とある夏の一幕編 闇鈍閃光、それから一発。【後編】
「……何だコレ。気持ち悪い傀朧」
白は、イカの傀異からまき散らされている歪な傀朧に顔をしかめる。
まるでブラックホールだ。辺りの傀朧を手当たり次第に飲み込んだような、そんな歪さがある。見た目はイカだが、核を成している概念が何なのかさっぱりわからない。そして何より、今まさに海から傀朧を吸収して大きくなっている。近くにいるだけで飲み込まれそうだ。
これが、〈ハンメ〉の傀異なのか――――――?
「ぼおおおおおおおおお」
イカの傀異が、不気味な雄たけびを上げ、触手を空中に振り上げる。
「クソっ」
身構える白の前、先行していた風牙の前に、モヒカン頭の男がいる。
風牙は冷たく男を睨みつける。
風牙は直感する――――――あの男は危険だ。やる気になればこの場の全員を消し炭に出来る。それほどの実力がある。
「それが知りたきゃオレと戦え」
それを聞いた風牙は、近づいて来た白の頭に手をポンと叩く。
「えっ」
「わりい。アレ、任せてもいいか?」
白は砂浜の上で一際異質な存在を放っている男を見る。汗がたらりと頬を伝う。なぜかわからないが、根源に刻まれた恐怖が心の底からにじみ出てくるような、そんな気持ち悪い感覚に襲われる。
「大丈夫だ」
風牙は真顔で白の頭をぐしゃぐしゃ撫でる。
「俺があいつをやる。だから、バケモノは頼む」
「……わかった」
「咲夜を頼んだぜ、白」
風牙がぐしゃぐしゃと頭を撫でてくることに、不満げな表情で応えた白は、小さく頷く。 そして二人は同時に動き出す。
イカの傀異は触手で海の家を攻撃し始める。白はその動きに合わせて傀朧を触手にぶつけ、威力を相殺する。
タカハシと名乗る男は、海の家に背を向け、走り出した。
「咲夜!」
風牙は横目で咲夜を見据える。咲夜は相槌を打つと、イカの傀異と向き合った。
左足に装着されていたホルスターから予備の銃を抜いて、構える。
「白くん! 私が海の家を守るから、貴方は本体を!」
「わかった!」
咲夜は触手を正確に打ち抜き、動きを止めていく。その隙に、白はイカに向かって跳躍。触手の上を華麗に飛び回り、弱点となる部分を探していく。
(こいつ……ごちゃごちゃしててどこを攻撃していいかわからない!)
体を構成している傀朧が何かわからない上、海の中から傀朧を吸い上げ、どんどん体が膨らんでいるようだ。このままでは手に負えなくなる。
「くっそ!」
白は手のひらで凝縮した傀朧の塊を、イカの中央に向かって飛ばす。拡散した傀朧により命中した箇所が弾け、イカの体の半分が吹き飛ぶ。
しかし、体から噴出する傀朧がボコボコと膨れ上がり、すぐに体が再生されてしまった。
「これじゃジリ貧だな……」
その様子を見た咲夜は、先ほどタカハシが投げた面を思い出す。
「白くん。体のどこかに仮面はついていなかった?」
「仮面?」
白は想術で視力を強化し、人差し指と親指で丸を作ると、イカの体を隅々まで覗き込む。
「……あった」
左右の耳のちょうど中心。そこに小さな鬼の面がついていた。
「多分あれが弱点じゃないかな。傀異殺しを使って隙を作るから、あの仮面を壊して」
「いや、無理だ。あそこだけやけにガードが堅い。おれが近づいたら多分……傀朧を吸収される」
イカの触手が二人の会話を遮る。左右に避け、距離が開いたところに次々と触手が迫る。
「きゃっ!!」
咲夜は触手に弾き飛ばされ、地面を転がった。砂が全身にかかり、視界を塞ぐ。
「大丈夫!?」
白はすぐに咲夜のカバーに入る。迫る触手に傀朧をぶつけて払いのけ、咲夜に手を差し出す。
(……)
白の手を取る前に、咲夜は拳を握りしめていた。
悔しい。心の底から悔しさが湧き上がってくる。敵に侮られ、守られ、傀異を祓うことすらできず、バックアップもできない。
白がこちら見て何か言っている。暗視ゴーグル型傀具に映ったのは、迫る触手だった。
あれにからめ取られれば、死ぬ。そう思った時、無意識に傀異殺しをマガジンに込めていた。
自分の身を守るためには使わなきゃ――――――いや、違う。
そうじゃないだろ!
咲夜は銃を咥えると、ナイフ型の傀具を腰から引き抜く。
「っ!!!」
体勢を低く、迫る触手をギリギリのところで躱し、ナイフの刀身を触手に突き立てる。
「こんじょうーーーーー!!!」
迫ってくる勢いで切り裂かれ、真二になった触手が霧散する。
「やるじゃん」
白は咲夜の体を抱きかかえ、再び大きく跳躍する。
仮面が見える位置まで飛ぶ。狙いはイカの体の中央。イカはこちらの動きに合わせて触手を放ってきている。
「いけ、浄霊院咲夜!」
「長い! 咲夜でいいわ!」
ナイフを海に捨て、今度こそ切り札をマガジンに込める。両手でしっかりと構え、仮面の位置に狙いを定め、発砲――――――仮面に着弾した傀異殺しは、一瞬でイカの傀異を傀朧ごと散らしていく。
「ぼおおおおおおお……」
イカの傀異は断末魔を上げ、体を大きく海に倒していく。霧散した有象無象の傀朧は、海に溶けて消える。
砂浜に降り立った白は、そっぽ向いている咲夜を慌てて地面に下ろす。
白は顔を赤らめて、咲夜から目を背ける。
「ありがとう。貴方のおかげよ」
「……べ、別に。あんたが倒したんだし」
砂浜に足を下ろした咲夜は白に微笑を向け、海の家に向かって駆けていく。
――――――少し。少しは変われたのだろうか。無力だった自分から。
「結界を解除するわ」
「うん。おれも手伝う」