第110話:彼女が引く右手、彼女が支える左手
「……………。」
「遅いですね、司羽様。」
「ふむ、主は約束は守る。そろそろだとは思うのじゃが……。」
時間は夜の7時を回った。夕日は沈み、辺りは徐々に闇に染まり、闇に呼応するように浮かび上がる光が空に舞い踊る。屋敷の外に作り出した簡易のテラス席に座って、ルーンは瞳を閉じていた。もうそうしてから三十分近いだろうか、ルーン達の待ち人は未だに現れないで居た。
「……………。」
(……のう、ユーリア。主達は大丈夫じゃろうか。上手くいっていると思うか?)
(うーん、もう大分遅いですけど、逆に考えればミシュナ様が頑張っているのでは? 司羽様が平気でルーン様を待たせるとは思えませんし。)
瞳と同じく口も閉ざしたまま、何かに集中しているようなルーンに遠慮して、トワとユーリアは小声で二人の様子をうんうんと案じていた。帰ってくる細かい時間までは指定していなかったものの、もう空に星も出ている時間である。割と几帳面な性格をしている二人にしては遅い様に感じる。心配でないと言えば嘘になるが。
(となるとやはり、主に連絡は止めた方が良いの。水を差しては何にもならん。)
(それはそうですね、告白の最中とかに横槍を入れたのではムードぶち壊しです。)
(……告白……うむ、そうじゃな。)
(今回の件、私達は静かに見守りましょう。お二人の……いえ、三人の邪魔をしてはいけませんから。)
今回のデートに関して、ルーンが許しているのならと、二人共ミシュナを応援しようと決めていた。だから本当なら今日くらいは三人の邪魔をしてはいけないと、夕飯の調理を終えたら二人で祭りにでも行こうと話をしていたのだが……、
『今日は二人も一緒に居て。最初は司羽と二人のつもりだったけど……今日はきっと、とても特別な日になるから。』
と言って、ルーンがトワとユーリアもと星読みに誘ったのだ。どうやら口ぶりからすると、ルーンは成功すると確信しているらしい。そうなってくれたらいいなと、勿論トワとユーリアも思っていた。
(しかし……ルーンは大丈夫か? なんだかさっきからじっと瞑想していて、声を掛けられないのじゃ。)
(そうですね……朝たっぷりと司羽様と触れ合っていたようですが、足りなかったのかも知れません。いつもがいつもですから。)
(もしくはこの数日、殆ど眠れて居ない様じゃったから疲れているのかも知れんな。童を通じて主と通信している間だけは、なんとか眠れた様じゃったが……。)
(………それであの肌なんですか? こんな時にする話題じゃないですけど、若いにしても綺麗過ぎでしょう? 今度荒れない秘訣とか聞いてみようかな……惚気られて終わりそうですけど。)
ひそひそ、ひそひそ
そして、ルーンとミシュナの心配は勿論しているが、本人に聞こえない程度の小ささでそんな事を囁き合うくらいには二人も暇をしていた。夕飯の支度は既に完了している。料理は冷めないようにまだ室内だが、二人が戻ってきたら直ぐにテラス席に並べられる。ちゃんと五人分。なんだかんだでトワもユーリアも、『二人で』帰ってくると信じていた。
(こほん……それはともかくとして、こんな時に優秀な付き人であれば、毛布の一つでも掛けて差し上げるのが良いのでしょうか。夜風もありますし、ルーン様が風邪でも引かれたら大事ですよ。)
(確かに、最近は一気に涼しくなってきたのじゃ。……使うかどうかはともかく、ミシュナも薄着で出て行ったのを見ておるし、此処は毛布くらい準備しておいても良いかも知れぬ……。)
(そうですね、では私は一度屋敷に……。)
そんな事を話しながら、取り敢えずユーリアが屋敷に戻ろうとしていた丁度その時だった。
「……来た。」
「へっ?」
「な、なんじゃ?」
「帰ってきたよ、司羽。それとミシュナも。」
ルーンから出た一言で二人の視線が森の中の歩道へと注がれる。今日は星が出ていて、いつもよりも明るかったが、それでもまだ二人の姿はトワとユーリアには見えない。それでもルーンはテラスの席から立ち上がると、ゆっくりと歩道の方へと向かって行った。二人も、慌ててそれに付いて行く。ルーンの瞳は未だ、閉じられたままだった。
それから僅かに後、静かな夜の風の音に混じって二人分の足音が聞こえてきた。
「……ルーン、それに二人も、迎えに出てきてくれたのか。」
「うん、だって私、司羽の奥さんだもん。」
そして二人の姿がしっかりと視界に映るくらいに近づいてやっと、ルーンは閉じていた瞳を、ゆっくりと開いた。
「おかえり司羽。それとミシュナ。」
「おかえりなのじゃ!!」
「お帰りなさいませ、司羽様、ミシュナさん。」
「……ああ、ただいま。ごめんな、待たせちまっただろ。」
「ただいま。ごめんね、ちょっと時間掛かっちゃった。」
「ふふっ、そうだね。でも許してあげる。今日の私は、すっごく機嫌が良いから。」
ルーン達の目の前には、司羽とミシュナが並んで立っていた。その手は未だに繋がれたままだ。いや、きっと繋ぎ直されたのだ。今までよりも、ずっと強固に。しかしそれが分かっても、ルーンの心の中に嫉妬心や恐怖心はなかった。……やっとこれで対等になれたのだと、何処か肩の荷が下りたような気分だった。
「さっ、もう星読みの準備は出来てるよ。5人で一緒に、御飯にしよ?」
「えっ、5人? でも、それじゃあ……。」
そう言って驚きの声を挙げたのはミシュナだった。今日の約束は夜までの筈だ。自分は充分に今日と言う時間を譲ってもらった。だからこそ、夜はルーンにと思っていたのだ。そうでなくては平等ではない。ただでさえ自分は元々ルーンの時間を……。
「これからは対等だよ。それで二人一緒。そうでしょう、ミシュナ。」
「あ……。」
「それに司羽もミシュナも、それから私も。トワちゃんとユーリアさんに沢山心配掛けたんだよ? 二人だって、もう私達の家族だもん。だから今日は一緒………ねえ司羽、そうでしょう?」
「……っ……。」
「……童も……?」
その言葉に、今度はトワとユーリアが驚く番だった。ルーンの過去を詳しくは知らないにせよ、ルーンの普段の口振りから、『家族』と言う言葉に対して強い想いが感じられることは明らかだった。今までだって、その『家族』は決まって司羽に対してのみ向けられているものだと思って居たのに。
「……そうだな、それがいい。トワ、ユーリア、此処の所は二人にも色々と心配をかけたな。お礼の代わりにも成らないだろうが、今日は俺達と一緒に星を見よう。たまには、二人の話も聞かせてくれ。」
「……主……。」
「つ、司羽様……。勿体無いお言葉、有り難くお受けいたしますっ!!」
ルーンの言った通り、此処の所まともに二人の話を聞けるような機会もなかった。ミシュナとの事を含めて、色々と気を揉んでくれていたのは知っている。きっとさり気なくサポートをしてくれていた筈だ。気付かない内に、随分と甘えてしまっていたことだろう。
「……本当よね、私もトワとユーリアさんには頭が上がらないわ。二人には感謝してる。お陰で、私もちゃんと自分の気持ちを伝えられたわ。」
「ええ、お二人を見れば分かりますとも!! おめでとう御座います、これでこれからは『ミシュナ様』、ですからね!!」
「まあ童は、ミシュナの妹分としての役目を果たしただけじゃからな。そんな風に言われたら逆に困ってしまうのじゃ。」
「……ふふっ、そう。でもありがとう、二人共。」
微笑みながらそう応えたミシュナの瞳には、星灯りに照らされた雫が光っていた。……ミシュナもまた、二人が自分の事を影ながら応援してくれていた事を分かっていた。今日の朝もそうだし、それに限らず今までも、自分の主である司羽に意見してまで応援してくれていたと知っている。二人に良い報告が出来て良かったと、何だか安心してしまった。
「さて、童達は夕食の準備を進めるのじゃ。」
「あ、そうだね。それじゃあ司羽達は疲れてるだろうし、ちょっと座って……。」
「いいえ、ルーン様。此処は私達にお任せ下さいませ。我が主の記念すべき一日、私達に誇りを持って奥様達にも御奉公させて下さい。……ですよね、トワさん?」
「うむ。童も多少なりとも知っておるが、妻の役目は、夫の傍に居ることなのじゃぞ。ここは童達に任せると良い。」
「……そっか。そういう事ならお任せしちゃおうかな?」
「……ありがとな、ユーリア、トワ、もう一仕事頼むよ。」
「ええ、お任せ下さい。」
「お任せなのじゃー!!」
そう言うと、二人はふわふわスタスタとその場を軽やかに後にした。……どうやら、三人になれる時間を少しでも取ってくれたらしい。本当に、今回は凄く色々と気を使わせてしまっている様だ。今度改めて何か埋め合わせをしないといけないだろう。
「お、奥様……妻……。」
「あははっ、ミシュナ顔が真っ赤だよ?」
「……さっきまでは恥じらいのはの字も見当たらなかったのにな……。」
「そ、それはっ……!! 雰囲気ってものがあるでしょう!?」
「………へー、二人共さっきまで、恥じらいが必要な事してたんだ?」
「……あっ……。」
「ひぅっ……。」
それは三人になった途端に出た失言だった、恐らくちょっと気が抜けてしまったのだろう。司羽は咄嗟に誤魔化すか、それとも真実を全てぶちまけるか悩んだが……ミシュナの顔が真っ赤になる方が早かったので、考えても無駄になってしまった。
「……あの、それはそのっ……。」
「ふーん、まあいいけどね? 時間的に何かあったかなーって思ってたし。そっかそっかー……寒かったなー……。」
「ご、誤解しないで!! き、キスは……したけど、その……ゴニョゴニョ……。」
「……自分からバラすのか……まあ、ルーン相手に誤魔化してもどうせバレると思うけど。」
「司羽のせいでしょう!?」
「……ふーん、なるほどなるほど。」
星の灯りに浮かび上がり、先程の比じゃない程に真っ赤になったミシュナに怒鳴りつけられたものの、司羽は全く怖いとは思えなかった。……それ以上に、ミシュナの発言を聞いて何やら頷いているルーンの方が不気味だ。待たせてしまったペナルティとして一日お姫様だっこくらいはさせられそうである。……しかし、ルーンの次の発言は全く別のベクトルからミシュナの方へと矛先を向けた。
「じゃあ、今夜は一緒に頑張ろうね。」
「は、はぁっ!? こ、今夜、一緒に頑張るって……。」
「初めてじゃ辛いかもだけど、旦那樣を満足させるのも私達奥さんの役目だよ? 大丈夫、私も居るし。」
「……えっと……。」
サラッとそう言ってウィンクなんてしてくれたルーンの笑顔とは対照的に、ミシュナの表情は笑みが引きつっていた。……この少女は一体何を言っているのだろう。
「……え? いや、あの……私、最初くらいは二人きりで……。」
「これからは二人一緒って言ったでしょう? 私はずっと司羽と一緒に居たいの。それともミシュナは司羽と一緒の時間が減ってもいいの? 好きな時にイチャイチャ出来なくていいの?」
「………それは、嫌だけど。」
「はい、じゃあ決まり。司羽も、愛情まで半分は駄目だからね? 二人共全力で愛してくれるよね?」
「……そうだな。うん、これもケジメって奴か。」
「ちょっと司羽!! 何勝手に納得してるのよ!!」
「いやー、ほら。ルーンにも随分寂しい思いをさせちゃっただろうから、このくらいのお願いは当然聞くべきかなーと。………三人でペアルック登校とか、皆の前で愛してるって何十回と言わされるよりは精神衛生上凄く楽だしな。」
「絶対最後のが本音じゃない!! でも、私も今日が良いし………仕方ないわね。」
「ふふっ、ミシュナは可愛いなあ。クールぶってるミシュナがどんな風になっちゃうのか……楽しみ。」
「……うぐ……早まったかも。」
そう言ったミシュナの表情には、明らかに後悔の色が浮び、そして対照的に瞳をキラキラと輝かせたルーンの顔には、いたずらっぽい好奇心が満ちていた。
「さて、こんな会話トワちゃん達に聞かれたらドン引きされちゃいそうだし、大人しく席に座って待ってよっか。」
「それには同意するけど、今更ルーンがそれを言うのか……っと。」
「……えへへ。」
呆れたような表情でつっこんでいた司羽に、ルーンが正面からギュッと抱きついた。少し勢いがあったものの、司羽はそれをしっかりと受け止めて支える。
「……どうしたんだ?」
「んーん、なんでもないよ。少し、嬉しいだけ。」
「……そうか。」
「うん。」
そう言うと、ルーンは司羽の左側に回ってその手をギュッと握った。指を絡める恋人繋ぎ、反対側と同じ繋ぎ方。体ごと支えるように、司羽にピッタリと寄り添った。
「それじゃあ行きましょう。私達がユーリアさん達を待たせたんじゃしょうがないわ。」
「そうだな、行くか。」
「うんうん、私今日はすっごく頑張ったんだよ? だから久しぶりに、いっぱいあーんってしてもいいよね? あ、ミシュナもやる? いつも羨ましそうに見てるし。」
「う、羨ましそうは見てないけど………でも、やる。」
「………俺、これから箸とか要るのかな……。」
「要るでしょ、私達はどうやって食べるのよ。」
「そうなるよなあ。まあもう良いけどさ、美羽もそっち側だし。トワとユーリアもそっち側なんだろうし。」
外のレストランとかじゃなくて、家の中ならもういいや……と一種の悟りに達しながら、司羽はミシュナが握る右手を引かれた。両側をしっかりと固められて、この状態じゃどっちみち手は動かせないなあ、なんて事を考えながら、それでもそんな無粋なことは今日くらいは言わないでおこうと、司羽は心の中で小さな約束事を自分自身と交わしたのだった。
星灯りの下で、三人は確かに繋がった。三人で踏み出す最初の一歩を、ただ満天の星空だけが、静かに見守っていた。