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異世界と絆な黙示録  作者: 八神
第六章~生命よりも、作法よりも~
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第109話:私の詩は届いていますか(後)



『おぉ……二股男の股が二つに裂けそうだね。』


『ふたまた……って何? いけない事?』


『ええ、そうね。見てみなさい司羽。あれが、浮気男の末路よ。』


『………ふうん……吊るされてる。』


『ああいう男にはなっちゃダメよ? 司羽は将来きっと、モテるでしょうからね。』


『うん。楽しそうだけど、姉さんが言うなら。』


 そう言うと、あの人は笑った。釣られて、僕も笑った。


 それは沢山の内の一つ。


 大切なものの一つ。


 大切な……あの日の思い出の一つ。







---

----

-----






 これが夢であったのなら、悪夢なのだろうか。それとも、自分が望んだ欲望のままなのだろうか。


「ん……ふっ……れろ……。」


 ちゅぷっ くちっ


「……………。」


 体は、まるで自分の物でなくなったかのように動かない。小さい水音が、無音の部屋でやたらと大きく聞こえた。


「……んぅ……。」


 甘い香りが、頭の中に霧をかけるようだった。

最近近くに感じるようになって、今日はずっと隣から香ってきていた甘い花の様な香り。しかし、今は今日のいつよりも深く濃く香っていた。

 甘い蜜の香りは強さを増して、少女と繋がった部分を通して直接流れ込んでくる。それは夢のようでありながら……現実である事を酷く突きつけられた。


「……んぁっ……らいふゅき……。」


「……っ。」


 司羽の胸の上に倒れ込んで抱きつく少女の声は、司羽自身の口の中から発せられる声の様で、深く深く司羽の頭の中へと響いていく。

 そしてその声と、ぴちゃぴちゃと言う水音と、ゆっくりと、くちくちと鳴る粘膜同士の音がまるで司羽の意思を歪める為であるかのように、混ざり合う。


「ちゅぅ‥…んぅ……んくっ……。」


 司羽の頭は美羽の両手に優しくギュッと抱き抱えられて居た。重ねられた美羽の柔らかな唇と、司羽の唇から始まり、隅々まで撫で回すように這い回る美羽の小さく柔らかな舌。それは時間が止まったような司羽とは対照的だった。


 美羽は、彼女の唾液でぐちゃぐちゃになった司羽の口内に溜まった唾液も、ちゅっと吸い出して喉を鳴らす。そして再び司羽の舌に絡ませるようにその小さな舌を伸ばしていった。

 司羽からの反応がなくとも、唇の裏側を、歯の表面を、舌の先を、どれだけでも愛し続けた。司羽の中へと潜り込むように入り込み、自らの唇の周りが唾液に塗れても気にした様子もない。 


「ぐっ……。」


「んぅ……? んっ……れぇ……。」


 そして司羽の反応がある度に、その小さな舌を司羽の歯の上に捧げるように置いた。更に、同時に司羽を抱きしめる両手以外の体の力を抜いて、司羽に対して完全に無防備になるように徹した。

 その意味は当然司羽だって分かっていた。今思いっきりこの歯を噛み締めれば、この少女から声と命を奪うことが出来るだろう。

それを知っていながら、美羽は完全に無抵抗でその『執行』を補助しているのだ。


「…………ちゅぅ……こくっ、んっ。」


 暫くそうしていた後、司羽が動かないと判断すると美羽の舌は再びゆっくりと愛撫の様に口内を這い回る。唾液を吸い、呼吸さえも交換し、どれだけの時間が経っても美羽から離れることはないと言う言葉を守っていた。

 何度も何度も繰り返し、司羽が動こうとする度に捧げる。いつしか、その少女の甘い香りは司羽を満たしていた。触れ合う唇から、長い黒髪から、そして絡み合う唾液から。

 そしてどれだけそうしていたか司羽も分からなくなるような時の後。


「ふふっ……ちゅか……は……。」


 名前を呼ばれた司羽が宙を泳いでいた視線を美羽に向けると、熱に浮かされた様にうっとりと、潤んだ熱っぽい目で司羽を見つめる美羽の視線と交差した。

 美羽もそれに気付いてクスリと微笑む。そして司羽は、自分の頭を抱えていた美羽の左手が、スルリと抜けて行くのに気が付いた。

 その手は投げ出されていた司羽の右手に向かって行く。そして指をなぞる様に絡ませた。

 ゆっくりと、しっかりと、美羽の左手と司羽の右手は繋がれた。ぎゅっと繋がれた二人の手が、司羽の視界に入り込み、そしてキラリと小さく輝く。


「…………。」


 それはいつかに渡したお礼の指輪だった。その銀色に輝く指輪は、美羽の左手の薬指に嵌っている。そこの意味は何だっただろうか。そこには何か、大切な意味があった気がする。

 花の香りと、唇の感触と、胸の上で無防備に倒れ込んだ美羽の暖かさと。そんな官能的な香りと感触に包まれながら、ぼんやりとする頭の中に、司羽は懐かしい声を聞いた気がした。




(……誰だっけ……いつだっけ……あれは……。)




---

----

-----





『貴方は、恋も知らずに愛してしまったのね。』


 そう言って撫でてくれたあの手は、誰だっただろうか。


『大好きで、一番になれなくて悔しい気持ちは恋なのよ。』


 いつの日か、こんな風に抱きしめてもらった気がする。


『悲しくても、その人に笑っていて欲しいって思う気持ちは愛なのよ。』


 あの日も確か、長い黒髪と、花の香りと、暖かい感触がした筈だった。


『どっちも、罪深い事なんかじゃないの。悲しんでもいいの、ちょっと憎むくらいいいのよ。だって、人を好きになるってそういう事なんだもの。』


 そうだ、あの時。泣いていたのは僕だった筈なのに。気付いたら、とても悲しそうな表情であの人が抱きしめてくれていた。


『愛して欲しいって想う気持ちが、愛したいって想う気持ちが、罪なんかでたまるものですか。優しい貴方が本当に望むなら、正しいことをする事だけが、正しい訳ではないんだから。』


 そう言って、ギュッとキツく抱きしめられて、その後に一度だけ我が儘を言った気がする。……いや、違う。我が儘を言おうとして、言えなかったんだ。僕は我慢して、その時あの人は、少し悲しそうな顔をしたんだ。


『いつか貴方が、もう一度、恋をする人がきっと出来る。……その時は、今日言えなかった我儘を言って欲しいの。貴方に……司君に、その我儘を言わせてくれるその人に。』


その時は、ただ頷いた。きっと来ないと、心の中で否定しながら。






『それが正しくない事でも、誰かを裏切る言葉でも。私もあの子も、ずっと待ってるわ。司君が、初めて求めるその時を。』








---

----

-----




(待ってる……? 一体、何処で? 一体、何を?)


 頭の中に響く声を振り払うように、司羽は静かに、無心になって歯を立てた。


「ふっ……んっ……。」


 抵抗は何もない。少女の熱を持ったその部分は、さした力も求めては来なかった。


「…………。」


「…………。」


 少し力を入れてみても、囚われた舌は何の反応も示さない。視線を向ければ、ただ何かを期待したような熱を向けた少女と目が合うだけだ。僅かに血が滲んだ様な香りが、花と少女の香りに混ざり合っていく。

 暫くそうしていると、美羽はゆっくりと瞳を閉じて司羽の手を握る力を僅かに強めた。そしてそれがきっかけになって、司羽は自分の体が震えている事に気付く。

 始めは美羽が震えていて、それが伝わってきたのかと思った。しかしそれは間違いだった様だ。美羽の右手が、いつの間にか司羽の頭を優しく撫でてくれていた事に気付いて、司羽はその間違いに気付く事が出来た。

……もしかしたら、手を繋いでくれたのも、その為だったのかも知れないなと考えて。そして、結局、自分はもう、この賭けに負けていたのだと理解してしまった。美羽を殺すなんて、最初から無理だったんだ。美羽はそれを知っていた。司羽以上に、司羽の事を美羽は知っているのだから。


「……はぁっ……美羽、もういい。」


「そう。なら私の勝ちよ、良いわよね。」


「……良くない、良くはないけど……俺は……どうしたら……。」


 負けは負けだ。キスをしてしまった。自分からそれを成立させてしまった。でもそれを認めていいのか。認めたら何かが壊れてしまう気がする。約束か、自分か、他の何かか。今の司羽は、まともな思考が出来ないでいた。


「そうね。なら今のは、恋人のするキスとは違うって事にしてあげる。残念だけどね。司羽がまだ認めていないもの、それじゃあ意味がないの。」


「意味がない……じゃあ、どうするんだ。」


「やり直してもいい、方法を変えてもいい、何度だって私は続けるわ。……私は貴方の本当の気持ちが聞きたい。私の気持ちが分からないなんて、もう言えないでしょう? 貴方自身の気持ちにだって、もう嘘は言えないはずよ。それだけでもこれまでした事には意味があった筈だわ。どれだけ時間をかけても、私はそれが知りたいの。」


 美羽の言った通りだった。美羽の気持ちは分かっている。もう充分過ぎる程に教えられている。でも、自分の気持ちってなんだろう。美羽はああ言ったが、もう自分は約束を破っているに等しい。それはあんな風に美羽にキスをされて、なんら抵抗しなかった事からしても明らかだ。もう誠実だの、不義理だの、そんな言葉は自分には通用しない。でも、だからと言って、これは好きだと言うことなのか?


「ねえ司羽。本当はどうしたいの? どうなりたいの?」


「分からない、分からないんだ……本当に何も分からないんだよ……。」


「……そっか、そうなのね。」


 司羽の言葉を聴いて、美羽は静かに口を閉じた。


 落胆、失望、後悔、そのいずれであるのだろうかと司羽は考えた。美羽はここまでやったのだ、これほどに示してくれたのだ。なのに自分は何一つそれに答えることが出来ない。美羽は『約束』が司羽を縛り付けていると言っていた。しかし、それは間違いだったのだ。


 結局最初から、自分自身の事など、何一つ考えられてやしなかった。考えることすら放棄していた。だから、そんな問いに答えることなんて出来るわけがなかったのだ。『約束』は、司羽を支えてくれていたに過ぎない。取り去ってしまえば、立っていられない。


 そんな風に俯いた司羽の顔が、ふわりと胸に抱きしめられた。先程とは違う、優しく、包み込むような感触と共に。


「それならもういいわ、どうしたいかなんて。」


「でも……美羽はそれを俺に……。」


「ねえ、貴方は私に、『どうして欲しいの?』」


「えっ……。」


「私にもやっと分かった気がするの。キスをしながら震える貴方を見て、何度も迷うように歯を突き立てる貴方を見て。私は貴方に愛して欲しいってそればかりで、貴方が私にどうして欲しがっているのか考えていなかった。」


「……どうして欲しい。」


 それは……どうなんだろう。諦めて欲しい、放っておいて欲しい。先程から、そんな言葉が何度も何度も口から出ていた筈だ。でもそれは『違う』ってはっきりと分かった。何をしたいのかは分からないのに、して欲しくない事はちゃんと考えられた。


「司羽は、どうして欲しい? 私に本当に、諦めて欲しい?」


 その美羽の言葉に、司羽は自然と首を横に振っていた。


「……欲しくない。好きでいて欲しい。俺が一番がいい。」


「なら、放っておいて欲しい?」


「……違う、傍に居て欲しい。……美羽と会えなくなって後悔してた。仕方ないことだからって思ってたけど、出来れば一緒に居たかった。」


「そっか。ええ、良いわよ、当たり前じゃない。」


 そういった美羽は嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑っていた。彼女の、司羽と同じ紅い瞳から、透明な雫がゆっくりと落ちていく。


「他にはないの? 沢山あるでしょう?」


「………俺は、俺は、約束を守らなくちゃいけない。大切な約束なんだ。でも、美羽に泣いて欲しくない、悲しんだり、俺に失望して欲しくない、好きでいて欲しい、居なくならないで欲しい、でもルーンを裏切りたくない、それでも……美羽と一緒に居たいんだ……どうすればいいんだ、俺には……俺には分からない……。」


「……うん、じゃあ、一緒に考えましょう?」


「か、考える……?」


「そうよ。だって私は司羽が……いいえ、私達が幸せになる為ならなんだってしたいんだもの。だから、これからは二人で……じゃなくて、三人で考えましょう? 差し当たっては、私達三人が、皆で一緒に愛し合える方法とかね。」


「…………。」


 一緒に考える……? 身勝手なことを言って、我儘を言って、自分で答えがでないからって誰かに助けを請うなんて……。


「またそんな事を考えて……司羽は分かり易いのよ。少なくとも、今私が言った事なら簡単に出来るわ。」


「恋人は……。」


「ええ、分かってるわ。一人だけでしょう? でも、奥さんなら恋人とは言わない筈よね?」


「……奥さんが居るのに恋人が居るのは不倫だろう。」


「そうね。でも奥さんが二人居るだけなら不倫じゃないわ。恋人でもないから二股でもない。結婚もしているから、不誠実でもない。この世界の法律に違反するわけでもない。重婚とは言えるかも知れないけど……それがダメって『約束』はしていない。違うかしら?」


「確かに厳密には……しかし、ルーンは恋人で……。」


「だからさっさと結婚しましょう? ……はいこれ、婚姻届。私とルーンの二人分。第一夫人はルーンに譲るわ。そこにちゃんと、ルーンと私のサインもあるでしょう? そこに司羽の名前も書いて置いたから、あとはサインして私達三人で街に届け出れば夫婦よ。」


「………こんなものを、いつの間に。」


「ルーンと私の二人で考えたのよ。ルーンだって、司羽の目が誰かに奪われたままなんて嫌だって言ってたから、快く了承してくれたわ。ただし、私が司羽の約束以下の存在ならまだ早いって事で駄目だって言われてたけど。……まだちょっと血の味がするけど、これで文句はないはずよ。」


 そう言って美羽が広げた二枚の書類には、確かに婚姻に必要な情報が一通り書き込まれていた。第一夫人ルーン、第二夫人ミシュナ、夫ツカバ、まだ司羽のサインはないが、それ以外は完璧に揃っている。


「……確かに、これなら約束も問題ない……かも知れない。もとよりこんな状況、この世界じゃなければ考えられないし。……でもどうして……俺しか知らないことまで。」


「不思議かしら? 私とルーンは、本気なの。司羽の言葉一つ一つを余さず聞いて、司羽の態度とか表情から約束を割り出して……私達に取ってすれば、貴方は世界で一番分かりやすい人なのよ? 世界で一番、見つめ続けて来た人なの。」


「…………。」


 司羽は、目を閉じて考える。確かにこれなら約束上は問題はない。しかし、こんなのはただの言葉遊びだ。本質的には、恋人同士だろうと夫婦だろうと、やっていることは何も変わらない。

 こんな事で本当に良いのだろうか。そもそもこの答えは、回答の出せない自分が彼女達に縋って踏み出した、情けない一歩でしかないと言うのに。


「……司羽、私は貴方の傍で、貴方を支えて生きていきたいの。絶対に諦めたりしない、離れたりもしない。だから一度だけ、我儘を言って?」


「……我、儘……。」


「司羽、貴方は私に……どうして欲しいの?」


「俺……俺は……。」


 それは……記憶の中であやふやなまま閉じ込められたあの声に似ていた。我儘を言って欲しいと言われて、あの時は結局何も言えなかったけれど。それでも、悲しそうなあの顔は覚えている。


 今にして思えば、あの時の自分は何故、何も言えずに黙り込んでしまったのだろうか。もしかしたら、躊躇わずに口に出していたら、笑ってくれたかも知れないのに…………笑って、欲しかったのか? 俺は……。


「……ずっと一緒に居て欲しい。ずっと愛していて欲しい。……方法とか、約束とか……誤魔化しでもいいから、なんでもいいから、一緒に居て欲しい……のかも、知れない……。」


「……………。」


 我儘なんて、どう言えばいいのか分からないけれど。もしあの時こう言っていたら、あの人は喜んでくれたのだろうか。あの人達は……笑ってくれたのだろうか。


「……そんなの、当たり前でしょう。私が司羽の奥さんになってあげる。ずーっと、死ぬまで支えてあげるわ。足りないなら、死んでも一緒に居る。方法なんてどうとでもして見せるわ、貴方を幸せにするのは、私なんだから。」


 そして……そう言って、美羽は笑った。色々なものを押し付けて、色々なものを我慢させて、そんな果ての我儘だったのに。あの日とは違う笑顔が、そこにはあった。


「そうか……それで良かったのか……。」


「………ねえ、司羽。」


「なんだ?」


「もう遅い時間だけど。私も、もうちょっと我儘を言いたいわ。もうちょっとだけ、さっきの続きがしたい。今度は、司羽からが良い。」


「………ああ、そうだな。俺も、もう少しだけ……。」


「愛してるわ、私の司羽………んっ……。」


 陽の光が消え、夜の闇に覆われた部屋で、二人の間から生まれた水音は、途切れることなく溶けていく。


 その日、時間が止まった一室で、再び何かが動き始めた。時間を止めた少女の恋が、形を変えて、その時間を取り戻すように。



 そして少女の愛は、少年を包み込んでいく。幾重にも、幾重にも、少年の心さえ守れるように。



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