第96話:約束の日は、いつも通りに晴れ渡り
【星読み祭4日目 朝】
「おかえりなさい、司羽。……ちゅっ。」
「おかえりなさい、なのじゃ!! ちゃんと留守は守ったぞ。」
「ただいま、ルーン、トワ。朝になっちまったが……どうやら変わったことはなさそうだな。トワもお疲れ様。」
「ただいま戻りました。申し訳御座いません、少々手続きに時間がかかりまして。」
「ううん。大丈夫だよ、司羽も約束をちゃんと守ってくれたし。……でも寂しかったから、沢山ギュってして?」
「はいはい、お安い御用だ。俺も寂しかったしな。」
司羽とユーリアが屋敷に戻ったのは星読み祭4日目の早朝の事だった。屋敷に入ろうと玄関を潜ると丁度良くルーンとトワが出迎えてくれた。どうやらトワの感知能力で司羽の帰宅に直ぐに気付いたようだ。
帰ってくるなり直ぐに司羽に抱きつき、お迎えのキスをするルーンに司羽は直様応えて見せる。ユーリアとトワの視線もあるが、司羽は正直もう慣れてしまっている。それよりも、ルーンと二日も全く触れ合わないなどと言う事が最近なかっただけに司羽の方もなんだか違和感があったのだ。これはもう、完全にルーンの性格に染まってしまっているようにも思える。
「うぅん……司羽の匂い……もっと強くしてぇ……? ちゅー欲しい……んっ。」
「……ほんっと、ラブラブですねえ……慣れてもやっぱり目に毒ですよこれ。」
「うむ。ルーンも見た感じはいつも通りじゃったが、やはり寂しかったのじゃろう。いつもがいつも、じゃからな。」
「寂しい想いをさせたな。じゃあ今日はずっと一緒に……と言いたい所なんだが……。」
「ふわあぁっ……あふっ……あら帰ったのね、お帰りなさい。」
「お、おう……ただいま、ミシュ。」
甘えてくるルーンと抱き合いながらも司羽が近付いてくる小さい足音の方に視線を向けると、目下司羽の最大の悩みでもある少女が顔を覗かせた。眠そうに欠伸なんかをしているが、特にそれ以外にいつもと変わった様子もない。三日前にはかなり憔悴しきった表情をしていたはずなのだが……どうやらトワの話は本当のようだ。
「本当に四日目までに帰ってくるなんて、律儀ね。」
「ん……まあな。」
「…………。」
「…………。」
「……何よ、私の顔に何かついてる?」
「い、いや、そういう訳じゃないんだけど……普通だな、と思って。」
「何よそれ、私もルーンみたいに抱きついてキスのおねだりして欲しいって事? ……まあ、どうしてもって言うなら、してあげない事もないわよ?」
「なんでそうなるんだよ……俺はどんな変態野郎だと思われてるんだ。」
ぎこちない会話になってしまったが、ミシュナは司羽が不思議に思う程にいつも通りのミシュナだった。あの星読み祭初日の夜、あの場で泣き崩れた少女と、泣かせた男の再会にしてはあまりにも不自然で、軽口を飛ばしながらも司羽は内心ドキドキしていた。一体、この数日で何があったのだろうか。
「……その、ミシュ。単刀直入に聞くが……どうしたんだ? 何かあったのか?」
「何かって?」
「いや、分かるだろ? トワからはお前があれから塞ぎ込んでるって聞いててだな……。」
「あら、トワ。貴女そんな事を報告してたの?」
「う、うむ。主も気にしていたので……その……。」
「良いのよ、私の事を心配してくれたのよね。」
ミシュナに無断で報告していたからか、少しバツが悪そうな顔をしたトワの頭をミシュナは優しく撫で、怒っていないと暗に告げた。実際ミシュナはその報告について特に気にした様子もなく、逆に先ほどよりも少し上機嫌になって司羽にイタズラっぽく笑った。
「……でも、気にしてたのね? 私の事をあんなにバッサリ捨て置いて行っちゃったのに。」
「あ、いや……それはその……俺にも都合って物があってだな……。」
「ふーん。じゃあ、私の『都合』も少しは考慮してくれるのよね?」
「ど、どういう事だ?」
「あら、トワから聞いてるんじゃないの? 今日は私に付き合ってもらうって話よ。トワ、ちゃんと言ったのよね?」
「う、うむ。ちゃんと報告したのじゃ……報告したのじゃが……。」
トワは報告した、と言いつつも歯切れが悪い。その揺れ動く視線の先には司羽と、司羽に抱かれて瞳を閉じているルーンが居た。それだけでトワの心情がなんとなく察っせると言うものだ。
「なあルーン、今日はお前と約束があった筈じゃ……。」
「うん。でもミシュナがどうしてもって言うから今日だけ、夜までの間ならいいよって言ったの。司羽はどう? 司羽もミシュナと2日目か3日目に回る予定だったんでしょ? 穴埋めしてあげないの?」
「うっ……確かにその約束は破っちまったし、ミシュナが望むならどっかでとは思ってたけどさ。」
「私は良いよ。その代わり、明日は私。それと今夜も、ちゃんと帰ってきて一緒に星読みするんだからね?」
「……どうやら、本当にルーン様の御許可が下りていた様ですね。」
「当たり前でしょ? 彼女の許可も取らずにそんな事したら完全にただの浮気じゃない。私には略奪趣味はないわよ。」
ルーンの態度は司羽から見ても何か無理している様には見えなかった。……どうやら、本当にミシュナに今日を譲っていたらしい。勿論、司羽もミシュナとの約束の埋め合わせは……あの出来事の後でも、ミシュナが望むならばと考えていた。だからルーンがそれを考慮して我慢しているのではないかと、司羽は思って居たのだが……どうやらその予想も見事に外れていたらしい。
「……ルーンが俺とのデートを先送りにする……だと……?」
「司羽様、なんかその台詞凄くナルシストっぽいですよ。言いたい事は分かりますけど。」
「私だって苦渋の決断なんだよ? 本当なら沢山イチャイチャして、沢山ちゅっちゅしたかったし、一日中司羽に触れていたかったもん。でもミシュナには沢山借りがあるからね。これで貸し借りなしって事で、女の密約が交わされたんだよ。」
「そういう事。……それに司羽、その態度はちょっと女として傷つくんですけど? 私これでも結構お誘いは受けるのよ? でも他の誰とも行こうなんて思わないし、司羽だから一緒に行こうって言ってるの。こんな美少女の初デートの相手に彼女公認で選ばれたんだから、もうちょっと光栄に思うとか、喜ぶべきだと思わない?」
「いやまあ、確かにそう思ってくれてるなら嬉しいけど……それ自分で言うか?」
「う、うるさいわねっ!! 放っておきなさいっ!!」
「ふむ、ミシュナの顔が赤いのじゃ。」
「……トーワー? ちょっと黙ってましょうねー?」
「ひっ……。」
ミシュナも自分で恥ずかしい事を言ってしまったと自覚していたのか、司羽のツッコミで顔を赤くして視線を逸らした。そしてそれをトワに指摘された事で顔色が更に真っ赤に変色して……そのままトワに振り向いた際に、トワが思わず悲鳴を上げた。
……司羽達からは見えなかったが、あまりイタズラにからかうのは止めた方が良さそうだ。ミシュナの表情を唯一見ているトワの体の震えがそれを証明している。
「……おほん、ともかく、今日の司羽の時間は私が貰うから、いいわね?」
「あ、ああ……分かった。」
「出発は、そうね……朝食を食べてからゆっくり行きましょう。ルーンも暫く会えなくて寂しがってたし、私もそれくらいは待つわ。ほらトワ、震えてないで手伝って。ユーリアさんも長旅で疲れてるでしょうし。私達でやるわよ。」
「ふふっ、ミシュナやさしー。じゃあ司羽、御飯出来るまでベッドいこ? べっと、べっと!!」
「ルーン……仮にも私これから司羽とデートに行くんだけど……。」
「それはそれ、これはこれ。それまでは私が司羽とイチャイチャするんだもんっ!! ほら司羽、はーやーくー!!」
「分かってるって、引っ張らないでもちゃんと行くよ。」
どうやらルーンが数日間司羽と触れ合えなかった事の反動は、司羽達が考えるよりも大きかったらしい。ミシュナが呆れた表情をしていてもルーンはまったく気にした様子もなく、グイグイと司羽の腕を引いて二人の部屋へと司羽を連れて行ってしまった。
二人が居なくなった玄関先で、ミシュナは小さく苦笑を漏らす。
「もうルーンったら、情緒も何もないじゃない……ルーンらしいけど。」
「……あ、あのミシュナさん?」
「なあに? ユーリアさんも休んでていいわよ。」
「はい、ありがとうございます。ですがその……本当に、大丈夫なのですか?」
「…………そうね。」
何が……とミシュナは問い返す事はしなかった。ユーリアの言いたい事はミシュナにもちゃんと理解出来ている。なんせ数日前にあんな姿を晒して、トワからもその後の様子を伝え聞いているのだから当然だ。ミシュナがユーリアの立場だったらやはり、不審に思う筈。
「大丈夫じゃないかも知れないわ。昨日だって、正直あまり眠れていないの。」
「むう、やはり何か無理をしているのか。ミシュナ、何か童に出来る事があれば……。」
「……ふふっ、ありがとうトワ。でも私も気術士だから寝不足程度で体調を崩したりなんかしないし、心配は要らないわ。ただ、体と違って心の方はまだまだ上手くコントロール出来ないの。でもそれはずっと、向かい合うことを怖がって来た私のせい。確かにちょっと緊張してるし、まだ怖くもあるけど……なんだか私、今それが嬉しいのよ。色んな人に心配かけて、何度も挫けちゃったけど、きっと全部今日の為だったのね。」
「では、今日司羽様とお出掛けになられると言うのは……まさか。」
「ああ、やっぱりバレてたのね。そんな気はしてたけど……。そうよ、だからルーンにお願いしたの。これで全部『貸し借り』はなし、これからは平等でいようって。」
「平等……それは、その……どういう意味じゃ?」
ミシュナのその言葉に、トワとユーリアは目を丸くして驚いた。二人共ミシュナが自分からこんな事を話してくれるとは思っていなかった。ミシュナはずっと……今のままで良いと一歩引いて居た筈だったから。ルーンと司羽を取り合うような性格ではないし、最近は特にルーンと仲が良くなっていて……。
「安心して、二人が心配するような状況にはならないわよ。私もルーンも同じなんだもの。同じ人を好きになって、こうして一緒に暮らして、きっとこれからもずっと変わらないわ。私もルーンも、同じ未来を見ているんだもの。」
「……そうですか。それを聞いて安心しました。」
「うむ、童も、いつかこうなるとは思っておった。それが、皆が幸せになれる事ならそれが一番嬉しいのじゃ。」
「……どうやら、本当に心配かけちゃってたみたいね。」
トワとユーリアは、ミシュナに取っても司羽に取っても共に凄く近くにいる存在だ。自分の想いが気付かれていても不思議じゃないとは思っていたが、ミシュナの予想よりもずっと、三人の関係に対して深く考えて居てくれたと分かった。それでも、何も口を挟むことなく、ずっと見守って来てくれたのだ。
「それではこれからは『ミシュナさん』ではなく、『ミシュナ様』ですね?」
「えっ!? い、いやそんなの気にしないで良いわよ。と言うよりもちょっと気が早すぎると言うか……。」
「ふむ……そろそろ童も『気の利く妹』と言う者にならねばならぬようじゃな。ユーリア、たまには今夜くらい二人で飲むのじゃ。ミシュナは気術士なのに酒に弱いからの。」
「あ、良いですねそれ。お二人がデートから帰られたら行きましょうか。ルーン様とミシュナ様と司羽様、三人になりたい時もあるでしょうし……ね?」
「だ、だーかーら!! 気が早すぎるって言ってるでしょう!?」
「む、ミシュナ顔が赤いのじゃ。今日は暑いからのお、主にくっついても良いようにもっと薄着の方が良いと思うのじゃが……。」
「……ト、ワ? 貴女いつからそんな風に私をからかう悪い子になっちゃったのかしらぁ……?」
「ひぅっ……!?」
小さく漏れるトワの悲鳴を最後に、ミシュナはまた小さく溜息をついた。皆変わっていくのだ。あの純真だったトワでさえ、小さなイタズラをする様になる。今の自分も昔の自分とはもう違う。
「ほらほら、朝御飯の準備するわよ。」
「う、うむ、ミシュナの言う通りにするのじゃ……良い子にするのじゃ……。」
「偉いわねえ、トワは。」
「あ、私は一旦部屋に戻りますね。それでは、失礼致します。」
「ええ、準備が出来たら呼びに行くわ。さ、行きましょうトワ。」
ガクガクと震えるトワの頭を優しく撫でながら、ミシュナは笑う。
窓から差し込む光、ああ、今日は晴れてよかったな、と。