想術師連続殺人事件編 another point of view――――正規品、模造品、試作品
白と数多が邂逅した、その頃。
夕闇の中、東京湾に面した倉庫裏に二つの人影があった。
「すまん市村、遅くなった」
想術師協会法政局の渡辺は、革靴をかつかつと鳴らしながら後輩に歩み寄り、悪びれない笑顔で片手を上げる。
「説明していただきますよ、先輩。業務中に急に抜けたからには、相応の理由を提示して下さい」
歩み寄られたスーツ姿の女性――――市村律は、眼鏡の奥、整えられた細い眉を吊り上げて渡辺を睨み付ける。
「大体、なぜ待ち合わせ場所にここを指定する必要があったんですか? 協会の東京支部からかなり離れています。直帰する為の中継地点としても不適切です。報告なら協会の専用貸し切り店舗が五〇〇メートル圏内にあるのに――――」
「まあまあ、待てって、落ち着けよ市村」
ポニーテールを揺らしながら詰め寄る後輩を手で制し、渡辺は苦笑する。
「大丈夫だ、遮音性のある結界を張った。機密事項も安心して話せるぜ? 先に現状の確認をさせてくれ。そちらの首尾は?」
「……〈錬金術〉の傀玉の確認、ですね」
市村は苦虫を噛みつぶしたような表情で口を開く。
二人が以前から追っている麻薬【Re:Birth】は、傀朧のブースト剤だ。そういった薬剤型傀具も存在するが、Re:Birthは法の定める基準値を明らかに逸脱している。
想術師が使えば傀朧が増幅されるだけ――――いわゆるエナジードリンクと同じような役割しか果たさない。しかし、想術の心得がない者が服用すれば、その薬剤は暴力的な効果を発揮する。
その身体に宿る傀朧を一瞬で何倍にも増幅させ、強制的な身体反応――――『想術』として引きずり出す。
赤子に包丁を持たせるようなものだ。
大量の傀朧に慣れない身体は拒否反応を起こし、脳に重大な支障を来す。想術自体が暴走した事による死傷の事例もある。新興宗教・協会との関連組織などを通じて一般人に流出しているらしいRe:Birthの被害は、水面下で確実に日本を蝕んでいる。
実働部隊として法政局から市村・渡辺を始めとする一級想術師のチームが組まれ、既に三ヶ月ほどが経つ。その中でRe:Birth自体の解析も進められていた訳だが、想術開発局から派遣された解析班の見立てでは〈錬金術〉の概念がベースになっている可能性が浮上した。
「〈錬金術〉の傀玉が持ち出され、麻薬製造に利用されているのでは無いか、という疑いについてですが」
市村が渡辺から受けた指示は、〈錬金術〉の概念を持つ傀玉の管理状況の確認だった。
「協会の傀玉の管理体制を再度確認しました。〝伝承レベルVを超える傀具の管理規定〟に則るのであれば、書類上では問題ありませんでした――――しかし、規定自体がずさんと言わざるを得ません。管理施設内の結界強度の確認・現物の目視確認の記録は、遡ること四年二ヶ月の期間確認できませんでした。資料によれば、三級想術師が外側の結界を目視確認するだけで〝問題なし〟と記録してきたことになります」
「やはりそうか。それで、現物の確認は?」
「つい一時間二十五分前に、管理施設Kー005の鍵の借用申請が通りました」
市村は古びた鍵束をバッグから取り出し、渡辺に手渡す。渡辺は重たい金属片の塊をじゃらじゃらと揺らしてから、「確かに」と一言告げて己の懐に仕舞った。
「さて、今夜はもう遅い。施設の確認は明日にしよう」
「そうですね。都心からはかなり遠いですから――――」
「いや、市村はいい」
「は?」
ずぶり、と鈍い音がする。
市村は目を見開き、ゆっくりと己の腹部を見下ろす。じわりと血が滲む胴の中心、渡辺の手刀が、市村の薄い腹を貫いていた。
「――――っ!!」
激しい痛みに声なき叫びを上げる市村から、渡辺が腕を引き抜く。その場に崩れ落ちた市村を見下ろし、血振りした腕を顎に当てて渡辺は薄暗く笑った。
「皮肉だな。ずさんな管理を正そうとしたお前が、最も大きな穴だったなんてよぉ」
ぼたぼたと血の滴る腹を必死に押さえ、市村は乱れた呼吸の中で歯噛みする。痛みに視界が歪む中、頭だけが急速に回り始める。
(――――誰、だ? この男は、一体誰だ?)
市村はここ三ヶ月、麻薬捜査チームのバディと行動していた。
頼もしい、女性の先輩と。
いつからこの男といたのか思い出せない。思えば、この男の下の名前を聞いた覚えが無い。こいつと入れ替わりに消えた先輩を、誰も気に掛けなかった。市村以外のチームメンバーも、この男を自分達の上司として受け入れていた。
これまで何の違和感も持たずにこの男を「先輩」と呼んでいたおぞましい事実に吐き気がする心地だが、生憎身体が付いてこない。想術で止血を試みるが、一向に血が止まらない。恐らく、攻撃と同時に何か細工をされている。細工に〈干渉〉して解除するには時間も余力も足りない。
(倒れている場合では無いのに――――!)
市村は、重大なミスをしたのだ。
今、ワタナベの手の中には、傀玉管理施設の鍵がある。場所も市村自身が伝えてしまった。ここまでしておいて、この男が傀玉を盗みに行かない訳がない。
「ああ、今回はタナカに借りを作っちまった。あいつ、顔は毎回良いがねちっこくて嫌なんだよなぁ。どうにかして踏み倒せないものか……」
足音と声が遠ざかっていく。市村は必死に意識をたぐり寄せ、絞り出すように口を開いた。
「――――ま、て……」
「お。何だ、まだ意識があるのか?」
気楽な声と共に足音が戻ってくる。
「なら、最期に礼くらい言っておこうか」
うつ伏せに倒れた市村の後ろ髪が掴まれ、頭が乱暴に持ち上がる。
市村の眼前には、穏やかに笑う男の顔があった。
何の変哲も無い、平凡な顔。
ただ一点、細められた目の右片方が、黒々とした穴になっている事以外は。
「なあ、君。序列を固く守る人間は、組織に一人は必要だ。逆に言えば、一人で十分なのさ。君のような人間は分かりやすくて御しやすい。協力感謝するよ、お疲れ様」
ワタナベは、話は終わったとばかりに市村の頭をぞんざいに投げ捨て、再びきびすを返した。遠ざかる後ろ姿がぼやけていく。意識が遠のき、身体が冷えていくのを感じる。
(駄目だ、動けない)
市村の目から一筋の涙が零れる。
(ああ、負けたのか、私――――)
「おっと、まだ終わってねーぜ?」
ぼやけた視界が、突如として明るむ。
「喧嘩殺法、唯式――――【四戒】」
蒼い火花と共に、竹刀がワタナベの足元へ突き刺さる。
「なっ……!」
「四の鋲を以て戒めとせよ――――おし、これで動けねえだろ。逃げられると思うなよ?」
竹刀の柄に片足で着地して、佐竹和音は不敵に笑った。
「佐竹ちゃん、お疲れ。あとは僕がやろう」
声と共に、大柄な人影がワタナベと距離を詰め、瞬く間に組み伏せる。特命係の顔写真を一揃い見たことのある市村には、それが甲斐忠勝であることが分かった。
暴れるワタナベをびくともせずに抑え続ける甲斐を背後に、佐竹は市村に駆け寄った。
「うわ、酷え怪我……また会ったな、市村さん」
「あな、たは」
「無理して喋んなくて良いぜ。一旦応急処置で血ぃ止めるから動くなよ」
佐竹はどこからか取り出した厚手のタオルで市村の腹部を包み込んだ。その上からきつくベルトを締め、上から包帯を巻く。
「『沈痛』『治癒』の概念を持たせた医療用傀具だ。気休めにはなるだろ」
「……貴女も、ダメージがあった、はずでは」
「喋るなって。今は自分の心配しときな? アタイは平気だよ、あの時アンタに回復して貰ったおかげでピンピンしてんだ。傀朧も補充してきた。アンタを病院まで運ぶくらいどうってこと無い」
にかっと笑ってウインクを飛ばす佐竹に、市村はつられて小さく微笑んだ。
「佐竹ちゃん! なるべく早く離れなさい、この場は毒だ!」
甲斐の切迫した声が飛んでくる。甲斐の下では相変わらずワタナベが藻掻いていたが、その声と同時にぴたりと動きを止めた。
「分かってるねえオッサン。ここまで来たら道連れだ。さあ、喰らい、増え、み――――」
ワタナベの声は、そこで途絶えた。
その場に居る全員が、その瞬間を捉えられなかった。
ワタナベの首が切り落とされて消え失せる、その瞬間を。
呆気にとられつつ、佐竹が最初に口を開いた。
「……え、何コレ、終わり?」
「しまったな。口封じか」
甲斐は苦々しく呟き、主を失った首元をワタナベの上着で止血してから立ち上がった。
「それじゃあ、これは僕が回収していくよ。佐竹ちゃんはすぐに病院へ。車は手配してあるから」
「あ、うん。そんじゃ後はよろしく、甲斐さん」
佐竹は軽々と市村を横抱きにして走り去った。
取り残された甲斐は、ワタナベの亡骸に僅かに残る傀朧を採取する。
(死にたてにも関わらず、傀具の反応が鈍い。首を落とすときに身体から傀朧も引き抜いたか? 首の断面が粗かった、恐らく刃物では無いが……)
死に際にワタナベが使いかけた想術は、前口上から〈増幅〉に近い概念をベースとしたものだろう。今回の発端になった血みどろのオフィスを思い出す。
(……一人の少年の血液を増やしてあの状況を作るには、うってつけの概念だな)
何か大きな、組織ぐるみの思惑が水面下で進んでいる。
雲行きの怪しさに辟易としながらも、甲斐はワタナベの遺体を寝袋に仕舞って軽々と担ぎ上げ、その場を後にする。
人の居なくなった夜の港には、何事も無かったかのように、冷たい秋風が吹き抜けるばかりだった。
◆ ◆ ◆
「喰らい、増え、満ちよ――――【皆既増殖】、でしたっけ?」
時を同じくして、S県某所。
「物体や傀朧を喰って、育てて、産み増やす。複製じゃなくて繁殖。そこそこ良いカードなんすから、自爆で見せるのは駄目っしょ」
電波塔の上、男の首を片手にぶら下げた黒い装いの少年が、気怠げに呟いた。
金髪に黒いキャップ、派手な色のヘアピンに、左耳には夥しい数のピアス。仲間から「ビャク」と呼ばれるその少年は、ワタナベの首を落としたコインを手遊びに弾きながら、誰にとも無く続ける。
「あの場で多少頑張ったところで、殺せたのは良いとこ協会職員一人、ってとこっすかね。特命係は無理っす。そもそも、アンタの想術じゃ自爆しても遺体残っちまうんすから、もうちょい気を付けるべきだと思いますよ」
『そうなったらビャクが片付けてくれただろ、今みたいに。邪魔されなければ仕留めてたって』
「どうだかね~」
ビャクに答えるその声は、ビャク以外には聞こえない。ビャクの内側に渦巻く声が、更に言い募る。
『俺の首より、傀玉の鍵を回収した方が良かったんじゃ無いか? 今回狙ってた傀玉、比較的新しくて良い物件だったのに』
『……チッ。バカかビャクは。ここ十年ほど協会からは傀玉奪えてねえんだから、優先順位が違ぇだろうが』
「脇が甘いっすね、ワタナベサンもタカハシサンも。特命係が厄介だから最近焦ってんでしょ。アイツらに隙見せる方が何倍も厄介っす」
『しょーじきどっちでもい~……けど、ウチの【愛憎妄言】使っといて負けてんのはマヂ最悪。身バレしてんじゃねーよ、怒ってっかんね~』
『私に頼んでくれればもっと効率よく誤魔化して差し上げましたのに』
『コバヤシのはウチの型落ちじゃん』
『洗脳よりインスタントな催眠の方が良い場面もあんだよ、タナカはすっこんでろ』
『あは、コバヤシがキレた~、おもろ』
「喧嘩ならもっと奥でやってくんねーっすか? うるせーっす。ワタナベサンには後で五〇〇万くらい請求するんで、次は金持ちの身分もぎ取って下さいね」
『ビャクは相変わらず守銭奴だな! しかし請け負った、借りは君の好きな金で返そう』
「よろっす」
ビャクは立ち上がり、下げていた首を空中に放り投げた。ワタナベの首は弧を描きながらみるみる縮み、コインの形に変わる。
それを口でキャッチし、ごくんと飲み下して、ビャクはにやりと笑う。
「ま、折角今回、ワタナベサンのおかげで面白くなって来たんで――――次の手を打たねーと、っすね」
想術師連続殺人事件編、完結です!!
お付き合いいただきありがとうございましたー!!
敗北した白くんの心、紅夜・数多の目的、暗躍するビャク、そしてアイサの思惑とは――?
次章へ続きます!