side:M ④
ずっと心の中にあるこの気持ちは――
彼女が隣国に嫁いでから一年が過ぎた。彼女の結婚式に私は招待されなかった。友人は申し訳なさそうにしていたが、親戚でもなく花嫁の兄の友人でしかないのだから当然だろう。それに、デビュタントの時よりも美しく着飾った彼女が他の男と愛を誓うところなんて見たくはなかったし、良かったと思っている。
結局この気持ちは、妹のような存在が取られるのが悔しかっただけなのだろう。私はそう結論づけていた。
彼女が嫁いでいったところで私の生活にはなんら影響は出ない。時折友人に彼女の様子を尋ねようかと思った事もあるが、聞いたところでどうなる訳でもなく、寧ろ訝しまれるだけだろうと、結局何も聞けずにいた。
あとはいつも通り仕事をし、招待された夜会へ赴いたり、たまに知人と会って飲んだりとそんなものだ。
ただ最近になって両親からはいい歳なのだからと言われ、縁談を迫られるようになった。正直億劫ではあるが、これも貴族の義務であると割り切り、条件の良さそうなご令嬢を数人選んで会ってみたりもした。
ご令嬢たちはどの方もきちんと躾られており話してみれば教養が高いのだろうということも感じ取れる。貴族の妻に迎えるなら理想的な女性ばかりだった。あとは互いの相性を考えて一歩踏み出してしまえば縁談は一気に進むだろう。
だが、私はその一歩が踏み出せずにいた。
彼女たちには何も問題は無い。けれど、どれだけ素晴らしい女性だとしても人としての"好印象"は抱いてもそれが女性への"好意"にならないのだ。
貴族の結婚にそんなものは関係ないかもしれないが、折角夫婦となるのならいい関係を築きたい。このままでもお互い表面上はいい関係を保てるだろうが、一緒にいる時間が長くなれば夫が自分に興味が無いことに気付くだろう。彼女たちはそんな扱いを受けていい女性ではない。
何かしら理由をつけて先延ばしにしていたが、これ以上は我が家の評判だけでなくご令嬢たちにも迷惑がかかるためそろそろ決めなくてはならなくなった頃、彼女の夫が亡くなったと風の便りに聞いた。
噂の真偽は、友人の様子がおかしくなったことと、突然長い休暇を取ったことからも明らかだった。
(まだ結婚したばかりだと言うのに。子供もいないようだし彼女はこちらに戻されるのだろうな⋯⋯)
そうなったら彼女はきっと、そう間を置かずにどこかの後妻に入れられるだろう。いくら可愛い娘だとしても、彼女の両親は貴族の義務を重んじる人達だ。権利だけを享受することを許さないに違いない。
だが、彼女はそれで幸せになれるのだろうか。無いとは言わないが、後妻の扱いが良い家はあまり聞かない。もし夫を喪ったばかりの彼女がこれ以上傷付くようならばいっそのこと――
「いや、何を考えているんだ。私が彼女を娶るなど⋯⋯」
初婚の自分と再婚となる彼女では許されるはずも無い。ましてや、妹同然の存在と閨を共にするなど出来るはずがない。
そう自分に言い聞かせても、頭の中ではデビュタントで一際輝いていた彼女の姿や最後に会った日の大人びた彼女が思い出され、身体に熱が籠る。これではまるで、自分が彼女を"女"として見ているようではないか。
「そんなはずはない。彼女は私にとって妹のような存在なんだぞ⋯⋯」
悶々とした気持ちが晴れぬまま幾許の時が過ぎ、彼女が帰って来るという噂を耳にした。
やはり、嫁ぎ先から帰されたのだろうか。どうにも気になってしまい、友人にそれとなく訊ねてみる。
「やあ、お疲れ様」
「ああ君か、お疲れ様。どうかしたのかい?」
「いや、その、君の妹が帰ってくるという噂を聞いてね」
「ああ、君も知っていたのか。実はね、もう帰って来ているんだ。本当は葬儀の際に連れ帰りたかったが、本人が断固として頷かなくてね。あちらの侯爵夫妻にも随分可愛がられているらしく、本人が望んでいないからと了承を得られなかったんだ」
「⋯⋯驚いたな。ああいや、侮辱などと受け取らないで欲しいんだが、嫁ぎ先とそんなに良好な関係を築けているとは思わなかった」
「僕もだよ。歓迎してくれていたことは知っていたが、ここまでとはね。ようやっとあちらの協力もあって、一時的に帰って来てるんだ。無論、このまま留まるように言い聞かせてはいるが⋯⋯生憎、難航しているよ」
そういって苦笑する彼は、それでも可愛い妹が近くにいることが嬉しいのだろう。以前の訃報から心配で窶れていたのが幾分マシになったように見える。
「そうか。君も元気になったようで良かったよ。あー、その、今度、屋敷に伺ってもいいだろうか。いやなに、私も彼女の事が心配だったんだ。それに、挨拶もしておきたいし」
聞かれてもいないのにべらべらと口が回る。何故か胸が早鐘を打っている。まくし立てる私に、友人は一寸思案した後に了承した。
「ああ、いいとも。是非会って挨拶してやってくれ。あの子も知人と会えれば喜ぶだろう」
彼の言葉に何やら含みを感じた気がする。いや、そんなことはないだろう。彼はいつものように人好きのする笑顔を浮かべているのだから。そんなことよりも、私は彼女に会った時に何と声を掛けるべきか、何を話そうかということばかりに思考が持っていかれた。