第111話:従者達とささやかなる一時
「ふぃぃぃ……はぁー、気持ちいいれふねぇ……夜更かひ後のお風呂は最高れふ……。」
「うむぅ、やはり一日の終わりとはこうあるべきじゃな……。」
「もうそろそろ朝れすけろねぇ……今日と明日はお暇を頂いちゃいまひたし、ゆっくり寝て……夜はお祭りにれも行きまふかぁ。」
「そうじゃなぁ、祭にでも行くとしようか……。」
時刻は朝の4時過ぎになる。二人の従者はまったりとした空気の中で、ゆったりと窓の外の星を見上げて湯船に浸かっていた。ぷかぷかと浮かぶお盆の上には、桃色の果実酒と、小さい透明な液体が入ったビン、それにおちょこが二つ乗っかっている。甘いお酒に、暖かい広いお風呂。これこそが至福というものだ。
ぷかぷか……ぷかぷか……
「あ゛ぁ゛~、美味ひい……。此処の所の疲れが吹き飛びまふねえ。」
「それはマスターのオススメじゃからのぉ。まだ若いうちから強い酒は飲むなと言っておったぞ。」
「はぁい。わかっれまふよぉ~。トワしゃんこそ、それニホンシュっれやつゃらいれすかぁ。強いんじゃなかったんでふかぁ?」
「これは水じゃ……呂律が回らんやつには渡せぬ水なのじゃ。」
「ず~る~い~。今夜はわらひにもくらさいよぉ?」
「うむ。じゃが、ほどほどじゃぞ。夢喰いと人では、限度に差があるようじゃからの。」
「夢喰い、いいなぁ。わらしも夜らけれ良いから、なりたいなぁ。」
「主に言ってみたらどうじゃ?」
「ほんとーに、れきそうらから止めときまふぅ……。」
そんな冗談を言い合いながら、湯船に身を任せて目を閉じると、ついうとうととしてしまう。いけないいけない、まだお酒が残っているのだ。こんな美味しいお酒を残すなんてトンでもない。のぼせてしまうよりも重大案件である。ユーリアはぐだーっと湯船の淵に顔を乗せながら、その甘い液体をスっと傾けた。
「ふわぁっ、しゃーわせぇ……。」
「ふっ、くくっ、こんなユーリアは、主には見せられんのぉ。」
「つかあ様は今は居ませんから、いーんれすぅー。私らって、今回の件がやっと全部おわったーっれ、肩の荷が降りらんれすからぁ。今日は、いいんれす。」
「そうじゃな、全部、丸く収まって良かった。ミシュナも、とても幸せそうじゃった。」
「うふっ………しゃぁわせが、一番れす。これからもずっと……トワしゃん。かんぱーい。」
「まったく、なんじゃそれは。……乾杯、じゃ。」
カチンっ
幸せが一番。ミシュナが嬉しそうで、ルーンが満足そうで、司羽も二人と笑っていて。こうしてトワとお酒を飲んで……ユーリアは、それが凄く幸せだと思えるのだ。
人生は何があるか分からない。傭兵として雇われた先で、新しい人生を掴んで幸せになる事だってあるのだ。そう考えれば、今までの経験全てにだって、きっと今に繋がる価値がある。それがあってこその、今だから。
「終わり良ければ、全て良し。私の復讐も、やっと全て終わったのかも知れません。」
「………そうか、それは良かったのじゃ。」
「はい………はれ? お酒もうらいゃないれふか……。」
「飲み過ぎじゃの、これ以上は二日酔いで祭りに行けなくなるのじゃ。」
「ううっ、足りないれすよぉ~。」
気付けば、ユーリアの手元の瓶に入っていた桃色の液体は全てなくなってしまっていた。いつもよりもなくなるペースが速いが、これ以上は夜に響く。
「むぅう。仕方ないれふねぇ……お祭りは楽しみなのれ、我慢するのれふ……。」
「今夜また飲めば良い。それに祭りには、沢山珍しいものが出ているらしいからのぉ。」
「あ、そうれした。一日目に見ら、しゃんぱんなる飲み物が気になるのれすよ。」
「しゃんぱん? 今のお主の発音じゃ分からぬ。」
「しゃんぱんれすよー、あっれます。お酒らっれ、つかはしゃまが……。」
一日目に、『世界のお酒試飲会』という甘美な響きの会場が視界に入り、並べられた数々のお酒を見た。その内に、司羽の世界にもあった系統の酒があると、司羽がユーリアに話してくれたのだ。司羽はお酒には余り詳しくないらしく、名前だけ一緒なのかも知れないが、それでも興味はある。
ユーリアが、沢山あったそのお酒達に想いを馳せていると、浴場の入り口辺りから物音がし始めた。どうやら、こんな時間に誰か来たようだ。
がらがらがらっ
「いたたっ、やっぱり今日明日くらいは………あら?」
「おお、ミシュナ。」
「あ~、みしゅなさまらぁ~。」
「二人共、まだ起きてたのね。もう、灯りも点けずに……。」
扉を開く音が、静かな夜に響くと同時に、一人の小柄なシルエットが湯けむりの向こうに浮かび上がった。ミシュナは二人には気付いていなかった様子で、二人を見付けると、少し呆れたように笑った。
「灯りくらいちゃんと付けなさいよ、危ないわよ?」
「らいじょうぶれすよ~。とわしゃんいますし。」
「とわしゃんって……お酒飲み過ぎよ、なんでお風呂で飲んでるの?」
「うむ、星見酒じゃの。一度やってみたいとユーリアと話しておってな。……とは言え、もうそろそろ夜も明けてしまうのじゃが。」
「……まったく。まあ、そうそうない機会だから、少しくらい羽目を外しても良いかも知れないけど。」
トワとユーリアのリラックスしきった顔を見ていたら、ミシュナはなんだか注意するのが馬鹿馬鹿しくなって来てしまった。今夜は数年に一度の夜だ。そして自分に取っては、一生に一度の大切な夜だ。それはもしかしたら、彼女達も同じなのかも知れない。
「ふふふ~、みしゅなしゃまも、どうれすかぁ~。あ、れもお酒駄目なんれしたか。」
「え? ああ、それはもう平気よ。治してもらったし、これだけ司羽と距離があるから。」
「……むう? 主が何か関係あるのかの?」
「ええ、司羽が近くに居るって分かってると、お酒に弱くなっちゃう体質になってたのよ。」
「……なんじゃ、それは?」
「なんれすか、しょれ? 恋の病的な特異体質?」
首を傾げる二人に、ミシュナは頭に手を当てながら笑った。特異体質と言うかなんと言うか……まあ、結果的に感謝するべきところもあるのだが……。
「実はあれ、うちの母親が昔に面白がって掛けて、そのまま忘れてた呪いみたいなものなのよ。」
「の、呪い……?」
「そういう表現が一番近いってだけなんだけどね。……弱点が一個くらいあった方が可愛いって、私に内緒で変な体質付けたみたいなのよ。将来きっと役に立つからって……勿論、もう解かせたけどね。お酒は好きじゃないけど、あれだけ弱いと料理にもアルコールが使えないし、不便だもの。」
「それはそうじゃの。調味料にも気を使わないといかぬし。」
「……ほぇ~、言ってることは分かりますけど……極端れすねぇ。」
司羽に再会するまでアルコールの弱さに気付かなかった事に加え、気術でも対応出来ないのは流石におかしいと思って、母親に問い正したら案の定だった。まあ、それが原因でこの家に上がり込めたりしたし、感謝しないでもないが……娘に加えた体質くらい覚えておいて欲しいと思う。
「……れも、昔れすかぁ……それ、司羽しゃま限定なんれすか?」
「ええ、だから今まで私も気付かなかった訳だし。」
「ふぅん、そうなんれすか……それは、運命的れすね……。」
「むぅ? 何が運命的なのじゃ?」
「らって……昔から……なんれすよね?」
「……ふふっ、そうね。」
「んんーっ? …………あっ……えっ!?」
かなり酔っていると思っていたが……どうやら酔っていても頭の回転は早いらしい。実際もう隠すような事でもないし、ユーリアとトワに知れるくらいなら問題ないだろう。司羽の出自も、二人は知っているのだから、何れは分かる事だ。
「昔から、一途らったんれすねぇ……司羽しゃまは、しゃーわせものれすよ。」
「…………うむ、そうじゃな。」
「ユーリアさんも、トワも、感謝してるわ。これからも司羽を宜しくね。司羽ったら秘密主義だから、これからも手を焼くと思うけど。」
「ふふふ~っ、お任せ下しゃい。つかばしゃまも、奥しゃまがたも……ね、トワしゃん。」
「うむ、任せるのじゃ。童は主の夢魔じゃからな!!」
「……ふふっ。」
……さて、こんなところに立っていては風邪を引いてしまう。早く此処に来た目的を果たして温まるとしよう。取り敢えず、まずは湯船に入る前にシャワーで体を洗い流さなければ。
シャァァァー
「~♪」
「ところで、ミシュナはこんな時間に何を……? ミシュナも夜更かむぐっ。」
「……駄目れすよ、トワしゃん。出来る従者は、察して口を噤むのれす。さっき、ミシュナしゃまがお腹の下辺りを押さえていたのれすよ?」
「………お気遣いありがとう、ユーリアさん。全部聞こえてるけどね。」
やっぱり、ユーリアも酔っているのは酔っているようだ。ミシュナは顔が熱くなるのを感じながら、ちょっと後ろを振り向いてトワの表情を確認すると。何やらユーリアの発言に気付いたようで、ユーリアに向かってしきりにコクコクと頷いていた。
「んー、トワしゃん。お祭りにはまら明日行くころにしまひょう。朝から、一日。今日は司羽しゃまとルーンしゃまがお出掛けする番と言ってたのれ。」
「うむ、そうじゃな。童も今のミシュナを一人には出来ぬ。」
「……別に気にしなくても良いのに、司羽がお暇、出したんでしょう?」
「いえ、どちらかと言うろ……あす、わらし達が家に居ると、大変なものを見てしまいそうらのれ……。」
「………否定はしないけど……多分。」
何といっても、昨日想いが実ったばかりなのだ。ルーンはかなり積極的で、正直あれが羨ましく思えてしまっていた過去の自分も居るので……欲望を抑えきれるとは思えない。別にイヤらしい事ばかりしたい訳じゃなくて、キスとか、抱っこされたりとか、他にも色々と……そういう甘甘なのもしてみたいとか思ってしまう訳だ。
「決定、れすね。トワしゃん。」
「うむ。童達お子様にはまだ早いのじゃ。明日は一日、童心のままにお祭りを楽しむとしよう。」
「……トワ、貴方最近ちょっと意地悪じゃない?」
「意地悪じゃないのじゃ。空気の読める、年頃の夢魔なのじゃ。」
「むぅ……まぁ、ちょっとだけ、ありがたいけど。」
……これが反抗期なのかしら? と、そんな早いんだか遅いんだか分からない悩みをこっそりと新たに抱えつつ、ミシュナはなんだかんだで頬が緩んでしまうのを隠すために、前を向いて鏡を見た。
今回の一件、泣いたり落ち込んだりと大変だったけれど、今までの人生で一番、嬉しいことも多い日々だったと、ミシュナはそう振り返りながら、一人鏡の前で微笑む自分を見つめるのだった。