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神様の気まぐれと都合  作者: 卯月晴
9/25

目には見えないけれど(1)

 「なおゆうコンビ」

 あたしと(ゆう)は、クラスではそう呼ばれていた。

 ねえ、優。

 同じ空の下にいるんだから、少しくらい距離が離れていたって、あたしたちは一緒だよね。

 ねえ、優。

 あの約束、あたしは本気だったんだよ。

 なんで優は一人で、遠い空の上に行っちゃったの。



 電話の呼び出し音が耳の奥まで響く。

 目を覚まして五分経ってからスマホを確認するとそこには「不在着信」の文字があった。表示をタップすると、(ゆう)からの着信があったらしく、重い頭と瞼を無理やり起こして折り返しの電話をかける。着信があったのは、夜中の三時過ぎだった。

「……優、出ないな」

 しばらく耳にスマホを押し当てるが、録音された機械音のような声が「ただいま電話に出ることができません」とあたしに告げた。

 昨夜は完全に爆睡してしまっていた。そのせいで夜中の着信には全くもって気がつかなかったようだ。

「何かあったのかなー。ま、あとでもう一回電話してみるか」

 普段あまり夜中に電話をかけてくることなんてないから、少し気になってしまうものの、今日は週の始まりの月曜日。あたしも学校へ行く支度をせねばならない。

 パジャマ姿のまま、自分の部屋からリビングへ向かう。リビングのテーブルにはバターロールとお味噌汁という、ミスマッチな朝食が用意されている。

「お母さんおはよー」

 テーブルの前に座るなり、「いただきまーす」とロールパンに手をつけたあたしは大きな口を開けた。パンの柔らかさとほのかな甘さが口の中に広がる。

「ねえ、お母さん。いつも言ってるけど、お味噌汁にはお米が、パンにはスープとかが合うと思うな」

 チラリとお味噌汁に目をやると、豆腐とわかめが湯気の立ちのぼるお椀の中から顔を出していた。

「いいじゃない。味噌スープ美味しいでしょ。用意されてることにありがたいと思いなさい」

「はーい」

 一口、お椀に口をつけると、優しい味噌の味と温かさが喉を伝う。あたしは、確かに味噌スープ美味しいな、と思う。

「お父さんは?」

「さっき仕事に行ったよ」

「ふーん」

 お父さんはいつも早い時間に家を出ている。朝はほとんどお母さんと二人だ。

「ごちそうさま」

 食べ終わって食器を流しに持っていき、食器を水につける。

 自分の部屋に戻り、制服に着替える。制服の緑のリボンを鏡の前で調整して、身だしなみを確認する。鏡越しに、ベッドへ投げ捨てられたスマホを発見し、もう一度、優に電話をかけてみる。

 また長い呼び出し音が続き、諦めて電話を切ろうとした。すると、今度は聞き覚えのある声が「……はい」と返事をした。

「あ、もしもし。(なお)だけど」

「……直ちゃん……」

 あたしの名前を呼ぶ声は、優とよく似ているけれど、優のお母さんの声だった。

「あれ? 優のお母さんですよね。おはようございます。優、いますか?」

 あたしはいつものように話をしたが、電話の向こう側は無言。何秒か待ってはみたが、返事がない。

「あ、もしかして優ってば、まだ寝てます? 昨日の夜中に電話かけてきて寝不足なのかな」

「……直ちゃん……ゆ、優ね」

 電話の向こう側で、優のお母さんは弱々しい声を発した。その声は泣いているようだった。

 そして次の瞬間、信じがたい言葉を告げられた。

 その言葉を聞いて、あたしはスマホを床に落とした。

「直? そろそろ学校行かなくていいの? お母さんは仕事行くけど」

 あたしの部屋の扉を開けて、お母さんが部屋を覗いた。

「ちょっと、直?」

 お母さんがもう一度声をかけたのと同時にあたしは崩れ落ちた。全身の力が一気に抜けて、震える。

「直?! どうしたの?!」

「優が……死んじゃったって……」

 力なく座り込むあたしにお母さんは駆け寄り、転がるスマホを拾いあげた。

「もしもし。優ちゃんママ? うん……うん」

 お母さんはあたしのスマホを片耳に当てて、優のお母さんと話をしている。その声がだんだんと、小さく、暗くなっていく。

 電話を切り、お母さんはあたしを見た。

「お母さん……嘘だよね。冗談でしょう?」

「直……」

「あはは、これってなんのドッキリ? こんなドッキリ、私許さないよ」

「直。お母さんも優ちゃんママから聞いた。本当のことみたい」

 お母さんがあたしの背中をさすりながら、「今日は学校休んでもいいから」と言った。その声も、手も震えているようだった。

 何も考えられなくなった頭で、しばらくその場に座り込んでいた。視界がぼやけては遠ざかる。何も見えなくなる。見たくなくなる。

「お母さん、午前中だけはどうしても仕事に行かないといけなくて……少しだけ一人で大丈夫?」

 返事をしようと声を出そうにも、掠れて上手く出そうになかったため、あたしはゆっくりとコクっと頷いた。

 玄関のドアが閉まって、お母さんが仕事に向かうのが分かった。その音が自然と耳に入ってきて、唐突に立ち上がり、ベッドへ向かう。

 ベッドに寝転がり、手にしたスマホを開くと、待ち受け画面にはあたしと優がいた。二人でピースをしてこちらを見ている。その写真を見ると、やはり信じられない。

 寝転がるのをやめて、ぼんやりとした意識の中、あたしは家の外に出た。

 少し涼しくなった世界は、もうすぐ秋になろうとしていた。どうせならエイプリルフールであってほしかった。こんな嘘は絶対に許さないけれど。

 あたしは無意識にも、優とよく待ち合わせに使っていた神社まで歩いて来ていた。待ち合わせに使っていただけで、鳥居をくぐることは今まではなかった。しかし、何かに導かれるようにあたしは鳥居をくぐる。

「……ここって、こんなに古かったんだ」

 鳥居や本殿をよく見ると、古さが目立つ。人気のない澄んだ空気が心の中まで入ってくるような、そんな気がした。

 あたしはお財布から五円を取り出して、賽銭箱に投げた。五円はカンカンと木の箱に当たってチャリンと底まで落ちた。

 まだ昼前の日差しが、神社にある木の葉を潜り抜けて所々を照らし、風で木々が揺れる。

 本殿から鳥居の方へ振り返ると、あたしと優の姿が見えた。

 優とあたしは、中学までは学校が一緒だった。けれど、高校はそれぞれ違う学校に通うことになった。それでもあたしたちは放課後、この神社の前に集合した。

 神社の前の道を二人で楽しそうに並んで歩くあたしたち。けれど、ゆっくりとあたしの隣にいた優の姿だけが、消えてしまった。

 その瞬間、涙があふれ出た。

「優っ……ゆうー……うっ……ばか……なんでいなくなっちゃったの」

 またあたしは力が入らなくなって、その場にしゃがみ込んでしまった。声を出して小さな子供のように泣きじゃくりながら、止まらない涙を手で何度も拭った。

 一昨日の放課後、あたしたちはこの神社の前に集合して一緒に帰った。その時もいつものように楽しく会話をしていたはずだ。

 しかし、今朝の電話が本当ならば、優は自ら命を絶ったのだ。どうして優はその道を選択してしまったのか。

 優はどんな気持ちであたしに電話をかけてきたのだろう。どんな苦しみを抱えていたのだろう。

「どうしたの?」

突然、頭上で男の人の声が聞こえた。その声は、どこか綺麗で、透き通っている。ゆっくりと顔を上げると、綺麗な顔をした男の人があたしの前に立っていた。

「悲しいんだね」

 彼はそう言ってしゃがみ込んでいるあたしの前に片膝をついた。

 声だけでなく、瞳の奥まで透き通っているようで、あたしは目を逸らせない。

「君たち人間は感情が豊かだから、たくさん涙が出る。たくさん泣くといいよ」

 何を言っているのかわからない。けれど、あたしは何故か逃げようとは思わなかった。

「……『人間は』って? あなたは……」

「僕は人間じゃなくて、神様なんだよ」

 神様。

 優しく微笑んだ彼は確かにそう言った。

「神、様……?」

 男の人はゆっくりと頷き、細く長い指で空気をスッと優しく撫でる。すると、ふわっと光が空中ではじけて、白いハンカチが彼の掌に現れた。

 彼はとにかく白い。服装もハンカチも、肌さえも。

「え? マジック?」

「神様の力だよ」

 あたしの掌にハンカチを乗せて、彼は立ち上がった。

「……待って。本当に神様なの?」

「そうだよ」

 背を向けた男の人が、軽くその場でジャンプすると、地面を蹴ったその足は浮き始める。

「……神様だ……」

 あたしは思わず、口に出してその動きを見ていた。

「ほう。すぐに信じてくれるとはありがたいね。この前の男子大学生なんて全然信じなかったけれど」

 大学生って何の話だろう、と思いながらも、あたしに感心する神様の足元ばかり見てしまう。

「……神様はどうしてここに?」

「神様の気まぐれってやつかな。理由もなく、ここに来てみた。そしたら、君が大号泣していた」

「そ、うなんだ」

 神様は座り込むあたしの横に腰掛け、遠くの方を見た。

「直は僕に何をお願いしに来たの?」

 突然、名乗ってもいない名前を呼ばれたあたしは、咄嗟に神様の顔を見る。横顔も綺麗、だとか思っている場合でなく、あたしの名前を知っている。不思議だと思ったけれど、神様なのだから知っていて当たり前なのだろうか。それなのに、願いの内容を聞いてくるのは何故だろう。

「僕だってむやみやたらに心を読んだりしないから。名前だけ、調べさせてもらったよ」

 神様によって、既にあたしの心は読まれているようだ。

「お願い事をしにきたわけでは……」

「じゃあ聞き方を変えようか。直はなんで泣いていたの?」

 泣いていた理由。それは一つ。

「友達が……優が自殺しちゃった」

 あたしは縮こまり、膝を抱えた。神様にもらったハンカチを握りしめる手には力がこもる。

「もう優はいないの。あたしの隣にも、同じ空の下にもいない」

「そっか。直は優が大好きだったんだよね」

 再び滲む涙を隠すように、抱えた膝に顔をうずめた。すると、ほのかな温もりと優しさが、私の頭に乗った。

 ポンポンとリズム良く、頭の上で柔らかく跳ねる神様の手。ああ、心地良い。

 誰かに頭を撫でられるなんて、いつぶりだろうか。

「もし、優ともう一度だけ話せるとしたら、直はどうする?」

「え?」

 あたしが顔を上げて聞き返したところで、神様は「あ」と小さく声を漏らした。

「まずい。時間だ」

 真剣な顔で神様は言い、立ち上がった。

「直。ごめんね、僕、時間だから行かなくちゃ。また怒られちゃう」

「時間?」

 神様も誰かと待ち合わせというものをするのだろうか。何にせよ、遅刻はまずいだろう。

「そう。この前、こっぴどく怒られちゃったから、今回は遅刻できないんだ」

「そうなんだ。あ、じゃあこのハンカチ……」

 ハンカチを返そうと思い、あたしも立ち上がった。しかし、神様は優しく微笑んで、ハンカチを持ったあたしの手を、自分の手で包み込んだ。

「これは今、直に必要なものでしょう。だから使って。それで、また明日ここに持ってきて。そのときはさっき、僕がした質問の答えも一緒に」

 あたしをまっすぐ見つめる瞳の優しさに、あたしはドキドキしてしまう。

 そして小さく、頷いた。

「じゃあ、また明日」

 あたしの手を離し、神様は手を振った。

 次の瞬間には神様の姿はなく、ただ一人、立ち尽くす。

「消えた……」

 神様が残していったハンカチをあたしはただ、見つめていた。

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