第115話:彼と彼女と彼女の特別な日(中編)
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「あー、楽しかった♪」
「べ、勉強になったわ。」
「俺は疲れたよ……1日拷問を受けるより、あの視線の方が十倍きつい……。」
一時間弱の間ずっと下着売り場に居たせいで、既に疲労困憊になっていた司羽は、新妻二人に左右から腕を引かれながら、そのデパート内にある喫茶店に入り、深々とソファーに座って背もたれに体重を預けた。
一方の二人は、腕を引いたそのままに司羽の左右に陣取っている為、片方の席に三人が座るという、かなり人目を引く状態になっている。
しかし、あの視線の中で一時間耐えた今の司羽に取っては、春のそよ風にも等しい刺激だ。
「……ふふっ、司羽も疲れる事があるのね? 気術士なのに。」
「流石にストレス耐性までは付かないからなー。てか最後の方は美羽も完璧に俺で遊んでただろ。あの最後のやつとか絶対買う気なかったよな?」
「あら、でも司羽に着けろって言われれば着けたわよ? ね、ルーン?」
「うん、ミシュナの分も買っておいたよ。色違いのお揃い。」
「なんで!? 今そういう会話の流れじゃなかったでしょ!? ……あ、本当だ……袋の中に私の知らない包装が増えてる……ほ、本気で着るの?」
「人で遊ぶからそういう事になるんだ。」
司羽が持っていたミシュナの分の袋の中身を見て、ミシュナの頬が赤く染まる。そしてルーンが購入したと言う事は、俺もちょっと見たかったのがバレていると言うことだ。チラッとルーンの方を見れば、ニコニコと上機嫌で喫茶店のメニューをパラパラめくっている。
「……あ、あんたには羞恥心ってものがないの……?」
「えー、そんなわけないでしょ? 私だって恥ずかしい時やテレる時はあるよ。そんな人を無神経みたいに……ね、司羽?」
「あー、確かに美羽に比べれば顔に出ない部分はあるけどな。」
実は、服を誉めたり容姿や髪型を誉めたりと、そう言ったもう日常茶飯事になった出来事にもルーンは割りと照れていたりする。顔には出さないので分かりにくいが、その後やたらと上機嫌になって、いつもはピットリなスキンシップが、ベッタリに変わる。司羽本人だからこそ分かる変化である。
「出なさすぎでしょ。私、最近ルーンが動揺したり恥ずかしがってる所なんて見たことないわよ?」
「ふふっ、当然だよ。私の無防備な女の子の顔を見て良いのは司羽だけなんだから。でもまあ、これからはミシュナにもちょっとは許してあげる。」
「ふふっ、はいはい、光栄ね。」
「勿論ミシュナも同じ事して、同じ気持ちを味わって貰うけどね。」
「止めて。」
ニコニコと上機嫌で言うルーンにミシュナは真顔で即答した。テレるくらいならまだしも、ルーンが本気で羞恥心を露にするような事であれば、ミシュナにとっては気絶レベルであろう。
そんな事を話している間に、ルーンのメニューをめくる手がピタリと止まる。
「あっ、二人ともこれ頼もうよ、これ!」
「んー? …………あっ。」
「どうしたの? あら、このケーキ可愛……あっ。」
「……えへへ。」
ルーンが指差した先、そこに載っていたのは可愛らしい造形の丸いショートケーキ……の、カップル用のチャレンジプラン。
二名様よりご注文可能。ちょっと大きめのケーキを、全て食べさせあって完食したら半額………と、写真撮影。ラブラブなワンショットを店内に飾ります!!と大きな字で書いてある。
「写真付きか……中々サービス精神旺盛だな……。」
「………ふ、ふーん。良いじゃない司羽、ルーンと二人で……。」
「二名様よりって書いてあるから三名様でも平気だよな。」
「そういう反応なの!?」
「さっすが司羽っ♪」
美羽だけのけ者なんてとんでもない。俺が先程感じた恥ずかしさを欠片でも味わってもらうぞ。
「いやいや、司羽。貴方のキャラを思い出しなさい。ここは人前なんて恥ずかしいから無理ってひよる場面じゃないの!?」
「いや、もう五、六回はやってるし。下着売場に比べたら街中と暗室くらいの違いがあるし………あれ、そう言えば毎回恥ずかしい思いをした後に……。」
「えへっ。」
「確信犯じゃないの……。」
「すいませーん、オーダーお願いしまーす!!」
「ちょっ!!」
ミシュナの抵抗は無意味である。ルーンはこういうあからさまにイチャイチャしてベタベタするスキンシップが大好きなので、嫌がると悲しい顔をされるからだ。やらない選択肢は最初からない。ミシュナもいずれ抗議や抵抗は無意味と悟るだろう。
「ご注文をお願いします。」
「『ハートのラブラブショートケーキ』を三人一組分で。」
「ありがとうございます♪ ラブラブ三人でお願いしまーす!!」
「わ、私は頼んでないからね!? やらないからねっ!?」
「チャレンジ失敗で料金十倍になりまーす♪」
「十倍っ!?」
「半額前提の値段設定だから実質二十倍かあ……。」
それ以前にチャレンジってなんだよ。大食い系でもないのにペナルティ付きって、ただの外堀埋めじゃねえか。……あ、本当だ。ルーンの指で隠れてて見えなかったけどちゃんと書いてある。ルーンは策士だなあ。しかも今日からのプランか、タイミング良く見付けたなあ。
「ルーン、絶対これ目当てに来たよな。」
「うんっ、この辺りの喫茶店は完全制覇しておきたいもん。……嫌だった?」
「嫌じゃないよ。いつも通りに食べて、一緒に写真撮影するだけだろ? 今更そんな事くらいなんでもないよ。」
「じゃあ写真撮影の時、ちゅーして?」
「ちゅーかぁ……そうだな、それくらいなら良いかな。」
「えぇ……ルーンに染まりすぎでしょ……。」
要求が毎回エスカレートしていくのにも慣れてしまったからな。ちなみに拒否した場合は機嫌を直して貰うのにとてつもない要求を呑まなければならないケースが多い。学院内や公園での膝枕、ペアルック、お姫様抱っこ程度なら可愛いものだが、最近キスマークや首輪にも興味があるようで、本人もおねだりのチャンスを伺っている節がある。流石に外でそれは俺が捕まりかねない。
だから、本当にこの程度のおねだりは可愛いものなのだ。彼氏から夫に昇格した訳なので、自身にも成長を促さなければならない。
「まあ、これからは俺一人が恥ずかしがる訳じゃないし。」
「何よそれ!! ……ちゅっ、ちゅーはしないわよ。百歩譲ってあーんだけだから。」
「司羽がしたいって言っても?」
「……………し、しないわ。」
「えー、夫婦なのに。」
「全世界の夫婦が人前でキスする様な人達ばかりなら、少子化なんて言葉はこの世から消え失せるわね。」
「つまり世界は良い方に向かうんだよね?」
「うっ…………つ、司羽の変態っ!!」
「えぇっ……俺何も言ってないじゃんか。」
ルーンの笑顔の返しにより、言葉に窮して口ごもったミシュナに、ぺちんと膝を叩かれた。おまけに真っ赤な顔で変態呼ばわりとは……ルーンも中々ミシュナを弄るのが上手いな。
「お待たせ致しました。ラブラブショートケーキ一組三人分になります。」
「うぐっ……き、来たわね。」
「そんな親の敵を見るような眼で見なくても……。」
「司羽と違って慣れてないのよっ!! ひ、人前でなんて……。」
「えー? ミシュナだって、トワちゃんとユーリアさんの前なら出来るじゃん。」
「二人の前でも恥ずかしくないわけじゃ……いや、それ以前に他人とあの二人を一緒にしないでよ……。ふ、二人きりなら別だけど。」
寧ろ身内であるほど恥ずかしいと思うのだが、どうやらミシュナには逆であるらしい。まあ、店員さんは露骨に期待した眼でガン見してきてるから気持ちは分かるけど。
「ミシュナは本当に奥手だねー。はい司羽、あーんっ♪」
「あー、はむ。……うん、見た目に反してあんまり甘くないな。食べやすい。」
「うんっ、司羽が甘過ぎるの苦手だって、店員さんに伝えておいたからね。」
「いつの間に……。」
「此処に来た時にね? はい、司羽の番だよ。」
「うん、だと思った。はい、あーんっ。」
「あ~ん……あむっ♪」
カシャカシャッ
カメラの音を気にもせず、はむっ、っと嬉しそうに司羽が差し出したフォークの先のケーキを食べるルーンを見ていると、何かもう色々とどうでも良くなってしまう。ここまでの流れは全てルーンの計画通りなのだろうが、随所に司羽に対する配慮が見られる所が何ともルーンらしい。こういう所で愛されていると感じられるから、ルーンに段々と甘くなってしまうのだ。
「んぐ……こくんっ。あはっ……司羽、すっかり慣れたね。凄く食べやすいよ。」
「まあな、俺は成長する男だ。一口の分量なら任せろ。」
「私のお口の事なら何でも知ってるもんね。何度も食べさせてくれたし。」
「ルーン、わざと言ってるのは分かってるけど、飲食店でそれは止めような?」
「……えへへ。」
うーん、照れたような笑顔が可愛い、これは強く怒れないな。ちなみに、あーん一つ取っても結構奥深い。ルーンの口は小さいので、ケーキであれば、あまり量を増やすと口の周りにクリームが付いたり、食べにくそうにしたりする。その他にもクリームの割合の好みやらがあるが、そう言うのは未だに研究中である。
「…………。」
「……ん、どうした美羽。覚悟が決まったか?」
「い、いえ……ちょっとルーンを尊敬してしまいそうになった自分に、呆れてただけよ。」
「むーっ、何それー。ミシュナだってイチャイチャしたいくせにー。」
「……う……。」
「ほら、店員さんも待ってるぞ。」
「あ、私の事はお構い無く。制限時間はありませんので、ごゆっくりイチャイチャしてください♪」
そう言いつつ、向かいのテーブルでコーヒーを啜る店員さん。ポットを丸ごと持ってきて、長期戦にも対応できるように備えているらしい。周りは割りと忙しそうに見えるが、仕事は良いのだろうか?
「……じゃ、じゃあ……一回だけ……。」
「流石はミシュナ♪ はい、フォーク。」
「ええ、ありがと……って、今更だけどフォークも一つなのね。」
「一つのケーキに二つも要らないでしょ?」
「………そ、それもそうね。」
尤もなんだか良く分からない論理に頷くミシュナは、恐らくまともな思考が出来ていないのだろう。まあ、言っても2本目のフォークは出て来ないだろうが。
「……え、えっと……それじゃあ……。」
「俺からしようか?」
「む、むりだからっ!! 私がするっ……司羽に……っ。」
「お、おう。」
緊張を解すための提案だったのだが、ミシュナは首をブンブン振って、真っ赤になったまま拒絶した。ヤバイなこれ、かなりテンパってる。家に居る時やら、デート中やら、あーんくらいはしたことがある筈なのだが、この人にガン見された状態では流石に恥ずかしいらしい。まあ、前回のデート中は色々吹っ切れてたみたいだし、今回のこれは正直当然の反応のはずなんだけど、凄く新鮮に感じる。
当のミシュナは、そんな司羽の感動を余所に、頬を染めたまま、やたらと緊張した面持ちでケーキを切り取った。
「ほら……司羽……ぁ、あーん……。」
「あーん……もぐ。」
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ
「ちょ、ちょっと撮りすぎじゃない!?」
「何枚撮っても金額は同じですので。」
「そう言う事じゃないんだけど……。」
ミシュナの文句をサラッとスルーしつつ、物凄い速度で仕事を終えた店員さんは既に定位置に戻りコーヒーを啜っていた。これがプロと言うやつだろうか。喫茶店の店員のはずなのだが……さっきのシャッターに対する躊躇いの無さはプロの仕事を感じた。
それはさておき……。
「もぐもぐ……うん、旨い。」
「…………ぅっ……そ、そう……良かったわ……。」
カシャ
「ちょっと、何で今撮ったのよ!?」
「シャッターチャンスでしたので♪ でもこれはお店では使えないので、私の個人用のベストショット集に……あれ、消えてる!?」
うん、流石の腕前だ。これはガチのプロだな。だが、美羽の個人的なショットは依頼していないはずだ。勝手な真似をされるのは困る。
「……あはっ、私達の旦那様は怒ると怖いから……勝手な真似はしない方が良いよ?」
「………貴女の代わりなんて、幾らでも居るのよ……?」
「……ひっ……あ、アワワワワ……。」
「いや、そこまで脅さなくても。ちょっと注意するくらいで……いや、もう遅いか。」
美人が怒ると怖いと言うが、この二人が怒ると割りと被害が洒落にならないので困る。もう既にオーラだけで店員さんが真っ青な顔色で、半泣きになってしまっているし。それと、このレベルのカメラマンに成れる喫茶店のウェイトレスに、そう代わりは居ないと思うぞ。
「ふ、ふふふふっ、す、素敵な旦那様ですね。あっ、どうですか、御夫婦で一枚。ぜ、是非サービスさせて頂けませんでしょうか?」
「え、本当?」
「……普通に撮るだけなら。」
「露骨に態度が変わったな……いや、そういう事ならお願いするけど。」
「畏まりました!! テンチョー、撮影機材運んで!! 早く早く早くっ!!」
「ええっ、何いきなり……あれはドラマ撮影用……って、コメカちゃん顔色真っ青だけど大丈夫!?」
「大丈夫じゃないですっ、何かさっきから冷や汗が止まらないんです!! 内戦地帯歩いた時くらいに心臓が痛いです!! だから早くしてください!!」
「もう休みなよっ!!」
そして何やら機材を取りにカメラマンが戦線離脱し、バタバタと本格的な機材を裏から運び出しているのが見えた。いやー、何だか悪いことをしてしまったようだ。
しかしまあ、自業自得な面もあるから仕方ないかも知れないが。
「……所で、監視役居なくなっちゃったんだけどさ。」
「ほ、ほら……次は司羽の番よ。」
「あははっ、ミシュナもやっぱりしたかったんじゃん。あ、私イチゴは直接指で、あーんってして欲しいなあ?」
「……マイペースだな、お前ら。はい、あーん。」
「あーんっ……んくっ……ふふふっ。」
まあ、二人が幸せそうなら、それで良いけどさ。