第103話:どうかこの想いが響きますように(六)
「……追って来てない、かな?」
少女、キューは自分の背後を振り返って静かに聞き耳を立てた。狐の形をした可愛らしい耳がピンと立って、自分の周囲から様々な音を集め、選別する。祭りの喧騒も、キューの耳に取ってはノイズにもならない。特別製の自慢の耳である。
「よし、撒いてやったもんね~♪ もうーレイレンったら、現地の人を使って探すなんて、油断ならないなあ……気を付けて遊ばないと……あむっ。」
イカ焼き美味しい。もぐもぐと可愛らしくイカ焼きを味わいながら、先程のカップルについて思い出す。小柄と言える少女と、背の高い青年の二人組だった。人避けの秘術を使っているにも関わらず、こちらをジッと観察しているから直ぐに分かったが……まさか、自分が見付かってしまうとは。これからはもっと危機感を持たないといけないかも知れない。
「この星の人って、実は結構強い? でも人避け効いてるみたいだし、あの人達が特別だったのかな? まあどっちでも良いけどねー!! こんっこんっ♪」
時間は有限、されど目の前に広がるパラダイスの魅力はどこまでも果てしないのだ。こんなところで考えている時間の方が勿体無いのである。少なくともキューの中での優先順位は、既に先程の追跡者の事を圏外に追いやってしまっていた。
「えーっと、あっちの方から楽しそうな匂いがする!! そーれ道をあけろー♪」
直感で行き先を決めたら人避けの術を発動させる。腕輪に付けた鈴がシャランと鳴り響き、その方向に立っていた人達がキューの為に道を空けた。まるで海の割れるかの様な景色に、当のキューは完全にモーセになった気分である。
「ふんふんふーんっ♪ こんこんこーんっ♪」
シャラン シャラン
その道をキューがスキップしながら進んでいく。その鈴の音は雑踏へと溶け込んでいった。その音を聴く者はキューの他には誰もいない。誰も気付かない。キューの居た世界では神通力と呼ばれていたこの力に耐性を持つものは、この世界にはそうはいないだろう。元いた世界でもキューの力に対抗出来る者はあまり居なかったのだから当然と言えば当然の結果だ。
「こんこんっ……こん?」
そんな風に思って浮かれていた、その時だった。
『……知っ……か? ……噂……。』
『ああ……伝説の……いなり……だろ。』
「……んんー?」
何の気なしに耳を傾けた雑踏の中の雑音だった。他の雑音に混じって、キューの耳の中に入った不完全な言葉の欠片。でも何故か妙に興味を惹かれてしまって、その言葉の主を探す。自慢の耳をピンと立て、雑音を少しずつ取り除いていく。
これも違う、あれも違う……見つけた。
『今回の祭りに来てるらしいぜ?』
『おいおいマジかよ。来てるってどこに?』
「………来てる? 有名人かな……?」
ターゲットロックオン。話しているのは若い男二人だった。どうやら誰かが来ているらしいが……有名な大道芸とかならちょっと興味を惹かれる。でもただの有名人なら別に興味はないかなーと思う。こっちの世界の人なんか知らないし。
『確か、B地区のアメイロ通りにある公園だよ。あそこに出店しているって話だ。』
『へー……それは興味あるな、行ってみるか?』
「………出店……何を?」
『じゃあ行ってみるか。星読み祭限定、伝説の『光り輝くお稲荷さん』を食べに!!』
「……!?!?」
思考が、一瞬止まってしまった。こいつ、今何といった? お稲荷さんと……しかも伝説の、お祭り限定、光り輝くお稲荷さんと言ったか!? なんだそれは、なんだその素敵過ぎる響きは!!
「B地区……アメイロ通り……。」
先程スった地図をチェック、恐らく徒歩なら十分くらいの距離だろう。いや、距離や時間など関係ない。何せ伝説だ。これは食べなければ狐の……いや、九尾の名折れである。
『でも確か、一日百個限定じゃなかったか? 早く行かないとなくなるぜ?』
『あー、もうお昼時だからなー。この人混みじゃあなあ。』
「げ、限定……百個……!?」
まるで背中に稲妻が落ちたかの様だった。絶望感と焦燥感がキューの心を支配する。そんな素敵な代物が、限定百個しかないなんて……そして今はお昼時……。
『あーもう間に合わないか。今から急いで走れば間に合うかも知れないけどなー。』
『そうだなあ。せめてこの人混みがなければなあ。』
「くっ……ものどもー!! 道をっ、道を空けろー!!」
シャラン、シャラン、シャラン!!
腕輪に込める力を限界ギリギリまで引き上げる。最早、一刻の猶予も許されない。これは……戦いだ。九尾の尊厳を掛けた聖戦だ。キューの額から汗が伝う、なんだか喉も乾いてきた気がする。まあ多分さっきまでいか焼きを食べていたせいだろうが。
『んー、今どれくらいかな? 多分、後十個くらい?』
『ああ、多分それくらいだな。今九十個目が売れた気がする。』
「まってまって、今やってるから!! 急いで道作ってるから!!」
シャラン シャラララシャラン シャラン
後十個とかギリギリも良いところだ。十分なんて悠長に歩いていられない、一気に走れば二分で着ける!! そのスピードならきっと……きっとまだ買える!! そして、全身全霊を込めたキューの術が完了する。目標地点までの一切の障害を取り除く、全力の人避けの術だった。
「待っててね、伝説の光り輝くお稲荷さん!! 今行くからねええええええっ!!!!」
そして術が完了すると同時に、ヒュンッとまるで一陣の風の様に、キューの身体はその場から消え去ってしまっていた。
……そしてその次の瞬間、その二人の男は不思議そうな顔をして言ったのだった。
『…………所で、俺達なんでこんな話してたんだ?』
『さぁ……なんかそんな気分になったんだよなあ。なんだよ伝説のお稲荷さんって……。』
『こっちが聞きてえよ……。』
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「はぁっ……はぁっ……はぁっ……。」
キューは走った。一生懸命に走った。多分こんなに必死になるのは数十年振りとかになると思う。でも、きっとこの先にはそれに見合う素敵な出会いがあるはずだから……だから走った。
そして遂に……。
「伝説の限定お稲荷さん、後一個だよー。美味しいよー。」
「あっ……、後一個!? 買います買います買います、それ私が買います!!」
「はい、まいどあり。サービスで最後の一個はタダでいいわよー。」
「本当!? やったー!! ありがとうお兄さん、お姉さん!!」
間に合った。最後の一個だったけど、なんとか間に合った!! キューは目の前で、お兄さんとお姉さんが包装してくれているお稲荷さんに目が釘付けになりながら、これも日頃の自分の行いが良いからだと感動していた。本当に運が良かった。しかもタダなんて出来過ぎている。まるで自分の為に用意されたイベントであるかのようだ。
「はい、それじゃあこれ。」
「わーい♪」
そのお稲荷さんの包みは、まるで輝いているかの様に見えた。そしてそれを、店主のお兄さんの手から受け取ろうとした……その時の事だった。
「キューちゃん、つーかまーえたっ♪」
ガシッ
「………えっ?」
「はーい、キュー確保ー。もしもーし、こちらレイレン、キューを確保したんで連れて帰りまーす。団長帰ってきてる? 後でキューにお尻ペンペンしてやって。」
「……………えっ?」
キューの手は、包みを受け取る寸前で虚しく空を掴んだ。後少し、もう少しの所で、するりとお稲荷さんはキューの手から逃れていってしまったのだ。………あれ? なんで私は今羽交い締めにされているんだろう?
「………アノゥ……ワタシ、キューちゃんチガウヨー。ヒトチガイヨー。」
「あれ? キューちゃんじゃないの?」
「うん。」
「馬鹿な事を言ってないで現実を見なさい。お尻ペンペンだけじゃ済まなくなるわよ?」
「………うぐぅ……。」
キューの悪あがきにも拘束の力は弱まらず、その代わりにレイレンの冷たい視線と、エリィの生暖かい視線がキューへと突き刺さった。……どうやら、もう逃げられないらしい。
「ぐぬぬっ……なんでっ、なんでレイレンとエリィが此処にいるの!! 次の公演の準備があるでしょ!! ちゃんとやって!! 役目でしょ!!」
「おーまーえーがーいーうーなー!!」
「痛い痛い痛い痛いっ!! はちみつくださいっ!!」
グリグリグリとレイレンのげんこつがキューの頭を締め付けた。エリィに羽交い締めにされた状態で、キューは逃げることも出来ずに悲鳴をあげてジタバタと暴れまわったが、しかしレイレンは慣れたもので、そんな事は意にも介さずにグリグリとし続けている。
「反省しろ。直ぐに戻って公演の準備するわよ!!」
「わ、分かった!! 分かったからもう止めてええええっ!! 頭が壊れちゃうううううっ!!」
「ったく、迷惑ばっかかけるんだから。」
「……うぅ、ぐすっ……エリィ、痛かったよぅ……。」
「はいはい……自業自得ですからねー……。」
涙目になったキューがエリィに助けを求めて瞳を潤ませると、エリィは口ではそう言いながらも、よしよしと頭を撫でて慰めていた。その様子を見て、またレイレンが頭を抑えて溜息をついて居る所を見ると、これもいつもの光景なのだろうか。まったくもってレイレンの苦労が偲ばれる光景であった。
「ぐすっ……で、でも伝説の光り輝くお稲荷さんは……お稲荷さんは食べたい!! これを逃したら私は九尾として一生後悔する!!」
「……まあ、それくらいなら良いけどね。でも、伝説のお稲荷さんなんて何処にあるのかしら?」
「え、ど、何処にってそんなの此処にちゃんと……。」
「ああ、この包みね。はい、どうぞ。食べたら帰るのよ?」
「………?」
訝しむキューの手の上に、レイレンがお稲荷さんの包みを置いた。……なんだろう、この不安な感じは。何かが引っかかる。言いようのない不安感に駆られながらも、キューはその包みを開いていった。
そして、その包みの中から現れたのは……。
「……お稲荷さん……だけど……。」
「普通のお稲荷さんね。残念ながら光り輝いては居ないわ。っていうか、そんな怪しいもの実際あっても食べないでよ。」
「っ……な、そんな……そんな筈は……お、お兄さん!!」
「ん、なんだ?」
「なんだって、これは伝説の光り輝くお稲荷さんの筈……じゃ……。」
そしてその瞬間、キューは全てを理解した。理解してしまった。
「あっ……あっ……お前はさっきのレイレンの手先……!!」
「誰が手先だ、誰が。」
「そしてそっちの女は……その男の片割れ!!」
「せめて恋人か愛人って呼んで、妻でもいいわ。妹はNGよ。」
キューはこのバカップルに見覚えがあった。つい先程こちらを見ていたバカップルだ。これみよがしに腕を組むだけじゃ飽き足らず、そのままギュッと腕を抱きしめてベタベタしていた鬱陶しい二人組だ。目と目で通じ合っちゃってる感じのオーラを出していた二人組だ!!
「そんな……そんなまさか……全部罠だったと言うの……?」
「まあそういう事だな。って言うかミシュ、愛人はちょっと……。」
「あら、愛があって司羽と一生を共に出来るなら名前なんてどうでもいいじゃない。勿論妥協はしないから、司羽の妻になるのが私の今の目標だけど。」
「ぐぬぬっ……この嫌がらせみたいなラブラブオーラは間違いなくさっきの奴ら……じゃあやっぱり……伝説のお稲荷さんは……。」
認めたくない。認めるわけにはいかない。九尾のキューちゃんたるこの私が、こんな幼稚な罠に引っかかるなんてそんな馬鹿な事が……。
「……諦めなさい。そのお稲荷さんは、そこのミシュナさんが作ってくれた普通のお稲荷さんよ。でも凄く美味しいから、普通のお稲荷さんではないかも知れないわね。」
「ううっ……そんな……そんな…………はむっ……あ、美味しい!!」
「うん、良かったね。美味しいよね、そのお稲荷さん。」
「うんっ!!」
絶望色に染まったキューの表情は、一口食べたお稲荷さんにより喜色満面の笑顔へと転じた。そんなこんなで、無駄に長かった九尾のキューちゃん捕獲作戦は無事に完遂されたのだった。めでたし、めでたし。
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「こんな時間までお付き合い下さって、ほんっとーにありがとうございました!! キューちゃん、お礼は?」
「あいふぁとーござました……もぐもぐ。」
「もうっ、お礼を言う時くらい食べるのやめなさい!! 司羽さん、ミシュナさん、本当にご迷惑をおかけしました!! 私達の分まで作って頂いてしまって、ありがとうございます!!」
「いえいえ、このくらいは構いませんよ。ねっ、司羽?」
「ああ、俺もミシュのお稲荷さん食べれたしな。探すの自体は楽だったし、気にしないで下さい。」
あれから暫く、もっと食べたいと駄々を捏ねるキューに付き合う形で、司羽とミシュナ、お昼を食べ損ねたエリィとレイレンを含めた5人で、材料を追加購入してお稲荷さんを作ると言う謎の会に発展していたのだが、その後流石に時間も不味いと言う事で、お土産にお稲荷さんをテイクアウトしたキューを連れて、二人は劇団のステージへと去って行った。
「……なんだか、本当に不思議な人達だったわね。」
「そうだなあ。不思議っていうか……変な人達だった気もするけど。」
「ふふっ、そうね。でもあのキューちゃんって子は可愛かったわ。なんだかトワより小さい子を相手してるみたいだったもの。」
「ああ、ミシュはやたら懐かれてたな。」
時間借りした調理場でミシュがお稲荷さんを作るのをキラキラした瞳で見ていたのを思い出す。確かにあの時のミシュナは、何だかトワを相手にする時に似た、小さい子供に接するような雰囲気を醸し出していた。とは言え、隙あらば司羽にあーんしたりしていたので、司羽からはまるで擬似的に家庭を持ったような気分を味わうことになったのだが。
「……うん、まあ悪くなかったな。結局、世界移動の事は聞けなかったが……それでも、悪くなかった。」
「あら、ならまた家でもやってみる? 今度は……パパって呼んであげましょうか?」
「そ、それは……ちょっとレベルが高すぎると言うか、なんというか。」
「あははっ、そうね。ちょっとだけ、気が早いかしら? うちの環境からすると、割と司羽次第な気がするけど。」
「うっ……そ、それはまあ……そうなんだろうけど、やっぱりまだ俺には早いっていうか……。」
その情景を思い浮かべて……直ぐに否定する。何故かそこには、ルーンの他にもミシュナも居て、二人で一緒にからかう様に、司羽の隣で笑っていたから。その未来は、絶対に有り得ないものだ。だから、そんなものただの妄想でしかない。考えても仕方のないこと。
「……………。」
「………ねえ、司羽。」
「なんだ?」
「楽しかったわね、今日。」
「ああ、そうだな。たまにはこういうのも悪くない。……これからだって、たまに出かけるくらいなら……。」
「………そう……。」
「……………。」
あれから随分と時間が経ってしまった。時刻は午後4時を回っていて、これから段々と空に夕焼けの色が差し始める頃合だ。デートが終わるには少し早いかも知れないが……切りが良いとも言えるタイミングだった。特に今日は、余り遅くなりすぎないとルーンに言って出てきているのだ。
「ミシュ、そろそろ……。」
「司羽、今日はまだ終わってないわ。」
「そりゃあ、まあそうだが……でもどうするんだ、夕飯は今お稲荷さんを食べたばっかりだろ? じゃあ、どっかで大道芸でも見て……。」
「……嫌よ、そんな時間の使い方。今日は大事な日だもの、時間を潰すような事はしたくないの。」
「……そうか。」
ミシュナの表情が、見えない。意図的に隠しているのか、それとも偶然か。ミシュナは司羽の腕を抱きしめながらも、何処か明後日の方向を向いていた。
「司羽。」
「ん?」
「司羽に、来て欲しい場所があるの。」
「えっと……構わないけど、行きたい場所じゃなくてか?」
「ええ、そうよ。来て欲しい場所。」
それはとてもハッキリとした口調だった。司羽の言葉遊びの様な問いにも、迷うことなくミシュナは答える。
そして、少しの間の後に、ミシュナは司羽に向き直った。
「私の家に、来て欲しいの。」
真っ直ぐに司羽の瞳を見つめた、その時のミシュナの表情を、司羽は一生忘れることはないだろう。
そこに居た彼女の表情は
今までに見たどの表情よりも
ただ、美しかったから