目には見えないけれど(2)
昨日、あたしは神様に会った。
きっとこんなことを話しても、親でさえ信じてはくれないだろう。それどころか心配されるに違いない。
あの後、しばらくあの神社にいたけれど、正午にはお母さんからスマホに連絡が入り、フラフラと帰宅した。
食べ物は喉を通らないし、何かをしようとしても動けない。ほとんど何かをした記憶がないまま、今日を迎えたが、机の上に置かれたハンカチのことは鮮明に覚えていた。
洗濯をし、綺麗にたたまれたハンカチを手に取り、神様の言葉を思い出す。
『これは今、直に必要なものでしょう。だから使って。それで、また明日ここに持ってきて。そのときはさっき、僕がした質問の答えも一緒に』
「もしも、もう一度だけ優と話せるとしたら」
会いたい。優に会いたい。話がしたい。
その想いが一気に溢れてきて、あたしは部屋を飛び出した。
「直? どこ行くの?! 学校だって休んでるのよ?!」
お母さんが心配そうにリビングから出てきて、玄関で靴を履くあたしの肩を掴んだ。
「大丈夫だから。ちゃんと帰ってくるから」
あたしはそれだけ言い残すと、お母さんの手を振りほどいて、玄関の扉から走り出す。
平日の昼下がり。登下校の時間と比べると、嘘みたいに人通りが少ない。そんな中で、走っているのはあたしだけ。
「あたしは優に会いたい!」
その一心で走り続けた。
そしてたどり着いたのは、例の神社。神様のいる場所だ。
神社までノンストップで来てしまったあたしは、息切れが止まらず、鳥居をくぐってすぐのところで肩を揺らす。
「こんにちは。直、よく来たね」
「わっ……神様、いたんだ」
「いたんだって、僕に会いに来たんじゃないの?」
背後から突然現れた神様に驚き、あたしの心拍数はさらに上がったけれど、そんなことはお構いなしに神様はにっこりと笑った。
「神様。これ、ありがとう」
あたしは握りしめていたハンカチを神様に差し出した。
「ああ。また必要になったらいつでも貸してあげるよ」
白い手がハンカチに触れると、ハンカチはあたしの手の上でフッと消えてしまった。まるで煙のように。
「それで、答えなんだけど……あたし、優に会いたいんだ」
真っ直ぐに神様を見つめて、あたしは強く言い切る。ハンカチと一緒に持ってきた答えを神様にぶつける。
しかし神様は少し困ったような顔をして、気まずそうに口を開いた。
「直の答えは伝わったよ。僕の言い方が悪かった」
「どういうこと?」
「直が優に会うことは出来ないんだ」
「え?」と思わず口からこぼれ出てしまった。高速で瞼が瞬きをする。
「いや、これも言い方が悪いな。あのね、会うことは出来ないんだけど、手紙で話すことは出来るんだ」
焦った様子で神様はあたしに説明をした。神様は「また怒られる……」と小さく呟き、目を泳がせている。
「そうなんだ。でも、よかったぁ」
「え? 怒らないの?」
「なんで怒るの? まあ一瞬、騙されたのかと思ったし、優に会いたかったけど、手紙で優と話せるんでしょう? 何も出来ないよりマシだよ」
確かに、あたしはすごく優に会いたかった。それでも、何も出来ないよりかは全然いい。むしろ、普通だったら手紙でさえ無理なことだ。優の気持ちを知ることが出来て、あたしの気持ちも優へ届く。それだけでもあたしは嬉しい。
「直……なんて良い子なんだ。やっぱり僕は直が大好きだ! どっかの男子大学生なんてキレたんだよ? ひどくない?」
感動した様子で神様はあたしの手を取ったかと思えば、また例の男子大学生を思い出したらしく、愚痴を言い始めた。しかし、男子大学生のことを話すときの神様は楽しそうだ。きっと嫌っているわけではなく、相当仲が良かったのだろう。そんな気がする。
「で、どうしたらいいの?」
「ん? ああ、説明をしてなかったね。この便箋に手紙を書いて」
手渡された便箋は真っ白だった。神様の私物って全部真っ白なのだろうか。
それから神様はあたしに一通り説明をした。専用の便箋じゃないとダメだということ。その手紙は神様が優に届けてくれること。タイムリミットは火葬までということ。
「優から返事をもらうこともできるよ。まあ、優次第なんだけどね。優はきっと直に返事を書きたがると思うな」
神様は微笑んで言った。
その笑顔にあたしの心臓は少しきゅうっとなる。やはりイケメンだ。
「ん? どうしたの?」
「いや、なんか……神様ってこんな感じだったんだぁって思って。イメージと全然違った」
「直のイメージしてた神様ってどんな感じなの?」
あたしたちは鳥居から少し歩き、拝殿の前の小さな階段に腰掛けた。
「なんだろう……もっとこう、おじいさんで、髭が生えてて、杖とか持ってるみたいな」
身振り手振りであたしの神様像を説明していると「ほうほう」と少し笑いが混じった相槌が聞こえてくる。
「とにかくこんなにイケメンのお兄さんだとは思ってなかった。男の人だっていうのは当たってたみたいだけど!」
「うーん、正解ではないかな」
神様は首を傾げた。
「どうして? 男の人じゃないの?」
「僕は神様だ。男でも、女でも、ましてや人間でもない」
どういうことなのかさっぱり理解できない。何を言っているんだろう。
「今はこの姿が気に入っているからイケメンのお兄さんだけど、四百年前くらいは女の子だったよ。ちょうど、直くらいの年齢の」
「姿が変えられるの?」
四百年前って、神様は一体何歳なのだろうか。いや、それよりも女の子の姿をした神様が見てみたいと思った。
「うん。僕、神様だからね。その前は確かウサギだったかな~」
「なぜウサギ?」
「それは神様の気まぐれってやつだよ」
どうやらこのイケメンの姿は、今だけらしく、また気まぐれに姿を変えるらしい。神様にはそんな力もあったなんて。
「さあ、そろそろお母さんも心配で家を飛び出してきちゃうんじゃない?」
「そうだね。じゃあとりあえず家に帰ることにする」
あたしが立ち上がると神様も空中にふわっと浮いて、あたしを少し上から見下ろした。
「ねえ、神様。優はなんで自殺しちゃったのかな」
「優にしか分からないことがあったのかもしれないね。自分の人生を投げ出したくなるほどの何かが」
あたしには分からなかった何かを優は独りで抱え込んでいたのかもしれない。そう思うだけで、あたしは息をするのも苦しくなった。