第66話:メイドさんの悩み(中編)
「………はぁっ……」
もう何度目の溜息だろうか? 自分の浅はかさに、無力さに、そして自身で定めた主人を信じられなかった事に対する溜息だ。情けないと思う、主人と言っても自分よりも年下の、少年と言っても差し障り無い男の子に、ただ支えられているだけなんて。
「確かにちょっと大人びてるけど……」
年下だから、そんな事で自身の主人に対する評価が変わったりはしない。しかし自分は、彼の姉の様な存在で居ようと思っていた。彼には叱ってくれる人が必要だと、初めて会った時に感じていたのだ。
そしてその直感は間違っていなかったと彼と接する内に確信した。それは例えば、初めてリアの家族と会った時の態度。彼は帰り道で言っていた、好かれる必要は無いと。それに対して私は、そんな寂しい考えではいけないと叱ったのだ。
……今にして思えば、今回も同じ事だった。彼はまた一人で考え、行動し、ルーンとミシュナを巻き込まない為に皆に責められたのだ。私はそんな彼の性格を既に知っていた。だからよく考えれば分かった筈なのだ、彼がそんな非情な人間ではないと。そして司羽を叱って、諭してやるべきだったのだ、一人で抱え込むなと……それなのに……。
「司羽様に作られた目先の標的に釣られて、私も一緒になって責め立てて……本当、何やってるのよユーリア」
支えられっぱなしだ。自分だけで何でも決めて、全ての罪を被ってしまう一人の青年に。自分は一度注意した事をまた繰り返す司羽を叱ってやらなければならない立場なのに、その役目は自分にしか出来ないと言うのに……。
人の性格はそう簡単には変わらない、だからこそ何度でも言い聞かせてやらなければならない。そう心に決めた筈ではなかったのか?
「………あーもう、なんだか頭の中がぐちゃぐちゃになってきちゃった」
自分はどうするべきだったのか、そんな事は決まっている。司羽の本当の意図を考え、叱ってやるべきだった。たった一度指摘しただけでは駄目な事は分かっている。だからこそ何度でも、諦めることなく。そしてそうでなければ、どうして司羽に頼ってもらえる存在になれるだろうか? 姉になる以前に、従者としても失格の自分が本当に情けない。
そんな考えが、ぐるぐるぐるぐると頭の中をループしていく。
「ああああー…………もう、本当に情けないわ」
自室のベッドの上でぐるぐるぐるぐると、頭の中と同時に体も回る。駄目だ、抜け出せない。こんな事ではいけないと分かっていても、自分自身に打ちのめされてしまう。
「………おばあさま、私に本当に侍従など出来るのでしょうか」
遂には、ここにはいない存在にすら泣き言を言ってしまっていた。既に亡き祖母は、共和国の重鎮に仕えていたと聞いている。従者とは、主人の事をまず信じなければならない。それは昔何度も聞かされた祖母の言葉だ。今になってやっと、その言葉の本当の意味がわかった気がする。主人にとってどんな存在になるにしても、相手に信用されるにはまずこちらが信じてあげなくてはならない。そしてそれはどんな能力を会得するより難しく、大切な事。
「………はぁっ」
そしてまた溜息をついて、ループの最初に巻き戻る。先程気分転換をしようとお風呂に入ってきたが全く気分転換にならなかった。とは言え、このままでは眠れない。なんとかして気持ちを切り替えなくては。そう思って何か方法を模索している時だった。
コンコンッ
「っ……は、はいっ!?」
「あっ、私ルーンだよ。」
「る、ルーン様っ……!?」
突然の来訪者に、ユーリアはベッドから跳ね起きた。こんな時間になんだろう? まさか、今日の仕事で知らずにミスをしてしまった? 正直仕事中もぼーっとしてしまっていて良く覚えていない。それとも、司羽との事で何か言いに来たのだろうか? 自分と司羽の様子がおかしいと勘付かれて、それを何か誤解していたとしたら………まさか、クビなんて事に……。
「……………」
「おーいっ、ユーリアさーん? 入っても大丈夫?」
「あ、あっ、えっと、少々お待ちください!!」
いやいや、悲観的になっては駄目だ!! 何はともあれ急いで自分の服装を正す。今はメイド服ではなく寝巻きだが、着替えていては待たせてしまうし、何もしないよりはマシだ。最後に髪の乱れを適当に整えて、深呼吸すると、いつもの笑顔でドアノブを捻った。
「すみません、お待たせしました。どうぞ中……へ……?」
「うん、ありがとう。ほらっ、司羽も来るっ!!」
「うっ、あ、ああ……」
ユーリアはルーンを笑顔で出迎えたが、ルーンと一緒に居たその人物を見て一瞬笑顔を固まらせた。
「つ、司羽様っ!? いらっしゃったのですかっ!?」
「……ああ、なんかルーンが話があるらしくてな」
「そうなのですか……」
それだけ言って、ユーリアはつい司羽から視線を逸らしてしまった。……気不味い。とても気不味い。別に司羽を部屋に呼ぶのが嫌だと言う訳ではない。恥ずかしいとか、そういえば男の人を部屋に入れるのは初めてだなーとか、そういう気持ちはあるにしろそれとは関係なく今は司羽と会いたくなかった。せめて、自分の中で気持ちに決着を付けるまでは。
「うぅ………」
「……おい、ルーン。それで話ってのは一体……?」
「そうそう、それなんだけど……」
ルーンは司羽に促されると、胸を抑える様な仕草をしているユーリアをチラッと見て、直ぐにその視線を司羽に戻した。そして指を立てて、それをスッとユーリアの方へ伸ばした。
「何にしてもまず、司羽はユーリアさんに謝りなさい」
「………はい?」
「ひゃい!? わ、私ですかっ!?」
ルーンの一言に、いきなり指差し名指しされたユーリアもびっくりだったが、対する司羽の方もクエスチョンマークが乱舞していた。謝るって、何を? 誰に? いや勿論ルーンが言うには司羽が謝ると言う事らしいが。
「えっと……どういう事だ?」
「どういう事かは分からないし聞かない。でも取り敢えず司羽は、ユーリアさんにゴメンなさいって言うの」
「いや、そう言われても何の事か分からないで謝るのはどうかと……せめて理由を教えてくれ」
「………むぅ」
理由を聞く司羽に対して、ルーンはどうも要領を得ないがどうやら司羽に謝らせたいらしい。しかしまたどうしてそんな事を言い出したのか、当の本人達どころかルーンすらも分からないと来たものだ。司羽にしてもどうして謝る必要があるのか、そして何を謝ればいいのか分からないのでは納得がいかないし、困る。
「………じゃあ、登下校と、学校での休み時間のちゅー禁止」
「へっ?」
「ユーリアさんにゴメンなさいってしないと、この二つを禁止にしちゃうからっ!!」
「…………えー」
なんだか良く分からない内に、どうやらルーンの可愛いお仕置きが追加された様だ。しかしまあ、何というか微妙だ。ちゅーの全体的な禁止ではなくて限定条件までつけている。それに正直これは……。
「家でならともかく……、外でのちゅーは隠れてても恥ずかし……」
「しないと、私が我慢出来なくて授業中とかにしちゃうよ? それか泣くよ?」
「ユーリア、良く分からないけどゴメン。俺きっと何かしたんだろうし、それにすら気付いてないけどゴメン、お願いだから許してくれ……」
「あ、え、えっと……は……い……?」
いきなり深々と下がる頭に、ユーリアは未だに混乱中だった。しかしどうやらルーン的にはOKらしく、司羽の頭を良い子良い子と優しく撫でている。そしてそんな二人を見つつ、ユーリアは段々と正気に取り戻して行った。
「はっ!? つ、司羽様、頭を上げてください!!」
正気に戻った時、目の前に見えたのは自分の主が頭を下げる姿。そんな事をされる覚えもないのに、いつまでもそのままなのはユーリアにしても困る。ただでさえ今は混乱しているのだ。
「さてと、私の用はこれだけだから部屋に戻るね。私が居たら話も出来ないし」
「えっ、こ、これだけって……」
「……あ、でも話が終わったら司羽は部屋に戻ってきてね? あくまで司羽は貸すだけだから、一緒に居てくれないと眠れないし」
「いや、話も何も俺は別に……」
「それじゃあ、お二人共ごゆっくり」
パタンッ
二人の抗議もなんのその、ルーンはそれだけ言うと、ドアが閉まる音と共に部屋から出て行ってしまった。勿論司羽は部屋に残ったまま、ユーリアと二人きりという状況が作られてしまった。まるで状況が掴めないまま、ユーリアと司羽は二人で顔を見合わせる。……非常に気不味い空気だ……そして。
「………えっと……お茶、入れますか?」
「………ああ、頼む」
二人共、何とかそれだけ絞り出したのだった。