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上手に踊りきってみせて

 窓の向こうを眺めながら、何処かを歩いているだろう、たった一人を探している。

 住み慣れた場所とはいえ、此処はこの国の中でも一際高い場所であるから、人を探すには向いてはいない。

 それでも、いつも側を離れないアキレアが外に出てしまうと、ストレリチアは送り出したのは自分だと自覚していながら、居ても立ってもいられず、思わずこうして窓に張り付いてしまうのだ。


「心配なのはわかるけれど、彼はきちんと帰る場所を理解しているよ、ストレリチア」


 安心させるようにそう言う兄の声に、首元のチョーカーにつけられた赤い宝石を握り締めながら、ストレリチアは困ったように眉を寄せて振り向いた。

 中央に置かれた椅子に腰掛けた彼は、穏やかな笑みを浮かべていて、軽く首を傾けている。

 まるで子供を嗜めているような仕草に、ストレリチアがはくはくと唇を動かすと、彼の眼はゆっくりと細められる。


「それは悪かった。お前達が互いを信頼しているのは、私もわかっているから」


 声を聞いてくれるアキレアは今はいないけれど、唇の動きだけで、兄はストレリチアの言葉を理解してくれるのだ。

 父や母、家臣、侍女達も、そうしてストレリチアの言葉を本当に理解しようとしてくれる者はいない。

 声にならない声を聞き取れる、アキレア以外には。

 サンカルーナが困ったように笑うので、ストレリチアは小さく息を吐き出すと、窓から離れて彼の隣に腰掛けた。

 以前好きだと言っていた作者の詩集、綺麗に並べられた刺繍糸、色鮮やかだけれど身体を締め付けず動きやすいドレス……、兄が用意してくれたものが、部屋にはたくさん置かれている。

 どれも自分の好みのものばかりで、それが何だか、とても嬉しいのに、同時に淋しいような不思議な気持ちになって、ストレリチアは緩く頭を振った。

 ないものねだりほど、浅ましい事はないのだ、と。


『マイラステラは、息災ですか』


 音のない問いかけに、唇の動きを見ていたサンカルーナは眼を細めて視線を俯かせると、ゆっくりと頷いた。

 サンカルーナの愛娘であり、次代の歌姫になろうとしている姪——マイラステラを、ストレリチアは酷く心配していた。

 生まれたばかりの頃に空中庭園で顔を見せて貰った時以来会っていないけれど、外で駆け回るのが好きな、随分とお転婆な子だと聞いている。


「元気で困るくらいだよ。可愛い盛りだ」


 姪であるマイラステラは身体を動かす事が好きなようで、ストレリチアのように読書や刺繍などをして過ごすより、庭園を駆け回ったりダンスを覚えるのに夢中なのだそうだ。

 以前此処で顔を合わせた時には、腕の中に抱えられる程に小さな子であったのに、今はもう、立って歩き、踊る事さえ出来てしまう、その成長の速さと伸びやかな精神に、ストレリチアは思わず微笑んだ。

 歌姫となった者は、この空中庭園から出る事は叶わない。

 活発なマイラステラにとって、それはとてつもない苦痛となるだろう。

 ストレリチアは視線を俯かせ、祈るように両手を重ねて握り締める。


『お兄様、わたしはもう、こんな事は二度とあってはいけない、と思います』


 ストレリチアの言葉に、サンカルーナは静かに頷いて、そうだね、と呟いた。

 国王である父に、彼は再三、歌姫の制度を改めるよう進言していた。

 誰かの犠牲の上に成り立つような平和やその象徴など、あってはならないのだ、と。

 けれど、その言葉が届いた事はない。

 この国に生まれて、生き方を選べないのは父とて同じ事だから、なのだろう。

 それでも、囚人のようにこの空中庭園へ閉じ込められ、歌姫の役目を負わされる妹の姿を見ているのは心が痛む、と、サンカルーナは悲痛そうに顔を歪めて、ストレリチアの首元、そのチョーカーにつけられた赤い宝石にそっと触れた。


「すまないね、お前にばかりこんな辛い思いをさせてしまって」

『いいえ、お兄様』


 言いながら、ストレリチアは窓の向こうへ眼を向けた。

 陽光が眼を灼くように眩しくて、それでも、視線を逸らす事が、出来ない。


『わたし、今が一番幸せなのですよ』


 そう、今が一番、かけがえのない幸せを感じて、いる。

 言い聞かせるような言葉は、声にも、唇を動かす事にもならずに、ストレリチアの胸底へと沈んでいく。


『だから、大丈夫。きっと最後まで、騙してみせます』


 引き攣るような表情を、どうにか笑顔の形にして兄へと向けると、彼は決意の眼差しで、確かめるように頷いた。


(そうして上手に踊りきれたら、誰かが拍手でもしてくれるのかしら……)


 チョーカーにつけた真っ赤な宝石を強く握り締めながら、ストレリチアは胸中で呟いていた。


 *


「姫様、戻りました!」


 出て行く時はあれ程不機嫌だったと言うのに、部屋に戻ってくるなり、アキレアはいつものように晴れやかな顔をしている。

 手には大きな紙袋を抱えていて、褒めてくれと言わんばかりの笑顔を向けているので、ストレリチアは刺繍をしていた手を止め、思わず口元を綻ばせてしまう。


『お帰りなさい、アキレア』


 はい、と返事をして中央に置かれたテーブルの上にどさりと紙袋を乗せた彼は、大きく息を吐き出すと、早速その中から色々なものを取り出して、一つ一つ説明をしていて。


「これが最近城下街で流行っているお菓子で、こっちは姫様が好きそうな絵が入ってる本で、それから……」


 そう言って紙袋の中を漁っていたアキレアは、ふと顔を上げてストレリチアに視線を向けると、にこりと笑みを浮かべた。

 不思議に思ったストレリチアがその中を覗き込もうとすると、彼は何かを勢いよく取り出して、ストレリチアの鼻先へと押し付けてくる。

 あまりに突然の事に驚いて、きゃあ、と小さく声を上げてしまうけれど、肌に当たるふわふわとした感触に、ストレリチアはぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 そっと手にしたそれは、鳥を模した人形のようで、じとりとした妙な目つきをしている。


「中にまじないがかかった小さな石が入ってるらしいですよ」


 そう言ってアキレアは人形を手にすると、空に放り投げた。

 ストレリチアはどきりとして思わず首元の宝石を握り締めるけれど、人形は小さな羽をぱたぱたと二、三度羽ばたかせただけで、そのまま彼の手のひらの上へと落ちてきた。

 城の中に持ち込まれるものに対しては、しっかりとした検査が行われていると聞いているので、これもきっと子供騙しの一時的なまじないであり、危険なものではないのだろう。

 ふう、と安堵の息を吐き出したストレリチアに、アキレアはにこりと笑ってその人形を差し出していた。


「姫様に似てたのでつい買ってきちゃいました」


 妙に鋭い目つきの人形と向き合って、一体何処に自分らしさがあるのかを探してみるものの、ストレリチアには一向に分かりはしない。


『わたし、こんなに酷い顔をしている?』

「かわいいじゃないですか」


 かわいい、と言われて悪い気はしないのだけれど、何だか納得がいかない、とストレリチアはむうとむくれた顔を隠せずにいてしまう。


『あなたの趣味が酷い、という事にしておくわ』


 不満を言いながらも、彼が持ってきてくれたものだと思うと愛着が湧いてきてしまい、ストレリチアは暫し考え込むと、枕元にそれを置いた。

 彼はストレリチアに似ていると言っていたけれど、赤い色をしているせいか、彼の方に似ている気がして、ふふ、と思わず吐息混じりに笑みが零れてしまう。

 そんな事を気付かれないように咳払いをして顔を引き締めて振り向くと、アキレアはけれど少しも気にしていないようで、柔らかく眼を細めて小さく歌を口ずさんでいる。


「嘘ですよ。本当は、こっち」


 そう言って彼が差し出したのは、真っ赤なダリアだ。

 それをそっとストレリチアの髪に挿したなら、アキレアははにかみながら笑っている。


「姫様は、赤が似合うから」


 彼のその言葉に、ストレリチアは一瞬視界が水分でぼやけてしまうような気がして、顔を俯かせ、はくはくと唇を動かしてから、しっかりと確かめるように頷いた。

 ちりちりと、胸底が痛み軋む。

 じくじくと、目蓋の奥がひりついている。

 いつかこの終わりが来る時には、きっと、あなたさえ失ってしまうのでしょうから。

 だから、最後のその時まで、騙してみせなければ。

 握り締めた首元の赤い宝石は、手のひらから伝わる熱で、生温かく。

 声にならない声が、こもっているかのようだった。

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