あなたがくれたものは(2)
昼間よりも涼しい風が頬を掠めて、夜が長いことに気づいた。
ついに家の前まで俺は神様を連れて帰って来てしまった。いや、連れて帰ってきたのではない。あのニヤリと笑ったあとから神様は何を言っても「そんなに焦るなってー」という呑気な返事しかしなくなったが故にここまで一緒に来てしまったのだ。もちろん、お帰りいただくようにも言ったのだが。
「……もう家まで来ちゃったんですけど」
「へえーここが裕太の家かー」
「まあ普通の一軒家だけど」
俺の家の隣は柑奈の家で、小さい頃からいつも二人で遊んでいた。
柑奈の家をチラリと見ると、電気はついておらず、真っ暗だった。
「ねえ裕太。はやく鍵開けてよ」
神様は既にドアの目の前で、ドアをトントンと叩いている。
「ああ。今開ける……って、家の中まで着いて来るの?!」
「うむ。今日はここで休むとする。開けてくれ」
「は? やだよ。帰ってよ、神社に」
「だって僕もう歩き疲れたよ」
「知らないよ! ていうか、歩いてないだろ! 浮いてただろ!」
言い合っていると、突然ガチャリと鍵が回る音がして扉が開いた。
扉を開けたのは寝間着姿の母さんだった。
「裕太? やめてよ、こんな夜遅くに近所迷惑じゃない。誰かいるの?」
「ごめん。あ、いや、この人はその……」
俺がバツが悪そうに神様の方を指さすと、母さんは「この人?」と俺の指先に視線を向かわせるが、首を傾げる。
「誰もいないじゃない」
「は? いるだろ、ここに」
そう言って神様の方を見ると、神様はもう母さんの後ろ、つまり家の中に移動していた。
俺が慌てて「あ! 待て!」と呼び止めるも神様は家の中を進んでいく。
「ちょっと! 大きい声出さないで! 誰もいないじゃない。もう家に入りなさい」
「あ、うん。ごめん」
玄関に入り、靴を脱ごうとしていると「裕太の部屋ってどこー?」と神様は話しかけてくるが、母さんは何も言わない。
母さんには見えていないのか?
「柑奈ちゃん……どうだった?」
母さんが暗い声で俺に言った。
「……ダメだった」
「そう……まだ大学生なのに……」
「俺と会う前に……駅のあのデカい階段で踏み外して落ちて……打ち所が悪かったみたいで」
また溢れてくる俺の涙は床に落ちていった。
母さんは俺の背中を優しくさすりながら、「今日は一旦休みなさい。お母さんも寝るから」と言って自分の寝室へ入っていった。
涙を拭い、階段を上がろうとすると神様がひょっこり姿を現した。
「上だったのか」
「……他の人には見えないんだな」
「そう簡単に僕の姿は見せないよ」
神様は人差し指を自分の口の前に持ってきて、お得意のしたり顔。
トン、トン、トンと聞こえる足音は一つ。きっと神様は階段も浮いているのだろう。
アルファベットで「YUTA」と書かれたパネルの掛かっている扉を開けて電気をつけると、見慣れた自分の部屋になんだか少しホッとした。
「ほうほう。男子大学生の部屋にしては綺麗だねえ」
「まあ」
俺の部屋を一通り動き回り、神様は俺のベッドに寝転がった。
大きな欠伸をして「おやすみ」と言った神様にイラっとして、俺は「おい」と布団を取り上げる。
「まだ話終わってないからここまで来たんだろ。そろそろ話してもらおうか」
「えー、僕もう眠いよ。明日にしようよ」
「却下。今すぐに話して早急に出て行ってもらおうか」
俺が掴んでいた布団を神様はもの凄い力で掴んできた。
意外と力が強い。そしてわがまま。
「いや、裕太。お願い。明日ちゃんと話すからあ」
だだをこねる神様なんて聞いたこともない。
「ダメ。何としてでも話してもらわねば」
「あ、あ、じゃあ先に裕太の話を聞いてからじゃないと! 僕の話はそのあとかな!」
「俺の話?」
「そう! あれ! あの写真、柑奈でしょ」
神様の視線の先には、俺の飾った写真がある。
俺はその写真を見て、力をスッと緩めると布団が俺の手からすり抜け、神様の体が傾いた。
「……あの写真は俺のカメラで一番最初に撮った二人の写真」
机の上に置いてあるその写真を俺は優しく手に取って撫でた。
「そうなんだ。二人は恋人同士?」
「は?! 違う……まだそうなれてなかったっていうか、幼馴染どまりのままっていうか」
「ああ。裕太の片想いだったのかあ」
一段とニヤニヤとした顔で口元を手で抑えた神様はからかうような口調で「そういうことね」と呟いた。
「……俺の心を勝手に読まないでください」
「今は読んでないよ。裕太の顔に書いてあった。というか、図星だったんだ」
「……やめてください」
おちょくる気満々の表情を見せる神様を無視して俺は話を進めた。
「本当は今日、ちゃんと告白するつもりだったんだ……告白どころか言葉さえ交わせなかったけど」
「昨日ね。日付、変わってるから」
「うるさいな」
今日、いや昨日、俺と柑奈は二人で会うつもりだった。
柑奈が十六時まではバイトだから、午後の十六時半に駅の時計台で待ち合わせをして二人で遊びに行こうとしていた。
バイト先まで迎えに行こうと思ったが、柑奈にそれを断られた俺は時間通りに駅の時計台で彼女を待っていた。
しかし、時間になっても柑奈は来ない。気になってポケットにしまい込んでいたスマホを取り出すと、柑奈から、バイトが長引いたため今から急いで向かうと連絡が来ていた。
それから、待ち続けて四十五分。
そろそろ到着してもいい頃だろうと、俺が思っていた瞬間、俺の背後がざわついた。
この駅には時計台から少し離れたところに、地下から駅に上がることができる大きな階段がある。
俺が振り返ると、その階段に人だかりが出来ていた。たくさんの人が足を止めて階段の下を見ていた。
気になった俺は何気なく、その人だかりに近づいた。
そして、階段の下を見ると、柑奈が倒れていた。
頭の中が真っ白で、真っ黒になった。
「それで、病院に運ばれたけど、結構な段数から落ちて打ち所も悪くて……」
俺は思い出すだけで声が震えてしまう。
急に何も言わなくなった神様をチラリと見ると、あろうことか寝ていた。
「おい……人が一生懸命話してんのに」
その声まで震えてしまって、神様を起こすこともできなかった。
大事な話の最中に寝るとは、なんて失礼な神様なのだろうか。怒りも呆れもあった。けれど、その全てをひっくるめて涙が目元に溜まり、ゆっくりと流れる。
「……柑奈っ……会いたいよ……」
涙は一晩中、枯れることはなかった。