あなたがくれたものは(3)
カーテンの隙間から漏れる光が、朝だということを俺に知らせる。
夢を見ることさえ出来ずに俺は朝を迎えてしまった。
「おはよう! 裕太! もう朝だよ、起きて」
神様の声が耳を通り越して俺の頭に殴りかかる勢いで聞こえてきた。
「おーい! 朝だよ!」
「……起きてる」
目を瞑っていただけで全く寝ていない俺は、ため息をつきながら体を起こした。
トンカチで叩かれているかのような鈍い痛みが頭に襲い掛かる。そして目の周りがヒリヒリする。泣き腫らすとはこういうことか。
「うっわ。裕太、目の周り真っ赤だよ」
「……神様はすごく顔色がいいな」
嫌味のつもりで言ったけれど、神様は照れたように「えへへ」と笑っていた。
「話もせず、さらには話も聞かずにぐっすり寝てましたね」
「実は聞いていたよ」
分かりやすい嘘を平気で言ってしまうなんて神様としてどうなのだろうか。
「嘘じゃないよ」
「は? よく真顔で言えるな……」
何も気にせず神様と話していると、急に俺の部屋のドアが開いた。
「兄ちゃん。母さん呼んでるけど」
顔を覗かせたのは五個年下の弟だった。
「あ、ああ。分かった」
「てか、兄ちゃん。誰かと話してた? 話し声聞こえたんだけど」
「え?! い、いや、あの電話をしてて」
俺は不自然に笑ってスマホを手に取り、「ほら」と見せた。
神様は俺の焦っている姿を見て、腹を抱えて笑っている。
「それより、浩介。部屋入るときはノックくらいしろよ」
「ああ。ごめんごめん」
聞いているんだか、いないんだか分からないような返事をすると、浩介は扉を閉めて階段を降りて行った。
「裕太、誤魔化すの必死だったね」
終始笑いっぱなしの神様を俺がキッと睨むと、神様は気まずそうに口をつぐんだ。
「俺、一階に行ってくるから」
「いってらっしゃー」
神様が言い終わる前に俺は部屋の扉を閉めて、階段を降りた。
リビングに行くと、朝食が俺の分だけ置いてあった。
「もうみんな食べ終わっちゃったわよ」
「うん」
本当は食欲なんてないのにな、と俺は思いながらも用意された食事の前に座る。
母さんは俺の顔を見て何か言いたそうだったけれど、何も言わず、視線を足元に落とした。
「……さっき連絡があって、柑奈ちゃんのお通夜、十八時からだって」
「わかった……」
食欲がない。食べたいと思わない。しかし、いつまでも食パンと見つめ合っているわけにもいかない。それに用意してくれた母さんに悪いと思って、食事に手を付けた。だけど、後悔した。
味がしない。あの食パンの、ほのかな甘い味がしないんだ。いや、味どころじゃない。匂いも色も、何もない気がした。
柑奈がいないだけで、俺の日々には何も失くなってしまうんだ。
気づくと、目頭が熱くなる暇もなく、涙が頬を伝った。
二階の部屋に戻ると、神様が驚きにも静かにしていた。
「何して……あ、俺のアルバム勝手に見てる」
「お、裕太。ねえ、これって裕太が撮ったの?」
分厚いアルバムを次々とめくっていく神様の手は止まらない。
「……そうだけど」
「写真部か写真サークルにでも入ってるの?」
「違うけど」
「ふーん」
一通り見終わったのか、バタンとアルバムを閉じて、神様は俺の方を向いた。
「さあて、そろそろ話そうか」
「やっとか」
神様は机の前にあった椅子に腰かけ、俺はベッドの上に座った。
「まあ生き返らせて柑奈に会わせてあげることは出来ないんだけど」
「それでも神様かよ」
「神様にもいろいろ都合があるんだって」
軽くため息をついて、昨日と同じ台詞を神様は言う。
いろいろって本当に何なんだよ、と俺は思う。
「じゃあ何をしてくれるんだよ」
「裕太の想いを柑奈さんに届けます。ほら、伝えきれなった想い、あるでしょう?」
「どうやって」
「書面で」
「は?」
俺の想いを書面で柑奈に届ける?
何を言っているのかさっぱり分からない。
「裕太さあ、『は?』って言うの癖だよね。昨日から思ってたんだけど、僕、傷つくし、感じ悪いからやめた方がいいよ」
それは前に、柑奈にも言われたことがある。癖だと言われれば癖かもしれない。
「……それはいいから話を続けて」
「つまり手紙ってこと。裕太が直接、柑奈に手紙を渡すことは無理だけど、神様の僕からなら渡せるんだ。でも火葬までってルールがある」
「なんで火葬まで?」
「火葬がこの世と故人の最後のお別れになるからだよ」
今日が柑奈のお通夜で、明日が告別式。つまり、タイムリミットは明日。それまでに手紙を書かなければならないということらしい。
「本当に出来るのか」
「信じるか、信じないか。それは裕太が決めることだ」
正直、信じられない。こんな可笑しな話。
「まだ時間はあるから、考えるといい。僕は少し出かけてくるよ。大丈夫。戻ってくるから」
それだけ言い残し、神様は煙のように音もなく俺の目の前から消えた。
「うわ……消えた」
部屋に一人残された俺は座っていたベッドにそのまま身を委ねた。
どうして俺は、もっと早くに柑奈に伝えなかったのだろう。
どうして死んだのが、柑奈だったんだろう。
どうして俺じゃなかったんだろう。
全身がベッドの中に沈み込んでいくような、どこまでも深く落ちていくような、そんな気がした。