第38話:司羽の教官な一日目
「よーし、じゃあ後二十分で終わりにしようか。おーい、後二十分だーっ!! 気張って行けーっ!!」
「あ、後二十分間も全力で走れって………本気ですか? もうかれこれ一時間以上は走らせてますよ?」
「本気に決まってるだろ? こんなの決まった場所をグルグル走り回っているだけだろうが。別に高速でロッククライミングしろとか、一メートル積もった雪の上を滑りながら進めとか、そんな無茶言ってる訳じゃない。敵も居ないから警戒しながら走る必要もないしな。」
「それはそうかも知れませんが、こんな整備もされていない場所を全力で走り回るなんて………。それにこの森は唯でさえ集中力を使うんですよ?」
「慣れれば平気だろ。魔法が使えない俺でも、仕掛けが分かれば直ぐに慣れたからな。それに走りながら戦う事になれば、それくらい出来て当然の世界なんだから。」
学院が終わり放課後、今後の対策を取るなら早い方が良いと思い、司羽はユーリアを連れてリアの屋敷に行く事になった。
そして簡単な話し合いの結果、対策と言っても先ずは基礎的な防衛行動を取れる様にならなければならないと言う事で、司羽がリアを含めた十二人の教官役を務める事になったのだ。教義を受ける者の中には若干後悔めいた顔をして走っている者もいるが、司羽に教官を頼んだのが運の尽きだったと諦めるしかない。
「うーん、でもこういうのってあまり意味が無い様な気がするのですが………。特に司羽様と違い私達は魔法を使うのですから、そっちの訓練をした方が良くありませんか?」
「まあ、そういう意見も出るだろうとは思ってたけどな。でも今回の場合はその方法は二の次だ。何しろ相手はいつ仕掛けて来るか、何人で来るか、どんなレベルの奴が来るか、まるで分かってないんだからな。魔法の技能なんて一朝一夕で上がる物じゃないし、こいつらが天才だって訳でもない。お前達がこの前行ったって言っていた場所の様に、魔法が使えない状況に陥る可能性もある。この訓練はどんな時でも役に立つ技能を早急に磨く為の物だ。」
「どんな時でもですか………と、言いますと? まさか根性とか言わないですよね?」
「まあ、その部分も若干ないとは言えないがな。そもそもこれから命賭けで戦うのに今更になって根性から鍛えていくなんて論外だ。こいつらは覚悟だけはある様だし、そこは心配してないよ。」
そこはやはり、ここまでフィリアに仕えてきた者達と言うべき所だろうか。
司羽は最初、周りに同調しただけで嫌々訓練を受ける人間が一人二人居るだろうと考えていたのだが、どうやらそれは杞憂だった様だ。全員が司羽の訓練の意図を理解している筈がないのだが、疑問も口にせず、辛いだけに思える訓練に耐えている。恐らくそれはフィリアとの信頼関係の賜物なのだろう。フィリアの為に出来ることをするという覚悟が眼に見える様にも感じる。
「体力強化ってのもあるし、単純に走り慣れておく必要があるってのも理由だ。自分の全力で走れる速度と時間を頭に刻み込む必要もある。戦闘に置いて走り続けるのは基本中の基本。魔法とか気とか、そんな技術的な事よりももっと大切だ。逃げ切る事も出来るかも知れないし、複数人との戦闘では脚で掻き回して各個撃破をする事も可能だ。これはユーリア、この前自分達がやられた事だろうが。」
「うっ………。」
「それだけじゃない、疲れれば集中力も落ちて咄嗟の判断が鈍くなるからな。自分が危機的状況に陥れば陥る程疲れも溜まりやすくなって焦りが生まれる。だから戦いに置いての持久力ってのは何より大切なんだ。それにこうして自分が多くの距離を走って体力を付けて来たって事実だけでも結構な心の支えになって、相手に追われてる時のメンタル面での疲れも軽減されるしな。他にも言い出せば尽きない理由があるんだが、まぁ一般的にはこんな所だ。」
「なるほど、ただの無茶振りではなかったんですね。」
「ユーリアよ、お主は主を何だと思っているのじゃ……。」
司羽の説明を聞いて、あんまりと言えばあんまりな感想を漏らしたユーリアに対し、今まで黙って紅茶を啜っていたトワがジト眼で睨んだ。そのトワの呆れ混じりの視線に、誤魔化す様に渇いた笑みを浮かべるユーリアを余所に、トワも自分が思っていた疑問を口に出した。
「じゃが主よ。そんなに体力が大切ならば、体力を温存させる魔法を練習させるべきではないか? 疲れない等と言う便利な魔法は童も知らぬが、疲労を多少軽減したり、空を飛んで体力を温存した方が戦闘でも有利な気がするのじゃが。」
「ああ、それは………むぐっ。」
トワの疑問に司羽が答えようとすると、ユーリアが司羽の口を後ろから塞いでそれを遮った。司羽が振り向いて理由を聞こうとすると、そこにはえっへんっと胸を張っているユーリアが立っていた。
「ふふふっ、それなら私も分かります。傭兵時代に戦術の本で見ました!! 戦闘中にあまり無闇に魔法を使うと、相手に自分の居場所を簡単に探られてしまって危険なんです。魔法を使った後は一時的に魔力の残滓が体の周りに付き纏いますし、優れた魔法使いになるとそこからその魔法使いの事を色々と割り出す事も出来るそうです。えへへっ、どうですか司羽様。私も結構勉強したんですよ?」
「………その割には主に簡単に特定されていた気がするがの。」
「うぐっ、それは司羽様がおかしいんですよ。元々私達はその気配の隠し方が上手かったから雇われたのに………。」
「ははは……俺は元々魔法なんて無い世界に居たからな、そりゃあ殺気で気付くよ。取り敢えずそういう理由で魔法は駄目なんだ。もうお互いに相手の位置情報が完全に知れてたら話は別だけどな。」
話に上手くオチが付いて、トワとユーリアも納得してくれた所で司羽は自分の腕時計を見た。どうやらそろそろ目標の時間になるようだ。これはルーンとの旅行先の御土産として買って来た物で、ルーンと御揃いのペアウォッチである。こちらの世界に来てから色々と探してみると、元々の世界で使っていた日用品と同じ様な物が結構あるもので、その都度買い足して行くことにしている。とは言え、流石にあのホテルの御土産だけあってかなりの値が張り、ルーンに良い所を見せようとしたため暫くはあまり無駄遣いが出来そうにないが。どうやらまた時間がある時にでもここら辺で魔法の材料などを採取していく必要がありそうだ。
「さてと。よーし、持久走終了っ!! 取り敢えずここまで戻ってこーいっ!! 歩くなよ!? 歩いたらもう一時間やらせるからなーっ!!!」
「…………本当に鬼ですね、司羽様。」
「………まぁ、否定はしないぞい。」
その司羽の言葉に、必死の形相で走り戻ってくるリアの臣下達の姿と、どことなく生き生きしている様にも見える司羽の顔を交互に眺めながら、二人は同時に苦笑を洩らしたのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーー
ーーーーーー
「うーん、アレンが二十二周でトップか。時速二十数キロって所だな。次が、えっと………ジナスさんだったっけ。二十周だ、分かってはいたけど大分差が付いてるな。」
「はぁっ、はぁっ、アレンが速過ぎるんだっ。まさかこんなに差が付くとは思わなかった。あんな地形でそこまでのスピードが維持出来るとはな。」
「ふっ、ふふっ、元親衛隊と言えどっ、本職が騎士でないジナスさんに負けてられませんからね………ふうっ。」
「その次がマルサとルークで十九周だ。その後からはかなり離れて団子状態だな、実際大差はないが。………まぁ、体格と筋肉のせいで差が開いている人間が多いから、こればかりは仕方がない。」
「ひえ~、皆さん凄いですねぇ。こんな地形で良くそんなに走れるものです。」
司羽が結果を纏めつつ締めると、ユーリアは全員のコースとなっていた森を眺めながらそう感想を漏らした。リアを含めた十二人は揃って、ある者は寝転がり、ある者は座り込んで休息を取っている。その中でもアレンと、ジナスと言う黒髪の髭面で、中々体格のいい男は息を荒くしながらも話す余裕があるらしい。そう言えば前回はアレンの骨折を治癒していた気がする。騎士ではなく医師か何かなのだろうか。そんな所にもユーリアが関心していると、どうやら結果を見て何やら思案していた司羽が溜息を吐いた。
「………しっかし全体的に悪いな。もうちょっと良い結果を期待していたんだけど。」
「司羽、ここに居るのは殆んどが戦闘訓練を受けた事のない人間だ。まともに訓練を受けたのは、俺、ジナスさん、マルサにルークしかいない。フィリア様は皇族として、ネネはフィリア様付きのメイドとして戦闘指南を受けてはいるが………。」
「………何か勘違いしてるみたいだな。」
司羽が難しい顔をしてそう呟いたのを聞いたアレンは、司羽の言葉に対して現状の家臣の訓練経験を総括して話した。だが司羽はそんなアレンに対して鋭い視線を送ると、今回の持久走の結果を纏めて、何かを書き加えた紙を突き付けた。
「アレン、成績が悪いのはお前もだ。十二人の内で十一人が自分の体と頭を使い切れていないと言う結果が出た。訓練を受けたと言う四人については全滅、今までお前達は何の訓練を受けて来たんだ? 無駄に筋肉ばかり鍛えて来たのか。」
「な、なんだとっ………。」
「…………おいおい兄ちゃん。まだまだ新米だった俺やルークはともかく、アレンは元騎士隊の隊長候補、ジナスのおっさんは親護衛隊の一員だったんだぜ? 訓練だって並みのもんじゃない。事実とんでもないくらい速かっただろ。」
「そうですね。貴方がどんな基準で成績を付けたのか分かりませんが、正直疑問を持ってしまいます。」
司羽の言葉に絶句するアレンをフォローする様に、マルサと呼ばれた青髪の男と、ルークと呼ばれた緑髪を後ろで纏めた男が司羽に意見した。二人はアレンと歳が近い様に見えるが、どうやら自分達のエース格が否定された事に対して勘に障ったらしい。そんな二人の言葉を受けて、司羽は視線をジナスの方へと移した。
「ジナスさん、あんたも分からないか? 俺の言葉の意味が。」
「ああ。自分の実力を過信する訳じゃないが、全力の速度で走り切ったつもりだ。それに唯一人お前の眼に敵った人間に関しても、アレンじゃないなら誰だか分からん。誰なんだ、そいつは。」
「…………皆、大分体力が戻ってきたみたいだな。」
ジナスが司羽にそう問い掛けると、司羽はその疑問に答える代りに水分補給用の入れ物を手に取った。司羽の視線の先にはまだ荒い息を整えている他のメンバー達が居たが、司羽が呟いた通り、もう身を起こすくらいには回復している様だ。だがその中でも一人だけ、まだ倒れたままの人物がいた。司羽はその一人に近寄ると、片膝を折り、頭を支えて口元に容器を近付けた。
「口を開けてくれ、少しでも水分を取らないと危険だ。苦しいだろうが、少しだけ我慢しろよ?」
「……はっ……ひっ……………がはっ……えほっ、えっ…………んぐっ……。」
「よし偉いぞ、流石はこの中で一番の秀才だ。」
「司羽さん………それってもしかして、ナナが……?」
司羽の放った一言に、その場の全員が同時にナナの方を見た。司羽は咄嗟に口から出たリアの疑問に答えるかの様にナナを見て微笑むと、そのままナナを抱きかかえ、トワに目配せをした。
「トワ、悪いけどちょっと頼まれてくれ。向こうに湖があるからそこまでナナちゃんを連れて行って欲しいんだ。あそこならこの森の影響も低いから良い休憩場所になると思う。ここじゃあまだこの子にはきついだろう。」
「うむ、承知した。任せるのじゃ。」
司羽がそう言ってナナをトワに預けると、トワはふわふわと浮かびながら湖の方へと飛んで行った。そして司羽は残りの全員を見回して眼を細めた。
「納得いかないって顔してるのが何人かいるな。まぁ、無理もないが。」
「……ナナが一番ってどういう事なの? 自慢じゃないけど、私もあの子に何かの訓練を付けた覚えはないわよ?」
「そうだな………ナナには悪いが、答えを聞いても意味が分からない。どういう事なんだ?」
司羽の発言に対して、ネネとジナスが口を揃えてそう言った。他のメンバーも司羽の答えが気になるようで、司羽に視線が集中している。アレン達も納得がいかない様だったが、司羽の発言を待っている様だった。
「リア、走ってる最中のあの子を見てどう思った。」
「どう思ったと言われましても………最年少ながら良く走っているとは思いましたが。ちゃんと最後まで走り切りましたし………。」
「まぁそうだろうな。あの子もあの歳の女の子の中では特別運動神経が悪いわけではないだろうし、寧ろ良い部類にあると言えるだろうが、あの中では一番速度も出ていなかった上、体力の総量も最も少なかった。今回の周回数に関しても最も少ないのはナナだ。」
司羽はリアの感想を聞いて頷くと、簡単にナナの運動能力に付いて評価した。聞いている分にはかなりの酷評にも聞こえたが、他の面々もそれに対して異を唱える事はなかった。そして司羽は、続いてネネの方に視線を送った。
「ネネ、お前の意見はどうだ。ナナの走りを見て、何か気付いた事はあったか? なんだかんだで走りながらも結構気にしてたみたいじゃないか。」
「………私もフィリア様とそう変わった感想はないわよ。開始から一番早く体力が切れた感じがあったし、私が大丈夫かと声を掛けても答えられない様子だった。正直あの時間ずっと走り切れたのが奇跡の様に感じるわ。」
「なるほど、良く見ているが。ふふふっ、奇跡ねぇ。ナナちゃんも可哀想だな、こんな稀有な才能を奇跡の一言で片づけられるなんて。正直あの子みたいな才能を持った子なら、こんな事情がなくてもいくらでも稽古を付けてやりたいくらいだ。親父の気持ちが分かるな、これは。」
「稀有な………才能?」
「兄ちゃん、もう焦らさないでくれ。その才能って奴はなんなんだ? アレンやジナスさんに無い物が嬢ちゃんにあるって言うなら教えてくれ。」
ネネの言葉に含み笑いをしながらそう返した司羽に対し、マルサが我慢出来ずにそう言うと、司羽はその場に座り込む全員に視線を滑らし、凄く楽しそうな笑顔で言った。
「よし、お前らもう一回一時間半走り直せ。勿論全速力休みなしで。少し休憩したし、行けるだろ。」
「………………………はい………?」
沈黙。そして理解が出来ないとでも言う様に誰かが一言だけ、疑問と精一杯の抵抗を込めた声を発した。先程から仏頂面をしていたアレンですら司羽の言葉を理解しがたいと言いたげな表情をしていた。そんななんとも言えない気不味い空気の中、司羽は耐えきれず噴出した。
「ぷっ。あはははははははは!! 冗談だよ冗談、初日からそんなハードな事させる訳ないだろ?」
「じょ、冗談って、本気かと思いましたよ。ほら、メイドの子達怯えてるじゃないですか。司羽様駄目ですよ、あんまり意地悪しちゃ。」
「ああ、悪い悪い。もしかしたら皆もナナちゃんみたいになるかなーと思ってな。とは言っても、何も分からないままでは無意味にリタイアする人間が出るだけだろうが。」
司羽はそう言ってユーリアを宥めると、少々硬くなってしまっている面々に対して真面目な表情になった。
「皆は分かってるか? 一時間半走り切った皆の体力が、あの子にとってはスタート開始数十分の体力だったって事。普通は出来ないさ、そんなに速く限界が来た状況で最後まで走り続ける事なんて。そうは思わないか?」
「それは確かに………。」
「………ならつまり、嬢ちゃんは根性って才能があったって言いたいのか?」
「いや、根性も確かに走る上では必要な要素だが、それは俺が言った才能とは違う。根性はあくまで根性でしかないんだ。いくら負けん気や忍耐が強くても人間には限界ってものがある。それが過ぎれば足が動かなくなって倒れるよ。」
そう、根性論と言うのは限界まで体を使う事にはなっても、それ以上には決してなれない。今回の場合、ナナがこの周回数を走り切ることは全力で走っている限り、限界が来て無理だと司羽も思っていた。だが、結果的にナナはそれを覆したのだ。
「あの子の結果は一時間半で十周だった。本来ならあの子はこの七割程度しか走れなかっただろうな。でも結果が出ている、それは何故か。これには幾つか理由がある。あの子は本当に自分の限界ギリギリの体力を使って走っていたってのが一つ目の理由だ。お前らは体力の限り全力で走った気になって居た様だが、実際はかなりの余裕があった。そこのトップ集団四人が良い例だ。誰が言葉を話せる余力を持って終われと言ったんだ。何の為に残り二十分と伝えたと思ってるんだ? 俺が宣告をしたのは、後二十分で終わるから一ミリでも多く進める様に体力を使い切れって事だったんだよ。自分の感じる最高速を出すのが全力じゃない、ギリギリまで体力を使って自分の全力を出来るだけ保ち、尚且つ頭で思っている以上の速度を出しに掛かるのが全力なんだ。これは単なる筋力トレーニングやマラソンじゃない。体力を使い切る事で体にそれを教え込み、尚且つその状況に慣れる訓練でもあるんだよ。だからまず、余裕のある体力を使い切ってもらわなければ困るんだ。」
司羽がそう言ってアレン達四人を見た。どうやら司羽が言っている事は理解出来たらしい。とは言っても、走り慣れた人間であればある程体力の配分が上手くなってしまい、本気で体力を消費するという行動がしにくくなってしまう弊害がある。これは実際に走ったりする分にはメリットにしかならないのだが、訓練をするに当たっては不必要なリミットになってしまうのだ。
「そしてもう一つ、はっきりいって俺が驚いたのはこっちの方だ。実際にナナちゃんはそこまで体力がある訳じゃなかった。だからいくら限界まで体力を使ったところで十周も回れないと思っていたんだが、あの子は違った。あの子はそんな満身創痍の状況の中で、自分の体に出来るだけ負担を掛けない走り方を作り上げ、少しでも体力を消費する行動や、自分の集中を阻害する思考は回避した。木の枝を振り払う事さえせず、普通なら辛いとか苦しいとか、そうじゃなくても別の何かを考えてしまう物なんだが、それも恐らくしなかったんだろう。周りとは雰囲気が全然違ったからな。あの子はこの一時間半、完全に走る事だけに特化した存在になっていたんだ。結果を見ても、あの子は完全に元の自分の力を大きく越えた結果を出してる。これが才能でなくてなんだってんだ。」
「………なるほど、司羽が言った頭と体を使い切れていないと言うのはそう言う事か。手を抜いていたつもりはなかったんだがな。」
「ああ、それは分かってるし、別に能力の面であれこれ言うつもりはない、これから鍛えれば済む話だからな。だが今の自分にセーブを掛ける様な鍛え方じゃあ効率が悪過ぎるんだ。今回の訓練は、常に物事に全力で取り組む為の訓練だと思ってもらっていい。訓練の為の訓練って感じだ。そう言う訳だからこれからは大前提として、訓練に置いては常に自分を顧みないくらい全力を尽くして欲しい。特に、身体強化や戦闘に関しては常に瀕死の状態でやって欲しいくらいだ。体は持たないだろうが、壊れたら治してやるから心配するな。」
「…………司羽さん、笑顔でとんでもない事言いますね。」
「そうか? 普通だと思うけど。」
司羽の、『壊れたら治す』発言に表情を引き攣らせながらそう言ったリアに対し、司羽は心底なんでも無い様な表情で返した。これには他の面々も、これからの訓練の事を思いかなり背筋が寒くなったのだが、司羽にはそんな面々の内心も伝わっていない様だった。そんなリア達の内心を余所に、司羽は時計を見るとトワに終了の合図を送り、その場の人間にも号令を掛けた。
「さて、そろそろ終わりにするぞ。……今日は六時までに帰らないとやばいしな。」
「………? 初日とは言え終わるには随分早い気がしますが、六時に何かあるのですか?」
「え? あー、いや、大した事じゃあないんだけど。」
つい司羽の口に出てしまった言葉にリアが首を傾げると、何故か司羽はしまったとでも言いたげな表情になり、そしてそんな主を見てユーリアがクスリと小さく笑った。
「ふふっ、司羽様が六時までに帰らないとルーン様が寂しくて泣いてしまわれるのです。ルーン様の可愛い我儘と言う訳ですよ。」
「………ユーリア、余計な事は言わなくて良い。」
「ふふっ、そうですかーそれは大変ですね。早く帰らないといけません。」
「なるほど、鬼教官殿も女性の涙には勝てませんか。気にすることはありませんよ、いつの時代も女性は強いのです。」
「ふふふ、なんだ所帯持ちだったのか? 苦労するな、その歳で。」
司羽が言い淀んでいる所にユーリアが真相を話してしまい、今日の仕返しとばかりに周りからクスクスと笑い声とからかいの声が聞こえて来る。その内にトワとナナも休憩場所から戻って来た。
「あー黙れ黙れ!! 余計な事言った奴は次の時にペナルティを掛けるからな!!」
「おいおい……兄ちゃん、それは横暴ってもんだぜ………。」
「なんとでも言え、とにかく俺は帰るからな!! トワも戻って来たし、二人共行くぞ。」
「うむ、了解じゃ。あ、ネネとやら、ナナの事を頼む。あの後そのまま寝てしまったでの。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
先に歩き出した司羽に付いて行くようにトワもナナを預けて身を翻した。どうやらやはり自分がからかわれる事への耐性はないらしい。
「…………もう、司羽様は照れ屋さんですねー。それでは皆さん、今日はこの辺で。」
「はい、お疲れ様でした。」
先に行ってしまった司羽達に続いて、ユーリアも挨拶をしてそれに付いて行く。そしてその後にはリア達十二人が残った。去っていく司羽の後ろ姿を見つめながら、リア達もまた、自分達の家へと戻って行くのだった。
ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「司羽様、そう言えばちょっと今日の訓練の事で気になったんですが。」
「ん、どうかしたのか?」
司羽がトワとユーリアと一緒に家に帰る道の途中、唐突にユーリアがそう切り出した。訓練の事と言われて思い当る事と言えば……内容がきついとかそういう関係の事だろうか。司羽としては今日の体勢を変えるつもりはなかったのだが。
「いえ、大した事ではないのですが。もしかして司羽様って、ああやって人に教える事が初めてではないのかなーと思いまして。」
「え? いや、うーん。どうなんだろうな。広く見ると教えるのが初めてではないけど、今回みたいに本格的なのは初めてだよ。どうしたんだ、いきなり。」
「それは主の教鞭を取る姿が様になっていたからであろう。勿論信用はしていたが、今日の訓練も中々計画性がある物であったし、皆も最後は主の言葉に納得した様子であったしの。」
「そうそう、大体そんな感じです。なんか慣れてる感じがしたと言いますか、今日いきなり訓練を始める事に決まったにしてはちゃんと先生していましたし。」
何故かちょっと嬉しそうなトワの言葉に同意して頷くユーリアの言葉に、司羽は少し悩む様な仕草を見せた後、簡単な結論に辿りついた。
「それはあれだ、きっと親父の事を見て育ったからだろうな。元居た星での俺の家は、色んな人に武道を教える道場をしてたから。今日の訓練だって家の門下生達にさせる基礎的な訓練を真似しただけだし。俺も実際小さい頃は良くやってたからな、あれ。どんなに上手く走っても倒れるまでやらされたから、今日のより結構きつめだけど。」
「へぇ、お父様が…………って、小さい頃やってた? あれより酷いのをですか!?」
「ああ、多分四、五歳の頃からだろうな。その辺りから門下生に混じって毎日の様に訓練を受けてたから。あの頃は酷かったよ、最初の頃なんて終わっても物が喉を通らなくて点滴打ったりしてな。俺が倒れて動かなくなる度に門下生も大騒ぎするし、警察が虐待だーなんて言い始めるし、色々と休まらなかったよ。」
「………当たり前ですよ。どんな家庭ですかそれ。」
「な、中々野性的な愛じゃの。」
呆れるユーリアを余所に、野性的な愛だと表現したトワに司羽は苦笑した。獅子は子を谷に突き落として愛を示す。とは父親の言葉だったが、正直子供心に愛とは何かを深く考えさせられたのは言うまでもない。
「……まぁ実はあの訓練にはその効果以上に重要なメリットがあってさ。あの訓練を経験して行くと段々体力を残したまま訓練を終えるのがいけない事みたいに感じるようになるんだ、一種の洗脳だな。そうなると訓練中毒みたいになるんだが、その状態まで身を武術の道に落とす事が家の流派の門弟になるって事だったんだ。あの家に生まれた以上仕方がないと諦めたよ。それに俺は直ぐに適応出来たしな。最初はあいつらにもその境地に辿りついて貰おうと思ったんだが、時間が掛かりそうだから止めたよ。」
「洗脳って………止めて下さい。そんなので良く門下生が残りましたね。私なら絶対に御免ですよ。」
「はははっ。萩野流の誘い文句は、『戦場で地獄に行くか、道場で地獄を見るか』だったからな。本気の連中は残ったさ。実際道場に泊まり込みの門下生だけでも百人ちょっとは常に居たしな。皆楽しい連中ばっかりだった。」
「どちらにせよ地獄を見る事にはなるのじゃな。童もユーリアに同意じゃ、絶対に御免被る。」
なんだか懐かしいな~と思いつつ思い出に浸る司羽の隣で、トワは笑顔の表情を引き攣らせた。そんな中、ユーリアは一瞬ふと頭の中に僅かな引っ掛かりを覚えて小首を傾げた。
「…………う~ん?」
「む、どうしたのじゃユーリア。」
「ああ、いえ。なんでも。」
その引っ掛かりも一瞬の事、直ぐに分からなくなってしまったので多分大した事ではなかったのだろう。ユーリアはそう自分で納得して、忘れる事にした。
「でも司羽様もやっぱり小さい子には優しいんですね。なんだか水を飲ませてあげるのも手慣れていましたし。ちょっと優しい顔してましたよ?」
「……ああ、あれか。手慣れているってか、いつも俺がぶっ倒れたら母さんがああしてくれてたからな。あの人も父さんの指導を無理に止めたりしない辺りは武術の家の出だけど、ちゃんと気遣ってくれる人だったから。父さんとケンカになる理由は大体俺の事だったし。親父はなんでも愛の鞭で片づける人間だからなぁ………。」
「なるほど、そうだったんですか。ふふふっ、私はてっきり………。」
「………ユーリア、どういう意味だ。」
「ふふっ、なんでもありませーん。」
ジト眼で睨んだ司羽の視線を避けて、ユーリアは司羽から視線を外した。教官としての顔とは正反対の反応を示してくれる自分の主に、ユーリアはついつい表情が綻んでしまうのだった。