第98話:どうかこの想いが響きますように(一)
「本当に凄い人ね。なんだか酔いそうだわ。」
「そうだな。ミシュ、もっと強くくっ付け。俺を盾にして良いから。」
「ええ、ありがとう。司羽が守ってくれるの……凄く安心するわ。」
「……なんだかそう言われると凄く恥ずかしくなってくるんだけど……おっと。」
「いいじゃない事実なんだから。頼りにしてるわ、司羽……ふふっ♪」
星読み祭四日目、その熱気は想像以上の物だった。準備期間中でも随分と人で溢れていたものだが、その2倍か3倍か、それ以上であろう人でごった返している。それだけでも大変だと言うのに、出店や大道芸、色々な展示物が列を成して並び、殆んど身動きが取れない程の大混雑ぶりだ。
これだけ盛大な祭りというものは司羽も初めての経験で、ついつい色々な物に目がいってしまう……と、言う事はなかった。何故なら、それ以上に別のものに気を取られてしまっていたからである。
「……な、なあ、くっつくのは良いんだけど、ちょっと強く抱きつき過ぎじゃないか?」
「ふふふっ、そうかしら? でも、私に他の人が触れるより良いでしょ? 今日はずっと独占させてあげるわよ。」
「……お前……完全にこの混雑が分かっててその格好で来たな?」
人混み溢れる混雑の中で、司羽は腕に絡みつく様にして抱きしめて来るミシュナの体の感触や体温を、かなり直接的に感じていた。
今日のミシュナの格好は涼しげな薄い水色のワンピースドレスだ。そこにピンク色の花をあしらった髪飾りを付けただけのシンプルな服装だが、見る人は恐らく良い所のお嬢様だと勘違いしている事だろう。それくらいに今日のミシュナに似合っていた。……だが司羽が頭を抱えているのはその部分ではない、問題はその布地である。
「格好? どういう意味かしら?」
「なんか、やたらと生地が薄くないか? その……さっきから凄く……。」
「……くすっ、でも司羽だって嬉しいでしょ? それに私、これくらいじゃないとちゃんと当てられないもの。ごめんなさいね、胸が小さくて。」
「い、いや、俺は別に大きさは……って、そうじゃない!! 当てられないってやっぱ確信犯じゃねえか!!」
「そう、大きさはこれでもドキドキしてくれるのね。じゃあ、やっぱり正解だったわ……えいえいっ♪」
もう隠す気もないらしく、ミシュナはぐいぐいと司羽の腕に自分の胸を押し当てた。薄い布地の向こう側で、柔らかい感触が司羽の腕を包み込んで離さない。確かに大きいとは言えないサイズだったが、それでもミシュナの柔らかさがかなり強烈に感じられる一撃だ。女の子らしいミシュナの華奢な腕が、司羽の事を追い詰めるべく何度も何度もギュッとしがみついて離さない。
「ぐっ……そろそろ涼しくなるっていうのに、この為にこんな薄着で来たのか……。」
「あら、司羽だって半袖じゃない。これだけの人混みですもの、季節は関係ないわ。……そんな事より、感想を聞きたいわね。今日は出掛けてからずっと、待ってるんだけど?」
「そ、それは……。」
感想と言われて一瞬思考停止する。柔らかくて気持ちいいですと答えそうになったが、それを言ったら色々と終わりな気がする。あまりにも正直過ぎる。暫く考えて、一つの紳士的な答えにたどり着いた。
「……に、似合ってるよ。凄く可愛い。まあ、ミシュは何着ても似合うけどさ。」
「……ふふふっ、ありがと。司羽ってこういう可愛い格好の方が、露出してる服よりも好きよね? ちゃんと分かってるんだから。」
「そ、そうか……。」
「ええ、妙な間があったけど、最初に何を言おうとしたかもちゃんと分かってるわよ? 私を守ってくれる分、沢山堪能してくれて良いんだからね……? ちょっとくらい変な風に動かしても許してあげるわ。」
「……いやあ、何の事だか良くわからないなあ。あ、そうだミシュ。人混み凄いしちょっと空とか跳ぶか? 魔法みたいには行かないけど似た様な事なら気術でも……。」
「誤魔化さなくても良いのに。それと空は駄目よ。星読み祭の間、空の上は警備員と救急隊員専用だから緊急の場合を除いて使っちゃ駄目。ほら、警備員以外は誰も飛んでないでしょ?」
「……ああ、そう言えばそうだな。なんか授業でもそんな説明を受けたような受けてないような。」
ミシュナが指を指した空の方へ視線を向けると、確かに警備員が数人飛び回っているだけで他の飛行者はいない。安定した飛行技術自体がそれなりに難しいとは聞いたが、いつもは一般人もそれなりに居ると言うのに、今日に限ってはガランとしたものだ。『本来』の司羽の生活であれば当たり前なそんな空に、なんだか不思議な感じがしてしまう。
「……俺がこっちに来て、そろそろ一年になるのか。」
「……ええ、そうね。でもどうしたの? もしかして、恋しくなった?」
「いや……どうなんだろうな。普通なら恋しくなるものなんだろうけど、俺は別にそんな風に思ったことはないんだ。ただ、何となく空を見てたら……俺の普通は変わったんだろうかって、そんな事を思ったんだ。人の居ない空って、こんなに広かったんだな。」
「普通が変わった、か。確かに環境は変わったんでしょうけど……司羽はどうなの?」
「俺か……そうだな……。」
自分が変わったかどうか。そんなミシュナの問いに、司羽は少し考え込んだ。環境は確かに変わった、人の飛ぶ空、魔法により発達する方向性を違えた世界。それでなくても此処には多くの新しい価値観がある。ミシュナ達の言う多夫多妻や、戦争を戦わずに行う政治なんてものは分かりやすいが、そんな大きなものでなくても日常生活の中でさえ戸惑うことは多くあったのだ。
だが、自分はどうだ? 何か此処に来て何か変わったのか?
「ルーンやミシュ、ユーリアとトワ。そこにムーシェやミリク先生達を加えてもいい。……俺は、こんな風に誰かと親しくした事が殆んどなかった。リア達だってそうだ。助けたつもりはないし、あくまで首を突っ込んだだけだが、ここまで深く他人の事情に入り込む事は初めてだ。俺自身、今までと違う事をやっている自覚はあるよ。……でも、変わったかと言われると分からないな、今までとは違い過ぎる……何もかも。」
「……そう。」
自分から聞いたにも関わらず、そんな司羽の曖昧な回答にミシュナはその一言を返しただけだった。気になって司羽がミシュナの方を見ると、ミシュナと目が合う。優しげで、でも何処か切なそうな潤んだ瞳に、視線が外せなくなってしまう。
「な……なんだ?」
「いいえ、でも、ただ一つだけ確かな事があるわ。」
「確かな事? なんだそれ。」
「簡単よ、こういう事。」
ミシュナはそう言うと、司羽の腕に絡めていた自分の両手を解いた。そしてもう一度、今度はもっと司羽に近付いて抱きついた。司羽の腕の内側に、ちょっと体当たり気味で抱きついたミシュナの体を、司羽は支えるようにミシュナの腰に手を回した。先程よりも更に密着した事で、感触だけでなく花の香りの様なミシュナの香りがふわりと強くなった。
「……ふふっ、やっぱりこっちの方がいいわ。今までルーンがしてるの見てて羨ましかったの。司羽の事、もっと近くで感じられるし。」
「え、えっと……流石に人混みでこれは恥ずかしいんだが……って言うか、確かな事ってなんだよ。」
「あら、分からない? 少なくとも一年前なら、こんな風に私の事を受け止めて、女の子の腰に手を回すような事は出来なかったでしょ? ちゃんと私のこと、気遣ってくれてるじゃない。」
「……それはつまり、何が言いたいんだ。」
「簡単なことよ、女の子に慣れたでしょ?」
そんなからかう様な事を言ったミシュナの表情は、決して冗談を言っている表情ではなかった。憧憬と、嬉しさと、恥じらいがごちゃ混ぜになった、本気の目だと司羽は感じた。
「こうして密着してもちゃんとエスコートしてくれる。私を気遣って歩いてくれる。格好良いわ、凄く……私が女の子で良かった。」
「……大袈裟だな。確かに前に比べれば慣れたのかも知れないけど……こうするのは、ミシュだからだ。ミシュだけだなんて言えないけど、誰にだってする訳じゃない。抱き留めるだけならまだしも……な。」
「ええ、だから凄く嬉しいのよ……。私、諦めないで良かった……。」
『うん、凄く嬉しい……。私、生きてて良かった……。』
「…………。」
何故か、その時にデジャヴを感じた。初めて見るミシュナの表情。溢れ出した感情が抑えきれないと言うように、瞳に涙を溜めて笑うその笑顔を、何処かで見たことがある様な気がした。何処か、遠い遠い記憶の果てで。
「……そのくらいで泣くな。こんな事で良かったら……たまには、してやれるかも知れない。」
「うん。けど、大丈夫。私は同情が欲しいんじゃないもの。」
「そ、そうか……。」
つい口に出たそんな最低な言葉を、ミシュナは余裕で蹴り飛ばす。だが即答したミシュナの言葉以上に、司羽は自分の発言に驚いていた。
「……これは、帰ったら反省だな。」
「ふふっ、そういう所も好きよ。でも司羽って意外に涙に弱いのね? 変な女の泣き落しに引っかかったら駄目よ? 私とルーンだけにしてね?」
「………これは、まいったな。」
涙に弱い男認定も嬉しくないが、何よりミシュナとルーンに泣き落しされたら本当に逆らえそうに無い分、かなり危険な弱点を晒してしまった気がする。
「ふふっ、大丈夫。私達、切り札はそう簡単に切らないわ。」
「いや、それ俺にとっては全然大丈夫じゃないんだけど……。」
「あっ、司羽。あっちでマジックショーやってるって書いてあるわ。ほらほら、行くわよ!! 折角の星読祭なんだからたっぷり楽しまないと!!」
「……無視か。って言うか大奇術って、種も仕掛けもない大魔術でしたってオチじゃないだろうな……?」
「………大気術だったりしないかしら……。」
「ダジャレかよ。いや……それはそれで興味あるけどさ。」
「じゃあ、行きましょ♪」
なんだかとても大事な話が流されてしまったような気がするものの、ミシュナの表情には既に涙はなかった。悲しみから来るものではないと分かっていても、ミシュナの涙を見ると落ち着かない気分になるのでホッとする。
マジックショーの会場まではまた人混みを通らねばならないが、ミシュナに窮屈な思いをさせる訳にはいかないと引き寄せたミシュナの躰が、抵抗なく司羽の行動を受け入れた事に、なんだかすっかりミシュナの思惑にハマり切っている気がして、きっとこれからもミシュナには敵わないんだろうな、と司羽は一人内心で自分の弱さを自覚していた。
「……女に慣れても、結局は同じか。」
「ふふっ、魔術でも気術でも、大って付くくらいだもの。楽しみね、司羽?」
しかしそんな司羽の悩みも、結局はミシュナの楽しそうな笑顔一つに吹き飛ばされてしまうのだから、男も案外簡単で良いのかも知れない。