第37話:休日の終わり、酒場にて
「うむ、ミシュナは格好良かったぞ。童にも見えなかったが、こう、シュバッと消えて童に銃口を向ける男をいつの間にかやっつけてじゃな……。」
「はい、御見事でした。」
「ふーん、そんな事があったのかー。」
マスターの地下バーで興奮した様に昨日あった出来事を話すトワの話を聞きながら、司羽は興味深そうに相槌をうった。ルーンとの遊歩道デートの次の日、司羽は昼過ぎまでルーンと一緒にホテルの見学をしたり(庭一つ取っても国宝級の物らしい)、ホテルの近くにある店でお土産を考えたりしていたのだが、明日には学園がある事もあって少し早めにこちらに帰って来ていた。そのまま二人で家まで帰っても良かったのだが、もう少しくらいルーンとのデート気分を味わおうと思い、寄り道のつもりでマスターの所に遊びに来たのだ。だがどうやらそれはミシュナ達の思考と被っていた様で、この場で鉢合わせになったと言う訳だ。
そんなこんなで一通りトワから話を聞いた司羽の反応を見て、こめかみを押さえている人物が一人。
「そんな事があったのかー……って、司羽はちゃんと話を聞いてたの!? 別に悪い人に対しても絶対に暴力で攻撃するな、なんて私も言わないけど、トワにはもうちょっと命の大切さを教えるべきだわ!! こういうのって保護者の義務でしょうが!!」
「うーん、そうは言ってもな……。」
先程の司羽の反応が不服だったのか、司羽に詰め寄って抗議するミシュナに対して、司羽は困ったように頬を掻いた。
「俺も基本的には命を大事にって思考で良いとは思うけど、自分や仲間の命に関わる時に敵の心配をするなんて、普通に危険だと思わないか? それにトワは相手が悪人だからやったんじゃなく、ミシュナが捕まりそうになったから、危なかったから仕方なくやったんだろ? 心配しなくてもトワは無闇に暴力を振るう様な子じゃないよ。」
「確かにその通りだわ、でもこの子なら殺さずに倒す事も出来た筈よ。今回の件に関していつか後悔する時が来るかも知れないじゃない。私は別にあの集団の事を案じてるんじゃない、トワが将来それを後ろめたく思う時が来るかも知れないって言ってるの!! 理屈では正しくても、それだけで全部割り切れない事だってあるでしょう?」
「………ま、まぁ……確かに。」
「な、なんだかミシュナちゃん、トワちゃんのお母さんみたいだね。」
「あ、ルーン様もそう思われます?」
トワの事で本気になって司羽に怒っているミシュナを見て、司羽の隣の席から離脱してきたルーンは半笑い気味になりながらそう呟いた。司羽に詰め寄るミシュナの気迫に、周りの人間もまったく口を挟めない状態だ。いつもは仲介役になるはずのマスターですら見て見ぬフリを決め込んでいるほどだ。ちなみに現状の原因であるトワはと言うと、マスターからお気に入りらしきフルーツのカクテルを貰って、ユーリアと共に離れた場所でそれを飲んでいた。本能的に自分が入り込むべきでない事を、と言うよりも自分が入り込むと面倒な事になってしまう事を悟っている様だ。
司羽とミシュナの言い合い(ミシュナが一方的に優勢だが)から逃げて来たルーンは、ユーリアの隣に座ると二人が飲んでいる物と同じカクテルをマスターに注文した。どうやらこの場ではあの二人は暫く放っておく方向で意見が固まった様だ。
「ふふっ、それにしてもミシュナちゃんは凄いね、司羽がタジタジだよ。」
「あはは………司羽様もミシュナ様には頭が上がらない様ですから。」
「うんうん、今回だってミシュナちゃんにはお世話になっちゃったしね。」
ミシュナに一方的にやられているらしい司羽を横目に見ながら、ルーンはそう言って表情を緩めて微笑んだ。そんなルーンにユーリアはなんだか不思議な気持ちになった。ルーンはこんなに落ち着いた雰囲気の少女だっただろうか?
「今までだったら、ミシュナちゃんの事が羨ましいって思ってたんだろうね。」
「ミシュナ様の事が、ですか?」
そう言ったルーンは、司羽達からスッと視線をユーリアへ移し、柔らかく微笑んだ。その自分よりも幼い少女の表情にドキッとしつつ、ユーリアはなんでもない顔で聞き返す。
「ミシュナちゃんみたいに成れたら、きっと司羽にはミシュナちゃんなんか必要なくなる。その分私はもっと深く司羽に根着く事が出来るんだって思ってた。だからミシュナちゃんのああやって司羽と言い合い出来るところが凄く羨ましいって感じたんだと思う。」
「……………。」
そう言ったルーンは、出された薄黄色のカクテルを少し飲んで喉を潤した。ユーリアもそのルーンの言葉には同意出来る所があった。ユーリアから見ても、恐らく司羽と最も意見を交わす事が多いのはミシュナであって、恋人であるルーンではない。今までにしても、ルーンは司羽の意見をひたすらに享受するだけの存在であり、意見を戦わせている所を見た事がなかった。ユーリアはまだこの和の中に入ってまもないが、それが以前から続いて来た物である事はなんとなく察する事が出来る。
「今は、違うんですか?」
「うーん、どうなんだろうね? 今でもちょっと嫉妬しちゃうかもしれない。だって今日はまだ私とのデート中なんだよ? なのに司羽ってばさっきからミシュナちゃんとばっかり話してるし、二人っ切りの時はずっと手を繋いでてくれたのに………今はお手手が御留守ですよってね。」
「それはほら、照れ屋さんですからね、司羽様は。照れ隠しにクール気取ってる初心な十代ですから。そこら辺は色々と気持ちを汲んであげませんと。」
「………それを言ったらこの場にいる人間は俺以外全員が十代だろうが。……トワはどうなのか知らないが。」
「う~む童を十代と言っても良いのじゃろうか? この世界に来てからと言う事ならまだ生後一カ月程度なんじゃが。と言うより童は生まれてからどれほど経つかなど覚えて居らんぞ。」
ルーンの愚痴にも似た発言をざっくりと主ごと斬ったユーリアの発言に、マスターとトワが乗っかって何やら考え始めているが放っておく事にする。そんなユーリアの発言が何処かハマってしまったのか、ルーンはぷっっと噴出してしまった。
「そうだねえ、司羽はクール気取っちゃってるよねー。やっぱり私的にはもっとがっついてくるくらいが丁度良いと思うんだけどなぁ。そう言うのってやっぱり男の人からして欲しいよね? なんか一方通行な感じがして一々寂しくなるもん。司羽はそういう所が分かってないよ。」
「あー、確かに司羽様はそう言う所が鈍い感じはありますね。クール系と思って付き合ってみたら変態でしたってのはちょっと引きますけど、反応が変わらないってのは女としては結構傷付く感じしますからねぇ……。女の優越感と言いますか、ちょっと手玉に取りたくなる時ありますし。」
「そうそう、そうなんだよ。大事にされるのは悪い気しないけど、もう色々と子供じゃない所まできてるんだから、他の女の子よりそういう面でも特別扱いしてくれても良いと思うんだよね!!」
「マスター、ルーンとユーリアの会話の意味が良く分からんのじゃが………なんか疎外感が。」
「まあ………お前にはまだちょっと早いかもしれないな。その内にお母さん役が教えてくれるだろうから、それまで待つんだ。下手な事を言ったら俺も危ない。」
なんだかガールズトークばりばりでマスターがトワを連れてそこから離脱を始めているが当の二人は気にした様子もない。なんだか楽しそうにヒートアップしているので水を差す事もないだろうとしての配慮だが、トワは若干そんなマスターの行動に不満気だ。とは言え、ユーリアもルーンも感情の捌け口は必要なのだ。同世代とは言えないが、元々近い場所で生活をする事になっている二人が、気心の知れた仲になるのは良い傾向だろう。司羽にしても、ルーンとユーリアの仲が円滑になってくれるかは結構気にしていた様であったし、お節介を焼いておこうとマスターは思っていた。
「むぅ、なんだかつまらんのぉ。」
「………喋り方だけ考えると一番年長の様に聞こえなくもないんだがな。」
「何か言ったかの?」
「いいや、別に。」
女に歳の話は厳禁………と言うのはトワにはまだ早い話であるかも知れないが。実は先程まで別の客の相手をしていたので、つい気にしてしまった様だ。
「しかし珍しいのぉ、童達以外にも客が来ていたのか。」
「何?」
「いや、そこの流しにグラスが三つ置いてあるのはそうじゃろう? お主が飲むにしてもグラス一つで足りるしのぉ。」
「………ああ、なるほど。」
一瞬考えが読まれたのかと思い驚いたが、どうやらちょうど話題が合致しただけらしい。トワの視線は店の流しに置かれている三つのグラスに注がれている。この店のマスターとしては、ただ単に店に客が入っただけの事に関心を持たれるのは複雑な気分だったのだが、事実この店に入ってくるのは一部の常連だけなので敢えて何も言わない事にした。
「お前達が来る前に二人、な。この店の古くからの常連客だ。とは言っても月に一回来るかどうかの客だがな。」
「ふむ、やっぱりの。」
「どういう意味だ、それは。」
「いや、大した意味はないのじゃ。ただ何となく、いつもとは違う酒の匂いがして………飲みたくなっただけの事じゃ。」
「………………少しだけだぞ。」
眼を輝かせながらそう言ったトワに少々諦め気味に返したマスターは、いつもなら開ける事のない棚から一本のボトルを取り出して、その透明な液体を新しいグラスに少し注いだ。かなりアルコールがキツイ酒で、本来ならば子供に出しはしないのだが、トワならば少量くらい大丈夫だろう。事実トワが酔ってしまった所は見た事がないし、もしかしたら夢喰いは酔ったりしないのかも知れない。そんな事を考えている内にトワはグラスに口を付けてしまっている。
「………なんだか、不思議な味じゃのぉ? 他の酒より随分とキツイ感じがするが。」
「まぁ、カクテルとは違うからな。俺も良くは知らん、その常連客が来る度に土産で持ってくる一本だ。土産で持ってくる割には殆んど自分で飲んじまうが。」
「ふむ、世の中には色々な物があるんじゃのう。ミシュナなど匂いだけで倒れそうじゃ。」
そこまでは言い過ぎかも知れないが、トワは随分と気に行った様子でちびちびとグラスを傾けている。しかし周りを見てみれば、この店も随分と賑やかになった物だ。僅か数カ月でこの様に様変わりしてしまうとは思わなかった。取り敢えずこのボトルはさっさとしまっておこう、トワがもう一杯を強請り出したら後が際限なく続いてしまう。
「もう、終わりかの?」
「ああ、今日はもう終わりだ。大人しくいつもの奴を飲んでろ。」
「………楽しみを一度に飲み干してしまうのも味気ないと言うことか。」
どうやらこれからはトワの動向には注意する必要がありそうだ。一口しか飲まないミシュナと違いこちらは底なしだ。そんな事を思いつつ、その休日の日は落ちて行ったのだった。