目には見えないけれど(3)
優とあたしは、最初はただのクラスメイトだった。
あたしは優を「静かな子だな」としか思っていなかった。
「優ちゃんと遊ばないで」
唐突に言われたその言葉に「え?」と思わず声に出して驚いたのをよく覚えている。
当時のあたしたちは小学生。その頃、クラスではターゲットを決めて仲間外れをつくることがあった。クラスメイトはそのターゲットになった人間を「ハブ」と呼んでいた。
「なんで?」
「だから、優ちゃんはハブになったの。話もしちゃいけないし、遊んじゃいけないの」
クラスの中心になっている女子は当然のようにあたしにそう言った。
「ハブ」はその子の一言で決まり、取り巻きの数人がせっせと「あの子はハブ」と言って歩く。自分が次のハブにならないように。
「優ちゃんって何も言わないし、つまんないから一人でいればいいんだよ。クラスのみんなも無視するから、直ちゃんも無視して。そしたら、直ちゃんとは遊んであげる。優ちゃんを無視しなかったら、直ちゃんもハブだから無視するよ」
すぐ後ろに本人がいるにも関わらず、彼女は大きな声でそう言い放った。もしかしたら、わざと優に聞こえるように言ったのかもしれない。その得意げな顔は、まるで女王様にでもなったかのようだった。
あたしは彼女のすぐ後ろにいる優を見た。背を向けていて顔は見えなかったけれど、優の縮こまった背中は悲しそうだった。
「うん、わかった」
あたしは頷いて、一歩踏み出した。
「優ちゃん、一緒に遊ぼ」
女王様を通り過ぎて、優の肩に手を置いたあたしの顔を優は心底驚いた顔で見ていた。
「ちょっと直ちゃん! 話聞いてた!?」
「え、聞いてたよ。でもあたしは優ちゃんと遊びたいんだもん」
「は?! だから無視しろって」
「あたしと優ちゃんは今日からハブだから無視、するんでしょう?」
あたしが真っ直ぐに女王様の目を見て言うと、「もう知らない!」と怒って取り巻きの女の子たちとどこかへ行ってしまった。あたしはその後ろ姿をしっかりと見送ってやった。
「ねえ、何して遊ぶ?」
「え……あの、どうして……」
もごもごと小さな声で話す優は少し怯えてるように見えた。あたしは俯く優の顔を覗き込こんだ。
「さっきも言ったじゃん。優ちゃんと遊びたいって思ったからだよ」
「でも……私のこと庇ったから直ちゃんまでハブになっちゃう」
「大丈夫だよ。ハブなんてそもそもおかしいって。ほら、遊ぼ! あ、優ちゃんって本好きだよね! 図書館行こうよ!」
そう言ったけれど、優は納得いかないような顔をしていた。
次の日の朝、学校に行くとあたしはクラスメイトから完全に無視された。返ってこない「おはよう」に少しだけショックだったけれど、誰かをハブにする側になるよりはいい。そう思っていた。
放課後になると、下校前の掃除が始まる。あたしが下駄箱で、優は教室の掃除担当だった。
掃除を終え、教室に戻ると何やら喧嘩のような声が聞こえた。
そこで喧嘩していたのは、クラスの女王様と優だった。
「しつこい! 優ちゃんはハブなんだから、話しかけてこないで!」
「……だ、だから、私はハブでもいいから。直ちゃんを……ハブにするのはやめて」
激怒し、帰ろうとする女王様の前に優が立ってどかない。相変わらず、優は背中を丸めて怯えている。
「ムカつく!」
女王は大声で言い放ち、優の肩を思いっきり押した。すると、優は転んでしまった。
「ちょっと! 優ちゃんに何するの?!」
思わず飛び出したあたしは、すぐに優に駆け寄った。
「優ちゃんが、直ちゃんを仲間外れにしないでってしつこいんだよ。今、謝るなら直ちゃんだけは許してあげる」
その言葉にあたしは自分の中で何かが切れたのを、今でも鮮明に覚えている。
「謝るのはそっち。でも謝ってきたとしても、あたしはあんたたちみたいなやつと遊ぶ気なんてないけどね」
あたしは優の手を引っ張って、「帰ろ」と言った。優は小さく頷いてあたしの後ろを歩いた。
「直ちゃん……ごめんね」
帰り道で優は謝った。
「どうして優ちゃんが謝るの。悪いのはあの子たちでしょう。あたしは、あたしたちは間違っていない。あんなことしなくていい」
「だって……庇ってくれた直ちゃんが……直ちゃんが嫌な気持ちになるのだけは嫌だったから……無視されるのが辛いのは知ってるから」
泣きながら優は言った。
あたしは泣いた優に驚いてしまった。
優はあたしを想ってくれていたんだ。怖くても、立ち向かってくれた。あたしのために。
「優! 優は名前の通り、本当に優しいんだね。そんな優しい優だから、あたしはやっぱり優といたいよ」
泣きじゃくる優の顔に自分のハンカチを押し当てて、真っ直ぐにあたしは優を見た。
そして優も真っ赤にした目を細めて「ありがとう」と笑った。
中学に入る頃には、ハブなんてものはなくなって、無視も仲間外れもされなくなっていた。
「なおゆうコンビは二人三脚でいいー?」
体育祭が始まる少し前、体育委員にそう声をかけられた。体育祭の種目の選手決めをしていたようだ。
その頃にはすっかり「なおゆうコンビ」というコンビ名が定着していた。あたしたちが一緒にいすぎて、誰かが勝手にそう名付けたコンビ名だった。
「仲良いから息ぴったりで走れそうだし、やってくれない?」
体育委員は「絶対勝てると思う」と言い切った。
「やってみようよ! あたしたちの仲の良さで力を発揮しちゃおうよ!」
「私も直となら走れる気がする!」
その日からあたしたちは放課後には二人で二人三脚の練習をした。けれど、やはり最初は難しい。グラウンドで転んで、二人で砂まみれになって帰る毎日だった。
「今日もいっぱい転んだね。これじゃ、なおゆうコンビの名が廃るよ」
「でも昨日よりは速く走れたから、私は明日にはもっと速く走れる気がする」
いつしか優は俯かなくなっていた。しっかりあたしの隣で前を向いて笑うようになった。
オレンジ色に染まる帰り道の中、影が二つ伸びる。
「優のあの転ぶ寸前の顔! おもしろかったなあ」
「直だっておもしろい顔してたんだから! ていうか、転ぶ瞬間にお互いの顔を見てるっておかしいよね」
「確かにそれな」
二人で大笑いすると、伸びた影も楽しそうに揺れる。
「もう本当に優といるのが一番楽しいよ。笑ってばっかり」
「私も直とならいつまででも笑える気がするよ」
そう言いながら、またあたしたちは笑う。
「ねえ、優。あたしたち、おばあちゃんになってもこうやって一緒にいて笑っていよう! 約束!」
「何それ、急に青春かよ~」
「そうそう、青春ごっこ。なんてね。冗談だわ」
なんだか少しだけ照れ臭くなって、あたしはすぐにおちゃらけた。
隣で優は笑いながら空を見上げた。
「おばあちゃんになっても直と笑っていられるなら、未来が楽しみだな!」
あたしは優のその言葉に心がなんだかあたたかくなった。
そして体育祭本番。あたしたちはド派手に転んだ。けれど、あたしたちの仲の良さが発揮され、一気に追い上げてレースに勝った。
二人で笑い泣きが止まらなかったのを今でも忘れない。
中学三年生になって、あたしたちは別々の道に進むことを決意した。
「直。あたしね、実は農業系の高校に進もうと思ってるんだ」
優は突然、あたしにそう告げた。
「それは初耳だよ。え? 将来、牧場でもつくるの?」
「農業って言っても牧場とか畑だけじゃないんだよ。食品系列の科に進んで、将来はケーキ屋さんとかパティシエとかそういう仕事をしたいなって」
笑いながら優は楽しそうに話してくれた。でも次の瞬間には寂しい顔をする。
「どうした?」
「直とは違う高校に進むことになる。一緒にいられなくなる」
あたしは農業系の高校には進まない。普通の高校に進む予定だ。だからあたしたちは高校から別々になる。
「何言ってんの、優! 少しくらい距離が離れてるからって、あたしたちは同じ空の下に一緒にいるんだよ!」
優の頭を小突いてあたしは言った。すると優はクスっと笑って「そうだね。一緒だ」と言った。
「直ってさ、たまに照れ臭いようなこと言うよね。もしかして将来はポエマー?」
「そうよ。世界を変えるポエマーになるんだから」
こうしてあたしたちは高校生になった。
それなのに、今、優は同じ空の下にいない。