第56話:二人の午後への闖入者
「それじゃあ、あの人はやっぱりナナの関係者だったのね。」
「はい。アレンさんは丁度お姉ちゃんと喧嘩していたようなので、その関係の事を聞きに行ったと言っていました。」
「……ふーん、なんか堅そうな人だったけど。人は見掛けによらないものね。」
次の休日の午後。ミシュナの家に集まってお茶会を開いていたミシュナとナナは、ティーカップを傾けながら共通の話題に花を咲かせていた。その話題とは言うまでもなく、先日にアレンが司羽達の屋敷に来た事である。ミシュナも司羽の手前深く聞かなかったが気になっていたので、ナナと約束していた週末のお茶会の際に聞いてみようと考えていたのだ。
「でもアレンさん良いなー。私も教官とミシュナさんの家を見てみたいです。」
「あのねぇ……、あそこは別に私達の屋敷って訳じゃないの。あくまで司羽と首席ちゃんの屋敷であって、私はただの居候なんだから。」
「分かってますって、言葉の綾ですよ。それにそんなに照れなくてもいいじゃないですか。一緒に住んでる事には変わりないんですから。」
「それはそうかも知れないけど……。」
ナナの明け透けとも取れる様な言動に少したじろいでしまいつつ、ミシュナは頬を赤く染めた。カップを傾けながらも、ついついナナの視線から逃げる様に自分の視線を逸らしてしまう。ミシュナのそんな仕草はナナから見てもとても可愛らしいと思うのだが、ミシュナは普段こういう表情を司羽に見せているのだろうか。
「まあ、ないか。………見せたら一発だと思うんだけどなー。」
「……ナナ、なんか変な事とか考えてない?」
「考えてないですよ? ただ、ミシュナさんが本気になったら堕ちない人なんかいるのかなーと思いまして。」
「もう、またそんな事を言って……。」
ナナはかなり真面目に言ったつもりなのだが、ミシュナはどうやら本気にしていないようだった。勿論それはナナにも予想通りの返しだった訳だが、ミシュナがどうしてこんなに自信が持てないのか不思議だ。これだけ目立つ容姿をしていてモテないこともないだろうに。
「いや、でも正直な話ミシュナさんってモテますよね? 街で声をかけられたりしませんか? 可愛いとか、美人だとか言われて口説かれたり。」
「それは、まあ………たまになら。」
「前回はいつ頃に?」
「さっき、此処に来る前に一回だけ……ね。紅茶を買おうとして気配を消すのを止めたら、食事に誘われたわ。ああいうの困るわよね、気配を消したまま買い物なんて出来ないし。面倒だから、早く買い物を終わらせて気配を消して撒いてきたわ。」
「……たまにじゃないじゃないですか。」
しかも気配を表した途端に誘われるなんてもの凄い確率だ、最早引き寄せているとしか思えない。やはりナナの見立て通り、ミシュナはとても魅力的なのだ。ならばもっと自信を持つべきだと思う。
「ミシュナさんは自信を持たなきゃ駄目ですよ、誘われるって事は周りからそれだけ魅力的に見えてるんですから。」
「そう考えればそうかも知れないけど……。」
ナナも謙虚なミシュナは素敵だと思うが、やはりそれだけではいけないと思う。自分に自信を持てなければきっと何事も上手くいかないのだ。それをナナに教えてくれたのは他でもないミシュナなのだから。
「もー、何がそんなに不満なんですか? 誘われたくても誘われない子も沢山いるでしょうし、可愛いとか美人だとか言われれば嬉しいでしょう?」
「周りから見ればそうかも知れないけど…………司羽が誘ったり、言ってくれた訳じゃないもの。そんなの虚しいだけで何の意味もないじゃない……。」
「……………。」
「っ……ごめんなさい、今の忘れて!! いや、忘れなさい、今直ぐにっ!!」
数秒の間の後に突如として命令したミシュナの顔は、これ以上ない程に真っ赤に染まっていた。ナナは思った、この人のこれは狙ってやっているんじゃないだろうか? きっとそうだ、これは自分を誘っているのだ。天然物でこんなに可愛くて美人な人が居るわけないじゃないか。ぶっちゃけ司羽との仲の応援とかどうでもいいから本気で自分が嫁に貰ってしまえば……。
「………ミシュナさん、私じゃ駄目ですか?」
「……何が? というか忘れるのか無理矢理忘れさせて欲しいのか、どっちか選びなさいっ!!」
「寧ろ私が教官を忘れさせて…………はっ、わ、私は一体何を考えてっ……!!」
「………ちょっとナナ、私の話聞いてた? いやまあ聞いてなかったなら、それはそれで良いんだけどね。」
何やら一人妄想の世界で暴走していたナナの向かいで、ミシュナは少しホッとした様に溜息をついた。一方のナナは自分の中に浮かんできた案を満場一致(ナナの脳内議会)で可決しそうになったが何とか現実に復帰する事が出来た。実は昔メールに女の子同士が愛を囁き合う系の本を見せて貰った事があるのだが、危うく自分もその世界に行ってしまいそうになった。
「……ふぅ、色々と危なかったです。ミシュナさんは危険過ぎます。」
「何だか良く分からないけど……。あ、そういえばクッキーがあったから出すわね。私ちょっと探してくるわ。………はぁ、頭を冷やして来ないと。」
「あ、はい、ありがとうございます。………私も、少し冷やそうと思います。」
その言葉を皮切りにミシュナは席を立ち、ナナもヒートアップした妄想を冷却させる事に勤めた。何とも言いようのない恥ずかしさに包まれながら、ナナはまた静かにカップを傾け、心を落ち着かせながら呟いた。
「誰か恋愛経験者でミシュナさんにアドバイス出来る人がいれば早いのかも知れないけど……先は長いかも知れないなー。」
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カチャ
「あ、もうクッキー見つかっ……。」
「たーだいまー我が家っ!! おー帰りー私っ!!」
「っ……え、えっ?」
「……あら、不思議な事もあるものね。」
ミシュナが席を立ってから僅かに5分程経った頃だろうか。ドアが開く音にナナが振り向くと、そこに立っていたのはミシュナであってミシュナではなかった。顔立ちは似ているし、髪の色や長さも似ているが、まず背が高い、胸が大きい、あどけなさが抜け、ミシュナの持つ色気の部分を強くした様な魅力がある。例えるならばそんな女性が、そこに居た。
「んー貴女、不法侵入者?」
「えっ!? い、いえ、あの、私はミシュナさんの……。」
「ミシュナ……? あー……、うん、ミシュナね、分かる分かる。でも君、嘘はついちゃいけないなー。ミシュナはこの家に誰かを入れたりする子じゃないし、そもそも誰かを寄せつける子じゃないのよねー。花と本と思い出だけが宝物なコミュ症なのよ、あの子。」
「こ、こみゅしょー……?」
ミシュナと言われてから思い出すまでに若干時間がかかったのが気になるが、恐らくミシュナの関係者で間違いないだろう。それよりも今は不法侵入者扱いを早く何とかしなくてはならない。
「なんだか良く分からないですけど嘘じゃないです!! 私はミシュナさんの教え子と言うか……で、弟子の様なものです!!」
「弟子? なんの? あの子は魔法嫌いだし、勉強は出来ても人に進んで教える様な子じゃ……。」
「気です、気術ですっ!!」
「…………えっ?」
気術、その言葉を聞いた途端に女性の表情は固まった。その視線はナナに向けられたまま固定され、どうやら驚いているようだった。……しばらく見つめられ、少しずつ女性の顔が近付いている事に気付いたナナは、緊張の余り一歩退く様に下がってしまった。そんなあまりに居心地の悪い空間の中、ナナが何か言わなくてはと考えを巡らしていると、またドアが開く音がした。
カチャ
「ナナ、何を騒いで………あっ。」
「あら、ミウちゃんおかえりー。じゃなくて、私がただいまーかな?」
「ええ、おかえり、母さん。」
「母さ………えええええええええええええっ!?!?!?!」
「………何よ、そんなに驚く事かしら。」
クッキーを持って部屋に入ってきたミシュナの言葉は、ナナを叫ばせるのに充分な力を持っていた。関係者なのは何となく分かっていた。それが直ぐに分かるくらいに二人は似ているのだ……そう、確かに似ているのだが………。
「えっ、あの……お姉さん……では?」
「あら、前に言ったでしょ? 私は母親と二人暮らしの二人家族、姉は居ないわ。」
「………そんな、だってお姉ちゃん達より……えっ、いやいや、ミシュナさんのお母さんなら、だって……。」
ミシュナの言葉を信じられずにもう一度目の前の女性を見る。……やはり若い、下手すれば姉と同じかそれより若い。ミシュナの話が本当ならば、この人はこれで三十をとうに越えている事に……。
「ふふふっ、ナナちゃんだっけ? ミウちゃんの言ってる事は本当よ。私はミウちゃんの母であり、ママであり、産みの親その人なのよ!!」
「そうそう。この人はもうナナが生まれるずっと前から、とっくにオバサンよ。」
「ヒドッ……これでも桜や森羅には姉妹で一番若いって言われるのに…………優ちゃんみたいな事を言わないでよ……泣くわよ?」
ナナは思わず頬を抓ってみる。……信じられないが、これは現実らしい。不老の魔法は無かった筈なので、これはもしかして気術なのだろうか。だとすればこの女性も気術士という事に……。
「あの、もしかして気術で……?」
「え? あー、違う違う。私は気術なんて使えないわよ。………と、そうだったそうだった。ミウちゃんさー、ナナちゃんに気術教えてるんだってー? どういう風の吹き回しよ? やっと吹っ切れた?」
「………別に、お母さんには関係ないでしょう。」
「あら、そんな事言われるとお母さん悲しいわー………ふふふっ。」
ナナが驚きのあまり良く分からない方向にまで考えを延ばしていると、隣では母親がミシュナに興味を移した様だった。自分に話題を振られ、ミシュナは露骨に嫌な表情をしている。……考えてみれば当たり前だが、ミシュナの母親と言う事は当然ミシュナの小さい頃の事も知っているのだ。それにミシュナの話では、司羽と一緒にミシュナに気術を仕込んだとか言っていた様な……。
「あ、あの、ミシュナさんのお母さん。」
「シュナでいいわよ。ミシュナとごっちゃになるかも知れないからシューちゃんとかでも良いし。」
「シュー………いや、シュナさん、聞きたい事があるんですけど!!」
「んっ、なぁにー? お姉さんは才色兼備だけど、難しい事言われると困っちゃうわよ?」
「あ、大丈夫です。ちょっとした恋愛相談ですから。」
ナナがそう言って微笑むと、残りの二人は似て非なる反応をしてくれた。二人とも驚きの表情ではあったが、片や興味津々に眼を輝かせて、片や青ざめた表情でナナを見ている。
「あらあらー、そういう事ならお姉さんも頑張って相談に乗っちゃうわよ!? 自分の事? お友達の事? それとも自分に極めて近い境遇性格のお友達の事かしら?」
「ちょっ、ナナ、まさか……。」
俄然テンションが上昇してきたシュナに対して、嫌な予感に引き攣った表情をしているミシュナ。そしてそんなミシュナの予感に応えるようにナナは頷いた。
「ええ、そのまさかですミシュナさん。もうこの際、恥は捨てていきましょう。というより、さっきから聞いてる限りではもう色々知られてるじゃないですか。何か良いアドバイスがもらえるかも知れませんよ? これはチャンスじゃないですか?」
「いやいや待ちなさい、何が悲しくて自分の親に……一歩譲って親で良いとして、なんでよりによってこの人に相談しなくちゃいけないのよ!?」
「だってミシュナさんが相談出来て、尚且つ恋愛経験者の人って他に居ますか? このままじゃ進展しませんよ、それで良いんですか? お姉ちゃんはそれでもう10年だと言ってましたが、ミシュナさんも後10年くらい待ちますか?」
「じゅうね……ううっ………それはそうかも知れないけど……この人は……この人に相談するのは……。」
ナナの言葉に不思議な自信と説得力を感じて深くダメージを受けながら、ミシュナは葛藤を繰り返した。……正直に言ってナナの言う事も分かるし、真剣に考えてくれる気持ちも凄く嬉しい。しかし、このシュナと言う女性は自分の親である以前に……。
「あらっ、あらあらっ? まさかミウちゃん……本当に吹っ切れたの? 花と読書しかしないばかりか10年間ずっと誰も寄せ付けず、夜な夜なあの部屋でツカ君の事を考えながら泣いてたミウちゃんが? 本当にどうしたの? 妄想の世界にツカ君に良く似た人でも見付けたの? もし誰かにツカ君を重ねてるなら止めた方が良いわよ? 貴女は絶対ツカ君の事ばっかり思い出して振っちゃうから、相手に失礼だもの。」
「うぐっ……くうっ、本当に性格悪いわねっ!! だから嫌だったのよっ!! こういう人なのよ、この人はっ!!」
「あ、あはは………でも、案外的を射た意見かも……。」
「な、に、か、い、っ、た?」
「っ、ごっ、ごごめんなさいっ!?」
真面目な顔でシュナに諭されたミシュナは涙目になって叫んだ。そしてボソリと呟いたナナに対しても当たり散らす様に恫喝する。……ミシュナも分かっているのだ、恐らく一番に自分を理解しているのがこの親だという事くらい。しかし、ミシュナに取っては同時に一番の天敵でもある存在だ。ナナが真剣にミシュナの事を考えてくれているのはありがたいし、そんなナナを可愛がってしまう自分もいるのだが、今回ばかりはナナを恨まざるをえない。
「ふふっ、まあまあミウちゃん。ナナちゃんの選択は正しいわよ? なんせ私は真魔一の純情派と呼ばれた女、はぐれ刑事も純情派だし、一途で純情なミウちゃんの相談相手としては完璧だもの。」
「純情って……ショーだか言う年下の男を天使とか言って追いかけてる癖に良く言うわよ。この前アマツさんが呆れてたわよ、お母さんがストーカーした上に盗撮したって。」
「ちょっ、天使は別よ、別格よ!! マジで可愛いんだから!! 大体本気になったらストーカーくらい貴女だってする筈よ!! 私の娘なんだし、間違いないわ!!」
「しないわよストーカーなんて………ナナ、何か言いたそうね? 何かしら?」
「…………いえ、なんでも。」
そういえば、ストーカーは自分をストーカーだと認識していないものだと誰かから聞いた事がある。成る程、やはりそういうものかも知れない。いや、誰がそうだとは言わないが。一般論、そうあくまで一般論として。……何にせよ、やはりシュナはミシュナに取ってかなり参考になる発言が出来る筈だ、ナナはそんな確信を持った。それが何故かとは言わないが。
「それでそれでっ? 一体誰なのよ、ツカ君に完全に依存してた貴女に吹っ切らせちゃうその男の子って。学院の子? 名前はなんて言うの?」
「………教えない。お母さんには関係……」
「ねーねーナナちゃん、ミウちゃんの幸せを望むなら教えて教えて? あ、隠すなら体に聞くから覚悟してねー? ふっふっふーっ。」
「少しは聞きなさいよっ!? というかそれは卑怯よ、お母さん!!」
頑なに嫌がるミシュナに早々に見切りを付けた上でのターゲット変更。どうやらミシュナの言葉は最早聞こえていないようで、シュナはワキワキと指を動かしながらナナに詰め寄った。
「ちょっと、おかーさん止めてよ!? ナナは私の迷惑になる事なんてしない良い子なん……」
「ああ、学院は一緒の筈です。確か、クラスも一緒だったと思いますけど。」
「あらそうなの!? ふふっ、青春じゃなーい♪」
「えっ、ナ、ナナ!?」
言った瞬間に裏切られ、ミシュナは天に見放された様な表情でナナを見た。一方のナナはそんなミシュナに少し呆れた様な表情で応えた。
「ミシュナさん、照れてちゃ駄目です。教官に振り向いてもらうにはやっぱり経験者の意見は必須ですよ。……このままで良いんですか? 自分一人で何とか出来ますか? ルーンさんと張り合えますか? 諦めないで頑張るって言ったじゃないですか。」
「うっ……確かにこのままは嫌だけど……自信ないけど………無理だけど………諦めるつもりもないけどぉ………。」
「じゃあ決まりですね?」
「…………ううっ。」
「ふふっ、ナナちゃんやるじゃなーい。」
涙目になっているミシュナが詰め寄ったが、速攻でナナに丸め込まれてしまった。その鮮やかな言葉回しにシュナも嬉しそうにそういって微笑むが、ミシュナは悔しそうに呻きながら俯くだけだった。
「それで、名前はなんていうの?」
「えっと、司羽さんと言いまして、恐らくシュナさんも知って……」
「ツカバ……? それって……。」
「…………。」
ナナの告げた名前に対してシュナは直ぐに反応して、何かを察した様な表情で視線をミシュナへと向けた。そして何も言わないミシュナに対して静かに近寄り目線を合わせると、ポンと両肩に手を置いて呆れ気味な表情になる。
「ミウちゃん。いくら名前が一緒だからって、それはちょっとチョロ過ぎるわよ? どうなのよ女として。そんなんじゃ良いように弄ばれた挙げ句に子供出来て捨てられるわよ? 名前や雰囲気が一緒でもそれはまるで別の人なんだから。」
「……あー、はいはい、分かってたわよこういう反応だって。いやまあ、母さんの気持ちも分かるけどね。……でも最初からまるで信用してないってどうなのよ、母親として。」
溜息混じりに言いながら肩に置かれたシュナの手を振り払いながら、ミシュナは顔を逸らしてそう返した。その反応に、呆れ気味な顔をしていたシュナも少々眉をしかめる。
「あのねー、ミウちゃん。貴女の気持ちは知ってるけど、まさかツカ君が奇跡を起こしてミウちゃんに会いに着たとでも言うつもり? 一体どうやって?」
「……私に会いに着たわけじゃないわ、ただの偶然……ううん、ある女の子が死ぬ気で起こした奇跡よ。……お母さんこそ、私がこんな冗談いうと思う?」
「…………。」
そんなミシュナの言葉に、シュナは初めて沈黙した。そして暫く考える様な間を置いて、口を開いた。
「………マジなのね?」
「大マジよ、私だって最初は信じられなかったけど……ちょっとしたゴタゴタがあってね。」
「あのー……どういう事です? 良くおっしゃってる事が分からないのですが……。」
「……ああ、ナナは気にしないで良いのよ。完全にこっちの話だから。」
「……分かりました。」
その二人の会話はナナからすれば、シュナの反応も、ミシュナの言葉も良く意味が分からない不思議なやり取りだったが、司羽とミシュナ達の過去を深く知っている訳ではない為だろうと、何となく納得した。……そして何やら真剣な表情になっていたシュナは、一つ息をつくとフッと頬を緩めた。
「まあ詳しい話は、後でミウちゃんから聞くとして……ふふふっ、そっかそっかー。」
「うっ……な、何よ、その顔。」
「ううん、何でもないわ。……ナナちゃん、だっけ?」
「は、はいっ……なんでしょう?」
いきなり自分に話を振られ、咄嗟にナナは背筋を伸ばして応えた。そうしてしまうだけの力が、シュナの微笑みにはあったのかも知れない。シュナはそんなナナを見て、またクスクスと微笑んだ。
「今更で悪いけど、恋愛相談には乗れそうにないわ。私じゃ有効なアドバイスも出来そうにないし。」
「えっ、で、でもミシュナさんと司羽さんの事を良くご存知なんじゃ……やっぱり、自分の娘だからですか?」
「いいやー? ミウちゃんの恋路には凄く興味あるし、確かに普通の恋愛程度の相談なら乗るんだけどねー……この子が望んでるのはちょっと違うから。」
「ちょっと、違う?」
「…………。」
ナナはその言葉を聞いてふとミシュナを見るが、ミシュナは何も言わなかった。違うとは何だろう。恋愛ではない何かとは何だろう。ミシュナはそれを求めているのか。だとすれば……それが何かも知らずに自分がしている事は、やはりお節介なのだろうか。
「それが分からないのは……私がまだ子供だからでしょうか。」
「んー、どうかしら。でもナナちゃんみたいな子が居てくれて、親としては凄く嬉しいわ。貴女がいなければきっと、ミウちゃんはツカ君にもう一度向かっていく勇気なんて持てなかったでしょうね。」
「っ……ちょっとお母さん……確かにナナには感謝してるけど、私は別に……。」
「ふふっ、何年ミウちゃんの親やってると思ってるの。あなたはツカ君関係では精神面ガタガタだからねー。再会したところで、どーせネガティブ全開で諦めるとか見てるだけで良いとか言ってたんでしょ? 貴方が一人でそれを克服して立ち上がれるとは思えないもの。十中八九ナナちゃんのお陰ね。」
「うぐっ………。」
「………凄い、当たってる。」
ここら辺はやはり親としての経験、なのだろうか。感心するナナと、子供の様に不機嫌になって視線を逸らすミシュナとを交互に眺めつつ、シュナは笑っていた。そしてそのままナナに近づくと、ポンポンと頭を撫でるように叩いた。
「ミウちゃんの事はナナちゃんに任せるわ。」
「ええ!? わ、私ですか!? そりゃあ、出来る限りのお手伝いはしたいと思っていますし、応援したいとも思ってますけど……。」
「心配ないない、寧ろこういうのは本人次第なんだから変なアドバイスとかはいらないものなのよ。この子大事なところでヘタレちゃうから……その時はミウちゃんの背中、押して上げてね?」
「っ……は、はいっ!!」
完璧なウィンクと同時にそう言われて、ナナは咄嗟にそう返事をしていた。そんなナナを見てシュナはまたクスクスと笑うと、今度は相変わらず不機嫌そうにしているミシュナに視線を向けた。
「貴女も、頑張ってアピールするのよ? どんな結果を望むにしろ、まずは好いて貰わなきゃ駄目なんだから。」
「わ、分かってるわよ。」
「ふふふっ、本当にー? ちゃんと見せるもの見せてる? 私の娘らしく綺麗な体してるんだから、女の武器はどんどん使っていかなきゃ駄目よー? どうせ他の人に使うつもりもないんだろうし、既成事実はあるに越したことないんだから。」
「なっ、わ、私はお母さんのそういうところが嫌なのっ!! 司羽はそんなので釣れるような人じゃないんだからっ!!」
「………ほんと、今時珍しいくらい初心なんだから。いいじゃない、貴女ももう大人の女になるんだし、好きな相手なんだから。」
「それがミシュナさんの魅力ですよ!! 寧ろ恥ずかしがってる表情を司羽さんに見せれば絶対に一発です!!」
「ナーナー?」
「ひぅっ!? ご、ごめんなさい!!」
「ふふっ、駄目よミウちゃん。大事な妹分なんだから大事にしないと。」
溜息をつくシュナに呼応するように断言したナナに、ミシュナの冷たい視線が突き刺さった。今のミシュナはシュナに責められてダメージを受けているせいか、大分過敏になっているようだ。シュナはそんな風に暫くミシュナを弄っていたが、暫くして何かを思い出した様に手を打った。
「あ、いっけなーい。四時から会議だったの忘れてたわ。理事長室に資料置きっぱなしだったし、もういかなきゃ。」
「そうなんですか………え、理事長室……?」
「ほら、遅刻しないように行ってらっしゃい。もう四時になるわよ?」
「うわっ、本当だ。」
シュナはミシュナから時計を指さされると、少々焦った様な口調で叫んだ。鞄を手に取り、入ってきたドアに手をかける。
「じゃあナナちゃん、ゆっくりしてってね? ミウちゃんも、また後で。」
「あ、はいっ、ありがとうございます!!」
「はいはい、分かってるから早くしなさいよ。」
「もう、可愛くないわねー。って、本当にやばそう。後二分しかないし、飛ぶわ。じゃあね!!」
そう言った瞬間、シュナの姿が掻き消えた。あまりの出来事にナナは呆然としてしまったが、今のは魔法なのだろうか。だが瞬間転移の魔法など聞いたことがないし、魔力も感じなかった。……気術は使えないと言っていたが、もしかしたら何か別の技術なのかもしれない。それよりも……。
「……もう、相変わらず台風みたいなんだから。」
「あの……シュナさんさっき理事長室って……。」
「ああ、あの人うちの学園の筆頭理事やってるのよ。一般的には知られてないんだけどね。」
「そ、そうだったんですか!?」
そういえば以前、ミシュナが学園のデータベースを使ったとか言っていたが……なるほど、理事長の娘であれば、そういうデータも見ることが出来る立場にいるのかも知れない。……なんだかそう聞くと、ミシュナが凄いお嬢様に見えてくるから不思議だ。確かに、他の女性に比べると気品があるとは思うが。
「……どうしたの? ジロジロ見て。」
「いえ、ミシュナさんってやっぱりお嬢様だったんだなって……。」
「別にそんな事ないわよ、私が理事長の娘って事も知られてないし。学園関係者でも知ってるのは極一部だもの。別に隠そうとしてるわけじゃないんだけどね。」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、目立つの嫌いだから丁度いいけどね。学園も前はいかない日の方が多いくらいだったし。」
ミシュナはそういうと、テーブルの上に置いたままだったクッキーの缶に視線を移した。そういえばシュナの乱入で忘れていたが、ナナとミシュナはティータイムの途中だったのだ。紅茶ももう温くなってしまっているだろうが……。
「さてと、仕切り直しにしましょうか。」
「はい、そうですね。……あ、私が紅茶入れてみてもいいですか? 教えていただきたいです!!」
「ええ、良いわよ。まずはポットを温めて……。」
台風のようなひと時が去り、再び二人のゆっくりとした時間が流れ出した。シュナの前でのミシュナはまるで子供の様で、それはそれでとても魅力的であったとナナは思うのだが、やはりナナにとっては優しい、姉のようなミシュナの印象が強かった。結局シュナから良いアドバイスも引き出せなかったし、自分に本当にミシュナの背中を押せるだけの力があるか分からない。……でも、
「ミシュナさん、私……お役に立てるか分かりませんけど、精一杯頑張りますね。」
「………ふふっ、ええ、頼りにしてるわ。私に勇気をくれたのは、ナナなんだもの。」
「……はいっ!!」
そんなミシュナの微笑みを見て、やっぱり親子なんだなとナナは感じた。司羽とミシュナの事、ナナが知らない事が沢山ある事はナナも分かっている。その全てを知ろうなんて事は思っていない。でも、ミシュナが立ち上がれない時に手を差し伸べる事が出来るように、もっと頑張ろうとナナは思った。取り敢えず今は、ティータイムの続きをしよう。
「あ、そういえば司羽教官が言ってたってアレンさんから聞いたんですけどー。」
「ふふっ、何かしら。」
司羽達にも、リア達にも内緒の関係になった二人は、二人きりの午後を再会した。リア達の不安も溶け、ミシュナの望む未来を掴み、どうかこんな時間がずっと続きますように……ナナはそんな思いを心に浮かべながら、楽しい時間に身を委ねるのだった。