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異世界と絆な黙示録  作者: 八神
第六章~生命よりも、作法よりも~
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第107話:あの日の想い出


「あああああああああああっ!!!!」


 悲鳴だろうか、怒号だろうか。静かだった部屋の中が、何年かぶりに震えている様な気がした。


「……ごめんね……司羽。」


 美羽は、ぽつりと呟いた。


 もし、彼を知るものが今の彼を見たら、その人はどんな感想を抱くだろうか。


 豹変ぶりに混乱する? それとも、情けないと失望する? でも仕方ないかも知れない、蹲って悲鳴を上げるなんて、いつもの強い彼からは余りに乖離した姿だから。


「あああああああっ、ぐっ。うううううううぅっ……。」


 何かに耐えるように、必死に何かを押さえつけるように、司羽は蹲る。美羽はそれを、ただ悲しそうな瞳で見つめていた。


 仕方なかったとは言え、必要な事だと思っているとは言え、こんなに苦しんでいる司羽は初めて見るから。そして、その引き金を引いたのは、間違いなく自分なのだ。



「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はっ……ぐっ。」


「……司羽、大丈夫?」


「美羽……美羽……お前っ………。」


「ごめんね、司羽。でも、私ももう退かないわ。あの時の二の舞は、もう御免なの。………貴方と離れ離れになるのも、言葉の上だけでも拒絶されるのも……貴方がずっと縛られ続けるのも、もう私は嫌なの。」


「………………。」


 悲鳴が空気に溶け、静寂が戻ってくる。美羽の言葉に、司羽は何も応えなかった。


 司羽の瞳は、混乱と不安に揺れている。そして彼が今考えている事が、美羽には良く分かる。


「……あの日の、続きをしましょう。」


「……続き……?」


「貴方が……司羽が、私を置いて行ったあの日の続き。あの時の私は、まだ子供で、自分の事ばかりで、貴方の苦しみに気付けなかった。」


「……何を言ってるんだ……。」


「司羽は覚えてる? あの日の事。」


 あの日、約十年前になるあの日に、この場所で起こった一つの出来事。この小さな部屋で、大好きな彼に拒絶されてしまった少女の失恋。


「……………。」


「私は覚えているわ。今まで一瞬たりとも忘れたことはない。」





 そう、忘れられる訳がない。






---

----

-----








 その日は、いつもと変わらない日の筈だったのに。






『……どういう事? 引越し?』


『ええ、ちょっとお仕事の関係でアマツと配置転換。私も断ろうと思ってたんだけど、他の皆も色々事情があるみたいでね。私もこれ以上我侭で此処に残り続けるのは無理なの。』


『そうなんだ……。』


 それは、10年前のある日の事だった。この部屋で、いつも通りに司羽と二人切りで絵本を読んでいた時の事だ。シュナはいきなり帰ってきて、部屋の中に入って来たかと思うと、いきなりそんな事を告げてきた。引越しなんて、物心付いてから初めての事だった。正直、その話を聞いた時にはどうでも良いと言う感想しかなかった。だって、何処に言っても自分の動ける範囲なんて家の中くらいしかないのだ。


『いつ頃?』


『明後日よ。急なんだけどね。』


『ふーん……分かった。』


『………じゃあ、私は今からちょっと行く所があるから。』


 そう言って、自分の母親が珍しく忙しそうに部屋を出て行く。去り際に一度振り返って、司羽の方を見た様だが、そのまま何も言わずに去ってしまった。なんだったんだろうか。


『司羽、引越しだって。』


『………そう。』


『どんな所だろうね、司羽、知ってた?』


『ああ、シュナに、前々からもしかしたらって聞いてた。』


『えっ、そうなの!? 私には何も言ってなかったのに。司羽も……。』


 そう言って自分の母親の司羽贔屓にちょっと不満を募らせながらも、ベッドの隣で椅子に座りながら絵本をじっと見つめている司羽の顔を覗いてみる。適当に切り揃えられた髪、無表情な顔に宝石が浮かんだような紅い瞳、美羽から話しかけなければ話す事もそうはない、まるで人形の様な、少女の様な少年。

 でも美羽は、その少年がとても優しい、不器用な少年である事を知っていた。


『シュナが、話すなって。』


『お母さんが? ふーん、私にだけ?』


『美羽にだけ。』


『むぅ……。』


 司羽は、絵本から目を離さずに淡々と事実だけを述べていた。美羽に対する罪悪感の様な物は何もないらしい。……それもまあ、仕方ないかなとは思うけれど。なんと言っても、彼は美羽の母親であるシュナに対しては、決して逆らわない。それは、正直美羽に取っては面白くないものであったが、これは彼がこの家に連れてこられて来てからずっとの事なので、今更仕方ないかなと思う。でも、今回ばかりはちょっと拗ねたくなる。


『司羽って、本当にお母さんにべったり。お母さんに連れてこられて此処に居るし、お母さんが言った事に何にも言わないし………私にも、秘密にするし。』


『……いけない?』


『べ、別に……いけなくはないけど……。』


『そう。なら良いんじゃないかな。シュナも別に良いって言ってた。』


『………また。』


 これである。『シュナが良いって言ってた』……彼はシュナの言う事は聞く、逆らわない、偽らない。


 たった一つ、例外を除いて。



『まあ、いいわ。司羽が秘密ばっかりなのは、今更だもん。』


『…………。』


『此処に来る前に何処に居たのか、お母さんと何処で知り合ったのか………偶に何日も帰らない時、何処に居るのか。』


『……………。』


『ねえ、この前4日くらい何処かに行ってた時、何処に行ってたの?』


『……花を摘みに。』


 たった一つの例外、それは彼が長期間何処かに消える際の言い訳。これは美羽が聞いても、シュナが聞いても、決して本当の事を話そうとはしなかった。


 花を摘みに行く。


 確かに、完全な嘘ではなかった。彼が戻ってくると、いつもその手には綺麗な花が握られており、美羽へのプレゼントになっていた。そしてそれが、美羽が気術を覚えるきっかけにもなった。

 花が元気に咲いている間は、彼は何処かへ出掛ける事はない。でもその為に、長い時は一週間近くも家を空けるなんて、絶対におかしい。


 そして出て行った時の姿そのままで帰ってきた司羽を見て、シュナもまた、酷く哀れんだ様な、悲しむような表情を見せるのだ。


『………そっか、ありがと。』


『…………。』


 でも、美羽にはそれ以上聞くことが出来なかった。彼の秘密、彼の嘘、そこに何かある事は分かっても、美羽にはどうしてもその先に踏み込む勇気が出ない。だって、シュナですら入り込めない場所なのだ。私では、きっと無理だろう。

 それでも、美羽は満足だった。司羽が傍に居てくれる、自分の為に何かしてくれる。こうして、話しかければ応えてくれる。

 彼が此処に来た頃、美羽が自分の身体の弱さに絶望して、どんなに酷い事を言っても、どんなに辛く当たっても、彼は決して見捨てることはしなかった。絵本を読み聞かせ、歌を歌い、花の美しさを教え、どれもこれも酷く不器用で、下手くそで、感情なんて見えなくても、司羽は一生懸命だった。


 美羽は、そんな司羽の全てが大好きだった。……いつか、そう、いつの日かは、彼を自分の力で幸せにしてあげたい。自分がこんなに幸せな様に、彼にも幸せになって欲しい。


『ねえ、司羽。私がもっと気術が上手くなったら……。』


 一緒に外に出て、もっと色々な思い出を作ろう。美羽が、そんな自分の夢を彼に語ろうとした時だった。





 悪魔の声が、響く




 ザ……コンニチ……ゲンチジカン……ハチジサン……ナナフン……ザザ……


『………ん? どうしたの? ラジオ?』


『…………くす。』


 ドキリ、とした。冷たい、冷たい、司羽の笑み。何度か見たことがある、美羽の、唯一怖い司羽の表情。そして、それだけで美羽は察した。


 ホクセン……ザザ……チュウキョ……オウコク……センセンフコ……ザ……


『あっ……。』


 途端、美羽の顔が真っ青になり。


『ま、待って!!』


 いつの間にか立ち上がって居た、司羽の胸に飛び込むように縋り付いた。


『……何。』


『うっ……あ、駄目、行っちゃ……これも聞いちゃ駄目!!』


 ダメだ……これを聞かせては……司羽に聞かせては駄目だ!! 彼は、こういう情報を見ると、暫く家を開けてしまう。


『美羽、離れて、動けない。』


『っ……や、やだ……。』


『…………。』


 美羽はしがみつきながら司羽の顔を見た。いつも通りの無表情に近い顔。でも、違った。いつもの彼じゃない。一瞬で変わってしまった濁ったような瞳が、美羽の身体を硬直させる。長期で出掛ける前に彼が見せる、とても怖い瞳。美羽の事を見ていない、とても胸が痛くなる瞳。


 やっぱり、まただ、また、彼は何処かに行ってしまう。……引き止めても、無駄なのは分かりきっていた。今までに何度止めても、彼は止まることはなかった。シュナも、何故か強くは止めようとはしなかった。それはきっと、止めても無駄だと分かっているからなのだろう。あんなに、悲しそうな顔をしているのに。


『………どれくらいで、帰ってきてくれる?』


 それは、諦めてしまった彼女の心を支える問いだった。何度やっても駄目だった、だから、せめて帰ってくるって確証が欲しかった。待つのは苦しいけど、彼が傷ついているように見えてもっと苦しいけど、でも、今の私には他に何も出来ないのだと諦めて……。


『シュナにも言ってある、もう帰らない。もう会えない。』


 その一言で、美羽の頭は真っ白になった。





 もう……会えない……?






『……なに……なにいってるの……?』


『シュナが言っていた、引越しで向こうに行ったら、もうこっちには戻って来れないだろうって。』


『……戻ってこれない? 向こう? なにそれ、なにそれ、なにそれ……。』


 その時、自分が何を言っていたか、考えていたか、美羽は良く覚えていない。ただただ、真っ白になった頭で、司羽に縋り付く力を強めていた。


『僕は行かなきゃいけない。願いを……叶えなきゃ……。』


『願い……なに、私のお願いは……? 一緒に居るよね? 引越しって……一緒に行くよね……?』


 今更になって、先程のシュナの言葉を思い出していた。明後日、引越し、当然司羽も一緒だと思っていた。だって、もうずっと一緒に居るのだ。時間にしては一年に満たないかも知れない、でも、美羽に取っては……美羽の楽しい時間の全てと共に居たのだ。


『一緒に……一緒に行こうよ……引越しって、向こうって何処なの? なんで来てくれないの……?』


『何処かは知らない。でも、行ったら戻って来れない所。行き方も分からない。だから行けない。』


『なにそれ……なんで? なんで? 私分からない、なんで来てくれないの? 今からどっかに行くから? じゃあ行かないでっ!!』


『それは出来ない。』


『ぅ……じゃあ……じゃあ……えっと……。』


『明後日には行くんでしょ? 僕は行けない、行く場所がある。シュナも、僕の好きにすればいいって言ってた。どっちにしろ、僕は行くつもりなかったから。だからもう会えない。』


『ぅぁ……ぁ……やだ……やだぁっ……。』


 いつの間にか、ボロボロと涙が零れおちていた。泣けば、一緒に居てくれるかも知れないって少し期待した。でも、そんなのはもう無駄だってとっくに分かっている事だった。彼が何処かへ行く時に引き止めるのは、これが初めてなんかじゃない。

 でも、でも今回だけは……今回だけは諦められない。諦めたらいけない。会えないなんてやだ、もう会えないなんて絶対にやだ。そんなの駄目だ、それだけは、それだけは……だから。


『司羽、司羽言ってた!! 大切な人はちゃんと守らなくちゃいけないって!! 大好きな人は一番大切にしないといけないって!! もうお母さんでも良いっ、私じゃなくても良いっ、どっちでも良いっ!! だからどっかに行ったりしないでっ!! 大切な事だって司羽が言ってたんじゃないっ!!』


『っ………。』


 その言葉に、一瞬だけ、司羽が怯んだ様に見えた。それを見て、美羽は少しだけ希望が見えた気がした。

 ……美羽は知っている、司羽が言う『大切な事』。それを司羽は絶対に守る。一度だって、司羽がそれを破った事はない。


『私、司羽が大好き!! お母さんも、私と司羽が一番大切だって言ってた!! だからっ、だから一緒にっ……!!』


 もう、形振り構っては居られなかった。普段だったら絶対にシュナの事を持ち出したりしなかった。美羽の想いが、司羽を好きな女の子としての感情が決してそれを許さなかった。

 でも、今だけはそんな事を言っていられない。

 でも、これで司羽は残ってくれる。

 美羽はそう思って、自分の想いをぶつけた。……でも。


『僕は別に、大切じゃない。』


『…………え?』


 美羽の表情が、凍りついた。


『美羽も、シュナも、大切じゃない、大好きじゃない。大切じゃないから、守らなくていい。大好きじゃないから、大切にしなくていい。』


『………ぁ……つか……ば……?』


 それは、美羽も初めて見る彼の顔だった。


 濁りきった瞳が、水晶玉の様だった。


 抜け落ちた表情が、人形の様だった。


 淡々と言葉を発する様は、機械の様だった。


『だから、僕は、もう二人に会えなくてもいい。』


 それは何かを、証明している様だった。


『……そんな……わたし……わたしは、やだ……。』


『どいて。』


『……ぁっ……。』


 抱きしめた腕が、振りほどかれる。そして彼は、そのままの表情で後ろを向いた。崩れ落ちる美羽に、一瞥のないままに。


『さようなら。……シュナによろしく。』






『ぅ……ぁ……いや……いやぁっ……。』







 そして、彼が去った部屋で、少女は一人取り残される事になる。





 何年もの間、少女は独りで、彼を待ち続けた。





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