とある夏の一幕編 闇鈍閃光、それから一発。【前編】
咲夜に危機が迫る――。
二人が桶螺の小径に向かってすぐに、咲夜は持ってきていた式札を海の家の周囲に設置しはじめた。傀異を寄せ付けない効果のある簡易結界を起動させ、銃の手入れを開始する。通常の強化想術用マガジンがほとんどで、切り札である傀異殺しが三発。先日のくねくねとの戦いで、多くを使用してしまったため、残りがこれだけになってしまった。アイサにもらえないか交渉しようと思っていた矢先、ここ桶螺海岸にまつわる失踪事件の調査を依頼されてしまったのだ。
(やっぱり交渉しよう……それにしても、どうしてこの辺りを管轄している想術師が動かないのかしら)
新聞やネットニュースを読む限りこれだけ多くの失踪者が出ていて、警察も調べているはずなのに、傀朧管理局所管の三級想術師が動かないのはおかしい――――――。
咲夜はできる限りの準備を済ませ、星空を見上げながらため息を吐いた。
(ここはぎりぎり関東。ということは傀異対策局第二部が担当か)
第二部の悪い噂は嫌というほど聞いている。絶大な権力で内部監査局の立ち入りを拒み、想術や傀朧を用いた闇のビジネスを行っているとかなんとか。その上、傀異が多く発生する地域でありながら、傀異討伐に順位をつけ、金にならない依頼は放置するという始末だ。
それもすべて、トップに君臨するあの男のせいだと、咲夜はわかっていた。
(私たちが活動していることがバレたら、汚い手を使って潰しに来るに違いないわ)
咲夜は綺麗な光景が台無しになっていると思い、考えるのを止める。
「しみったれた顔してんじゃねえか、ネエちゃんよォ」
「!!!」
突如人の声が自身の耳元で聞こえ、全身を硬直させてしまう。
咲夜の真横にあった木製のベンチに誰かが座っていた。星明りの下、ガタイのいい金髪モヒカンの男が鋭い歯を見せ、ニヤリと笑っている。顔の左側に大きな雷の入れ墨があり、身に纏う雰囲気も尋常ではない何かを感じさせる。
「誰!?」
「ただの観光客だぜ? なーに身構えてんだよ、店員じゃねえのか? そうだなァ……かき氷食いてえな。一つ」
咲夜は手入れが終わっていた〈無痛〉のグリップを握り、銃口を男に向けた。
「あいにく、閉店してるわ」
「おいおいやけに好戦的だな、テメエ」
「それはこっちのセリフよ。貴方みたいな、得体のしれない人が、結界をすり抜けていきなり現れたら誰だって警戒するわ」
「ククッ……くはははははっ!!」
突如腹を抱えて笑い始めた男を、咲夜は睨みつける。
(何なのこの男。想術師協会の手先? いや、違う……)
男は咲夜を興味深そうに眺め、徐に立ち上がる。
「傀朧は見えねえのに、そういうのは解るんだなテメエ」
「なっ!?」
――――――光。
咲夜の目を眩ませるまばゆい光が放たれる。閃光は瞬間的に咲夜の目の前から消え、突如腹部に鈍痛が奔る。
殴られた、とわかった時には地面に膝をついていた。
「か……」
「お。意識失わねえのか。そこは褒めてやるよ。それにしても弱い奴を殴るのはいけ好かねえェな……生意気な女なら別だけどよ」
咲夜は腹を押さえ、声も上げられずに悶絶する。全身がしびれ、力が入らない。男は涼しい顔をして煽るかのようにベンチに座り直す。
「おい。功刀風牙はどこにいる。桶螺の小径に行ったのか」
「……」
咲夜は痛む腹部を押さえ、何とか立ち上がると銃口を男に向ける。
(風牙を探している……? なんなのこの男)
「仕事は終わったし、ちょっと遊んでから帰りてェんだけどな……」
男はちらちらと咲夜の背後を気にしながら、歯を見せて笑う。そちらの方角が桶螺の小径の方角だと気づいた咲夜は、迷わず引き金を引く。
「!!」
しかし引き金を引くよりも早く、男は咲夜の横に立ち、撃鉄に指をかけていた。
「やめとけ。死ぬぜ、テメエ」
男は銃を握り潰し、そのまま大きく腕を回す。咲夜は壊れた銃ごと振り回されると、砂浜の方へ投げ飛ばされる。
砂浜に叩きつけられ、白い砂が闇夜に舞い上がる。衝撃はなかったが、砂が気管に入り大きく咽せる。
「終わり。さてどうすっかな、テメエを人質にとれば、功刀風牙はキレて戻って来るか?」
――――――これ以上抵抗すれば殺される。
咲夜は決して勝てない実力差を悟った。このままだと、男の言う通り自分が人質にされて終了だろう。
だが――――――それだけは嫌だ。もう二度と、足手まといにはなりたくない。
五年前のように。もう、守られるだけの自分を許すことなど、今の咲夜にはできなかった。
咲夜は砂を握り、男をキッと睨みつける。
「……舐めないで」
「あ‶?」
「私を殺してもいないのに、そういうことを言わない方がいいわ。足元をすくわれるかもしれないわよ」
「……あ‶―。そっかそっかわかった。じゃあ」
男の顔から笑みが消える。命に指をかけられているような鋭い殺気。
男は拳でベンチを破壊し、その勢いで立ちあがると、咲夜に告げる。
「まあ、テメエは五年前にとっくに用済みだしな。殺すわ」
「!?」
左手が発光し、びりびりと放電を開始する。男の手のひらに短槍が形成され、それを大きく振りかぶって放つ。
「雷槍放華!!」
凝縮された雷が、咲夜目掛けて放たれる。その瞬間、咲夜は砂浜に隠すように配置した式札から術を起動させる。
地面から鎖がいくつも伸び、男の全身に絡みつく。
「ちっ」
体勢を崩され、雷槍の狙いが若干ズレた――――――。
男がそう直感した時には、槍が凄まじい衝撃波で砂を巻き上げ、光の速度で海の方向に投げられていた。衝撃が咲夜の頬をかすめ、海を裂き、地平線の彼方で海に落ちた雷槍は、巨大な爆発音を上げる。それはさながら花火のように光をまき散らし、漆黒の夜に咲いた。
男は簡単に鎖の拘束を解くと、邪悪な笑みを咲夜に向ける。
「侮ってたぜ浄霊院咲夜」
「ん……何?」
その時、ガラガラと引き戸が開き、パジャマ姿の彩が目をこすりながら外に出てきた。
「いけない……来ちゃだめっ!!」
男は手のひらから手品のように鬼の面を取り出すと、海に向かって投げる。咲夜はすぐに暗視ゴーグル型の傀具を付け、海の様子を伺う。
ドロドロと海に傀朧が溶け、瞬く間に増幅していく様子が見える――――――次第に形を成し、海の中から巨大な傀異が現れる。
クラーケン。そんな海の悪魔の名前がふさわしい、巨大なイカのバケモノ。全身にぎょろぎょろとした目玉がついており、星明りに照らされてぬめぬめとした不気味な体表が青く照っている。
「クラーケンになったか。たまたま下にイカでもいたかァ」
男は素早く彩の顎先を小突く。そして海の家の中に体を押し込めると、周囲に雷で形成した結界を張り巡らせる。
「何を……!」
「見られちゃ困るのはお互い様だろ。それによ……」
男は右腕に巨大な雷の剣を作り出し、咲夜に突進する。咲夜が反射的に腕を前に出して防ごうとした瞬間、風と衝撃で体が後ろに押される。
尻もちをついた咲夜の前で、剣と拳がぶつかる鈍い音が響く。
「……会いたかったぜェ!! 功刀風牙!!」
男の持つ雷の剣が弾かれ、宙を舞う。男は風牙から距離を取って大きく口元を歪ませた。
「手前……何者だ」
「オレの名はタカハシ。仲良くしようぜ、小夜嵐」