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異世界と絆な黙示録  作者: 八神
第六章~生命よりも、作法よりも~
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第108話:私の詩は届いていますか(中)




 あの頃はただひたすらに無力だったと、私は、そう思い込もうとしていた。




「司羽、さっき覚えてるって言ったわよね? 私達が最後に別れた日の事、貴方が私になんて言って別れたのか。」


「……そんな事言ったか? 覚えてない、そんな事は忘れた。」


「嘘ばっかり、貴方の怯えた眼を見れば私には分かるの。司羽は全部覚えてるわ、私の想いを捨てて行ってしまった事も、全て。」





 体が弱かった事も、あの頃の私が子供だった事も関係ない。そんなのはただの後付けの言い訳だ。





「私の事なんて好きでもなんでもないって、そう言って司羽は消えてしまった。私はそれを間に受けて、ショックで何年も塞ぎ込んで……本当に馬鹿だったわ。」


「間に受けてってなんだ、俺が嘘をついたとでも?」


「あら、昔の事は忘れたんじゃなかったの?」


「………今、思い出したんだ。」


「そう、それならそれで良いわ。でも、私は私の言葉を撤回なんてしないわよ。貴方が私の事を本当は好きで居てくれたんだって事くらい、何年も心配し続けてくれてたんだって事くらい、もうとっくに分かってるもの。」


「……知らないな、そんな事。」


「そう? 貴方の口から聞いたことなのに。」




 彼が自分を好きじゃないなら諦めるしかない。


 自分は体が弱いから無理やり彼の傍に居続ける事も出来やしない。


 子供の自分が親であるシュナに付いていかないなんて有り得ない。



 そんな理由を隠れ蓑にして、私は認めることを拒んでいた。ルーンとナナに背中を押されるその時まで、ずっと。


 ……でも、それももう終わりにしよう。司羽が幸せになる為に、最初の一歩を踏み出すのは、他の誰でもない私自身でありたいから。




「貴方が何も認めなくても、私は認めるわ。」


自分の胸に手を当てれば、ちゃんとあの頃の事が思い出せた。あの時の後悔も、自己嫌悪も、私は全て覚えている。


「私は馬鹿で臆病者だった。貴方の中に本当に大切にしている人が居て、私もお母さんも一番じゃないって、本当は最初から気付いて居たのに……さも気付いていないフリをしていた。気付いていないフリをして、逃げ続けてここまで来たわ。」






「……何が言いたいんだ。意味が分からない。」


「分からないなら、教えてあげる。」


 美羽がそう言った時には既に、司羽は体重を掛けられてベッドに押し倒されていた。先程からの展開に完全に無警戒になっていたといえど、美羽の力の強さは司羽が驚く程で、その瞬間に合った瞳からは、その力以上に強く輝く意思のようなものが感じられた。


「私は、その人と戦うのが怖かった。だから戦わずして負けることを選んでしまったのよ。あの時の私は、弱い体や女としての魅力、子供である事に負けたのだと思い込みたかった。貴方を愛していると言う事実で、誰かにその上を行かれるのが怖かった。真っ向から自分の気持ちだけで戦うことが怖かった。」


 美羽の顔が、司羽の顔に近づいていて静止した。


「でも、そんなのはただ逃げてるだけ。ごめんね、司羽。貴方には沢山のものを貰ったのに、私は逃げてばっかりで。」


「別に、何かをやった覚えはない。」


「私は貴方にもらったわ。誰かを愛するって大切な気持ちをね。だから今度は私の番よ。もう逃げない、私は必ず貴方の一番になって見せる。貴方を幸せにするのは私……私じゃなきゃ嫌なのよ。」


「……俺にはルーンがいる、そんなのは間に合っ……。」


「ダメよ、貴方が今本当に愛しているのはルーンじゃない!! そんな言葉は、司羽を本気で愛しているルーンに対する裏切りだわ!! 司羽は大切な人を裏切るの?」


「う、裏切り……大切な……な、なら……。」


「『恋人』であるルーンは、司羽にとって間違いなく大切な人よ。だから昔の様な、切り捨てる様な逃げ方は許さない。あの子の本気の愛情にかけても、そんな言葉は絶対に吐かせない。あの子は、正真正銘貴方の恋人よ。」


 司羽の言葉を遮った美羽の言葉は、瞬時に司羽の次の言葉を封じてしまった。美羽にはもう、全てが分かっていた。司羽と過ごした過去と今までが、司羽の『ルール』を明確に浮かび上がらせていた。そしてその影響の強大さも理解している。いざとなれば、自分やシュナ、ルーンを含めた全てより優先されてしまう程の絶対のルール。それは間違いなく、司羽の一番大切な人と関係している。


「司羽はこのままじゃ、一生自分というものがなくなってしまうわ。ずっと、そのルールに拘束されたまま生き続けることになる。」


「そんなの、どうだっていいだろ、美羽になんの関係があるんだ。」


「あるわ、言ったでしょ? もう逃げないでその人と戦うって。そんなルールがあるから、貴方は自分の気持ちを二の次にしなくちゃいけない。私やルーンを、裏切らなくちゃいけなくなるのよ。」


「ルールじゃなくて俺の意思だ!!」


「それは司羽の意思じゃない。司羽は、誰かとの約束事を自分のルールにして動いてるだけでしょう? 私とお母さんが大切じゃない? ルーンが大切じゃない? そんな事は司羽は思ってない!! 大切だって最初に言ったのは司羽だもの。そう言わないとルールと……ううん、貴方の大切な『約束』から矛盾してしまうから、咄嗟に言い訳として言ってるだけよ。貴方にそんな酷いことを言わせている約束があるから!!」


 それが、美羽の行き着いた答えだった。司羽は自分に対してなんらかのルールを持って動いている。そしてそれは自分の意思よりも、道徳や倫理よりも優先される。それはきっと司羽が自分で自分に課したルールではない。司羽は人を平気で殺せるような人じゃない。誰かを平気で騙せるような人じゃない。きっとそうする度に、司羽は自分を傷付けている。

 でも、自分よりもずっとそのルールが……いや、『約束』が大切なのだ。そして、それ程に約束を大切にされる、約束をした相手がいる筈だ。


 それが、司羽の一番大切な人。司羽を苦しめている、私の越えるべき相手。


「私は認めない。貴方自身を苦しめる約束なんて。そんな人に貴方を渡したままにするなんて!!」


「お、俺は……苦しんでなんてない。姉さんは……そんな人じゃ……。」


「姉さん? そう、その人が……そうなのね。」


「っ……あ、いや、違う、俺は俺の意思で動いてるんだ!!」


口を滑らせた司羽は明らかに動揺していた。いつもの完全無欠の強さはない。瞳は揺れ動き、言葉からは震えが感じ取れた。美羽でなければ気付けなかったであろう程度の変化だったが、美羽はそんな司羽が愛しくて、その弱さが嬉しくて、自然に微笑んだ。


「やっと、本当の貴方と向かい合える時が来た。」


「っ……何をいっているんだ? おかしいぞ、美羽。」


「もう良いのよ司羽。貴方の強さも弱さも、私はちゃんと知ってるわ。もう一人で抱え込まないで。私にも貴方を支えさせて欲しいのよ。」


触れ合うほどの距離へ、美羽の顔が近付いていく。咄嗟に司羽は、驚いた様に少し後退りした。


「私より、その約束が大事?」


「…………。」


「良いわ、答えなくても。でも、司羽には選んでもらうから。」


「選ぶ……?」


「ええ、約束か、私か。どっちが欲しいか選んでもらう。」


「…………。」


どうやって、とは司羽は聞かなかった。いや、聞けなかったのだろう。美羽の真っ直ぐに心を射抜くような瞳は、今の司羽には直視することが出来なかった。


「何度だって言うわ。私は司羽が大好き。愛しているわ。貴方と一緒ならもう他に何も要らない。だから、私が欲しいって言って。ルーンも私も、二人共自分のものにしたいって、そんな風に求めて欲しいの。」


「それは……出来ないって言ってるだろう。」


「なんでかしら?」


「それは、普通は男女一人一人が……。」


「ここにその決まりはないわ。」


「此処では違っても俺は……そんな風には成れないって言ってるだろう。」


「そうかしら?」


「そ、そうだ。これは俺の意思だ。俺は……。」


 それは何度繰り返したか分からないやり取りだった。それだけに司羽も分かっていた。こう言えば、美羽はもう言い返せない。自分の意思で拒絶すれば、もう終わりだ。


 そう思っていたのに。


「嘘ね。さっきの司羽はもっと私が欲しいって、そんな顔してた。私のキスが欲しいって、私の事を自由にしたいって。だから、キスは良いなんて言い出したんでしょう? それに私の胸を触って、迷っちゃったのよね?」


「………ぅ……。」


「ふふっ、これからは私も自分の体にもうちょっと自信を持つことにするわ。司羽が欲しがってくれるなら、私はそれだけで良いんだもの。ふふふふっ。」


 先程の美羽の行為は全て計算だったのだと司羽もようやく気付いた。自分は何故あんな事を言ったのだろうか、誘惑に負けて? 空気に押されて? でも、自分はそんなに弱くはなかった筈だ。何故あんな事で揺れてしまったのか。


「…………お、俺も男だからな。誘惑に負けてしまった。後でルーンに謝らないといけないかもな。」


「あら、ルーンも私なら良いって言ってくれてるわ。何が問題なの?」


「ルーンが良くても、個人の考え方の問題だ。キスとか、男女の事っていうのは性欲だけでするものじゃない。俺がどうかしてたんだ、好きでもない相手となんて……。」


「私は好きよ、司羽を愛しているわ。」


「でも俺は……。」


「好きだって言ったわ。私の事が好きだって、絶対に聞き間違えたりしない。貴方が言ってくれたのよ?」


「それは……それ、は……。」


 さっきの言葉は嘘なんかじゃない筈だ。ずっと聴きたかった言葉だから、美羽には分かる。そしてそれを信じられるからこそ、もう絶対に退いたりしない。


 もしここで私が退いたら、司羽は一生、誰とも心から愛し合えなくなってしまうから。


「司羽、私は貴方とキスをするわ。恋人同士の……愛する人同士のする深いキス。言い逃れなんて出来ないくらいの、愛情を込めたキスをしてあげる。」


「……それは出来ない……しちゃいけない。」


「司羽、私は言ったわよね。もう全部は守れないって。」


「うっ‥…!?」


「キスはまたしようって、キスなら良いって約束したでしょう? だからキスをしないなら、私との約束を裏切る事になる。貴方にそれが出来る? そういう約束もしてるんでしょう? 『貴方を大切にしてくれる人との約束を裏切ったらいけない』って所かしら。」


 その言葉に、司羽の顔が真っ青になった。何故それを知っているのかと、言外に言っていた。


「それと『恋人は一対一で浮気はいけない』ってのもあるでしょう? まるで子供の躾よね。言ってることはおおよそ間違ってないし。」


「…………なんで。」


「なんで知っているかって? 分かるわよ、貴方の事をずっと見ていたんだもの。『約束』を守ろうとする時の貴方はいつも必要以上に頑なで、周りの話を意図的に無視しようとするもの。一度か二度なら勘違いで済むけど、何度も繰り返せば……私達にはバレバレよ?」


 私達、という言い回しにそれが美羽だけでない事が分かった。恐らくはルーンもそうなのだろう。ルーンであれば、何かあると察していたとしても何も言わないに違いない。ルーンはそういう女だ。


「司羽、これは勝負なの。」


「勝……負?」


「そうよ。私か、約束か。」


「どういう……事だ?」


「さっき、もう約束全部は守れないって言ったけど。一つだけ守る方法があるわ。」


「っ……そ、それは?」


 その瞬間、司羽の瞳に光が宿った。美羽にとっては気に入らないタイミングだったが、それ程に司羽に取って約束が大切なものなのだろう。司羽は、価値観の全てをその約束に委ねていると言ってもいい。

 司羽の過去に実際何があったのかまでは美羽は知らないけれど、それはきっと、いつかは向き合わなければならない事のはずだ。でも今は、目の前の彼の瞳を自分に向かせることが一番大切だ。


「簡単な事よ、私を殺してしまえばいいの。」


「は……?」


「司羽は『恋人は一人じゃないといけない、浮気はいけない』から私とキスが出来ない。でも『貴方と好きあっている私とキスの約束して裏切れない』から、私とキスをしないといけない。それを両方守るには、私が居なくなってしまえば良い。」


「無茶苦茶を言うな!! 美羽にそんな事出来るわけがない!!」


「いいえ、出来るわ。だって、そんな約束はしていないでしょう? 『殺してはいけない』なんて言われていないはずよ。『傷つけてはいけない』もないわね。だって、私は今まで散々貴方に心を滅茶苦茶にされたんだもの。」


「………ない。ないけど……そんな事は……。」


 『二股や浮気はいけない』、『裏切りはいけない』の他に『傷つけてはいけない』がないのは少し不思議だが、もしこれを教えた人が司羽の事を、そんな事はしない子だと信じていたなら分かる。まるで恋愛に対する情操教育だ。特に女性が子供に諭すような内容である。司羽に取って、その『姉さん』がどんな人だったのか、美羽にもぼんやりと分かり始めていた。


「ふふっ、どうせならロマンチックに死にたいわ。貴方と口付けしながら、殺されたいの。言ったでしょう? 恋人同士のするような、深いキスをするって。だから貴方はそれがキスになる前に、私の舌を噛み切ってしまえばいいの。」


「……本気でそんな事を言ってるのか?」


「貴方に殺されるなら構わないわ。貴方に愛されない人生なんて、死んでいる様なものだもの。だから、もし拒絶するなら……私は自分で噛み切るわ。貴方に愛してるって言えないなら、私の声になんの価値もないんだもの。」


 美羽は何の躊躇いもなくそう言って微笑み、ゆっくりと、両手で司羽の頬を包み込んだ。


「私が居なくなれば約束は守れるわ。でも私とキスをすれば本当に浮気が成立しちゃうわね。安心して、私からは絶対に離れないから。さっきとは違うわ、終わり方は貴方が選んで。私か、約束か。どちらか一つ、貴方に捧げるわ。」


「……俺が美羽を選ぶと思ってるなら、とんだ勘違いだぞ。俺は、お前が思ってるほど甘くない。何人も殺してきたんだ。姉さんの為に……ずっと……。」


「分かってるわよ。だって一度負けてるんだもの。……でも、私は後悔なんてしないわ。貴方を愛して、貴方の隣で死ねるなら。私は、どっちだって幸せよ?」


「……馬鹿な事を……言うな。」


「貴方を愛することが馬鹿な事なら、私は馬鹿で構わないわ。それじゃあ………さようなら、司羽。」


 そして彼女は優しく微笑むと、ゆっくりと瞳を閉じた。


 倒れこんで委ねるように、唇に愛を注ぎ込むために。




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