第116話:彼と彼女と彼女の特別な日(後編)
※お知らせ(2018,5,26)
ずっと月1更新は守ってきたのですが、ちょっと諸事情があり暫く更新が出来そうにありません。
年内再開したいと考えてますし、可能ならもっと早く再開しようとも思ってますが……キリも良い場面ですし、少しの間、休止期間を頂きます。
話は考えてあるのですが、書く時間がないのです。本当に申し訳ございません。
「わぁ、もう暗くなってきてるね。」
「そうだなあ。あの店に二時間くらい居たからなあ。」
「……………。」
時刻は夕方、18時を少し過ぎた頃である。辺りは段々と暗くなり始め、人通りも疎らになりつつあった。
司羽達は先程の喫茶店を出てから、三人で夜の街道を歩き、帰路に着いているところなのだが……辺りにあまり人が居ないのを良い事に、現在司羽の両手と言わず両腕は塞がっている状態である。
「はあ……私は、なんて恥ずかしいことを……。」
「ええー? 別に恥ずかしい事なんてしてないじゃん。普通の恋人だってあれくらいするよ?」
「あんな事を平然とする恋人は恥ずかしい恋人よ。私と司羽は慎ましい夫婦なの。」
「ふーん……ねぇ司羽、ちゅーしよ?」
「ちょっと、言った先から!! 司羽、しちゃ駄目よ?」
司羽の右腕をぎゅっと抱き締めて、ルーンが上目遣いにおねだりをするのに対して、ミシュナは左側の腕をぎゅっと引っ張って止めた。
ミシュナは先程から、あの喫茶店で周りに流され、司羽とのキス写真を撮ってしまった事を気にしている様子だった。
それを知った上でのルーンのからかいだと司羽も分かっているので、今回はミシュナの味方である。
「はいはい、もうちょっと行ったら公園があるからそこでな。通行人もいるし、此処ではしない。」
「ほら見なさい。人前でキスなんて普通はしないのよ?」
「ふーん? だったらミシュナはしないのね?」
「………公園でなら良いわよ。司羽、私にもしてね?」
「ああ、当然……って二人共、体を押し付けるのは止めてくれ。喧嘩するなら別の方法はないのか!?」
「喧嘩じゃないよ? 順番決めてるだけだし……えいえいっ♪」
「んっ……そういう事だから、司羽は気にしないで良いわよ。」
「気になるわっ! そもそも何だよその勝負、判定するつもりないぞ!?」
抗議も虚しく、ルーンとミシュナに両側から腰に抱き付かれ、司羽はふにふにと柔らかい感触に挟まれる。
そして恋人繋ぎにしていた両手も当然の如く二人に取られ、誘惑する様に腹部の辺りへと当てられた。周りからは、司羽が二人の腰を抱いている様に見えている事だろう。そして、そのまま両手はゆっくりと胸元の方へと導かれ……ふにん、と掌に柔らかさが広がった。司羽の心に緊張が走る。
(……判定しないぞ、絶対しない……………でもルーン、最近また成長した様な………ハッ、しまった!?)
「ふふんっ、私の勝ち。今日は私が先にしてもらうね?」
「うぐっ……やっぱり胸じゃ勝てないわね……。」
「あのさあ………夫婦にもある程度のプライバシーって必要じゃないか?」
司羽の内心を読み取り、二人の中で適切なジャッジをしている姿を見て、言葉がなくても通じてしまうと言うのは、こういう事を言う訳じゃない筈だよなあ……と、司羽はちょっと情けない気持ちになった。様々な夫婦の形があるにしても、司羽はもうちょっと妻に対して発言力を持つ男で居たいのである。
「……うーん……亭主関白とまでは行かなくてもなあ……。」
「ふふっ、司羽に亭主関白は似合わないわよ。」
「うーん、私としてはその方が良いけど……首輪とか、鎖とか、所有痕とか……えへへ……。」
「ルーンは亭主関白を何か勘違いしてるみたいね……それはただの御主人様よ。………司羽なら、格好いいと思うけど……。」
「やらないぞー? 二人とも絶対悪ノリして、エスカレートする気がするからやらないぞー?」
隙あらばそういう方向性の約束を取り付けられそうになるのも、すっかり慣れてしまった司羽である。しかし下着の件もあるし、最近二人掛かりで外堀から埋められている気がしないでもない。
尤もそれが事実だったところで、ルーンとミシュナの二人になった事による戦力バランス崩壊から見て、考えるのは無意味であるが。
「取り敢えず、その話はまた今度にして……、順番も決まったし、早く自然公園行こ? それとも……あっちにある暗い公園にする? この時間なら人気もないし、見られないよ?」
「ん? そうだな……。」
「……ちょ、ちょっとルーン、流石に外でなんて………まあ、司羽がしたいなら、頑張るけど………。」
「え……ミシュナ、一応言っておくけどキスの事だよ? 私だって、司羽以外に見られるの嫌だし……。」
「…………い、いや、私もキスの事よ?」
「はいはい、自然公園の方な。決まりだ、決まり。ルーンもあんまり際どいやり方で美羽で遊ぶなよ?」
「はーい。」
「………ルーン、いつか覚えてなさいよ?」
仲が良いのは良い事だが、何をするにもベッタリと自分を挟んでやられるので結構フォローが大変な司羽である。
とは言え当然、周りから見ればただ三人でベタベタイチャイチャしているだけなのだが……。
そしてそんな風に人目も気にせず三人で歩いている内に、いつの間にか街頭の灯りが点き始め、司羽達は目的地の公園まで辿り着いていた。いつもはこのくらいの時間でもカップルがそこかしこに居たりするのだが……。どうやら今日は、珍しく貸し切りの様である。
「……あら、今日はあまり人が居ないわね。」
「そうだねー。ミシュナ、残念だったね。」
「好都合よっ!! って、それもなんか違うけど……。」
「あははっ、本音が漏れちゃったね?」
「こらルーン、いい加減に美羽を弄るのは止めなさい。」
「ふふふっ、はーい。」
「……………。」
再び司羽に窘められても、ルーンはニコニコと笑っていて悪びれた様子もない。どうやら今日のルーンは、いつもよりもちょっとだけ悪戯好きな性格になってしまっている様である。確かに、赤くなった顔を隠すように司羽の腕に顔を埋めるミシュナはとても可愛いのだが……こういう一方的なのは良くないだろう。
二人に対して、奇しくも男の威厳の見せ所が出来た訳である。
「……可哀想だが、仕方がないか。何度言っても分からないなら、ちょっとお仕置きが必要かも知れな………ん?」
「………えへへっ。」
「………そっかあ、成る程なあ。」
「私を出汁にするなんて、流石はルーンね。勉強になるわ。」
「何の事? ……司羽、お仕置きは?」
お仕置き、の言葉が出た辺りからルーンの瞳がキラキラし始めていて、司羽も違和感に気付いた。ルーンにお仕置きなんて、完全に逆効果どころか思う壺である。恐らくミシュナをからかっていた辺りから全て計算していたに違いない。今、司羽の目の前で期待した表情でウズウズしているのが何よりの証拠である。
「お仕置きは中止だな……ほら、ウズウズしない。」
「ええー……お仕置きしないの? 二度と司羽の命令に逆らえない様に、体に教えないと……体罰も時には必要だよ?」
「……司羽、やっぱり亭主関白は無理よ。諦めなさい。」
「そうだなあ……諦めるか……。」
「……むー……私は良いと思うけどなあ……。」
怒ったりお仕置きする度に眼をキラキラさせて悦んじゃう相手には、亭主関白を気取った所でSMプレイにしかならないんだよなあ……と、司羽は改めて家庭内のパワーバランスを自覚した。
司羽が纏めている様に見えて、実は何もさせて貰えない環境を変えたかったのだが……この分では先は長そうである。暫くは買い物だけで我慢する事になるだろう。
……それよりも今は、このお姫様のご機嫌の方が遥かに大切である。
「じゃあ、お仕置きはまた今度で良いや。それより司羽、ちゅーはまだ? ぎゅって強いのが良いな。」
「はいはい、お姫様。」
「違うよ、奥さっ、んっ………ふっ、ちゅ……。」
ルーンの言葉を遮り、要望通りぎゅっと強く抱き締めて、深いキスをする。少し前まで我儘なお姫様だったルーンは、腕の中で抵抗なく、ゆっくりと司羽に身を預けた。柔らかい唇が侵入者を拒むことなく受け入れ、従順に奉仕する様に舌が絡まる。流れ込んだ唾液も、嬉しそうな表情で喉を鳴らし受け入れていった。そして同時に、くいくいと柔らかい体が押し付けられ、甘えたような瞳で見つめて来た。
「んむっ……こくっ、ふぁ……れろっ……ちゅぅ……。」
「ちょっと二人とも、外で悪ノリし過ぎよ……。」
「……んっ、みふなのばん……ちゅ……。」
「う……じゃあ、わ、私も深いのが良い………んっ……れぇっ……ちゅっ……。」
そしてルーンの唇が司羽から離れた後、今度は隣にいたミシュナの体を引き寄せてキスをする。恥ずかしがりながらも、しっかりと要望を出したミシュナの体をぎゅっと抱き締めると、ミシュナはトロンと蕩けたような表情になって、そのまま体の力を抜いた。舌を入れてやれば、嬉しそうに眼を細めて、自分の小さな舌で応えてくる。そしてルーンに対抗するかの様に、自分を抱き締める司羽の手を、自分のお尻の辺りに触れさせた。
「……ふっ……ちゅ……ちゅかば……んんっ……!!」
「ちょっとミシュナ……それズルい。」
「んむ……ふふっ……ちゅうっ……はあっ……ふぅ。ズルくないわよ。司羽は自分の物を揉んだだけだもの……。」
「むう……ミシュナの痴女。ねえ司羽、もう一回したくない?」
「ちょ、ちょっと駄目よ。ここでこれ以上なんて……。」
「……………。」
そのミシュナの行動がルーンに火を点けてしまったのか、ルーンが甘えるように司羽に抱き付いて誘惑した。ミシュナの方も、駄目だと言いつつも上目遣いになりながら司羽の腕を取って寄り添う。二人とも、今のキスでかなり蕩けてしまっている様であった。ちょっとキスが激し過ぎたのかも知れない。
……とは言え、今の司羽にはそれに応えられない訳があったのだが。
(……うーん、この空気でどうしたもんか……いや、でもタイミングは今しかないかも……今日中って決めてたし……。)
「……司羽?」
「どうしたの、ぼーっとして。」
「…………ああ。実は二人に、ちょっと受け取って欲しいものがあってさ。」
「「………?」」
半分蕩けてしまっている二人は、司羽に抱きついたまま首を傾げた。もうちょっとシチュエーションを考えたかったが、多分そんなに悪くない筈だと、司羽は自分を納得させ、胸のポケットに手を入れる。
「………悪いな、箱とかまでは用意出来なかったんだけど。」
「………っ……。」
「……これって……。」
「ちょっと見てくれは悪いかも知れないけど……結婚指輪のつもりだ。」
そう言って司羽が取り出して見せたのは、白桃色の小さなリングが2つ。僅かな透明感があり、色の濃い部分と薄い部分が不規則に混じり、絡まった様な、見るからに既製品ではない代物だった。
「司羽、これまさか……作ったの?」
「ああ。買おうかと思ったんだけど、何かピンと来なくてさ。こういうの良く分からないから、花を結晶化させて、形と強度を整えた。……デザインに関しては……色々と難しくてな。」
「……………。」
「……花の……指輪……。」
その不恰好にも見える指輪を見て、ミシュナは自然に胸に手を当てていた。この指輪を見ているだけで、胸の奥が暖かくなる。司羽が作ってくれたからとか、結婚指輪だからとか、多分色々理由はあるけれど……。
「美羽には二つ目になっちゃうけど……前回のは、そう言う意味じゃなかったからな。出来ればこれを、これからは左手に着けて欲しい。」
「うんっ……喜んでっ。」
司羽の言葉に、ミシュナは笑顔で頷いた。ちゃんとした想いが込められた本物を、これからは堂々と着けて良いのだ。こんなに幸せな事はない。
そして司羽は指輪を手にして、ミシュナの左手を取ったのだが……。
「駄目よ、司羽。最初はこっちじゃないでしょ……どれだけ待たせるつもり?」
「………そうだな、そうだった……ルーン。」
「……………え?」
ミシュナに静止され、司羽が隣で呆然としていたルーンに声を掛けると、ルーンは反応こそしたものの、未だに事態が呑み込めていない様子だった。司羽は、そんなルーンの髪を優しく鋤く様に撫でる。
「司羽……?」
「随分待たせちゃったな……待っててくれて、ありがとう、ルーン。」
「………ぁ……。」
ツッとルーンの頬を暖かい雫が伝う。……思えば、どれ程の間だったろうか。ルーンと付き合い始めたのは、もうずっと昔の事のようにも思える。
「……付き合ってなかった美羽にはあげてたのに、ずっと俺の傍に居てくれたルーンにはあげてなかったんだもんな。……寂しい思いさせちゃったな。」
「…………。」
ポタ ポタ
頬を伝った雫が、ゆっくりと落ちていく。ルーンの涙を見るのも久しぶりだ。初めてルーンの本音を聞いたあの日以来、ルーンは涙を見せなくなった。いつだってルーンは、司羽の隣で笑っていた。眼を逸らす事なく、司羽の方だけを見て笑ってくれていた。
「ありがとう。ルーンが居てくれたから、俺はずっと一人じゃなかった。いつも俺の傍に居てくれて、何があっても笑っててくれて、本当に嬉しかった。」
「………当たり前だよ……だって、私……司羽の……家族なんだからっ……。」
「ああ、それに俺の恋人で……これから、俺の奥さんになってくれるんだもんな……。」
「………う、んっ……。」
ポロポロと溢れ出す涙を無視して、ルーンは微笑んだ。瞳が涙で覆われて、目の前が見えなくなっても、司羽から眼を逸らすことなく真っ直ぐに見つめ続ける。
「受け取ってくれ。それで一生、着けていてくれ。」
「うんっ……うんっ……。」
司羽はルーンの左手を取り、そしてゆっくりと、薬指に白桃色の指輪をはめた。ルーンとミシュナに、それぞれピッタリ合うように調整した指輪だ。それを確認してルーンの左手を離すと、ルーンはその指を右手で包み込むように抱き締めた。
「美羽。」
「何かしら?」
「美羽にももう、外さないで欲しい。そんな必要のない、本物の指輪だから。」
「………うんっ。」
そしてミシュナの左手を取り、薬指に同じ様に指輪はめた。その指輪を見つめながら、ミシュナもまた目尻に涙を浮かべて微笑んでくれた。
「ルーン、美羽、二人には色々迷惑かけたよ。今までもだったし、これからも……多分な。」
「……大丈夫だよ。私はずっと、司羽と一緒に居るから。何があっても、ちゃんと隣に居るから。」
「私も、覚悟してるわよ。貴方が勝手な人だって……でも、もう私を置いていったりしないって、信じてるから。」
「……ああ、約束する。そんな事はしないよ。」
「なら私、指切りより誓いのキスが良い。……司羽。」
「……そうね、誓いのキスが必要ね。約束だもの。」
「そうだな、じゃあ……。」
そして司羽は、自分に寄り添い眼を閉じる二人を優しく抱き締め、大切な約束をした。約束は大切だ。でも約束したから守るんじゃない。大切な事だからこそ、約束をして、守るのだ。
三人の誓いは、誰に見られる事もなく、三人の中だけで結ばれた。この日の事は、きっと忘れる事はない。
そして、司羽がゆっくりと抱き締めた手を離して、誓いの儀式は終わった。
「……えへへっ………それじゃあ、帰ろっか。私の……私達の、旦那様……。」
「ええっ、帰りましょう……あなた。」
「………そうだな。二人も待ってるし、帰ろうか。」
その言葉と共に、ルーンとミシュナは再び左右の手を取った。指を絡めて握る手と、腕を引き寄せ抱き締める手で、小さな指輪が、街頭の灯りを反射する。
そしてそれはずっと、星よりも暖かく、月よりも優しく、二人の指で輝き続けた。