第112話:非日常な夢、ありきたりな夢
(童は最近、良く夢を見る。)
(そこは砂漠であったり、街中であったりする。一人の時もあれば、人混みの中に居る時もある。何れの場所も、童の知らない場所である。)
(……まあ、夢とはそう言うものなのだろう。ユーリアだって、そう言っていた。)
そして、トワはまた夢を見る。
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(……んん………むぅ? ……此処は……?)
それは突然の出来事であった。
トワはベッドの感触や肌に触れる空気感に違和感を覚えて、ゆっくりと目を開いた。つい先程まで、自分のベッドの中で毛布に包まって眠っていた筈だ。司羽の中で寝た訳でもない。それなのに、目の前には多くの木々がそびえ立っていた。空を見れば快晴、雲一つない青空が広がっている、当然夜ではない。……そこまで認識して、トワは確信した。
(………これも、夢か。相変わらず不思議なものじゃな。)
そう呟いたトワは、もう慣れたものだった。他人が見る夢に理解はあっても、自分の夢など見たこともなかったトワだが、それも数回経験すれば慣れてしまった。
此処は何処だろうか、またもや知らない場所だ。辺りを見回せば、どうやら此処は山の麓の様だ。この辺りはそうでもないが、遠く先の方は崖の様にもなっている、かなり急な高い山だ。森も深く、入れば遭難してもおかしくないだろう。
そして、あえて更なる特徴を挙げるならば、今、森の中から悲鳴の様な声が聞こえた気がする事か。
(今のは何事じゃ……気のせいであって欲しいのじゃが………うーむ。)
自分の聞いた声の様なものが本当に悲鳴だったのかどうか悩みながら、顎に指を当てて辺りをキョロキョロと見回してみる。……やはり、何もない。そうして暫く考えていたトワだったが、結局立ったままもどうかと思い、森の中へ行ってみようかと思い立った、その時だった。
「うううおおおおあああああああっ!!!!」
「貴様っ、止まれぇっ!!」
「グッ……かっ、は……。」
ドザァッ
「よおしっ、止まったな!! 呼吸は止めるな、足だけ止めろ!!」
(…………なんじゃ?)
トワのかなり後ろで、二つの大きな声がした。先程までは居なかった筈だが、両方とも男の声だ。トワがそれを聞いて振り向くと、大男が一人地面に伏せるように倒れて居て、もう一人、こちらもかなりの大男が、その傍で仁王立ちになっていた。二人とも、白く厚い胴着のような格好をしている。
「お前!! 声を出すなど余裕そうだな、次は左足の骨が砕けた状態で走れ。オラッ!!」
ベキベキッ!!
「ぐぎああっ!?」
「喚くなっ!! ニヤけてないで返事はどうしたっ!! まだ足りないかっ!!」
「あっ、ありがとうございますっ!! ぐああっ!!」
(…………えぇ……ナニアレ。)
仁王立ちしていた方の男が、倒れていた男の足の関節部分を思い切り踏みつけたかと思うと、ベキィッと嫌な音と共に倒れた男の悲鳴が響いた。
もしそれだけであればトワは止めに入っていたのだろうが、その後に続いたやり取りと、倒れていた方の男の顔がニヤけて居るのを見て、一気に関わる気が失せてしまった。控え目に言って、ドン引きである。
(……関わらない方が良いか……。)
トワはそう考えてクルリと反転した。しかしどうやら、それは遅すぎたらしい。
「良し、左足は潰れたな。……ハッ!? わ、若!! 見て居られたのですか!?」
「ぐぉぉっ……ぼ、坊ちゃん……?」
(…………? こ、こっちに来る!?)
ドン引きした状態のまま、その二人のやり取りを眺めていたトワだったが、どうやら向こう側の二人にも気付かれてしまった様だった。固まったままのトワの所へと、一人の男はズンズンと、もう一人の男はズリズリと、足を引き摺りながら近づいてくる。片方の男の足は完全にあらぬ方向を向いていて、見るからに足の形が変わっていた。
……それで何故、嬉しそうに笑っているのかが、更なる謎をトワに呼んでいた。
「若、確か先程72時間走が終わったばかりでは? 先程湯浴みの準備が出来たと、影鷹と美森が探しておりましたぞ!!」
(……72時間走? なんじゃそのトチ狂った競技は……。)
大男が言った言葉に相変わらず一歩引き気味になりながらも、どうやら『若』と言うのは自分の事らしいと分かった。そして、自分やこいつらはその72時間走とやらの選手か何かなのだろうか。そこまで考えて、トワは足を引きずる男の方へと視線を向けた。自然とその視線は、折れた足の方へと移っていく。
「………いや、それじゃあなんで足を折る必要が……。」
「坊ちゃん、どうしましたか?」
「……何故、左足を折ったのじゃ? 何故そんなに嬉しそうにしている。」
「はっ? な、何故ってそりゃあ……。」
どうしましたかと聞かれても、それはこっちが聞きたい。何故足を折って、嬉しそうにニヤついていたのか。そして何故、聞いたこっちが不思議そうな顔で見られなければならないのか。トワの心は理不尽でいっぱいだった。
そしてそんなトワの言葉と表情に何を思ったのか、五体満足の男の方はハッと何かに気付いた様に目を見開くと、突然、勢いよく頭を下げた。
「っ……も、申し訳ありません若!!」
「……は?」
「おいっ、右足も出せ!! オラァッ!!!」
「ギャアあああああっ!!!!」
ベキベキベキベキッ
「………!?!?!?」
そして、再び悲鳴が響き渡った。『坊ちゃん』と呼んでいた方の大男のもう一本の足、右足がへし折られて行くのと同時の事だった。折っている方の大男が何故謝ったのか、何故その流れで両足共に折られる事になったのか、トワには何も分からない。取り敢えず、考えるのを止めたくなった事だけは確かだ。
「さあっ、両足共に折れたぞ!! 動かせるかっ!!」
「動きませんっ!!」
「よーしっ、ならばこのまま走れ!! シマウマさんの様に走れ!!」
「ありがとうございます!!」
「………意味が分からぬ……。」
もう考えるのは止めよう、頭が痛い。トワが頭痛を感じて頭に手をやると、その時初めて、自分が何かを持っている事に気付いた。これは……。
「……鞭?」
「……………。」
「……………。」
「……………?」
何故か、その手には鞭が握られていた。いつものトワの手よりも一回り小さな手ではあるが、何故かその本格的なゴツイ鞭が手に馴染む。視線を感じて二人を見ると、何かを期待した様にトワの事を見ていた。……何故だろうか、その瞳を見ていると酷い寒気がした。
「若っ、どうかっ、この甘い私に叱咤の鞭をっ!!」
「……ハァハァ……どうかっ、心の弱い私に坊ちゃんの指導をっ……ハァハァ……。」
「ぅっ……な、何を……。」
「坊ちゃん……ハァハァ……。」
「若……どうか……ハァハァ……。」
「ひっ……。」
ズリズリと、少しずつ近づいてくる二人の大男。そのギラギラした瞳の持つ圧倒的な何かに、トワは反射的に身を固く竦めてしまった。モールで強盗に遭った時も、蒼き鷹の一件の中でも、トワは恐怖と言うものを感じはしなかった。
しかし、その二人に対しては明確な恐怖を感じる。何か言い様のない、理解の利かない者達に対する本能的な忌避感の様なものだった。しかしそんなトワの様子を気にかけもせず、二人の男はゆっくりとトワの方へ近づいて来て……トワは思わず、恐怖で右手を振るっていた。
「くっ、来るなあっ!!」
ピシャンッ!! バチンッ!!
「はあああああああっ!!!! 坊ちゃああああんっ!!!! ありがとうございますうううっ!!!!」
「ふぉおおおおおおっ!!!! 若ああああああっ!!!! 光栄で御座いますううううっ!!!!」
ピシャン、ピシャァン!!!
もう、頭の中は真っ白になっていた。鞭を振るう度に悶える男達への嫌悪感と、本気で鞭を振るっている筈なのにまるで痛みを感じていないかの様な反応への恐怖感で、逃げ出したいのに足が動かない。
「もうっ、どっかに行くのじゃあっ!!!」
パシィィンッ!!!
「坊ちゃあああああんっ!!! 足が潰れても走ってみせますううううう!!!!」
「貴様ぁっ!! 抜け駆けは許さんっ、俺は腕が潰れてもあの崖を登り切りますうううう!!!!」
「「うおおおおおおおおおおおおおおぉっ!!!!!!!!」」
トワの悲鳴の様な叫びを合図に、二人の男達は一斉に走り出した。片方の男は足が潰れているにも関わらず、不格好な四足歩行で……しかも猛スピードで駆けていく。
それはトワに取って、余りにも恐ろしい光景だった。早く、此処から離れなければ……いつ戻ってくるかも分かったものじゃない。
「うぅぅっ……ぐすっ……あるじぃ……みしゅなぁっ……。」
ポロポロと、涙が溢れる。とにかく、この山の麓の様な場所から離れなければ。
「此処は……此処は何処なのじゃっ……。」
トボトボと辺りを探りながら、何か無いかと探し回る。安全そうな場所、怖くない人の居そうな場所、そんな場所なら取り敢えず何処でもいい。そんな事を考えながら、山から離れるように歩き続け……そしてトワは、少し先に巨大な屋敷を見つけた。
「ぐすっ……おっきい家じゃ……。」
それは巨大な、見たこともない様式の屋敷だった。外から見える廊下では、何人もの人がバタバタと忙しそうに行き来している。トワは咄嗟に、近くの草陰に隠れるようにして様子を伺った。
『坊ちゃんは見つかったか?』
『ううん、何処に行ったんでしょう。折角お風呂の準備も出来たのに。』
『……そうだな、坊ちゃんは背中を流されるのが苦手だから……ハッ、まさか俺達の隙を突いて一人で湯浴みにっ!?』
『そんなっ!? 私達のお世話チャンスが!? 73時間24分振りなのにっ!?』
『くっ……今ならきっと間に合うっ!! 急げ美森っ!!』
……聞き耳と立てていたトワの方へと、そんな不穏な会話が流れてくる。どうやら会話していたのはまだ幼い二人の男女だった様だが……『坊ちゃん』と言う言葉がトワの不信感を強く煽った。どうやらこの屋敷はさっきの連中と縁のある場所らしい。なら、安全ではない。
「………どうしたら……。」
トワはまた、トボトボと歩き始める。なるべく人目に付かないように、屋敷から円を描くように……そして、次にトワは巨大な門を見つけた。分厚くて、重そうな鉄の扉だった。そしてそこから左右にずーっと遠くまで石垣の様な高い壁が伸びている。
そこまで観察して、トワは気付いた。
「……もしかしたら、山も全部、家の中?」
とんでもない広さにはなるが、この遠くまで続く石垣を見るとそう連想せざるを得なかった。だが、だとすれば……この門の外に出てしまえば!!
「……でも……この扉……。」
見るからに重厚で、トワの力で開きそうもない。魔法が使えるか試しても、どうやら使えないようだ。石垣も遥か高くまで積み上がっている。
登るのも無理そうだし、何か方法はないものかとトワが難儀していたその時だった。
『……もう、男なんだからこれくらい……。』
『馬鹿言うなよ……こんな扉開くわけないだろ……ブルドーザーでも持って来いってのか?』
「……………あ。」
声が聞こえる。扉の向こうから、男女の声だ。分厚い扉越しだったが、何故かハッキリと聞こえてくる。
『もーっ、こんな扉どうしろってのよ。世界一の武術だか何だか知らないけど、どんな筋肉ダルマが入門するっての?』
『……客用の入口とかないのか? インターホンとか、せめて大きな音が出る仕掛けくらい……。』
『そこら中探したわよ? もう、出直そうかしら。』
「……………。」
何故だろうか。頭の中が、ボーッとする。その声を聴いているだけで、胸の奥が熱くなる。男女二つの声の女性の方。その声が耳から離れない。
……段々と、頭の中がふわふわとしてきて……自分が自分で無くなるようで……自然と、手が扉を押していた。
「………扉……開ける…………が……困ってる……。」
ギィィィィ
重いと思っていた扉は、簡単に開いた。しかし、トワはその事に驚くような事はない。もう殆ど真っ白になった頭の中には、ただ女性の声だけが響き、それ以外の全てなど、些細な事であるかのように感じる。
「…………誰?」
自然に、声が出る。目の前の二人が、扉を開いて出てきた自分に驚いたように目を見開いている。一人は若い男、一人は若い女。初めて見る筈だ、だって自分は『誰?』と聞いたのだ。なのに知っている気がする、知らない筈なのに……高揚する心が、それを否定している。
「えっと……お嬢ちゃん、かな? え、この扉開けたのって……まじ?」
「そうだよ。……何?」
「あ、ああ、実は俺達、ちょっと此処の師範さんに用があってさ。先に電話で知らせてたんだけど……って、おい、お前もボーッとしてないで……。」
男の方は少し緊張しながらも笑っていたが、女の方は完全に固まってしまっていて動かない。それを見かねた男が肩を揺すると、うわ言の様に呟いた。
「………わいい……。」
「はっ? いやお前、何言って……。」
「かっわいいいいいいいっ!!!!!」
「……かわ……?」
それは突然の出来事だった。気付いた時にはその女に真正面から抱きしめられていて、いきなりの出来事に、頭が付いていかなかった。恐怖とか、不快感もなかった。でも何故か、胸の奥がどんどん苦しくなって行って……。
「あの……離れて……。」
「あ、ご、ごめんねっ!! 貴方が余りにも可愛すぎてつい……。」
「………誰?」
女が離れても、胸の苦しさはなくならなかった。そして再び、女に向かって問う。
だって知らない筈だ、この女性を知らない筈だ………知らない筈だ。
「あ、自己紹介が遅れちゃったわね。私は………。」
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ピピピッ ピピピッ
「…………。」
トワはゆっくりと眼を開く。目覚ましの音が鳴り、起床時間を告げてくる。
「……朝……。」
いつもの朝だった。カーテンから差す陽の光が、今日もいい天気だと教えてくれる。辺りを見回せば、いつも通りのミシュナの部屋の中。ミシュナは司羽とルーンと寝ているから、実質トワの寝室になるだろう部屋。司羽の中や、ミシュナの傍程ではないが、トワの安心出来る場所。
ぽろぽろ
「………こんな事では、またミシュナに心配をかけてしまうのじゃ。」
今だけは、一人で良かったと思う。夢を見た後は、決まってこうして涙が溢れる。そんな姿を二人に見せたら……いや、二人だけではない。ルーンだってユーリアだって、きっと心配するだろう。だから、こうして一人で部屋に居る時で良かったと思う。
「難儀な物じゃな、夢と言うのは。」
溢れ出る涙が手のひらに落ちて、そんな感想が同時にぽつりと溢れた。悪夢を見たり、感動する夢を見たりすると、現実世界でも泣いてしまったりすると言う話は聞いた。
だからこれもきっと、そういう物なのだろう。
「……大男、屋敷、扉………むぅ。」
その後は、どうしたんだったか。声を聞いた気がする。扉も開いた気がする。確か男と女が居た筈だ……それで、それから………思い出せない。
「まあ、夢とは、そんなものじゃろうな。」
ユーリアもそう言っていた。ミシュナだってそう言っていた。だから気にするのはもうやめよう。思い出そうとすると、胸の奥が苦しくなってくる。
「主の所へ行ったら、ルーンとミシュナは怒るじゃろうか。」
……少し考えて、トワは立ち上がった。二人には、朝は部屋に入っては駄目だと言われているが、どうしても会いたくなったのだから仕方がないだろう。きっと許してくれる筈だ。
「よっと。」
ガチャ
トワは立ち上がると、そのまま部屋のドアを開けてトットットッと小走りに走り出した。
胸の苦しさはもうない、涙ももう出てこない。大男達が怖かったことを、早く主達に慰めてもらおう。それが終わったら、その小さな冒険をユーリアにも話して見よう。トワはもう笑顔になって、大好きな人達の部屋の扉を開けた。
きっと夢なんて、そんなものなのだろう。