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エボルブルスの瞳―特殊事案対策課特命係傀異譚―  作者: 揺井かごめ くろ飛行機
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腫れ物にふれるひと ①

依頼編突入です。


「珈琲、熱いのでお気を付けて」

「ありがとうございます」


 応接ソファに腰掛けた依頼人は、髪を耳にそっと掛けてから頭を下げた。


 清潔感のある、若い女性だった。すらりと高い身長に、艶のあるブラウンのストレートロング。白く丈の長いフレアスカートと黒いドットのノースリーブシャツが、モダンな雰囲気を漂わせている。


 珈琲を出した馬崎が満面の笑みを隠そうともしないのを見兼ねて、佐竹がこっそり脛を蹴り穿つ。二人の表情はピクリとも動かないまま、テーブルの下で無音の蹴り合いが始まった。


 依頼人は、加美山葉月と名乗った。

 簡単に書いて貰った依頼書によると、都市近郊部在住の25歳、勤め先はオオルリ出版らしい。

 相談内容の欄には、『体調不良・怪現象』と書かれていた。


「お話を聞かせていただく馬崎です。まずはじめに、体調不良という部分からお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 聞き取りは馬崎と佐竹が担当することになった。他メンバーは拾い集めたゴミを抱えて各々のデスクに座り、作業をしつつ聞き耳を立てる。


「……はい」


 加美山は切れ長の目を弱々しく伏せて、ぽつりぽつりと話した。


「三ヶ月くらい前から、少し体がおかしいんです。


 普段はなんともないのですが、時折、強い立ちくらみや頭痛、寒気がして、あと……手足が痺れたりとか。とにかく、立っていられないほど具合が悪くなるようになりました。ただ、数十秒ほど経てば治まって、その後は全く辛くないんです。


 初めて立ちくらみが来た日は、疲れが出たんだと思って気に留めませんでした。すぐ良くなりましたし、撮影に穴は開けられないので……」


「撮影?」

「ああ、私、編集と読者モデルを兼業しているんです。元々は編集の方で採っていただいたんですが、たまたまご縁で」

「なるほど。道理でお美しいはず……っ……!」

「?」


 隣に座っていた佐竹が、馬崎の太腿を力一杯つねった。脂汗を垂らしながらも笑顔を絶やさない馬崎に、辛うじて聞き取れるかどうかの小声で囁く。


(く・ど・く・な仕事中にィ!)


「失礼しました。うちの係長は、人との距離感を計るのが少し不得手でして。嫌な気分になったら遠慮無くおっしゃってください」


 そう言って会釈する佐竹を、加美山は困惑した表情で見つめる。


「……あの、学生さん……?」

「いえ、職員です。佐竹と申します」

「でも、制服……」

「この職場は私服OKなので」


 加美山の視線がスケバンスタイルをうろうろ彷徨い、やがて諦めた様に溜息を吐いた。


「そう、ですね。普通でない依頼を受けて下さる場所ですから、普通でない格好の方がいらっしゃってもおかしくありませんね」


 はん、と馬崎が鼻で嘲笑し、佐竹が再び太腿をつねり上げる。


 ごほん。


 デスクの奥から響いた甲斐の咳払いに、二人は慌てて居住まいを正した。


「重ねて失礼しました。では、その『普通ではない依頼』……怪現象。そちらについて、詳しくお聞かせ願えますか」


 加美山はこくりと頷く。


「先程の話の続きにもなるんですが……三ヶ月前は、気のせいだと思って忘れることにしたんです。でも、それから一ヶ月ほどしてから、また同じ事が起こりました。強烈な目眩と耳鳴り、手足の痺れ、頭痛……。

 その日から、私……その、見えて、しまって……」


 加美山の眉間に深い皺が刻まれる。長い睫毛をふるりと震わせ、彼女は薄い唇を噛んだ。


「黒いもや、壁の赤黒いシミ、視界の端で常に蠢いている何かの影。そんなものが、頻繁に見える様になりました。耳鳴りも酷くて、虫の羽音や、誰かの笑い声も聞こえたりします」


 用意してきた様な流暢さで、加美山はさらさらと説明した。しかし、その声は微かに震えている。


「……それ以来、立ちくらみが起きる間隔が、どんどん狭くなっているんです。

 最初は一ヶ月、その後は二週間、一週間……今では、およそ五日置きに立ちくらみを起こす様になりました。立ちくらみが起きた日から数日は、先程言った様な幻覚や幻聴が付きまとうんです」


「……なるほど。病院には行かれましたか?」


 馬崎の問いに、加美山は俯いたまま小さく頷いた。


「はい、何回か。でも、立ちくらみが起こるのは精々数十秒だけなんです。周期から、日付は大まかに予想がつくんですが、時間までは……」


 つまり、何度行っても「至って健康」としか返ってこない、ということだ。


「ふむ、つまりだ、お嬢さん」


 突然、アイサが声を張る。

 全員の視線が、おもむろに立ち上がるアイサに集まった。


「君の依頼は四日……いや、三日間かな? 身辺護衛と『記録』、あわよくば怪現象の解消、といったところかな?」


「っ! は、はい」


 ゆっくり、一歩一歩あゆみ寄ってくるアイサに、加美山は驚きながらも頷く。


「アイサさん、全員に分かるように言ってくれないか」


 甲斐の言葉に「もちろんだとも」と返し、アイサはサマーコートの裾をくるりと翻した。


「まず、この症状は観測そのものが難しい。加えて、おおよその周期が分かっている状態での依頼だ。原因をつきとめるには、誰かが彼女を監視して、倒れる瞬間を押さえるのがベターだろう。

 聡明なる彼女もそう思っているはずだ」


 だろう? と言いたげな流し目を受け、加美山は再びコクリと頷いた。


「そして、何より分かりやすいのがこの格好だ」


 アイサは、加美山の腕、ノースリーブから伸びる白い肩に指を滑らせる。


「ここ」


 ぴたり、と指が止まった場所には、近くで見なければ分からない程度の小さな膨らみがあった。


「コンシーラーで隠してあるが、少し腫れているね? この状態で、貴女のような職業意識の高い人が、敢えて腕を見せるノースリーブを選ぶのは不自然だ」

「……はい。ここ、この腕の腫れなんですが、具合が悪いときに範囲が広がって、青黒く腫れ上がるんです。一昨日たまたまバスルームで目眩が来て、その時はじめて気付いたんですが……」

「やはりね。和音」

「おう」


 静かにアイサと加美山の会話を聞いていた佐竹は、アイサに応えて立ち上がり、加美山の腕に手をかざした。


「……変だ」


 眉をひそめる佐竹に、アイサは片眉を上げた。


「傀異の気配どころか、傀朧痕(かいろうこん)すら感じない」

「ほう、面白いね」


「……あの、甲斐さん」


 応接スペースの会話について行けず、佳澄は甲斐の肘をちょいちょいとつつく。


「なんだい、佳澄ちゃん」

「あれ、今何やってるんですか?」

「ああ、佳澄ちゃんはこういうの、初めて見るんだったかな?」

「はい。誰かさんの溜めた仕事のせいで、現場は全然なので」


 甲斐は苦笑し、声を潜めた。


「佐竹ちゃんは想術師だからね、傀異の気配を探ることができるんだよ。傀異そのものだけじゃない。傀異でも人間でも、傀朧を使えばその場には痕跡が残る。そちらは『傀朧痕』といってね。腕の立つ、佐竹ちゃんみたいな想術師なら、どんなに微かでも痕跡を見落とすはずは無いんだが……」

「まあ、あいつ二級だしな」

「昇級試験を受けてないだけで、実力はそれ以上だよ。知ってるだろ、白君も」


「……そう、なんですね」


 佳澄は、白が自分より内部事情に詳しいことに落ち込んで閉口しつつも、内心首を傾げる。


(あれ? じゃあ、加美山さんは傀異と一切関わってないはずじゃあ……?)


「大まかな事情はわかりました」


 馬崎が静かにそう言って、加美山に微笑みかける。


特命係(うち)から係員を二名派遣します。今日を含めて三日間の日程を教えて下さい」

「明日明後日は休みを取ってあります。家でじっとしていようと思っています。

 ただ、今日はこの後仕事なんです。昼休憩を長く取らせて貰って来ているので、14時半には戻らないと」


 加美山は腕時計をちらりと見た。現在時刻は14:10。オオルリ出版のオフィスはこの事務所から一キロも離れていないので、徒歩でも数分あれば戻れる。


「なるほど、承知しました。では────」


 馬崎は頷き、事務所奥に向けて、良く通る声で告げた。


「────白、アイサさん。送って差し上げてください」




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