腫れ物にふれるひと ②
「こちら、ルポライターの水野アサミさんと、その息子さんです」
「水野です。今日は、突然の取材にもかかわらず応じて下さってありがとうございます。よろしくお願いします」
14:30。
オオルリ出版の受付には、偽名を堂々と名乗って折り目正しく挨拶するアイサと、彼女に連れられた仏頂面の白の姿があった。
「あら、他社のライターさんなんて珍しいですね」
「すみません。どうしても『働く女性』というテーマで加美山さんのことを記事にしたくて。しつこく頼み込んで、今日一日だけ、密着取材させていただくことになったんです」
「編集長には私から話を通してあります」
白は、キレイめのファッションに身に包まれて柔和に微笑むアイサを見上げた。あの短時間でどうやって支度をしたのか、化粧もネイルも、アクセサリーまでばっちり統一されている。普段の奇人振りは見る影もない。
(流石妖怪、擬態なんて朝飯前か)
白は嫌な顔を隠しもせずにそっぽを向く。
「かくいう私も、仕事では苦労してきたんです。今年で小学四年生になる息子を抱えて、シングルマザーと仕事を両立してきていて……今日はせっかくなので、社会見学として連れてきているんです。ほらギンタ、挨拶」
これである。
白は、あろうことか小学四年生の息子役だ。サバを読むにも程がある。この突拍子も無い提案を受け、特命係の他メンバーに視線で助けを求めたが、誰も反対しなかった。惨い話である。
銀滝だからギンタという安直極まりない名前も不服だ。あまりにもダサい。
しかし、仕事である以上は文句を言ってもいられない。白は渋々頭を下げる。受付嬢からの生温い視線が鬱陶しい。
立入証を受け取って受付を抜け、エレベーターに乗り込む。八つ並んだボタンから「F6」を押し、加美山は詰めていた息を大きく吐き出した。
「っは~……『水野さん』、あんなことを言う必要があったんですか?」
溜息ついでに、彼女はアイサをじっとりと睨み付けた。
「シングルマザーとか苦労したとか……嘘の設定なんですから、あまりひけらかすのは」
「嘘は堂々と吐けばバレないものだよ、レディ」
気疲れした加美山と対照的に、アイサはけろりと言ってのける。
「それに受付の彼女、おそらくシングルマザーだ。性格も直情的で柔和。上手く同情は引けたはずだよ。平気さ」
投げやりな声で発された言葉に、加美山が息を吞む。
「なんで……」
「ああ。受付嬢なのに化粧が簡素で、年の割に肌と髪に艶が無かった。極めつけは彼女の持っていたハンドタオルだ。明らかに子ども用だった。育児疲れが色濃く見えているのに、薬指に指輪の痕すらない。ほぼ確定だろう」
「……ハンドタオルなんて」
「手汗をかく人なんだろうね、隠してはいたが手元に置いてあった。壁にあった出版社のロゴ、あれの金メッキに反射していたから、偶々見えたのさ」
白は再び内心で(流石妖怪)と唱えた。どちらにせよ白の身長では見えなかっただろうが、仮に白の身長がアイサと同じくらいでも、それが本当に見えていたかどうかは怪しい。
アイサは息をする様に想術を使いこなす。受付嬢から漏れる微弱な傀朧を的確に読み取り、『子供』の気配を感じ取っていてもおかしくない。それをあたかも推理したように話す口車は、まさしく妖怪である。詐欺師になれるんじゃないだろうか。
「……本当に警察の方なんですね」
「今更だな」
ふわ、とアイサが欠伸をする。気の抜けた動作に眉根をひそめた加美山を見て、白は心底同情した。
加美山の務めるファッション誌フロアは、清潔感のある吹き抜けの造りになっていた。6階とそれなりの高さなだけあって、全面ガラス張りの窓にはパノラマが広がっている。
編集長室に呼ばれて簡単な説明を終え、体裁のために会議室を借りて対談を行った。フリではなく実際に対談が進められ、加美山も戸惑いつつ誠実に応える。一時間ほど手持ち無沙汰になった白は、オフィスをぶらつくことにした。当然ながら遊びではない。情報収集である。
会議室から出る前に、と、白は扉の前で立ち止まった。加美山がこちらに背を向けてアイサと対談しているのを確認し、深く息を吸い込む。
すぅ、と細く長く吐きだした呼気に比例する様に、白の身体はゆっくりと透け始めた。肺の中身が空っぽになる頃には、完全に姿が消える。少なくとも一般人には、彼の姿を目で捉えることは出来なくなった。
存在感を消す、いわゆる『影が薄い』概念を持たせた傀朧を色濃く纏うことで、擬似的な透明人間状態を作っているのだ。傀朧を読む事ができる想術師や傀異には気付かれてしまうが、等級の低い相手であれば、分厚い傀朧を貫通して本体を見抜かれることは稀である。
小さく扉を開け、隙間に身体を滑り込ませて部屋から出る。オフィスには相変わらず人が行き交っていた。
「うあっ!?」
唐突に、白の右肩へ衝撃が走る。声の主は当然白ではない。見上げると、ひっつめ髪に黒縁眼鏡の冴えない女性が、キョロキョロと周囲を見渡していた。
「……?」
女性は白が居た辺りを暫く見つめていたが、何も見当たらなかったのか、首を傾げつつも小走りでその場を去る。廊下を曲がって白の視界からいなくなるまでだけで、3回も人にぶつかり頭を下げていた。
(どんくさいな……たまに居るんだよな)
基本、透明人間状態の白に一般人が接触することはまず無い。
『影が薄い』というのは、そこに居るのに気に留めない、ということだ。知覚することはできないが、無意識のうちに存在自体は認知している。つまり、よほど勘の悪い人間で無ければ、ぶつかる前に自分から避けられるのだ。
(佳澄も何回かぶつかってきた事あったけど……あの天然並みにどんくさい奴、他にもいるもんなんだな)
白は生ぬるい気持ちで廊下を一瞥し、踵を返した。
加美山に予め貰っていたオフィス内の見取り図を確認し、ワークスペースに向かう。
PCとデスクがずらりと並んだワークスペースの席は、洒落た装いの社員でまばらに埋まっていた。PCにかじりつく様にキーボードを叩いている人もいれば、マウス片手にうんうん唸っている人もいる。白は社畜の間を縫って、加美山のデスクへ辿り着いた。
(……これは)
加美山のデスクは、比較的きれいに整頓されていた。足下に資料がどっさり立てられたファイルボックスが置かれており、細かくラベリングしてある。デスク上にはPCとシンプルなメモスタンド、ペン立て、予定がびっしりと書き込まれた卓上カレンダーがミニマルに配置されていた。
そして、そのどれもが、どす黒い傀朧をべったりと纏っていた。
(なにか手掛かりがあれば、とは思ったけど……まさかの大当たりか)
明らかに異質な量である。このデスクだけが呪われているんじゃ無いか、とくまなく調べたが、それらしい痕跡は見当たらない。純粋に傀朧だけがべたべたと残っている。残ってしまった、というよりは、意図的に塗りたくった、と言った方が近い。
白はウエストポーチからプラ製の試験管を取り出し、傀朧を採取してコルク栓を閉める。これをこのまま残しておく訳にはいかない。デスクに右手をかざし、掌に清浄な傀朧を集める。
────収束。爆発。
「きゃっ!?」
「何⁉ 空調壊れた⁉」
周囲の社員は悲鳴を上げながら紙の資料を抑え、エアコンの設定を確認しに席を立った。
清浄な傀朧が勢い良く拡散し、デスクを雪ぐ。こびり着いた傀朧が完全に霧散したことを確認し、白はデスクを後にした。
その足で、オフィスの端から端までぐるりと歩いてみる。ざっと見たところ、デスクで見たのと同じ気配の傀朧は微塵も見当たらなかった。
微塵も。
(おかしい──そう言えば、番長も言ってたな)
佐竹の言葉を思い出す。
(“傀異の気配どころか、傀朧痕すら感じない”、だったか)
普通、あんなにも大量の傀朧が残っていれば、その周囲に足跡の一つも付いていないなんておかしいのだ。それが、オフィスのどこにも残っていない。
どころか、あのデスクに座っていたはずの加美山本人からさえ、微塵も痕跡が見つけられなかった。
何らかの方法で、傀朧が隠蔽されている。
白は再び試験管を取り出し、うんざりと顔をしかめた。
試験管の中身は、どんなに目を凝らしても見えなかった。
◆ ◆ ◆
「……なるほど、面白い」
白から受け取った試験管を照明にかざしながら、アイサはにやりと笑った。その肩越し、加美山の青褪めた顔が不安げに白を見ている。
「つまり、自らを隠匿する性質を持った傀異である、と。ますます正体がわからなくなったじゃないか」
「嬉しそうに言うなよ、加美山さん怯えてるぞ」
正体の解明。
傀異を払う際に最も重要視されるのが正体である。傀異と一口に言っても、その本質となる概念は様々だ。当然、対処法も様々である。相手の本質が分からなければ、打つ手を選ぶ事も難しい。
「酷い目眩に腕の腫れ物、ひと月おきから五日おきに狭まった症状の間隔、痕跡を消す傀朧……こんなとっ散らかったピース、銀滝隊員ならどう並べる? おっと失礼、今はギンタくんだったね」
「それやめろよ。次からは自分で考えるからな」
「名前は水野お母さんからの贈り物だぞ、大切にしたまえよ」
適当なやり取りを交わしつつ、アイサは試験管へ息を吹きかけた。
青黒い液体が現れ、波打つ。
(解析、もう終わったのか)
やはり傀朧は消えていた訳では無く、存在を隠していたのだ。それが可視化されたということは、アイサが傀朧の正体を突き止め、隠蔽を解除したということだ。
白は、何も見えていない加美山に状況が分かるよう、言葉を選んでアイサに問う。
「そんなコト言って、もうアタリは付いてるんだろ。対処法も」
「……ああ、まあね」
「本当ですか!?」
アイサの言葉に目を輝かせた加美山だが、言葉と裏腹に沈鬱なアイサの表情を見て、再び不安げに押し黙る。
「……荒唐無稽過ぎて信じたくない、というのが本音だよ」
呻くようにアイサが洩らす。そして目を閉じた後、一転明るい笑顔で続けた。
「しかし、本来であれば弱い傀異だ。対処も概ね目処が立った。準備が必要なので私は事務室へ戻るが、白が引き続き君を警護するよ」
「……ありがとうございます」
安堵の溜息を漏らす加美山の背を、アイサが優しくポンポンと叩く。こういう事を自然にできてしまうのが、人と関わるのが苦手な白にとっては少しだけ羨ましい。
「ん、おや」
アイサのポケットからバイブ音が鳴る。スマホを確認したアイサは、再び深刻な顔に戻った。
「当たって欲しくない予想が当たってしまったな。和音からだ」
そう呟き、スマホを白に投げて寄越す。加美山も見るようにとアイサが視線で促した。加美山は横から恐る恐る覗き込み、小さく悲鳴を上げる。
「依頼人の生活圏、特に滞在時間が多い自宅と撮影スタジオを調べるよう頼んでおいたんだが……思った以上に、事は深刻なようだね」
スマホの画面には、どす黒い液体に塗れた部屋が映っていた。
「安心したまえ、依頼人に捜査の許可は取ってある。部屋も洗浄済みだ。しかし、まあ」
的外れな補足をし、アイサは加美山の目をじっと見つめて言った。
「今日は、帰らない方が良いだろうね」