来る。その時は言葉だけではなく、実感として。
「ユーリアは俺に相談して欲しかったって言ったよな?」
「はい、言いました」
「俺は誰に何を言われようと、自分の意思を曲げるつもりはなかった。蒼き鷹の護衛は断らないし、リア達の仲間としては着かないって決めてた。ルーンやミシュナがリア達よりも大事だから、俺はリア達の為に二人を危険に晒す気は最初からなかった。それに裏切る事は確かだからケジメだって着けたかった、それに関して二人を理由に持ち上げて仕方ないなんて言いたくなかったんだ。それでもユーリアは相談しろって言うのか? 答えは決まりきってるだろう?」
「はい、そうして欲しいと思います。確かに私に打開案は浮かびませんし、司羽様の負担を軽くして上げることも出来ないかも知れません。それどころか、司羽様が悪者になる事を嫌がって、迷惑をかけるかも知れません。でもそれでも、相談して欲しいって思います」
「じゃあどんな相談する意味があるんだ。どうして相談して欲しいなんて言うんだ?」
「貴方を独りにしないで済みます。少なくとも、私が傍に居てあげられます」
そんなユーリアの言葉に、司羽は言葉を失った。
「そんな風に効率や自分の中でのケジメだけを求めていては、司羽様が独りになってしまわれます。貴方は一人でなんでも出来てしまうから、きっと誰にも頼る必要がないんです。だから効率だけ求めていたら、貴方は独りになってしまいます。貴方が独りでいると、私達は皆苦しいんです。貴方が独りに慣れすぎて、その内自分達まで必要とされなくなるのではないか思うと恐いんです。貴方の事を理解しようとしている人がいるって、感じて欲しいんです」
「……理解……」
そういえば、ルーンも言っていた気がする。もっと知りたい、少しでも理解したい、好奇心ではなくて、もっと別の何かの為に知ろうとする。司羽には何故か分からなかったが。
「ユーリアはこれだけ食い違った意見を持ってても、理解しあえるなんて思うのか?」
「思います、否定と肯定だけが理解ではありません。少なくとも私は、司羽様を理解したくて貴方の侍女になったんです。肯定出来なくても、時間がかかっても、司羽様という人を理解して、支えようと思って仕えているんです。だから、支える立場の私が司羽様への理解を放棄して攻撃してしまった事は、従者として最低の行為でした」
「……難しく考えすぎなんだよ。もっと気楽でいいんだ。無理に理解なんてしなくても、ユーリアの気持ちはちゃんと分かってるよ」
「それでは嫌なんです。私は、司羽様に孤独に慣れて欲しくないんです」
「……………」
孤独に慣れて欲しくない。確かに、自分は昔から他者に頼るという事をあまりしなかったのかも知れない。友人はいなかったが、一人で困ることもなかったし、孤独を感じる事もそうはなかった。だがそれこそが、孤独に慣れてしまうと言う事なのだろうか? 普段はルーンが常に傍に居てくれる、居ないのはリア達の所に行っている時だけだ。それはもしかしてルーンにも、そういう風に見えていたからなのだろうか。だとすれば、かなりの心配を掛けてしまっていたようだ。それにそれは、何処か寂しい気がする。自分が居るのに、隣で孤独を感じられるなんて事は。
「ルーン様の事は分かりませんが、もしかしたらそうだったのかも知れませんね。単純に傍にいたかったからかも知れませんが。司羽こそ、難しく考えすぎなのです。理由なんてなくても良いじゃないですか」
「……声に出してたか?」
「ええ、はっきりと」
「………そうか」
どうやら、言うつもりもない事を聞かれてしまっていたらしい。でも、確かにユーリアの言う通り考えすぎなのかも知れない。……なんにしても。
「済まなかった。どうやら俺は、お前たちをないがしろにし過ぎてしまったみたいだ」
「……司羽様……」
「でも間違えないで欲しいのは、俺はお前たちが不必要だなんて思ったことは一度もないって事だ」
「はい、分かっております。まだ僅かな時とは言え、一緒に暮らしているんですから」
「……そうか」
どうやら、自分が一番何も分かっていなかったようだと反省してしまう。心まで守ってほしいとルーンに言われたあの日から、自分はどれだけ成長が出来たのだろうか。
「とにかく、この話はもう終わりです。リア様達の事は……私も心苦しいですが、司羽様の決定に従います。私もどうやら、本当に守るべき人の事を忘れてしまっていたようですから、おあいこです」
「……………」
「司羽様……?」
「……実は、まだ一つだけ話していないことがある。今回の件に、特に護衛に関係することだ」
「話して、いないこと……?」
突然の司羽の告白に、ユーリアは目を瞬かさせた。話していないこと、この状況でそれを言い出したということは……。
「それって……!!」
「勘違いはするな、期待させて悪いがリア達の味方になるって話じゃない。……そこまで聞いても、その先を聞きたいか?」
「味方になる訳じゃない……」
今回の護衛の件で、リア達の味方になる訳じゃないと言う……普通に考えるなら、それは……。
「それはどうしても………必要な、事なんですよね?」
「そうだ。少なくとも俺の目的に取っては。そしてユーリアに取っても、いい話だとは思う」
「………私に取っても……」
司羽はリア達の為だとは言わなかった。あくまで司羽と自分の為。だがそれでも、主である司羽がそれを決め、自分の為にと選んでくれた道ならば……まずは信じて付いて行く事が、正しいことだと信じたい。もしも間違いだったとしても、その時は自分も司羽の傍でその間違いを反省したり、話し合ったり出来る存在でありたい。
「……聞かせてください」
「そうか。それじゃあ明日の放課後、学院まで来てくれ。トワと一緒にな」
「明日……ですか? それに、トワさんと一緒に学園にって……どういう事です?」
司羽はそれだけ言うと、ユーリアの疑問には答えず椅子から立ち上がった。
「悪いけど、今すぐに俺の一存で全て伝えるのは控えたい。それに、今日はもう遅いしな」
司羽に言われて時計を見ると、なるほどもう11時を回っている。あまり話し込んでいては、ルーンにも悪いだろう。……なんとも、司羽らしい理由だ。
「明日、話してくれるんですよね?」
「ああ、ちゃんと話す。協力者も必要になるだろうしな」
「……そうですか。でも、次からは最初から呼んで欲しいです」
「善処するよ。また叱られちゃ堪らないしな……それじゃあ、おやすみ」
パタンッ
最後にそう言って苦笑すると、司羽はそのまま部屋を後にした。
「……ふぅっ」
司羽の去った後のドアを見詰めながら、ユーリアは張っていた気を緩めた。司羽の言っていた事も気になるが、今は関係が改善された事を喜ぼう。そしてこれから先、もう間違えない様にすればいい。
「……でも、なんで学園なんでしょう……?」
ユーリアのそんな疑問に応える声は勿論ない。何にしろ、ゆっくり解決するしかないのだ。自分達の事も、リア達の問題も。きっと全て、焦っても仕方のない事なのだから。まずは自分の主を信じる事、それだけはもう、絶対に間違えはしないと、ユーリアはそう心に決めたのだった。