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エボルブルスの瞳―特殊事案対策課特命係傀異譚―  作者: 揺井かごめ くろ飛行機
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腫れ物にふれるひと ③

犯人の正体が明らかに……?


 アイサは、加美山に2つ案を提示した。


 一つは、傀異(カイイ)に動きがあるまで、結界を張った特命係の事務所で匿う案。


 身の安全は保証されるが、結界によって傀異との繋がりを遮断すれば、加美山が気付いた『体調不良の周期』に影響が出る。傀異がいつ襲撃してくるか分からない中、事務所でいつまで続くかも不透明なカンヅメ生活を送る事になる。


 もう一つは、今日、このオフィスに泊まるという案だった。


「この傀異は、恐らく、依頼人に並々ならぬ執着心を持っている。これみよがしに残された傀朧から分かるだろう。自宅とデスク、どちらも依頼人が長い時間を過ごす場所だ。


 しかし依頼人にはもう1ヶ所、頻繁に出入りしている場所がある」


「雑誌の撮影スタジオ、か」


 (しらず)の言葉に、アイサが頷く。


「次の写真を見てみたまえ」


 アイサに促されてスマホ画面をスワイプすると、写真撮影用のロールスクリーンや機材でひしめく無機質な小部屋が映った。


「いつも私が使っているブースです……あれ?」


 加美山が呟く。


「こっちは、汚れてない?」


 アイサが再び頷いた。


「依頼人の部屋も、撮影スタジオも、和音に念写して貰っている。依頼人にも傀朧(カイロウ)傀朧痕(かいろうこん)が見えるようにね。


 傀朧で汚染されていたのは、依頼人の自宅、オフィスのデスク。つまり、その二ヶ所には傀異が侵入している。しかし、撮影スタジオには侵入できなかったんだ。正しくは、



 侵入しても、どの部屋が依頼人の出入りするブースかわからなかった(・・・・・・・)



 加美山は、それを聞いて顔をしかめた。


「……つまり?」


「つまりだ。


 犯人は、依頼人が撮影している時間、何らかの理由でスタジオに入れなかった。

 三ヶ月前に依頼人と接触してから今日まで、一度たりとも。


 依頼人。例えばなんだが、ここ三ヶ月以内に、撮影スタジオに届け物を貰ったりはしていないかな?」


「……そういえば、何度か、身に覚えの無い忘れ物が届きました」


 ハッとした様子で加美山が答える。


「スマホのバッテリーとか、水筒とか、そういう些細なものです。スタジオマンからは『会社の子が届けてくれた』と聞いていて。でも、会社に帰ってから確認しても、誰が届けてくれたか分からなかったんです。うちの職員は外回りが多いので、その場にいない誰かが届けてくれたんだろうと……すっかり忘れていました」


「『会社の子』、か」


 白が反芻すると、アイサが満足げに続けた。


「そうだ。


 犯人はこのオフィスに勤めている若者だろう。


 もちろん依頼人のデスクを知っているし、退勤後に後を付ければ家の特定も容易だ。日中は会社に拘束されているから、スタジオに行くのも難しかったんだろう。

 それでも僅かな時間を作り、依頼人の持ち物をくすね、忘れ物を届ける名目でスタジオにへの侵入を試みた。あえなく失敗した上、こうやって手掛かりを残してしまっているけれどね」


「いや、でも、おかしくないですか?」


 加美山が反論する。


「犯人はカイイっていう化け物なんでしょう? 今の推理では、うちの職員に犯人がいるようですけど……」


「いるよう、ではなく、いるんだよ」


 アイサの声がいきいきとハリを増す。


「傀異は人間由来の化け物だ。強力な傀異ほど人間に近い知性を持つ。人間社会に溶け込んで悪さをするのは、大抵がそういう傀異だ。それがたまたまこの出版社にいて、たまたま君にご執心なのさ。

 妙なものに好かれてしまったね。運が悪い。心底同情するよ」


 アイサの楽しげで薄情な口ぶりに、加美山は絶句する。


「だけどさ、アイサ」


 白はウンザリして待ったをかけた。上機嫌であればあるほど、アイサの話は迂遠で含みが多いものになる。


「犯人に目星がついたところで、ここに泊まる理由にはならないんじゃないの。どっちかって言うと、傀異が入れなかったスタジオの方がいいんじゃない?」

「そんなことはないさ。ここなら広いからね」

「……は?」


 嫌な予感がした。加美山はいまいちピンときていない様で首を傾げている。


「戦いやすいだろう」


 けろりと返ってきた言葉に、加美山と白はぎょっとした。


「我々は今日、派手に動いた。傀異も黙ってはいないさ。私が傀異なら今夜動くね」

「……加美山さんを囮にするってこと?」

「その方が確実で早いだろう?」

「そうだけど……」


 白は加美山の顔色をちらりと窺う。加美山は暫く考え込んでいたが、決心したように頷いて言った。


「そうですね。早いに越したことはありません。不定期に来る体調不良には辟易していましたし、何より」


 加美山が会議室のドアを見遣る。そのまなざしは、ドアの先にある自分の職場を見据えていた。


「仕事に支障が出ますから」



   ◆ ◆ ◆



 午後十時。


 警備員と出版社のお偉方に交渉し、白と加美山はそのまま会議室に泊まることになった。アイサは準備とやらで一旦事務所に戻っている。


「頃合いになったら戻ってきて颯爽と助けてあげよう。心配するな」


 ははは、と呵々大笑して去って行ったアイサに、加美山はもう何も言わなかった。


 戦いやすくするために机や椅子を壁際に寄せ、がらんとした会議室の端で、加美山は棚からずるりと寝袋を引き出す。


「寝袋、使いますか」


会議室にそれが常備してある意味を察してしまい、頬が引きつる。


「いや、おれは見張りしなきゃなんで。加美山さん使って下さい」


「そう? じゃあ遠慮無く」


 そう言って、加美山は隣接するレストルームに入っていった。佐竹が届けてくれた寝間着を着て戻ってくると、壁際に寄って寝袋に包まる。白はその足下で胡座をかいた。


「……ギンタくんは」

「白、白で頼む! ……たの、み、ます」


 思わず語気を強めた白に、加美山はくすくすと笑った。存外柔らかなリアクションに、白の頬が赤らむ。


「うん。じゃあ、白くんね。君、もちろん小学生ではないだろうけど、まだ未成年でしょう? 寝なくて平気?」

「まあ、丈夫なんで。……他人(ひと)よりは、その、大分」

「……そう。いろいろ、あるもんね。誰にでも」


 少しの静寂のあと、寝袋がのそりと起き上がった。器用にも、寝袋から出ないままで体育座りをした加美山は、白の隣で壁に寄りかかる。


「……寝てていいですよ」

「白くんが眠くならないように、お喋りでもしようかなと」

「平気です。仕事なんで」

「でも、退屈でしょう。私は眠くなったら適当に寝るから。

 ――――眠れるかどうかは分からないけど」

「……確かに」


 いつ化け物が襲ってくるか分からない中でぐっすりと寝ろ、というのも酷かも知れない。

 傀異がこの場所を見つけやすいよう、電気も付けたままだ。尚更寝にくいだろう。


「でも、寝てた方が楽で良いと思いますよ。怖い思いをしなくて済む」

「……やっぱり怖いんだね、カイイって。白くんは、これからそんなのと戦うんだ」


 加美山の声が僅かに翳る。


「……はい、まあ」


 白はそれだけ言って黙った。心配いらない、と返事ができればよかったのだが、嘘は吐けない。


 思い切った作戦をとった割に、現状はあまり芳しくなかった。


 アイサは結局、傀異の正体については曖昧にしたまま行ってしまった。あの妖怪の気ままな行動はいつものことだ。おかげさまで微塵も油断できない。

 傀異をおびき出さなければならないので、気休めの結界も張れない状態だ。いつ、どこから来ても対応できるよう、せいぜい気を張っていなければならなかった。


「……白くん」


 加美山の消え入りそうな声に振り向く。加美山の頬からは血の気が引いて、額には脂汗が滲んでいた。


「……っ、加美山さん、やっぱり寝た方が」


「腕が」


 加美山の呟きと、ほぼ同時だった。



「先輩、その人誰ですか?」



「!!」


 白は顔を上げて素早く立ち上がり、後ろ手に加美山を庇いながら結界を張った。


(気配が全く無かった……!)


 会議室の入り口には、いつの間にか小柄な人影が立っていた。

 昼間、白にぶつかった冴えない女性だった。


「ねえ、誰? 先輩と何してたの?」


 瞳孔の開き切った昏い目が白を睨み付けている。


「大山さん……?」


 背後で加美山が小さく呟く。白は大山と呼ばれた女性から視線を切らないまま、結界の強度をゆっくり上げていく。


「加美山さん、そこから動かないで。怖かったら、目をつぶっていて」


 加美山は頷き、強く目を閉じた。


「……先輩、優しいから、こんな小さい子にも好かれちゃうんだ。でもダメだよ先輩は私のなんだから私の一番大事な大好きな大切なヒトなんだから髪の毛一本もあげないし言葉の一つも貰っちゃ駄目なんだから」


 ぼそぼそと呟かれる言葉が加速し、きぃんと耳鳴りのような音が混ざり始める。甲高い音が大きくなるにつれ、女性の姿が軋みながら変貌する。


「私教えて貰ったから知ってるんだ一番すきなヒトが一番美味しいの」


 小柄だった身体が一回り大きく膨張し、所々スーツが裂ける。その下に覗く肌が、徐々に黒く染まっていく。


「先輩は私が全然駄目なときに唯一喋り掛けてくれたの優しいの優しくて仕事も出来て美人で頑張ってて本当に凄いの」


 指は細く長く伸び、節が張って黒く変色する。所々に白いラインが浮かび上がった。右手の人差し指だけがひときわ太く黒く、チューブの様な形状を取る。


「大好きなの。食べちゃいたいくらいに」


 薄く脈打つ黒い翅が服を破って突き抜け、細かく震えて風を起こす。変わり果てた女性の身体がゆっくりと宙に浮いた。

 髪留めが切れ、白い束の混じった黒髪が振り乱される。その隙間から、めりめりと音を立て、額に二本の触覚が生える。


 真っ黒に染まった複眼の双眸が、憎々しげに見開かれた。


「お前は不味そうだけど邪魔だから全部搾り取って殺してあげる」


 青白い顔が白に向く。身体から頬にかけてが黒色に侵され、首に細い白が走る。その表情は憎しみに満ちていた。


(これ、もしかして……)


 黒に白い縞を帯び、昆虫じみたそのフォルムから、白は解答を弾き出す。


(蚊か……!?)


 酷い目眩と頭痛は貧血の症状、腕の腫れは虫刺され。

 蚊の唾液には痛覚を麻痺させる成分が含まれていて、刺されても気付かない――――吸血の隠蔽(・・)


(こじつけが過ぎる……!)


 本来傀異は、核になる概念に対して安直な力しか持たない。

 実戦経験は豊富な白だが、こんなに能力が複雑化した傀異に対峙するのは初めてだった。


(どう対処する……!?)


 一瞬の判断の遅れ。それを穿つように、傀異が白めがけて一直線に飛来した。


「シ ね 」


 防御の結界を展開しようと上げかけた右腕が止まる。後ずさる白の腹めがけて、傀異が右手をなぎ払った。


「!! ぐっ……!」


 鳩尾(みぞおち)への打撃をもろに喰らった白は低く呻き、たたらを踏んで左手を傀異の眼前にかざす。


「吹っ飛べ……っ!」


 絞り出す様な白の声と共に、傀異の巨躯が後方へ吹き飛ぶ。不自然な重力に翻弄され、一気に会議室の入り口へ引き戻された。しかし、ドアへ衝突するすんでのところで、傀異はひらりと身を翻した。そのまま会議室のフローリングに着地し、カツンとヒールの音を響かせる。


 白は腹部を押さえて膝を付いた。想術による身体強化で、打撃自体のダメージはさほど無い。しかし、じくじくとした痛みと激しい痒みが腹部に残留して消えない。


 まるで、かさぶたを掻き壊した後のような。


「ふ、フ ふふ あは  、痒い?」


 不気味な笑みを湛えて声を漏らす傀異相手に、白は内心冷や汗をかいていた。


(咄嗟に腕が上がらないとか、焦ったじゃんか……なんだ?)


 そっと右腕に触れると、脈打つ様な痛みと異物感がある。そこから漏れ出した傀朧が指先を掠め、傀異の右手人差し指へと吸い込まれていく。


「昼間、ぶつかったでしょう? 私と」


 恍惚とした声に、白は苦虫をかみつぶした様な表情になる。

 迂闊だった。

『透明人間状態の白に一般人が接触することはまず無い』。よほど勘の悪い人間か、そうでなければ、傀朧を読む事ができる者――――想術師や、傀異(・・)でない限り。


(あの時点で気付いていれば……!)


「やっぱり不味いよ、お前の(カイロウ)。早く先輩ので口直ししないと」


 傀異が再び浮遊し、黒い薄羽を震わせる。白も左手を前に突き出して応戦の構えを取る。


(とりあえず力で押さえ込む……!)


 腹の()(むし)りたくなるような痒みさえ無視すれば、相手の攻撃はさほど脅威では無い。精神が疲弊する前に決着を付ければ……。





挿絵(By みてみん)






「折角待っていたのに、ダメじゃないか、白」



 唐突に、傀異の背後から凜とした声が響く。

 傀異は即座に振り返り、その勢いで右手を声の主へ向けた。その瞬間、一気に白い煙が吹き出す。部屋いっぱいに充満した煙に、その場の全員が視界を奪われる。


「誰、と訊かれたのに、待てど暮らせど名乗らないんだから困りものだ。返事をしてあげなければ不親切だよ」


 狼狽(うろた)える傀異を尻目に、声の主が煙を掻き分けて姿を現わした。


「遅いんだよ、アイサ」


「さっさと名乗りを上げない自分を責めることだ」


 白を見下ろし、ちっちっと人差し指を気障(キザ)に振ってから、アイサは再び傀異に向き直る。


「余裕の無い負傷兵の代わりに、私が答えてあげよう」


 煙を吸い込んですっかり弱った傀異を嘲笑う様に、高らかな声が告げた。


「彼の名は銀滝(ぎんたき)(しらず)。傀異であるお前を祓う、正義のヒーローさ」


次回で一区切りです。

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