文月限定 ハバネロ事件
二回生の夏、前期末考査の二週間前だった。私は、「上代文学研究C」の最終課題を提出しに、まゆみ先生の研究室を訪ねた。
「失礼します」
「あらー、大和さんじゃないの」
太陽のような笑顔で、まゆみ先生は迎えてくださった。白いスーツと、逆さにした金魚鉢みたいなスカート (夏によくはいていらっしゃる物だ) が、涼しげだった。
「すみません、遅くなったんですけど、課題です」
「全然遅くないわよー。締め切りぴったりじゃないの」
「他の人は、初期に出しているみたいじゃありませんか。いつも私が最後な気がする」
「大和さんは、とことん詰めるものねー。こだわりが強いのは、良いことよ」
室内も白づくしだ。でも、病室みたいに清潔すぎるわけじゃないし、研究施設にたまに感じる薄ら寒さも無い。都会の喫茶店風にしてあるからだろう。これだけ白いと、そうめんが食べたくなってくる。
「大和さん、抹茶飲める?」
「え、ああ、飲めますよ」
どうぞ、と椅子をすすめられ、お言葉に甘える。先生が小さな冷蔵庫を開けた。ガラスのコップに、氷がからん、とすべり落ちる。音だけで、汗がひくのはどうしてかな。
「朝から暑かったでしょ」
冷えた抹茶が、卓上に置かれた。けっこうなみなみに注ぎましたね。これ、抹茶だと知らされていなかったら、青汁に勘違いしてしまうなあ。青汁は、だめだ。まずくて、おかわりどころか一杯目も空けられない。
「私の実家がね、弓道の道場なのよ。稽古に来ている人が毎年この時期に分けてくれるのよー。陣堂のお茶屋さんで売られているんですって」
先生は、袋を振って見せてくださった。口ひげをたくわえたおじさんが、ストローをくわえている絵が書かれていた。中に棒状の細長い袋がいくつか入っていた。ひと袋で一杯分だね。水で割れるのか。
「あ、甘いですね。うん、おいしい」
「飲みやすいでしょ」
茶筅でかき混ぜる本格的な物は、二十年生きていてまだいただいたことがない。まあ、苦そうだし、あれやこれやと作法があって落ち着けなさそうだから、こっちの手軽な方がいいや。
「そうだ、時間空いているかしら?」
「はあ……特に何も予定はないですけれど」
まゆみ先生はガッツポーズをして、パソコンをいじった。両脇のスピーカーから、音楽が流れた。弦楽器……だよね? 大きくて、足で支える……名前を忘れた。あれ? 立って弾く方だっけ? それも思い出せない。数少ない友人の夕陽ちゃんが、C号棟のピアノを弾いていた曲であることは確かだった。
「これから大和さんには、謎解きをしてもらいます」
「罰ゲームですか?」
「違うわよ。教員と学生の交流のひとつよ。いい? 私が事件のあらましを話すから、あなたは犯人と、犯行に使われた物を当ててちょうだい。ミス無しで正解したら、今度、学食で好きなメニューをごちそうするわ」
まぶしい笑みを向けられると、まいってしまう。帰ります、なんて言えないじゃないか。私はかけたまま椅子を前に寄せた。
「昨日、文月○日の夜だったわ。共同研究室でね、近松先生が倒れられたの」
おお、近松先生が。ご冥福をお祈りいたします。
「早合点しちゃダメ。先生は意識を失っただけ。今日は元気に出勤されているわ。なあに、先生に恨みでもあるの?」
いいえ。ですが、女性との噂が絶えないようなので、いつかは刺されるのではないかと期待……いや、思っていました。
「そうね……ありえないこともないけれど。話を戻しましょ。近松先生はね、倒れる直前におにぎりを召しあがっていたの。三つ握ってあったうちの一つが、先生を苦しめたのよ。おにぎりは、三人のレディがそれぞれ心をこめて作ったの。卒論の関係で残業されるということでね、差し入れに」
毒を盛られたんじゃありませんか。あるいは、季節柄、食中毒にかかった、とか。
「毒は入っていません。徹底した衛生管理をしていました。問題は、誰のおにぎりが先生を気絶させたか、ということ。犯人は、三人のレディの中にいるわ。そして、おにぎりの具材は何だったのか。犯人候補は、私、安達太良まゆみと、宇治先生と、森先生。おにぎりの味は、皆異なるわ。さあ、解けるかしら?」
えらくざっくりしているなあ……。じゃあ、質問しますね。ダイイングメッセージはありましたか。
「こらー、亡き人にしないの。それらしい物はあったわね。先生のおでこに個包装の『種なし梅』が押しつけられていたわ」
梅干し……おにぎりに入っていた物じゃないのか。すさまじく酸っぱい梅干しだったら、倒れることあるのかな。
「鋭いわね……。近松先生いわく、かじってみたら赤い物が見えていたので、梅干し味だと思った、とね」
赤い具材が凶器か。犯人のおにぎりは白ご飯ですか。
「そうよ」
なら、まゆみ先生は犯人じゃありませんね。
「どうしてそう言い切れるの?」
先生の作る物は、みんなカレーになってしまうから。先生は、ドライカレーおにぎりだったんでしょ。
「ぎくり」
去年の秋、カレーおにぎりを講義前に配っていましたよね。学祭の準備に取り組む人達に塩むすびをにぎろうとしたら、カレー味になってしまった、と。何度やっても、なぜかご飯がクミンとサフラン香る黄色になる、って。作りすぎた分を学生に消費させましたよね。
「才能にしておこうと誓ったのに、古傷をえぐらないでー」
犯人候補から外して、よろしいですか。
「ええ、私は犯人じゃないわ……」
残るは二人か。宇治先生は、近松先生が苦手そうだったよね。狭い所で肩がふれただけでも、除菌剤をかけていたそうな。男性嫌いなんだろうな。森先生は、近松先生と一緒にいるよね。近松先生が主で、森先生が従、な感じ。その関係が何かのはずみで亀裂が生じたのだとしたら。だけれど、どちらもまわりくどい犯行はしない性格なんだよなあ。宇治先生は、張り手かげんこつで。森先生はスタン銃……もとい、スタンガンか金属バットあたりか。
「決まった?」
もう少し考えさせてくださいよ。ん?
「先生、私の服に、何かついていますか」
「え、ええ? いえいえ、なん、何にもないわよ?」
目が泳いでいますけど。
「赤が好きなのねーとね。パーカーも、トレーナーも、赤じゃないの。今日のTシャツだって、ねえ?」
Tシャツ全体というよりも、ある一点を見ていましたね。
「や、やあだ! 私ったら、いやらしいわよね! 胸ポケットのアップリケが、素敵だったもの」
母が適当に選んでくれた安売り品ですよ。それで、アップリケがどうして素敵なんですか。
「ふふふ、ふふふふっ、だって、だって、滅多にないじゃないの。ハバネロのアップリケなんて」
ハバネロか! おにぎりの具は、ハバネロだったんですね。
「ばれたか……」
そして、犯人は辛党の人物。宇治先生は、お菓子作りが趣味だと伺っています。いちごがお好きなんだとか。二年も在籍していたら、いろいろ話を聞きますよ。
「犯人は、森エリス先生です」
まゆみ先生は、立って拍手をされた。
「正解! 大和さんは名探偵ね!」
あれだけ手がかりを出されたら、誰でも分かりますってば。先生、隠し事ができない性格なんだから。
「いつも仕事を助けてくれる森先生のおにぎりを、先に食べようと思われたんでしょうね。それが、大変な事になるだなんて……」
「『種なし梅』も、森先生なんですか?」
「ええ。たまにぶつけていらっしゃるわよ。かまってほしいのかもね」
「どうして、梅干し?」
「酸き物、よ」
掛詞の復習よ、先生は音量を上げに席を離れた。酸き物、すきもの…………なるほど。
「あ、この曲、あれか。『カルメン』の」
「『ハバネラ』。ハバナ風、という意味よ」
友人の言葉が、よみがえる。「ビゼーのオペラ『カルメン』より、『ハバネラ』やよ。ピアノの先生は、ようハバネロやないで、て冗談言いはるんやわ」
「先生って、ひょうきんですよね」
「あらー、私はあみだくじや風雲城より、雷様やもしもシリーズが好きよ。あ、それ、ごくろうさん、ごくろうさん」
ずれたお返事だった(というか意味が分からなかった)が、良しとしよう。
「すきもの、は納得いきましたけど、種抜く必要ありますか?」
まゆみ先生は、人差し指を立てて、微笑んだ。
「お二人にしか通じないやりとり、なのよ。そっとしておきなさい」
あとがき(めいたもの)
改めまして、八十島そらです。スパイスの中で好きな系統は、赤や緑の唐辛子です。危険な激辛料理は受け付けませんが、辛い食べ物は好きです。胃が弱いというのに、挑みたくなる刺激。
種なし梅は、女と男の様々な思惑が云々……。麦茶と間違えてめんつゆを飲む、なんていうほのぼのした事件がありますが、近松先生、梅干しと間違えてあれは…………。
本作は日本文学×戦隊物の青春アクション『スーパーヒロインズ!』シリーズの出張版です。もしも、興味がございましたら、のぞいてみてくださいませ。