第64話:別れ道
「なっ、馬鹿なっ、大統領の息子だと!?」
「その方が蒼き鷹のトップで……星読み祭にいらっしゃると言う事ですね?」
「まあそういう事だ。俺もいきなりで驚いたが、確かな筋からの情報だから信用出来るぞ」
「………相変わらず良く分からん情報網だな……」
呆れか、それとも現状への疲れか、溜息をつくアレンに司羽もまた苦笑で返した。ミリクから話を聞いた翌日、司羽はユーリアとトワを連れてリアの屋敷へ来ていた。訓練の予定時間より大分早いので、皆不思議そうにしていたのだが……。どうやら、朝ボケしていた面々も一気に覚醒するくらいの衝撃があったらしい、無理もない話だが。
「くっ、リア様。これは早急に脱国の準備、もしくは対策を立てませんと……」
「……ジナスさんの言う事は尤もだが、開会式当日前の脱国は難しいと言っておくぞ。情報では周辺国家への脱入国は、星読み祭の影響で厳しくなるらしい。特に開会式にはVIPが集まるから、開会式がある一日目の夜くらいまでは不法入国と不法脱国はまず無理だ」
「そんな………司羽さんの力で何とかならないの?」
「おいおい、俺は別に特権階級の人間って訳でもないんだから無茶言うな」
メールの縋る様な視線を受けて、司羽は困った様に頭を掻きながら呆れたように溜息をついた。そんな事が出来るのなら問題も解決してしまうだろうが、生憎司羽はこの世界に戸籍も持たない部外者なのだ。そんな影響力のある筈もない。……それに、リアは元々それを承知で此処に残っているのだ。本人は脱国する気はないのではないだろうか? 司羽がそんな意図と共にリアの方に視線を送ると、リアは少し困った様な表情で頷いた。
「ルーンとの事は考えないとしても、元より何処へ逃げても同じだと思っていました。一度補足されてしまった以上、彼等の監視を抜けて何処かへ逃げると言うのは現実的ではないと私も思います」
「……なら、戦うのですか?」
ネネがどこか緊張した面持ちでそう言うと、それにもリアは静かに頷いた。本人も少しは覚悟をしていたのだろう。こういう日が来るのも遠い未来の話ではないと……、それが、些か早すぎる様には感じていたかもしれないが。
「そうする他にないでしょう。彼等とは一度、もう敵対するに充分な接触をしているのですから。今更やっぱり仲良くしましょうと行くとは思えませんし」
「………申し訳ございません」
「謝らないでください。何もユーリアさんを責めている訳ではありません。貴方は傭兵として私と出会ったのですから、そうする事があの場では何より自然だったのです」
一度リアを殺そうとしたユーリアには何とも耳の痛い話であった。ユーリアもそれが簡単に許される事だとは思っていないし、共和国レジスタンスとしての立場を盾にしたところで、ユーリアのやった事は正当化などされはしないのだから。リアが何と言って許してくれようとも、ユーリアはその事を水に流すつもりはなかった。……そんな二人の空気に割り入る様に、司羽は紙の束をリアの前の机に置いた。
「………これは?」
「その蒼き鷹のリーダーと、蒼き鷹本体の資料だな。表から裏まで、トップから重要な利害関係者まで全部纏まってる。俺はもう頭に入れたから、そっちで持ってていい」
「そんな事まで………一体何者なんだ、その協力者と言うのは?」
「………さあな」
驚いた様子のジナスからの質問を、一言でバッサリと受け流す。リアにだけは前もって情報を流す時に話していたが、ミリクの事は他の面々には伝わっていない様だ。まあ、誰かを知っているリアでさえ、信じられないという様な表情をしていたが。
皆が蒼き鷹の主要メンバーの顔写真(どうやらエーラにも録音、撮影技術はあるらしい)を眺めている中、アレンは一通りに眼を通すと司羽に向き直った。
「しかしこれで心構えも出来る。星読み祭までに対策を考えられるのはこちらに取っては大きな利点だ」
「そうだな、提供者にも感謝していたと伝えておくよ」
「そうしてくれ。………ところで、今回お前はどうするんだ?」
「……………」
そんな事を聞いてきたアレンが何か見透かすような視線で自分を見ていた事に、司羽は気が付いていた。どうするかと言われて、どう応えたものかと考えてしまう。そうは思っても、今更考えを変えるつもりはなかったのだが。アレンの質問に何も言わない司羽を不思議に思ったのか、ナナが司羽の顔を覗き込むように近づいた。
「教官………どうかされたんですか?」
「いや、俺がどうしたって訳じゃないんだけどな……」
「何です? 何か画期的な策でも思いつきましたか? 個人的には、司羽様に策が必要だとも思えなくなっている自分が居るんですが」
「うむ、主が負けるとは童も思えん。主が戦っている姿を直接見たわけではないが……主からは、そういう何かを感じるのじゃ。策など不要と思うのじゃが」
ユーリアもトワも司羽が何も応えないのを、何かの策を考えているのだと勘違いしたらしい。他の面々もそれを聞いて、司羽の策に興味が出たように視線が司羽に集まってきた。しかし、アレンとナナはその司羽の沈黙から何かを読み取っているようだった。
「教官……何か言ってください」
「……ナナ、悪いな。今回の件、俺は直接的に動けない」
「えっ……」
司羽が端的にそういったのを聞いて、ナナは不安そうな表情になった。ユーリアやトワを含めた他の面々も同様の様で、司羽の発言をよく理解出来ていない様子だった。不安気な表情になる者、訝しげに探る様な表情をする者……ただ一人、アレンを除いては。
「……やはりか、そんな気はしていた」
「悪いなアレン、お前の予想通りだよ」
「えっ、つ、司羽様。それはどういう事ですか? 直接的に動けないって……」
「……主」
動揺する面々の中で、トワとユーリアの二人は真っ先に司羽に事情の説明を求めた。この事は二人にもまだ説明していない事でもあり、司羽の言葉に混乱している部分もあるのだろう。どちらにしろ全員に伝えなければならない事だし、この場で纏めて説明した方が良いと判断した為だ。
「実は向こう側のリーダーから、星読み祭の一日目の護衛を名指しで要請されているんだ」
「はっ……? ご、護衛ですか?」
「ああ、一日目だけな」
「うむ、流石主じゃ。仮にも星読み祭とやらのVIPである相手の護衛を頼まれるとは」
「………ああ、まあそういう考え方もあるか」
司羽のその告白にユーリアは疑問符を浮かべていたが、トワに関しては何やら納得した様に頷いていて、何処か誇らしそうにも見える。正直トワの反応はズレている様に司羽も思ったが、どうやらリア達の表情を見る限り、中には司羽の言葉の意味を理解している者もいるようだ。表情を歪めて司羽を睨みつけているマルサもその一人だろう。
「おいおい大将……あんたまさかそいつの護衛ってやつを……」
「ああ、引き受けたぞ」
探るようなマルサに対し、司羽は即答で肯定した。途端、その場に僅かなざわめきが生まれる。
「なっ、なんですって!? あんた、なんで態々敵の思惑に乗るような真似をするのよ!!」
「落ち着け、ネネ」
「落ち着けってアレン、あんたも知ってたの!?」
「いや、だがなんとなく理由は分かる。……司羽、続けてくれ」
アレンはそれだけ言って、司羽に視線で促した。ネネの事は気にするなと言っているように司羽には思えたが、まあネネの反応も仕方のない事だろう。
「簡単に言えば、俺を名指しするって事はこっちの現状が相手にかなり伝わっているんだ。俺がリア達に協力しているんじゃないかってな。普段からトワやユーリアを此処に通わせているし、元々ユーリアを引き取ったのは俺だからな。繋がりがバレるのも時間の問題だと思っていたんだけど、遂に知られたって感じだ」
「それは……確かにそうかも知れませんね。学園でも司羽さんとお話しする機会は間違いなく増えていますし、それでなくとも何か相手の密偵辺りに勘付かれていてもおかしくはありません」
学園での事に関しては司羽も気を回しているが、ユーリアが司羽と一緒にいる事は勿論伝わっているだろうし、そのユーリアとトワがリア達の所へ行っていれば司羽の関与を間違いなく疑うだろう。元より、最初から覚悟をしていた事だ。そして、そうなった場合の対応も……。
「……詰まるところ、これ以上表立ってリア達に肩入れするとこっちまで敵と判断されかねないんだ。武術を教えるくらいならいい、だが何らかの作戦に協力したとなれば話が違ってくる。前回はただ理由も分からずに降りかかる火の粉を払っただけだが……」
「……そうだな、司羽は知り過ぎた。その上で蒼き鷹と真正面から戦うと言うなら、それは完全なる敵対宣言に他ならないだろう。少なくとも俺ならそう考える、無関係を装うには厳しいな」
司羽の言葉にジナスが同意する。今回は偶然巻き込まれたでは済まない、自分の意思での敵対を宣言するのと同義の選択なのだ。しかし……当然それに納得出来ない人間もいる。
「っ……司羽……お前、私達を……フィリア様を裏切るのか!!」
「ネネっ、止めなさいっ!!」
「ですがフィリア様っ!!」
「俺はそう思われても構わない」
「……お、お前っ………くっ!!」
ガンッ!!
司羽の開き直るような態度に、ネネは拳を握りしめて机に叩きつけた。もしリアが止めていなければ司羽に直接掴みかかっていただろう。その時のネネはそれくらいの形相だった。そして、それまで静観していたナナもそれを見かねて会話に入った。
「その、教官……本当に、協力して頂けないんですか?」
「恐らく今回の護衛要請は、蒼き鷹側からの『最後通告』なんだろう。今回の件、敵になるのかどうなのかってな。だからもうこれ以上、お前達に直接的な協力は出来ないと思ってもらっていい」
「それは……教官では、蒼き鷹には勝てないからですか?」
「な、ナナ!!」
ズバリ、とナナにしては挑発的で、威圧的な物言いだった。少なくとも言われた司羽が驚き、リアが止めるくらいには。この数ヶ月で随分大胆になったものだ。
「そうだな、そう思ってもらっていい。俺も命が惜しいんでな、無駄に死人が増えるだけの協力はしたくない」
「………そうですか」
無駄に抵抗して死人を増やすだけ、だから協力はしたくない。人に寄っては合理的で、理性的だと言うかもしれない。だがその一方で、人はその判断が出来る人間を何と呼ぶだろうか。そんな事を考えながら、隣で静かに話を聞いていたユーリアは一歩、歩み出た。
「司羽様、私は協力します!! いくらなんでもこのままだなんて……!!」
「ユーリアには悪いが、それは許可出来ないな」
「なっ……」
ユーリアがナナ達の事を見かねてそう言うも、司羽は直様それを遮る様に言った。
「何故ですか!? だってこんな皆を見捨てる様な真似……!!」
「見捨てる? これはこいつらが自分の意思でやってる戦いだろう? 狙われているリア自身ならともかく他のやつらは逃げ出す事だって出来る。蒼き鷹だって全員追いかける程には暇じゃないだろうしな。巻き込まれるのは自分の責任だ。そこまで面倒を見切れない、自分で関わるなら自分で責任くらい取ってくれ」
「そんなの……皆さんがリアさんを見殺しに出来る訳ないでしょう!? 大体それならリアさんはどうなるんです!! リアさんが望んで戦いをしてる訳じゃないんです!! 狙っていた私達が……私達が自分の理想の生贄にしようとしているだけでっ……!!」
喋っているユーリア自身、最初はリアを狙っていた身である。この件は出来るだけ協力的に付き合おうと心に決めていた。例え、自分の身が危険に晒されたとしても、それが自分の責任ではないだろうかと。
しかしそんなユーリアの声の熱は、冷たい視線によって冷まされてしまった。……一瞬で、空気が変わった。
「……ユーリア、それならお前はリアの理想の生贄になる無関係な人間に、なんて言い訳をするつもりだ?」
「………な、何を……」
冷えた視線、まるで初めて会った時の様だとユーリアは思った。自然と体が冷えていく、動かなくなっていく、そしてそれはユーリアだけではなかった。その場にいる全ての人間が、一瞬にして司羽の持つ何かに対して緊張を迫られている。先程までヒートアップしていたネネでさえも、その感情を緊張へと変えてしまう程に。
「俺はリアに聞いたはずだ。逃げるか戦うか選べと、そうだよなリア?」
「は、はい……」
急に話を振られたリアはそれでも何とか応えた。確かに聞かれた、今直ぐ逃げるか、それとも此処で戦うか、その皆の人生を左右する二択を。
「そしてお前は戦うと応えた。その道にいくら死体が転がっても、誰を傷つける事になっても、自分の我儘を通したいと。だがその結果死ぬなら、それはリアの責任だ。そしてそれに無関係な人間を巻き込むことは許されない、俺が絶対に許さない。お前が望んだ様に、無関係な人間だけは俺が守ってやる」
「………はい、分かっています。私もそれは絶対に望みません………ルーンの事、頼みます」
「そんなの酷すぎます!!」
司羽とリアの会話に、ユーリアの声が割り込む。自分の主の冷淡さに、リアが迎える事態の過酷さに、それ以外の言葉が見付からない自分が悔しかった。
「ならリアさんが蒼き鷹のレジスタンス活動に巻き込まれるのは良いんですか!? 私はそんなの納得出来ません!!」
「リアは俺が安全で最良と言った逃げる選択肢を蹴ったんだ。俺はそれを否定しない、俺でもそうするだろうからな。だがリアはもう逃げる権利も、嘆く権利もない、それは自分で決めた事だ」
「そんなのっ、あまりに自由じゃなさ過ぎます!! なんでこの街で安全に暮らすって選択肢をあげずに二択を迫るんです!? 迫ったのは私達レジスタンスで、リアさんじゃないでしょう!!」
「……何……?」
ビクリと、ユーリアの体が震えた。その瞬間、司羽の視線が感情を表して剣となり、一気にユーリアを貫いたようにも感じた。
「万人がどんな自由も常に選べると思うのか!? レジスタンスだったお前は、お前の母親と父親は、平和に生きる自由があったのか!? 僅かな自由と平和を望み、逃げるという選択肢すら与えられずに死ぬことしか出来ない人間の気持ちを考えたことがあるのかっ!!」
「っ……!?」
自分がレジスタンスになったきっかけを思いだし、ズキリと胸が締め付けられる。胸が痛い、自分の過ちと、未だに消えない思い出が確かに胸を貫いていた。そしてそれ以上に、この青年がこんな風に人を傷つける事を言うなんて……自分が、言わせてしまったのだろうか? 何か、追い詰めてしまったのだろうか? そんな考えが頭を巡って、つい、涙なんかが出てしまう。情けないと、自分でも思うのに。
「そ、そんな、そんっ……なのっ……あるに……決まってっ……」
「………悪い、言葉を選ぶべきだったな……」
「……主、童も今回の事は少し納得がいかないのじゃ。童達はもう、無関係な人間ではない。主がどうしても引き下がれと言うなら童は従うつもりじゃ。じゃが、ユーリアの気持ちを汲んでやる事は出来ないのか? ユーリアが心配だという事も分かるのじゃが、ユーリア一人くらいなら童が傍で見ていれば……」
「………駄目だ」
「主……」
トワの懇願にも司羽は頑なに耳を貸さなかった。今までならばなんだかんだでトワやユーリアの御願いは聞いていたにも関わらず、今回ばかりは全く聞く耳を持たない。そんな司羽とトワ達の微妙な空気に、ユーリアがヒートアップしてしまった事で静観していた面々の中から、アレンが歩みでた。
「……司羽は別に、司羽自身やお前達を無関係な人間と言って保身している訳じゃない。トワも言ったが、お前達は既にこっちの問題に自分から首を突っ込んでいる。これだけこちらの問題に関与しておいて、司羽も今更巻き込まれただけの被害者面をする気はないだろう」
「アレン、良い。余計な事を言うな」
「だが説明しておかないと、そこのユーリアはお前に隠れてこちらの手伝いに来るかもしれないぞ?」
「……………」
アレンがそう言うと、司羽は少し渋い顔をしてユーリアの方を見た。トワはともかくとして、ユーリアにその可能性がないとは言えない。……深い、溜息が出た。
「……ユーリア、俺達が協力して、今回の問題が解決した後……どうなるか分かるか?」
「解決した後……? それは、また同じ様に暮らして……」
「そうだ。狙われ続けるんだ、リア達と……『俺達』がな」
「それは……確かにそうかも知れませんが……」
敵対関係になるという事はそういう事だ。自分達も仲間だと向こうが判断すれば、今リア達が抱えている恐怖を自分達も味わう事になる。勿論直接的にリアを狙う方が効率も良いだろうが、戦力をバラで叩くのは長期戦の鉄則だと、ユーリアは司羽から習った。
「で、でも私それくらい……」
「言わなかったか? 『俺達』が狙われるんだ。俺と、トワと、ユーリアと……後は誰だろうな?」
「……っ……ま、まさか……」
「ルーンは実力者だし、ミシュナも結構強いみたいだが……だからこそ真正面からは殺しあわない。所詮は戦闘経験も薄い普通の女の子だ。実際に準備万端の状態よりも危機感の薄い状態で奇襲、各個撃破が一番効果的……だろ?」
ゾクッとした。そんな事が……あるのだろうか? だって彼女達は……。
「………そんな……だって関係ないじゃないですか!! 無関係な人達まで狙うなんて!!」
「そう、無関係だな。だがそんなの関係ないだろ? もしかしたら敵かも知れない、それもかなり強力な。ユーリア、お前は言ったな。信念は人を狂わせると……俺もそう思うよ」
「………ルーン様と……ミシュナさんが……」
……それっきり、ユーリアは何も言えなくなった。少なくとも相手は、司羽とトワと自分が現在協力関係にあると知っている。なら、当然ルーンとミシュナが同じ家に住んでいる事も調査されていそうなものだ。……もしかしたら、もしかしたらと、想像が嫌な方向へと向かっていく。自分もリアの代わりにトワを殺そうとした。もしリアが隠れるなら司羽を人質に取る案も最初はあった。……そう、周りが見えなくなった人間は当然の様にそれくらいの事はする。無関係かどうかは、全く考慮に入らない。自分の短慮のせいで……リアの理想の生贄に、無関係な人が……ルーン達が犠牲になってしまったら?
「ユーリア、俺の言う事が聴けるな?」
「………はい」
「………よし、帰るぞ。リア達も今後の予定を詰めなきゃ行けないだろうし。今はあんまり目立つ行動をとりたくないから、集団訓練も自重させてもらう」
「俺は個人的にいつもの場所に行かせてもらう………偶然会ったら、手合わせを頼む」
「……ブレないな、アレンは。まあそれくらいなら良いだろう」
この空気では訓練も何もないだろうに。アレンも色々と吹っ切れてから堅物に磨きがかかったように思える。アレンに内心呆れながらも司羽は立ち上がり、フラつくユーリアの腕を取って立ち上がらせた。そんな司羽に向かって、ペコリと低い位置でナナの頭が下がった。
「……すいません。教官の事情も考えず、私もさっき侮辱する様な事を……」
「ん? ああ、別に気にしちゃいないよ。それより、気術の訓練をするならアレンと一緒に来い。少なくとも自分で訓練が出来る様になるまでは付き合うつもりだからな。まだ危なっかしくて放置出来ない」
「はっ、はい!! よろしくお願いします!!」
司羽が付け加えるようにいうと、ナナはペコリとまた頭を下げた。ナナの素直さは美徳だが、そんな態度を取られるような人間じゃない。これは指導役を引き受けたこちらの最低限の義務でしかないのだから。
「それに元々裏切ると思われても仕方がない。こっちは最初にリアを助けると約束したんだ。手の平返しをした事実は変わらないさ」
「いえ、司羽さんは充分過ぎるくらい私を助けてくれました。今回も司羽さんが居なければ間違いなく察知すら出来なかったでしょう。無関係な人を巻き込みたくないと言うのも、元はと言えば私が言い出した事です。ですから、司羽さんは何も気になさらないでルーンの傍に居てあげてください」
自嘲する様な司羽の呟きに、リアはそれは違うと首を横に振ってそう応えた。元々、自分の我儘だと分かっていたことだ。そして相手がこれだけ大きければ、司羽一人に全ての重荷を背負わせるのは酷過ぎるというもの。初めての、身内以外での頼りになる男性だからだろうか? 甘えていたし、いつかは司羽も離れる事になると分かっていたのに、何処かで精神的な支えにしてしまっていた。でも自分のせいで無関係な人間が巻き込まれるという、リアが一番恐れていた事だけは司羽は決してさせないだろう。今はそれだけで充分過ぎる。
「ああ、向こうも俺が手を出さない限りはルーン達に危害は加えないだろうから、そこは安心してくれていい。……それと、これをもってろ」
「え?」
ぽんと、リアの手の平の上に先程とは別の紙束と、何やら無線機の様なものが置かれた。
「……これは?」
「星読み祭当日に使われる国境警備の配備図と無線の受信機だ」
「……何処でこれを?」
「昨日国境管理センターから盗ってきた。思ったよりザル警備だったな、まあ厳しい規制なんて実態はあんなもんだろうよ。使うかどうかは任せる、残りたいなら戦えばいいし、逃げたいならそうしろ。俺に出来るのは、お前に選択をさせてやる事だけだ。自由にとは行かなくても、最低限の約束だけは守らせてくれ」
「…………ありがとう、ございます」
お礼を言って受け取ったものの、司羽の顔をまともに見れなかった。これ程してもらって、どうして裏切りなどと思うものだろうか。自分は、この人にどれほども返すことが出来ないと言うのに。
「さっきも言ったが、脱国が難しい事には変わりない。その配備図を見てもらえば分かるが、開会式がある一日目の夜になってやっと小さい穴が出来る程度だ。逃げるかどうかもそうだが、良く仲間と相談するんだな」
「はい、肝に銘じておきます」
リアが応えるのを聞くと、司羽は何も言わずに背を向けて部屋の扉を開けた。
「………トワ、ユーリア、帰るぞ」
「うむ、了解なのじゃ!! ユーリア行くぞ。……もしやお主、主に背負ってもらう算段か?」
「うぐっ、傷心中の人の心にズバズバと……トワさん鬼ですか」
「違う、主の使い魔の夢魔じゃ。鬼と一緒にするでない」
静かにその場を後にした司羽に続き、トワがパタパタと騒がしくユーリアを連れて部屋を出て行った。……ここからは、私達の戦いだ。
「皆さん、当日まで時間があります。知恵を出しましょう」
「おーっ!!」
「……そうだ、頭脳労働には甘いものが良いらしい。俺が作ったクッキーがあるが皆は食べるか?」
「「「………えっ!?」」」