とある夏の一幕編 桶螺海岸
昔々……武士が世の中を支配し始めたころのことだ。
この海岸の先、桶螺の小径と呼ばれる岸壁に、世にも恐ろしいバケモノが住んでいたんだ。
名を、〈ハンメ〉と言ってね。その身の丈は十尺を超え、真っ黒な腕を大量に生やし、村の人たちを喰っていたと言われている。
〈ハンメ〉は、桶螺村に度々現れては、女と子どもをたらふく喰い、満足すれば小径に帰っていった。恐れた村人たちは、〈ハンメ〉に貢物として人間を定期的に授けることで、どうにか怒りを抑えようとしたんだ。
毎年毎年村の子どもたちが生贄にされていく。だが、〈ハンメ〉の要求はどんどんエスカレートしていった。半年に一回。ひと月に一回。どんどん頻度が増えていった。
それに耐えられなくなった村人たちは、ある時村に火を放ち、集団自殺を図ってしまう。
事態を重く見た領主は、当時京都でバケモノ退治を生業としていた武士に助けを求めた。
名を、「源天羅」と名乗るその武士は、村にやってくるやいなや、ありったけの武器になりそうなものを要求した。
鍬や鎌、木の棒、釣り竿―――ありとあらゆる物をかき集め、それを背負った天羅は、〈ハンメ〉の元に向かう。天羅は、〈ハンメ〉から距離を取ると、出来る限り大きな声で挑発した。
「おうい、ハンメやぁい、喰らうしか能の無い、ウスノロのハンメやぁい」
怒った〈ハンメ〉は、天羅に襲い掛かるが、天羅の不思議な力により背負っていた武器たちが、一斉に〈ハンメ〉の腕を攻撃したという。
「これは、村人たちの怒りだ。殺された者の数だけ、お前の腕を切り落として見せよう」と。
〈ハンメ〉は瞬く間にすべての腕を切り落とされ、最後には天羅により首を落とされる。その首は非常に重く、持って帰ることができなかったため、小径の奥に祠を立てて埋葬したそうな。
めでたしめでたし……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
パチパチと弾く残り火が、夜風に煽られ火花を散らす。
「えっ。思った以上にリアル……」
「めでたし、なんですかそれ?」
「あははは!! どうだい? 怖かっただろう」
口をポカンと開け、テンションがダダ下がる高校生三人を前に、したり顔で笑ったオーナーは海の家からパンフレットを持ってくる。
「実はね、怪談話を町おこしにしてるんだよ。怖い話グランプリっていうのもやってて、優秀賞は桶螺海岸一日貸し切り券! 今年のチャンピオンが〈水野アサミ〉さんという方で、今僕が話した話を、もっとおどろおどろしく語って優勝したんだ」
ストレスの溜まった白はぽかぽかと風牙の脚を叩き、アイサのニヤケ面を想像して今日一番のしかめっ面になった。
「あんまり町おこしにはならない気がするんですけど……」
完全にテンションが下がってしまった理子を見かねて、風牙が海の家から花火セットを持ってくる。
「んじゃ、気を取り直して花火しようぜ! この星空の中する花火最高じゃね?」
そう言われて空を仰ぐと、都会では決して見ることのできない満天の星空が広がっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「はあ……んで本題。あんたたちは何しにここに来たの」
手持ち花火を片手に、白はじーっと風牙と咲夜を睨みつけた。
遠くで理子と彩が手持ち花火を持ちながらくるくる回っている。圭が噴出花火に火をつけると、その美しさに歓声が起こる。
――――――水面に七色の火が反射し、夜空と調和する。
「あ‶―。えっとな……」
「白くん。さっきの話、どう思った?」
「え」
咲夜は屈んで線香花火をする白の横に同じように屈む。線香花火の先に火をつけ、腕をじっと静止させる。
「〈ハンメ〉の話。あれね、実話らしいの」
「妖怪の作り話じゃないの?」
「私もそう思ったけど、どうやら違うみたい」
赤い火の玉から、独特の火薬臭が立ち込める。パチパチと拡散する細かい火花を注視し、咲夜は続ける。
「〈ハンメ〉は桶螺町近辺に伝わる土着の怪談話で、色々な派生があるの。その中で必ず共通しているのが、黒い腕を持つバケモノという点ね。そして、武士に倒されたという点。傀異は、こういう土着の怪談話からでも生まれることがある」
「これ見ろよ」
風牙は白に、新聞をいくつか手渡す。地元の新聞の見出しに、大きく載った行方不明事件――――――観光客、地元の小学生など、ここ数年桶螺海岸付近で消息を絶つ人の数が多いことが伺える。
「白くんも大方予想しているでしょうけど、私たちは貴方の上司、水戸角アイサさんに頼まれてここの調査に来た。ここに、かなり危険な傀異が出現している可能性があるからと」
「高校生が四人来るから守れって。ふざけたこと言いやがってって思ったけど、まさかお前が来るなんてな。俺たちは昼間、海の家のスタッフ業務の合間に桶螺の小径まで行って傀朧を計測したんだけどよ、乱れはあれど異常はなかった」
火花がだんだんと細かくなり、次第に火の玉も小さくなっていく。
「でも、あの人が意味も無く私たちを呼ぶとは思えない」
「それはおれもそう思うけど」
「だからよ、あいつらが寝静まったあとにもう一度小径に向かうつもりだ」
「おれも行く」
ぽとり。
細かく火花を散らしている火の玉は、砂浜に吸い込まれて消える。
「傀異相手なら、あんたよりおれの方がうまくやれる。サングラスなしじゃ傀異が見えないあんたが行くより、おれが行った方が安全だと思う」
「……そうね」
咲夜は白から視線を外し、肩を落とした。
「自分の実力も、引き際もわきまえてる」
「咲夜は足手まといじゃねえよ」
「いいの風牙。この場合、足手まといは私。夜の海岸……障害物の多い崖では銃の効力も発揮できないし」
咲夜は立ち上がり、白に頭を下げる。
「だから私はここに残って、みんなを守るわ。そっちはお願いできる?」
「任せて」
咲夜は手に持っていた線香花火の紙を、水の入ったバケツに投げ入れた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜、三人が寝静まったのを確認し、白は静かに砂浜に出る。先ほどよりも月が高く上り、朧げな光が白く砂浜を照らしていた。風がない夜で、それが不気味な雰囲気を冗長させている。
「んじゃ、行ってくるぜ」
「気を付けてね」
扉の傍にいた咲夜は、崖の方に向かう白と風牙を見送る。見えなくなるまで背中を見ていると、自分の力のなさが胸を締め付けた。咲夜は着ていたパーカーのポケットに挿していたサングラスを握りしめる。
「私だって……」
白と風牙は、急ぎ足で桶螺の小径に向かう。
「ねえ。傀朧を感じる?」
「いいや。さっぱりだな」
先行する風牙は、ごつごつとした岩場を見て、首を振った。そよそよと吹き始めた風の匂いを確かめるように、鼻をすんすんさせる。
「人の気配も、傀朧の気配も、まるで感じねえな」
二人は桶螺の小径の入り口にたどり着く。警察が張ったと思われる立ち入り禁止の黄色いテープが入り口を塞いでいた。それを避けて、まるで洞窟の入り口のような岩のアーチをくぐると、観光案内の立札が見えてくる。夜目を凝らして看板を見てみると、先ほどオーナーが話した内容をマイルドにしたような物語が書かれていた。
「この奥に、ハンメを祀った祠みてえのがある」
「見たの?」
「ああ。昼間に行った」
白はさっさと先に進んでいく。風牙の言う通り崖の傍に社を模した綺麗な祠が建っており、十円玉や五十円玉などの硬貨が祠の周囲にまき散らされていた。
白は祠に触れ、傀朧の残滓を検知しようと試みる。
「ねえ。やっぱり変だ」
「ああ。俺もそう思う」
目の合った二人は、まったく同時に視線を動かし、祠ではなく立て看板の方に目をやる。
「気に入らねえな、この看板」
白は拳に傀朧を奔らせ、看板を勢いよく殴りつけた。
ごん、という鈍い音で折れ曲がった看板の頭が、背後にあった岩に突き刺さる。みるみるうちに形を変えた看板は、どろりと溶けて消えてなくなった。
次の瞬間――――――祠の先、崖際にさらに小さな祠が出現する。
「うまく隠してるけど、これ傀朧を偽の祠に集めるための擬態に見えない?」
「あの看板、〈誘導〉の概念を込めた傀具だな。視覚的に本物の祠を隠して、手前の偽モンに傀朧を集めるよう仕向けたんだろ」
風牙は偽の祠に近づくと、小銭を一枚拾い上げる。
「んで、ここからが本題だ」
白は社の扉に手をかけると、勢いよく開け放つ。
中は何もなく、ただの空洞だった。
「傀朧を、一ミリも感じねえのはおかしいよなぁ」
二人が感じていた違和感の正体。それは、これだけ巧妙に傀朧を集める努力をしていながら、すでに傀朧が全く感じられないということだ。この祠を見ているとまるで、もうすでに用済みであるかのような、空虚なものに見える。
「嫌な予感がする」
「ああ」
白が元来た道に引き返そうと足に力を入れた時だった。
巨大な爆発音と共に、膨大な傀朧が遠くで弾ける――――――。




