第104話:どうかこの想いが響きますように(七)
『私の家に、来て欲しいの。』
先程聞いたその一言を、その時の彼女の表情を、司羽は歩きながら何度も思い出していた。凛としていて、でも冷たさは感じなくて、今までに見たことがない程の真剣な表情だった。……そして、その顔を思い出す度に何故か胸が痛くなった。理由は……分かっているのかも知れないけれど。
「……………。」
「……………。」
二人切りで夕暮れのレンガ道を歩く。祭りの喧騒は既に遠く、会話は、雰囲気に呑まれてなくなってしまった。少し気不味い空気で、司羽も何か話題を出そうとするのだが、先程のミシュナの表情がチラつく度に口が勝手に閉じてしまう。
そんな沈黙の中、先に口を開いたのはミシュナだった。
「ここまで来ると、お祭りの音も聞こえないのね。人の影もなくなってしまったわ。」
「あ、ああ、そうだな、ここはもう完全に町外れだから。俺も此処までは来たことないよ。」
「なんだか不思議な感じね。あれだけの人が急に居なくなると……別の世界に来ちゃったみたい。」
「……そうかもな。俺もそんな気がするよ。」
今日の予定は星読み祭でのデート。こうして誰もいない道を歩いていると分かる。二人にとってのお祭りは、もう既に終わってしまったのだ。楽しかった思い出へと、既に変わってしまっている。それでもミシュナは、司羽の手を離そうとはしなかった。お祭りなんて関係ない、あくまでまだデートは続いているのだと、暗にそう言っている様だった。
「今日は、凄い楽しかったよ。色々珍しいものが見れたってのもあるし、慣れないことをした新鮮さもあったんだけど……うん、なんか上手く言えないけどさ。」
「私もよ。今までで一番幸せだったわ。司羽が傍に居て、私だけを見てくれたんだもの。」
「……本当に真っ直ぐに言うよな、今日のミシュ。」
「だって口にしないと伝わらないもの。理解してもらうだけじゃなくて、私が自分で伝えたいの。こんな機会、滅多にないって言うのもあるけど……やっぱり、私の大事な気持ちだから。」
そう言って、彼女は幸せそうに微笑んでくれる。彼女自身の言葉で、その笑顔が誰によって作られたものなのか、ハッキリと教えてくれる。真っ直ぐに貫かれた意思と言葉は、誤魔化しを認めない。
「はぁっ……凄いな、ミシュは。」
誰に宛てるでもなく、思わずそんな感嘆の言葉が口から出てしまう。今までも、彼女の優しさや心遣いに感嘆を覚えることはあったけれど……今日のミシュナはそれとも違う。一緒に話しているだけで、何故だか自分がとても子供に思えてしまうくらいに、強く、大人びた女性を感じさせた。
「ねえ、今の司羽が考えている事を当ててあげましょうか?」
「な、なんだよいきなり。そんなエスパーみたいに。」
「エスパーじゃないけど、私には分かるわ。」
「……………。」
これがミシュナでなければ笑い飛ばせるのだが……この少女は、ルーンと同じだ。誰よりも、司羽自身よりも司羽を見ている女の子だ。司羽はその事を、この短い時間で余りにも強烈に思い知らされていた。
「ふふっ、どうやって断れば良いだろうかって考えてるでしょう? このまま私が告白してくると思ってる。」
「うっ……あ、いや……。」
ミシュナのその言葉は完全に図星だった。司羽は咄嗟に誤魔化そうとしたが、中々言葉が出てこなくて、結局言葉に詰まったまま沈黙を返してしまった。……もう分かっている、どうせ誤魔化しても、目の前の少女には無駄なのだ。しかし分かっていても、正直にそう返すだけの事が、何故か司羽には出来なかった。
「……そんな事は。」
「あるでしょ?」
「…………ああ、まあ……そう、かもな。」
司羽にしては、なんとも歯切れの悪い返しだった。……何故だろうか、昨日までであれば……いや、朝までであれば、もっとハッキリと言えた筈だ。
今日はたった一日、デートをしただけだ。確かに楽しかったと思うし、ミシュナの自分に向けてくる好意も嬉しかった。でもだからと言って、司羽の気持ちはそう簡単に動いたりはしない。一度決めた事をそう簡単に覆したりはしない。相手がミシュナだろうと、告白されたら断る。ルーンがミシュナを受け入れていようとそれは変わらない。司羽は最初からそう決めていて、今でもそれは揺らいでいない筈だった。
「ふふふっ、良かった。私の気持ち、ちゃんと分かってくれてるのね。」
「……ミシュこそ分かってるのか? 俺は断る為に考えてるんだぞ? 俺の考えは、朝から何も変わってないんだ。」
それは……もう既に告白の返事をしているに等しかった。自分の発言が、本来であればどれほどの失言であったかを司羽が理解する事は、残念ながらなかったが。
しかしミシュナには、そんな事すら些細な事でしかないようだった。
「ええ、分かってる。でもそれって、私の気持ちがどれだけ大きいか、少しは分かってくれた証拠だもの。きっと昨日までの司羽なら、『ミシュとは付き合えない、ルーンを裏切れない』って、それだけで終わってた。」
「ああ、そうだな。……でもそれじゃあ、ミシュは絶対に納得なんかしないだろ?」
「当たり前でしょう、だってそれは……ううん、今はまだ良いわ。」
「………そうか……。」
そんな言葉じゃ納得なんかしないと笑顔で答えたミシュナは何かを言いかけて、やっぱりいいと首を振った。司羽はそんな自分の心の内すらも透かされている様な感覚を覚えつつも、それ以上の追求はしないまま、ミシュナの顔から目を逸らす。……どう返しても、やっぱり手玉に取られてしまう。この少女は、自分よりも自分の事を見てくれている。話せば話す程に、普通ならこれ以上無い程に嬉しい事実が分かってしまう。
そんな事を自覚しながらも、司羽は結局、何か良い方法、先延ばしの方法を考えていた。そしてそのまま、ぼんやりとしながらもミシュナに先導される様に歩き……不意に、繋いだ手をギュッと引かれた。
「……ん、どうした?」
「此処よ。」
「ああ、そうか、着い…………え?」
「さぁ、入って。ようこそ私の家に。」
司羽は、視線を上げると同時に呆然と立ち尽くしてしまっていた。一瞬、ミシュナの声も聞こえない程の衝撃が、目の前に建っていたから。
「…………。」
「…………おかえりなさい。」
その特別な場所で、彼女は一言そう言った。
思い出の続きを、二人で一緒に始める為に。
今度こそ、『本当の彼』に伝える為に。