第65話:メイドさんの悩み(前編)
「………はぁっ」
「……………」
「ね、ねえ、侍従さんどうしちゃったの? なんか滅茶苦茶落ち込んでるんだけど……」
「うーん……何があったのか聞いていいのかな、これ。絶対にリアの所行ってからだよね?」
ゴニョゴニョゴニョ
ルーンとミシュナがゴニョゴニョと耳打ちをするその日の夜。その場にユーリアの小さな溜息が漏れた。いつものまったりタイムに、いつもの空気は何処へやら。その微妙な空気の原因はハッキリしている訳なのだが……。
「ユーリアさんもだけど、司羽もちょっと変だよね……心配だな……」
「変は変だけど……あんだけイチャついてれば大丈夫だと思うけど……?」
「えっ、私達今日イチャついたっけ?」
「さっきまで膝に乗ったり背中から抱きついたりしてたでしょう?」
ついでに言うならその前には手を繋いだり腕を組んだり、更にその前はあーんをしたりご飯粒をキスで取ったり。どちらかと言えばいつもより大分司羽が受身だったから元気がない影響は出ているのだろうが、いつもとやってる事は何も変わっていない様にミシュナは感じた。胸焼けが出来るような光景だ。
そんなミシュナの冷たい視線を無視して、ルーンは視線をソファーで本を読んでいる司羽に向けた。
「司羽もさっきから読書してるけど……うーん……やっぱりあれ本読んでないよね」
「……そうね、あれは多分何か考え事をしてるわね」
「あ、ミシュナも分かるんだ? 多分ユーリアさんの事だよね、時々チラって見てるし」
じーっと司羽を観察していると、たまにチラッとユーリアの方へ視線を向けているのが分かる。司羽は集中して本を読むタイプなので、その態度はちょっとおかしい。少なくともルーンとミシュナの目にはそう写っていた。しかしそんな風に司羽を観察していると、ミシュナの頭の中に、ある可能性がムクムクと沸き起こって来てしまう。そして段々と視線がジト目に変わっていく。
「……単純に胸を見てる可能性もあるけど……ね」
「流石にそれはないと思うけど……」
「そうかしら? 普段だって侍従さんの胸とかお尻見てるじゃない」
「……確かに、大きいもんねユーリアさん。服の上からでもスタイルの良さが分かるし」
ルーンも最初は、ミシュナのコンプレックスから来る謂れ無き司羽への疑念に苦笑をしていたものの、話をしている内に段々と思考がミシュナに寄っていってしまった。実際ルーンとしても、司羽の視線が自分以外の魅力的な部分に向けられるのは、ちょっと面白くないのだ。
「……でも司羽は胸も好きだけど、足も結構好きだから私は足に一票かな?」
「……え、そうなの?」
「うん、ミシュナの足とかも結構見てるよ。気付かなかった?」
「……………そうなのね」
「………ミシュナ、顔赤いよ?」
「い、いや、それは………っ!!」
「……ミシュナ、ルーン……お主ら何をそんなに楽しそうに覗き込んでおるんじゃ?」
「「……………」」
二人の話が段々と関係のない話題にシフトし始めた時、いきなりトワに後ろから訝しげな様子で声を掛けられて、ルーンとミシュナはリビングの入口の扉の前で沈黙した。そして確認するようにゆっくりとトワの方へ振り返ると、そのまま何事も無かった様にスッと左右に体を退けてトワに道を開けた。
「別に、なんでもないわ」
「そうそう、なんでもないよ」
「……………」
うそぶく二人に、トワはなんだか仕方がないとでも言いたそうな表情で肩を竦めた。
「………主に聞きたいことがあるなら態々こんな所でそんな隙間から観察せずともよかろう?」
「えー……」
「別に良いじゃない、雰囲気の問題よ」
「ルーンもそうじゃが、ミシュナまで……」
あんまりと言えばあんまりの返しをする二人にトワは呆れたような表情で溜息をついた。とはいえ実際ルーンとミシュナも、別に何か聞きたい事がある訳ではなく、ただ二人の様子がおかしいのが気になっていただけなのだ。
「まあそれは冗談にしても、今日帰ってきてから二人の様子がおかしいでしょ? だからミシュナと一緒にどうしようかって相談してたんだよ。ほら、特にユーリアさんなんて溜息ばっかりだし」
「ふむ……その事か。まあ確かに童も気になってはおるが……」
そう言って、トワもドアの隙間からチラリとユーリアの様子を見た。洗濯物を疊んでいるが、いつもよりも何処か上の空で手際が悪い。だからと言って生活に支障が出るレベルではないし、放っておいても問題はないと思うが……。
「………なんか空気が重いのよね……トワ、何があったのか知ってる?」
「……それはまあ……知ってはおるが……」
ミシュナの言葉にトワは途端に歯切れが悪くなった。ルーンもミシュナも、そんなトワの様子を見てその理由を察する。トワが言いたくない、と言うよりも言えない事ならば、二人が予想した通りリア関係の話なのだろう。……どちらにしろ最初から深く聞こうとは思っていなかったが、そういう事ならば二人も納得するしかない。
「いいよ、無理に聞かないって約束したし。司羽が教えてくれるまで待つって決めてるから。それに元々、何かを聞いたりするつもりじゃなかったんだよね」
「すまぬ……これくらいでは主も何も言わぬとは思うのじゃが……なるべくなら、この件は知らないで欲しいのじゃ。それが主の望みじゃからな」
「……ほんと、秘密主義なんだから」
クスリと笑ってあっさりと追求を止めたルーンに対し、ミシュナは少し不満そうだった。何にせよ、トワを責めるつもりも追求をするつもりは無いのだが。
「すまぬミシュナ。じゃがこれも主の優しさじゃと童は思う。それと主は、ミシュナの事をとても大切に思っておる。それゆえに言えぬこともあるのじゃ……」
「……私の事は別に気にしなくても良いわ。司羽の性格だって知ってる、だから口を出すつもりはないわよ……もちろん、危険な事じゃないなら……ね」
「ああ、それならばもう心配はない。主はこの件から………あっ、いや……なんでも、ないのじゃ……」
会話の中でトワは危うく口を滑らせそうになり、咄嗟に自分の口を両手で押さえて、そのまま視線を気まずそうに横に逸らした。……この話題はもう止めよう、うっかり大事な情報が漏れてしまったらトワが可哀相だ。
「……でもなんにしても今の司羽と侍従さんには仲直りしてもらわないといけないわね。空気が重たくって仕方がないもの」
「うむっ!! それには童も賛成なのじゃ。喧嘩している訳ではないから、きっかけさえ出来れば大丈夫だと思うのじゃが……」
「そうねえ……それが難しいんだけど」
「……きっかけ……きっかけかあ……」
トワの言葉を繰り返しながら、ルーンはチラリとミシュナの方に視線をずらした。一人で考え込んでいたミシュナも、その視線に気付いて疑問符を浮かべる。
「……なっ、何よ?」
「んー……ミシュナのきっかけって何だったのかなーって」
「私? それって何の……」
「だから司羽のことを好むぐっ」
「あーあーあーっ!!」
「ミ、ミシュナ……? どうしたのじゃとつぜ「なんでもないわっ!! 気にしないでっ!!」……う、うむ。わ、分かったのじゃ……」
突然ルーンの口を塞ぎ、一人で騒ぎ出したミシュナを見てトワは驚いて目を丸くした。訳を聞こうとした瞬間に、鬼気迫る表情でミシュナに睨まれてしまったので、その理由を聞く事は出来なかったのだが。
「ぷはっ。もう、何するのよミシュナ……」
「何をするのじゃないわよっ!! そ、そういうのはその………あーっ!! もういいわ、兎に角今は侍従さん達のことを考えるのが先でしょうが!!」
拗ねた様に唇を尖らせ、全く悪びれた様子のないルーンに溜息すら出ず、ミシュナはもう諦めて話題を元に戻した。
「ああ、それに付いては私に任せてもらっていいよ? きっかけさえあれば良いんだから……でしょ?」
「……何か考えがあるのかしら?」
「あははっ、考えって言う程のものじゃないよ。司羽もユーリアさんも不器用なだけなんだから。こういうのはちょっと強引に背中を押してあげればそれでいいの」
ルーンは簡単な事だと言うような口調でそう言った。……強引にと言うのが気になるが、ルーンがそう言うのなら、任せてしまった方が良いだろうか。
「……そういうもの、なのかしら」
「そういうものだよ。皆いつだって、ほんのちょっと不器用なだけなんだから……ねっ?」
何やら物思いにふけるような表情になったミシュナに対して、事も無げにそう言ったルーンの表情は、少しいたずらっぽい笑顔だった。